まるで工場の流れ作業のように、俺は黙々と体を動かし続けていた。
エクレアは掃除をしながら食材を運び、俺とアイシスはひたすら調理に専念。ミクリが手作りのベルトコンベアを足で漕いで動かしつつ、完成した料理をその上に並べていく。
そして、そのコンベアの終点では、ぺこが大口を開けて万全の体勢でスタンバイしている。
流れてくる料理を一瞬の躊躇もなく受け止め、まるでブラックホールのごとく胃袋へと吸い込んでいった。
「つ、疲れましたわ……。す、少しティータイムでも……」
「休みにはまだまだ早いぞ! 次はスイーツだ! それが終わったら最後に締めのラーメンだ!」
「ふぐぐぐぐっ……! か、影分身の術が切れそう……!」
「おーい! 小麦粉が足りねぇぞ! あと十袋は欲しい!」
何をしているのかといえば、これは旅の準備の一環である。
最大の懸念材料であるぺこに、しっかりと食べさせておこうという作戦なのだ。というのも、彼女は不思議な体質を持っており、体内に取り込んだものを長期間にわたって貯蔵できるらしい。そのため、旅の途中で空腹に苦しむことがないよう、今のうちにできるだけ多くの食糧を詰め込んでおこう、というわけだ。
ここ数日、家の近くにある十棟分の倉庫を借り上げ、そこへひたすら食材を詰め込んでいた。
すべての食材が出そろい、準備万端――となった今、いよいよ“消費フェーズ”へと突入したというわけだ。作戦名は、その名も“マンプク計画”。
この作戦の名付け親はエクレアである。
開始前はニコニコと笑顔を浮かべ、『楽しみですわー! ぺこを腹ぺこからまんぷくにして、ぷくと呼びますわー!』と楽しそうにはしゃいでいた。
だが今は、すっかり生気を失った顔で、まるで魂が抜けかけたかのように黙々と動いている。
それでも手を止めることなく、最後まで働き続けるあたりは、さすがエクレアというべきか。根性も体力も、見た目に反して並ではない。
俺たちもまた、全員で力を合わせ、ひたすら黙々と作業をこなし続けた。
終わりが見えず、永遠に続くかと思われたその作業にも――ついに、幕が下りる時がやってきた。
「もぐもぐもぐ……」
「ぜぇ……へぇ……も、もう食料は残っておりません……。倉庫分、すべて消費しましたわっ……」
両肩に担いでいた小麦粉の袋を下ろすと、エクレアはその場に崩れ落ちるようにして、大の字になって倒れ込んだ。
料理を始めて、今日で六日目。ぺこは相変わらず、食べるペースを一切落とさない。まさに無尽蔵――常識や限界といった概念そのものが通じない、次元の違う食欲だ。
一体どれだけ食べれば満足するのか。
……いや、考えるのはやめておこう。答えを知ったところで、希望が見える気がしない。
「おらぁ! 麺が茹で終わったぞ!! これでしまいだぁ!」
アイシスの雄叫びが聞こえたかと思うと、ドンと机に山盛りの麺が置かれた。
俺はそれを、スープの入った巨大鍋で豪快に混ぜ合わせる。そして、チャーシュやらネギやらをてんこ盛りに乗せ、鍋のままベルトコンベアの上に置いた。これで、ミッション完了だ。
「やはり、最後はこれよ。ずぞぞぞぞ……。──うむ、これで腹八分目だな。ご馳走様であった」
「お、おわった……」
二人に分裂していたミクリの片方が、霧のように消え去っていく。
その顔は穏やかで、まるで天に召されるかのような表情だった。その足元には、ボロ雑巾のような本体が横たわっていた。
「はあ……疲れた。どうだ? だいぶ持ちそうか?」
「うむ……半年はお前たちと同じ食事量で十分であろうな。とても美味であったぞ」
俺の問いかけに、ぺこはお腹を叩いて笑顔で答えた。
これで、大量の食料を持ち歩く必要がなくなり、街を空っぽにするほど食事をする必要もなくなるだろう。安心したせいか、俺もどっと疲れが押し寄せてきた。椅子に座ろうとして、体がふらりとバランスを崩してしまいそうになり──。
「おっと、危ない。全員、我が特別にベッドへと運んでやろう」
俺が倒れそうになったのを見て、ぺこがスカートから触手を伸ばして支えてくれた。
そのまま触手で絡みつかれ、宙に浮かされて持ち上げられる。横を見ると、他の面々もぺこの触手に絡め取られていた。そのまま、それぞれの寝室へと運ばれていく。
「くく、嬉しかったぞ……ゆっくり眠るがいい」
最後に俺がベッドに寝かされると、ぺこは触手を収納して寝室を去っていった。
・・・・・
マンプク計画から二日後。
今日はついに旅立ちの日……なのだが、俺は大きな水晶玉の前に座っていた。これは水晶・ネットワーク・システム──略してSNSという水晶端末である。これを使えば、離れた場所に居ても通信を行うことが出来る。主に交流を目的としたアイテムであり、俺はとある人物に向けてメッセージを送っていた。
「うーん……困ったな」
「ヴェーク、部屋の戸締まりが終わったぜ。いつでも出発──どうした?」
「いや、船が出港できなかったときに備えて、海に住む知り合いのマンタ娘に連絡をしておこうと思ったんだけど……。どうもやんちゃしたみたいでな」
イリアス大陸とセントラ大陸の間の海域では、依然として突発的な嵐が発生していた。
自然現象なので、おそらく収まるとは思う。だが、俺は念には念を入れ、万が一に備えて、海に縁のある知り合いへと助けを求めることにしたのだ。
「ご近所さんと派手に喧嘩したみたいで、療養中らしい。いざとなったら背中に乗っけてもらおうと頼んでたんだけど……ダメそうだ」
「まっ、代わりに小舟でも借りて行きゃあいい話さ。五人で交代しながら進めば、どうにかなるだろ。最悪、筋トレついでに泳いでもいいしな!」
「それもそうか。よし、じゃあ行くか」
俺は立ち上がり、部屋を出た。
魔法を使って外部の人間が入れないように結界を張り、最後に玄関から出ると鍵をかける。玄関の前ではエクレアとミクリ、ぺこが待ち構えていた。俺は振り返り、自分の家を眺めた。次に帰ってくるのはいつになるのだろうか? 全員、無事に帰って来られるのだろうか?
「遅い……。可愛い女の子を待たせるのは良くない……」
「うーん、我が家を離れるのは何とも言えない気持ちになりますわね……」
「腹が……減った……」
俺の不安と裏腹に、全員いつもの調子だった。
何が起こるか分からない旅路だが、きっと楽しいものになるはずだ。そんな予感がした。
「よしっ! じゃあ、力の同盟! 初めての遠征を行う! 出発だぁ~!!」
「おー……!」
「おー! ですわー! ワタクシが世界を支配する、第一歩の始まりですわー!」
「出発の号令は俺がやりたかったんだが……まあ、いいか」
首に手をやり、苦笑いを浮かべた。
今も見ているか分からないが、俺は女神イリアスに旅の安全を祈願した。
・・・・・
「ギャー!! 水が入ってきてますわー! そっ、それに船酔いが──オロロロロロ!!」
「おーい! 俺の上で吐くんじゃねぇ!! てか、これ溶解液じゃねぇか! 船底にまた穴が!!」
「うう、心頭滅却……心頭滅却……」
「現実から目を背けるんじゃねぇ! ミクリ! 水を掻き出せ!! 船が沈没しちまうぞぉぉぉ!!!」
女神イリアスはサディストなのかもしれない。
イリアスベルクを出て数日。俺たちの旅は順調に進み、港町であるイリアスポートに到着。想定していた通り、やはり嵐の影響で船は出せず、苦肉の策として小さな漁船を借りることになった。
その結果、今現在──。
力の同盟一行を乗せた漁船が、激しく荒れる海に揉まれて悲鳴をあげていた。
「この嵐──なんか変じゃね……?」
アイシスは嵐を見て何か考え事をしているようだ。
ぺこは腕を組みながら、じっとその様子を見つめている。
「気がついたか、アイシス。まるで我らを、いや大陸に向かう船を拒否しているようだな。名付けるならば、“イリアス大陸から出る人間ぶっ殺しゾーン”、と言ったところか……」
「アイシスもぺこも! 余裕そうなことを言ってねぇで手伝え!! ここで冒険が終わっちまう!!」
船は上下に揺れ、まるで洗濯機の中に放り込まれたかのようだ。
船底には水が溜まり始め、一刻も早く対処しなければ沈没は避けられない。俺は慌てて手に持っていたエクレアを船底の穴に押しつけた。一時的に穴は塞がったが、今度はまたエクレアの口から素敵なものが溢れ出してきた。その結果、穴は増えた。
「このままじゃ沈没だぞ! ぺこ! お前の力でなんとか出来ないか!?」
「うーむ、触手で穴を塞いだところで、これだけ波が高くては水が入り続けるだろう。想定より短かったが、楽しい旅だったな……もぐもぐ」
「最後の晩餐を楽しんでる場合か!? ああもう、なんとかしないと……!」
俺は、船内に何か使えそうなものがないかと探し始めた。
大型魚用の銛、ミクリが壊した操舵輪、上半身が魚で下半身が人という謎のマーメイド……どれも役に立ちそうにはない。このままじゃ万事休すか――そう思い、覚悟を決めて泳ぐ準備をしかけたとき、ふと視界の隅に何かが入った。
魚を入れるために使っていたらしい、大きな木製の樽が二つ。
思わず立ち止まり、それに目を留めた瞬間、ひらめきが稲妻のように脳内を駆け抜けた。
「これだ! 樽の中に入るぞ! 運が良ければ陸に流れ着くかもしれん!」
「この荒れようじゃ、普通に飛び込んだら危険だもんな! よしっ! 一か八かの大勝負ってやつをやってやろうじゃねぇか!」
「おおっ、ギャンブルですか……!? なら、ミクリはこちらの樽に賭けましょう……!」
俺はロープを使って、二つの樽を離れないように括り付けた。
ミクリ、アイシス、ぺこが一つの樽に入り、蓋を閉める。俺は残ったエクレアと一緒に入ろうとして──とあることに気がついた。
「こいつと入りたくねぇ!!」
船の上にいるだけでも十分に“素敵”な状態になっているエクレア。
そんな彼女と、さらに揺れに揺れる大樽の中に入ったら……!
「ヴェークさん……! こちらは内部から結界を張ったので……! もう安心です……!」
「うっわ! 開かないようにロックかけやがった!? おい! マジで誰か変わってくれよ!」
「我もそうしたいのだが、出られなくなってしまった。もぐもぐ」
「最後かもしれねぇし、アタシもいっぱい呑んどくか! ぐびぐび……うっぷ……」
「ひゃあああ……! アイシスっ、それはやめておいたほうが……!!」
もう片方の大樽も、時間の問題で同じように悲惨なことになりそうだった。
ふと船の外に目を凝らすと、これまでで最大の大波が、唸るような音とともにこちらへ迫ってきていた。
このままじゃ、本当にマズい……。
覚悟を決めた俺は、大樽の中にエクレアと一緒に身を滑り込ませ、ぎゅっと身を縮めるようにして入り込む。そして、迷いなく蓋をきっちりと閉めた。そして──。
「くっ、臭いですわ! さ、魚は好きですけど、生臭いのは──オロロロロロ!!」
「もう最悪! すでに最悪!! やっぱ変わってもらえば良かった!! 目がぁ……! 目に染みるぅ!!」
船は荒れ狂う波に飲み込まれ、海の中に沈み込む。
大樽はその勢いで投げ出され、激しく回転しながら、波に流されていく。俺とエクレアは、ぎゅうぎゅう詰めの樽の中で悲鳴を上げながら、どうすることもできず、ただひたすらに自然の怒りに耐えるしかなかった。
・・・・・
ぼんやりとしたまどろみの中、俺は徐々に目を開けた。
陽の光が眩しい。潮の香りが鼻腔をくすぐり、耳元には波の音が心地よく響いていた。
影が、俺の上でゆらゆらと揺れている。
その正体を確かめるべく、ぼやけた目を細めると──ぺこが大きく口を開いて、俺に少しずつ近づいてきていた。
「うわあ!? くっ、喰われるっ!?」
「開口一番に失礼な……。我が介抱したお陰で助かったというのに」
上半身を起こして周りを見ると、そこは砂浜の上だった。
どうやら無事にどこかに流れ着いたようだ。ぺこがしゃがんで俺を覗き込んでいる。
「ゴホゴホッ……そ、そうだったのか。すまん、助かった。他の奴らは?」
「そこの岩場で遊んでおるぞ。なんとか生き延びられて良かったな」
「助かって良かったですわ~! 神と筋肉に感謝ですわ~!」
やや遠くでエクレアが手に扇子を持ち、岩の上で踊りを披露していた。
その真下では、アイシスが酒瓶を抱いたまま地面に転がり、ぐったりと力なく横たわっている。ミクリはというと、なにかを悟ったような表情で、じっと空を見つめていた。
「あいつら、どうなってるんだ?」
「アイシスは悪い状態で飲み過ぎたのだ。ミクリは、まあ……ヴェークの樽の中と同じ状態になった」
「ああ……だから着物の色が……」
ミクリは白の着物を着ていたはずだったが、今は全体的に赤色に変色していた。
おそらく、アイシスは飲んでいたのはワインだったんだろう。あの様子だと、樽内でボトルから溢れたのが掛かったわけではなく……。
「我が着物……オエオエまみれ……冬の夜……」
「今は初夏の朝だよ。まったく、大変だったな」
俺は頭のそばに転がっていた兜を手に取り、ゆっくりと被った。
そして足元を確かめながら立ち上がると、岩場に集まっていた三人に向かって声をかけた。
「うーっす……お姫様のキスで目え覚めたか……」
「その役目はワタクシのものですわ! そう思って、最初に人工呼吸をしましたの! まあ、その……」
言い淀むエクレアの脇腹に、ぺこが小さく肘を突き入れる。
漂着後のことを詳しく聞くと──どうやら俺は、エクレアにトドメを刺されかけていたらしい。
漂着した直後、俺は意識を失っていたものの、呼吸は普通にしていたらしい。
しかし、エクレアが呼吸が止まったと勘違いし、人工呼吸を試みたそうだ。エクレアは勢いよく息を吹き込んだ──スライムが空気を必要としていないことを忘れて。
試みの結果、俺の体内に水を大量に注水。
ぺこがすぐに俺の体内に触手を突っ込み、水を吸い出してくれたお陰で助かったとのことだった。海で溺れるのを回避したのに、陸で溺れ死ぬところだったらしい。
「うー、その……申し訳なく思っていますわ」
「まあ……わざとじゃないんだし……。これからは気をつけてくれよ?」
そっとエクレアの肩を叩いて、慰めの気持ちを伝える。
善意でやってくれたことだし、咎めるつもりはない。それが伝わったのか、エクレアはほっとしたように笑みを浮かべた。だがその直後、ぱっと顔を強張らせ、こちらを振り返った。
「ヴェーク、少々……臭いますわ。少し離れていただけます?」
「お前のせいだろうが……!」
俺はエクレアの脳天に拳骨を一発くれてやった。
頭を押さえて悶絶する彼女を横目に、ふうっと一息つく。何はともあれ、全員そろって生き延びられて良かった。それに、この波乱万丈っぷり――まさに“冒険してる”って感じがして、悪くない。
「よし、じゃあここから離れよう。誰か、この場所に見覚えはないか?」
「あ~……たぶん、セントラ大陸のどっかだろ」
「うーん……どこなんでしょうねぇ……」
「分かりませんわ~!」
「我が知るわけがなかろう。それよりも、岩場で採ってきた貝を焼きたいのだが」
セントラ大陸での冒険は──アドベンチャーというより、むしろサバイバルの色が濃い幕開けとなった。