「おお、南の勇者よ。死んでしまうとは情けない……」
「いたた……生きてるぞ……」
「けっ……」
重たいまぶたを開けると、影紬が至近距離でこちらを覗き込んでいた。
どうやら、俺は気を失っていたらしい。頭の奥がじわりと痛み、意識が戻るにつれて、直前の出来事が断片的によみがえる。
俺は小さくうめき声を漏らしながら、慎重に上半身を起こした。
少し離れた場所にいたイリアス様が、気まずそうに視線を逸らしたのが見える。
さらにその奥では、ブラディが火の玉を宙に放り投げ、器用にジャグリングをしていた。
イヌエルとプルエル、ガルダが目を輝かせて歓声を上げている。
「……あなたの体がそうなったのは、私の責任です。ですが、私は謝りません。なんですか、あの禍々しい姿は。どうぞ勘違いしてくださいと言っているようなものではありませんか」
「俺にも悪い部分があったと思いますし、そこまで気にしなくて大丈夫ですよ」
「無論です。私は振り返ったとき、心臓が止まるかと思いました。アリスフィーズでも、あんなに威圧感を出すことは滅多にありませんでしたよ。それで、何があったのです?」
俺は、ダークフェニックスのことを順を追って説明した。
俺がこの世界に来られた理由であること。魂を救われた恩があり、これからは協力してくれること。そして、混沌の使徒に半ば無理やり連れてこられ、“十六の破滅事象”と呼ばれる存在に選ばれたこと――。
ブラディについては、すでに本人が自己紹介を済ませたらしい。
「十六の破滅事象……。おそらく、世界を破壊するために集来させたのでしょうね」
イリアス様は顎に指を当て、しばし思案する。
「アピロ・ラゴスが時空間操作能力を用い、平行世界や宇宙から呼び寄せた……ところでしょう。まったく、はた迷惑な話です」
「白兎がベースになった、混沌の使徒でしたか……」
俺は腕を組み、記憶の中の白兎の姿を思い浮かべた。
あの軽薄そうで、どこか掴みどころのない存在。彼女は俺たち――力の同盟を修羅世界へと送り出した張本人だ。そして、ルカくんに平行世界を見通すための力を授け、その代償として力尽きたと聞いている。
だが、新しく誕生したアピロ・ラゴスは、どうやら彼女とはまったくの別物らしい。
同じ“白兎”を基にしているとはいえ、その本質は大きく異なっているという。聞くところによれば、かなり“良い性格”をしているそうだ。ルカくん一行が拠点としていたポケット魔王城を襲撃したのも、彼女の仕業だとか。
「説得するのは難しいですか? 美味しいご馳走とか、お菓子で懐柔するとか……」
「そんなもので混沌の存在が靡くわけがないでしょう。あなたの彼女ではないんですから」
ぴしゃりと切り捨てられ、俺は思わず苦笑する。
「それもそうですね。……そうだ、ぺこに会いに行かないと。あ、ミニはどうでした? 俺が背負ってたから、イリアス様の攻撃を喰らってはないと思うんですけど」
「テントの中で寝かせてあります。傷一つありませんよ」
「なら良かった。今日はもう、ここで野営していきますか? それとも、近くの村を探しますか?」
そう問いかけながら、俺は空を見上げた。
太陽はすでに傾き、辺りには夕暮れの色が滲み始めている。時間はもう、完全に夕方に差しかかっていた。
いくら空を飛べるとはいえ、夜間の移動はリスクが高い。
視界は落ちるし、地形の把握も難しくなる。何より――またミニのように、こちらの事情などお構いなしに襲いかかってくる存在と遭遇しないとも限らない。
無理をする理由は、どこにもない。
ここは安全策を取るべきだ。
俺はそう結論づけ、イリアス様の返答を待った。
「この周辺で泊まれそうな場所といえば……ゴッダールくらいですか。サキュバスの村は、トラブルの匂いが強すぎますし……」
一拍置き、イリアス様は小さく首を振った。
「ゴッダールも、正直言って安全とは言い難いですね。……やはり、ここで野営にしましょう。今のあなたと異界の魔王が居れば、問題はないでしょう」
「分かりました。ブラディ! 野営の準備を手伝ってくれ!」
俺が声を掛けると、宙を舞っていた火の玉を掻き消し、ブラディが歩いてくる。
「火山で激しい運動して疲れたから、肉が喰いたいぞ! あとコーラ! 十リットル!」
「はいはい……分かったから、ちょっと待ってろ」
「では、私はもう一つテントを用意しましょうか。イヌエル、プルエル! こちらを手伝ってください!」
「はーい!」
イヌエルとプルエルは元気よく返事をし、ぱたぱたとイリアス様の元へ駆け寄っていった。
こうして、俺たちはゴルド火山の前で、野営をすることになった。
・・・・・
夕食を終え、空はすっかり黒に染まっていた。
混沌に苛まれている世界とはいえ、夜空は変わらない。星々は静かに瞬き、どこまでも広がる宇宙の深さを感じさせる。
そんなことをぼんやり考えていると、一筋の光が夜空を切り裂いた。
小さな流れ星が、音もなく通過していく。
「あー! 流れ星なのだ! すごい壺がほしい! すごい壺がほしい! すごい壺がほしいのだ!」
「……壺?」
意識を取り戻し、隣に座っていたミニが勢いよく立ち上がり、空を見て必死に願い事を唱える。
ミニは、ダークフェニックスの魂を受け入れたことで、体の大きさを自在に変えられるようになった。
それだけではない。
禍々しいオーラを纏う、通称“ワルモード”へと変化することもできるようになっている。ついでに言えば、俺自身もミニから禍々しいオーラを抑える方法を教わり、今ではすっかり元通りだ。
食事の最中、ミニはこれまでに起きたことを話してくれた。
ポケット魔王城の崩壊に巻き込まれ、その混乱の中で、一緒に居たダリアと混沌空間に落ちたらしい。だが、なんとかダリアを引っ掛けて空を飛び、特異点世界に戻ってきたそうだ。
辿り着いた先は、グランドールの近くだったらしい。
そこでダリアは裏社会のボス、ドン・ファーザーの関係者に声をかけ、事情を説明した上で、しばらく滞在する許可を得たという。
ミニもしばらくの間、ダリアと共にグランドールで暮らしていた。
だが、ある日ふと、自分の内側に見慣れない“邪悪な力”が芽生えていることに気づいたそうだ。それが周囲に迷惑をかけるものだと悟り、ミニはグランドールを離れ、空を当てもなく巡っているうちに体が大きくなり、俺たちと遭遇した……という流れらしい。
「ダリアも無事なら良かった。グランドールにも、一度行ってみないとな」
ミニの話によると、グランドールに滞在していた頃、黄色いスライムが大量に避難してきたことがあったらしい。
しかも、そのスライムたちは揃って“お姫様”を名乗り、やたらと芝居がかった妙な口調で喋っていたのだという。
――その時点で、俺にはピンと来ていた。
おそらく、エクレアの妹たち──ラ・モード家のスライムたちだ。
もしかすると、エクレア自身も一緒に居るかもしれない。次の目的地であるサバサから近いし、ぺことヴェペリアと合流したあと、向かうのが良いだろう。
「ほえ~、ヴェークに娘ができたのか! それも二人も!」
「私は認めていませんけどね」
「そんな悲しいこと言わないでくれ、影紬。ほら、旅の途中で拾った高次半導体は必要ないか? たまたまポケットに入ってたんだ」
「これからは、素敵なお父様と呼ばせていただきましょう……。お茶、飲みますか?」
「ヴェーク。この人形を甘やかすのはやめなさい。まったく……」
俺に注意を向けたあと、イリアス様はそのまま片付けに向かっていった。
ミニもまた、イヌエルとプルエルに話しかけるため、俺の隣を離れていく。ブラディは夜の八時を過ぎると眠たくなってしまうタイプなので、すでにテント内ですやすやだ。
焚き火の音だけが、静かな夜に溶けていく。
影紬と並んで腰を下ろし、二人で星空を眺める。
しばらく無言のまま過ごしたあと、俺は鎧に備え付けられた収納スペースから、一枚の紙片を取り出した。
「これを渡しておく。もし本当に危なくなったら、書いてある呪文を唱えるんだ。俺の知り合いが助けに来てくれる」
「なんですか、これ……。邪悪な気配をひしひしと感じます。どうしてあなたは、こう……厄が詰まっていそうな物品ばかりを持ち歩いているんです?」
「そうは言われても……気がついたらこうなってたんだよ。えっと、修羅世界で知り合った邪神のハスターがくれたんだ。この呪文を唱えれば、一度だけ助けに来てくれるってさ」
「かの邪神が……!? 遭遇した話は聞きましたが……名状しがたき者の一柱と、どうしてそんなことになっているんですか……?」
「まあ、これも成り行きで……」
黄色い紙片を指先でつまみ、影紬は目を細めてそれを見つめた。
まるで、見てはいけないものを覗き込むような慎重さだ。実際、危ないものではある。
影紬は、イリアス様が向かった方向をちらりと確認し――懐へとしまい込んだ。
「……なぜ、私に渡すのです?」
「そりゃあ……娘の安全を、心から願っているからだよ」
一拍置いて、言葉を選ぶ。
「今回の一件でな……少し、思うところがあった。影紬が危険なときに助かるように、せめてもの贈り物だ」
ダークフェニックスと向かい合って、思ったことがあった。
今回は荒事にならずに済んだが、それは幸運に過ぎない。この先、彼女より強大な敵が──いや、確実に上の存在と対峙することになるだろう。そのとき、影紬はどうなるのか。
俺が付きっきりで影紬のそばに居て守れれば良いのだが、それは難しいだろう。
もちろん、死力は尽くすつもりだ。だが、これからの戦いの中で、俺自身が無事でいられる保証は、どこにもない。
だからこそ――せめてもの安全策として、影紬にはこれを持っていてほしかった。
ハスターならば、よほどの相手ではない限り、影紬を助けることができるだろう。
「なぜ、私にそこまでするのです? 所詮、私は人形。あなたの娘ではありません。こう言いたくはありませんが……意思を持ったところで、その摂理には逆らえないのです」
淡々とした口調だった。
影紬はきっと、自分を人形だと認めたくないのだろう。
それでも心の底では、自分が人形であるという事実から、どうしても目を逸らせずにいる。
意思を持ち、感情を抱き、言葉を交わすようになった。
そんな現在でさえ、その摂理が消えるわけではないと、誰よりも理解しているからだ。
「……今は、な」
だからこそ、影紬は先回りして線を引く。
自らのアイデンティティが揺らいでいるのだ。賢い子であるが、それ故に苦悩している。陽絹なら、その苦悩もまた“味”であると思うのだろう。
「昔、愛はすべてを完成させる鍵だって、陽絹に聞いたんだ。俺が言うと、臭いセリフに聞こえるかもしれないけど……」
俺に心理学の心得はないし、勇者みたいに誰かの心を正しい言葉で救えるわけでもない。
だから俺は、難しい言葉を選ばなかった。――選べなかった、というのが正しいか。
「影紬には愛を知ってほしいんだ。ああ、やっぱり恥ずかしいな……」
それならいっそ、飾らない想いだけを差し出すしかない。
「……」
影紬は俺の言葉を聞き、しばらく無言になる。
そして、深い溜息をつく。
「……一応、感謝はしておきましょう」
「そうか……」
そう言って、影紬と俺はまた星空を眺めた。
空の彼方で、ひときわ大きな流れ星が煌めき、美しい尾を引いている。
俺は、影紬と陽絹が仲良くなれるように、心の中で願いを込めた──。
・・・・・
夜が明け、俺たちはガルダに乗って海の上を進んでいた。
ミニは俺たちと同行せず、グランドールに向かっている。
ダリアへ直接、状況を報告するためだ。ダークフェニックの力の一端を使える彼女なら、一人でも大丈夫だろう。それに、もし危ない目に遭いそうなら、すぐにこちらへ逃げてくるように伝えてある。
「あれが、中央タルタロス──」
思わず声が漏れる。
海の只中に、とてつもなく巨大な黒い穴がぽっかりと口を開けていた。
底は見えず、覗き込めば覗き込むほど、視線ごと引きずり込まれそうな感覚に襲われる。
まるで光そのものを拒絶するかのように、穴の内部は完全な闇に満ちていた。その存在だけで、周囲の空気が重く沈み込んでいる。
冒険家である俺でも、さすがに危険すぎると判断し、これまで近づいたことはなかった。
力の同盟のみんなで進んだタルタロスとは、規模も、圧も、何もかもが違う。比べること自体が無意味だと思えるほどだ。
「ほう! あの穴に混沌の神とやらが居るのか!」
「正確には、まだ母胎の中で眠っているのです。それなのに、これほどの影響力……生まれてしまえば、どのようになってしまうのか……」
完全に目覚めたとき、世界はどうなってしまうのだろうか。
俺には想像もつかなかった。
「まだ、入るには早いですね。そもそも……どう準備すればいいのやら。今回の冒険は、俺には中々荷が重いですよ」
「だが、やらねばならぬのだろう!?」
「ええ。これに関しては、ブラディの言うとおりです。何としてでも世界の崩壊を──防がなくては」
俺は中央タルタロスから目を離せずにいる。
混沌の神は一体、どのような存在なのだろうか。
どうすれば、対処ができるのか。そもそも、勝てるような相手なのか──。
「行きますよ、ガルダ!」
「くええっ!!」
イリアス様の号令に応え、ガルダは力強く羽ばたき、さらに速度を上げた。
行き先はサバサ──まずはぺことヴェペリアに、会いに行くのだ。
・・・・・
眼下に広がる景色は、記憶の中のサバサとあまりにもかけ離れていた。
「……魔界か、天界のサバサはこんな感じになってたんですか?」
「ううむ、我には分からん。こちらのサバサは、これが自然ではないのか?」
「……」
海を超え、ついにセントラ大陸へと突入した。
幸運なことに、空には魔物があまり飛んでおらず、ここまで快適に来ることができた。
そして、俺たちはついにサバサがあるはずの場所に到着した──のだが……。
「……ジャングルになってる……」
砂漠が広がっていた地を越え、しばらく進むと、ぽつりぽつりと木々が姿を現し始めた。
やがてそれは群れになり、壁のようになり、進めば進むほど密度を増していく。
地上は、もはや砂の気配すら残していない。
絡み合う蔦、湿った空気、陽光を遮るほどの緑――どう見ても、あれはジャングルだ。
俺の知るサバサでは、断じてなかった。
イリアス様はガルダの背から身を乗り出すようにして地上を眺め、困惑した表情を浮かべている。
「お、おかしいですね……。たしかに、座標上はここがサバサのはずですが……」
「私の地形スキャンシステムを使った結果、ここの地形は82.5%、特異点世界のサバサと一致します」
「そんな機能、私は付けていませんよ」
「……皆さんのお役に立ちたいのですよ。私は──あわわわわ……」
言い終わる前に、影紬の身体が宙に浮いた。
イリアス様が無言のまま彼女を掴み、ひっくり返して振り回し始める。
がちゃがちゃ、からん――。
影紬のポケットや隠しスペースから、用途不明の電気部品や小型の装置が次々と零れ落ち、ガルダの背に転がっていった。
「まったく……油断も隙もあったものではありませんね。これは没収です」
「そんなー。私はただ、純粋な気持ちで皆さんをサポートしたかっただけなのに……」
「影紬さん、悪いことはしちゃダメなんだよ?」
「わん!」
「こういう純粋な言葉が一番響きます……。あっ、やめてください……」
イヌエルとプルエルが影紬に寄り添い、わしゃわしゃと撫で回す。
俺は微笑ましいやり取りを横目に地上を見てると、ある建物が目に入った。
「……あれ、サバサ城じゃないですか? ほとんど緑色ですけど」
俺は蔦に覆われたサバサ城を見つけ、指さす。
ジャングルと化してしまったサバサだが、まだ建物がしっかりと残っているようだ。
周囲をよく見れば、水路や畑、城と同じく緑に覆われた家屋も見える。
プリエステスが見たら狂乱しそうな光景だ。もし彼女に会えたら、近づかないように言っておかないと駄目だろう。
「……あそこに降りられそうな場所がありますね。リスクはありますが、行ってみましょう」
「くえっ!」
短く応えると、ガルダはやや木々の開けた場所の上でゆっくりと旋回を始めた。
・・・・・
ガルダから降り、俺たちは鬱蒼とした森の中を慎重に進んでいた。
念のため、イヌエルとプルエルはガルダと共に待機している。
足元と周囲の気配に気を配りつつ、俺は頭上へと伸びる木々を見上げた。
葉は厚く、色は濃い。生命力に満ち溢れている――はずなのに。
「……不自然ですね」
「気が付きましたか、ヴェーク」
「不自然? 我には、自然がいっぱいに見えるぞ! 空気も上手い!!」
「あなたはいつも幸せそうでいいですね」
ブラディの手の中に収まった影紬が、じとっとした視線を脳天気なドラゴンへ向けていた。
俺は立ち止まり、木々を詳しく観察した。
──林檎、葡萄、桃。
さらに奥には、ヤマタイ村でよく育てられている蜜柑や梅の木まで混じっている。今度はしゃがみ込み、草むらにも目を凝らす。
「全部……食べられる植物だ。おかしいな……全部、同じ時期に実が成ってるなんて」
「木々には、手入れされている痕跡が残っていますね。しかし……この密度で育てれば、土の栄養は枯渇するはずです」
イリアス様は地面に視線を落とし、指先で土を軽くすくう。
「それにもかかわらず、成長阻害は見られない。葉は艶やかで、果実も張りがある……むしろ、瑞々しすぎるほどです」
そう言って、イリアス様は林檎を一つ手に取る。
持っていた水筒を取り出し、中の水で丁寧に果実を洗った。
そして、一瞬の躊躇のあと――小さい口を開けて、一口齧る。
「おいしい……♪ 甘味と果汁のバランスが丁度よいですね……」
「おお! それは実に美味しそうだ! 我も一つ──に、苦いっ!! 苦いぞっ!!」
「その桃、まだ熟してないからな」
舌を出したり引っ込めたりして悶えるブラディは置いておいて、俺たちは先に進む。
道中、意識的に周囲の木々を観察してみたが、どの木も、例外なく“食べられる実”を付けていた。
「……あっ、門が見えてきましたよ!」
鬱蒼とした木々の隙間、その先に人工物が見えた。
「やっとですか……。やれやれ、ここまで何も起きないのも、それはそれで落ち着きませんね。吉と出るか、凶と出るか……」
「乾いた空気が流れるはずの砂漠に、突如として現れた樹林……。その奥にある緑に包まれた街……。イリアスとその下僕たちには、一体何が待ち受けているのやら……」
意味ありげに、低い声で影紬が囁く。
「我がいつ下僕になったのだ! ヴェーク! お前の次女、小生意気であるぞ!」
「そこが可愛いところだ。門番は……普通の男性みたいだ。すいません!」
街へと続く門の前には、二人の男性の門番が立っていた。
装備は質素だが手入れは行き届いており、姿勢も崩れていない。兜で顔が見えにくいが、魔物でも異形でもなく、どこにでもいそうな人間なのは分かった。
俺の声に気付くと、二人は一瞬だけ視線を交わし、やや警戒した様子でこちらを見据えた。
だが敵意は感じられない。
やがて、一人が一歩前に出て、こちらに軽く一礼する。
「ようこそ、サバサへ! ここは、農業と暮らしが一体化した次世代の街です!」
俺は聞き覚えのある声に、反射的に反応した。
「……サム! サムじゃないか!」
俺は門番の顔を見て、すぐに誰か気がついた。
ヤマタイ村で出会った、グランドノアから疎開してきた好青年だ。俺は嬉しくなって歩み寄り、彼の手を取った。
「その声は……ヴェークさんですね! お久しぶりです!」
驚きと喜びが混じった表情で、サムもこちらの手を強く握り返してくる。
「本当に久しぶりだ! 元気そうで良かった! 門番をしてるなんて、予想外だったけど──」
言葉の途中で、俺はふと、もう一人の門番へと視線を移した。
その顔は──サムと全く同じ顔だった。
まるで鏡を並べたかのように、彼もまた、俺が握手しているサムと同じ表情でこちらを迎えている。
「本当にお久しぶりですね! ここは、僕たち全員で歓待をしましょう!」
「えっ、あっ、えっと……? サムのご兄弟……? 双子……?」
俺が困惑していると、サムと同じ顔をした門番は、街の中へ入っていった。
すると──。
「お久しぶりです! 私は農地区画整理担当を行っている、サム0739808です。また再会できたことを、とても嬉しく思います!」
「ようこそ! ヴェークさん! サム0722067が、街の中をご案内いたしますよ!」
「お連れの方も、こちらへどうぞ! 私はサム0666047です! またの名を、エージェント・リーパーと申します!」
「しろ親方には、毒があるんだぜ」
「サム0341398は、代理領主様へご報告してきます!」
「それは良いですね! お嬢様も喜ばれるでしょう! 私はサム0542348。普段は街の清掃を担当しています!」
「サム0368108です。現況の説明をする前に、今の世界の状況を理解する必要があります。少し長くなりますよ」
あっという間に、俺は人々に囲まれる。
そこにある顔、その一つ一つが、すべてサムと同じ──同じ目、同じ口元、同じ声色。
まるで、あわせ鏡の中から連れ出されたかのようだ。
「──ど、どうなってんだー!!」
「ななな!? どういうことだ!?」
「は、話には聞いていましたが……。彼らが、天界サバサの……」
「同じ顔が沢山……。私には見飽きた光景ですね……」
俺は大量のサムに歓迎されて、サバサの中へと歩を進めた。
・・・・・
「ここは、米を作る水田エリアになっています。向こうは現在、畜産エリアに改装中です。あちらは甘味製造所です。リラクゼーションサロンに、おしゃれなカフェもありますよ」
案内役のサムが、何の迷いもなく指を差して説明していく。
どの方向を見ても、整然と区画分けされた施設と、同じ顔の人員が忙しなく行き交っていた。
「テーマパークに来たみたいだ。テンション上がるなあ……」
「なんで普通に観光を楽しんでいるのですか」
「困惑しすぎて、一周回って冷静になっちゃったみたいです」
「……まあ、その気持ちは分からなくはありません」
小さく息をつきながら、イリアスも周囲を見回す。
ブラディは借りてきた猫のような様子で、キョロキョロと作業するサムたちを見ていた。
「我は空いた口が塞がらん……」
俺たちは、大量のサムに囲まれるようにして、サバサの街中を歩いていた。
前にも後ろにも、左右にもサム。歩くたびに視界の端で同じ顔が現れるせいで、どうにも現実感が薄い。
イリアス様から聞いた話が、脳裏に蘇る。
天界のサバサでは、とある男性のクローンが大量に作り出され、労働力として酷使されていたという。それだけでは終わらず、最終的には――その肉体すら、余すことなく利用されていた、と。
だが、その“とある男性”が、まさか俺の知っているサムだったとは、想像もしていなかった。
聞いたところ、天界に存在していた大量のサムは、特異点世界のサムと記憶を共有したらしい。
その結果、ここにいる全員が、例外なく俺と顔見知りということになる。変な気分だ。
「こちらがサバサが誇る、最新鋭の農業用培養液生成装置──『ガブリエラ・コア』になります。親方さんたちが頑丈な檻を作ってあるので、脱走の危険はありませんよ」
「えっ、ガブリエラって……あのガブリエラか?」
「そういえば、天界サバサはウラギリエラの領地でしたね。……あ、あれは!」
街の中心部、吹き出す噴水のような場所に檻が設置されていた。
その中には、見覚えのある天使──ガブリエラが三角座りの姿勢で、膝を抱えたまま俯いている。足元からは水が絶え間なく湧き出し、それがポンプのような装置によって吸い上げられていく。
「……まあ、これは良い状態でしょう。ウラギリエラは放置しておくと、ろくなことにならなかったでしょうから」
「イリアス様の言う通りだと思います。おーい」
軽く手を振りながら、俺は檻の中へ声をかけてみた。
「……あっ! 小イリアス様! お助けください! この地は残酷非道なる蛭蟲によって、支配されて──あばばばばばばっ!!」
ガブリエラは希望に満ちた声で立ち上がり、檻の格子にしがみつく。
そして助けを求めた瞬間──檻の内側で青白い電撃が弾けた。
ガブリエラは全身から白い煙を上げ、白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
「──もう少し、上等な作りにしたかったのだがな。マキナにあまり明るくない我には、これが限界よ……」
後ろから、聞き覚えの声が聞こえる。
俺は反射的にすぐさま振り向いた。そこに居たのは──。
「ぺこ!」
そこには、ぺこが立っていた。
記憶のある姿よりも、身長が少し高くなっている。どこか幼さを残していた顔つきも、落ち着きを帯び、大人びて見えた。
考えるより先に、俺は駆け出していた。
そして、そのままぺこを強く抱きしめる。
「ははは、どこをほっつき歩いていたのだ……。我とヴェペリアを心配させおって。まったく、困った男よ……」
「悪かった……。無人島に飛ばされて、なかなか脱出できなかったんだ」
「こうして来てくれたのだ。怒りの感情など、サラサラ起こらんわ……」
俺はそっと、ぺこから離れる。
色々と言いたいことがあったのだが、何を言おうか迷ってしまう。
次に何を言おうか考えていると──。
「おい待て……。こちらにもハグをしろ」
「ズルいぞ、建築担当ぺこ0024。我は両手を繋がせてもらおうか」
「両手……だと? そのようなエッチなことは駄目だ、死刑だぞ」
「むらさき親方は、力持ちだぜ」
「ええい、抜け駆けはやめよ。こうなったら、蠱毒を行って誰がハグをするのか競うか?」
「封印されていたときにやったあれか。だが、我ら同士で争うとヴェペリアが悲しむのではないか?」
「むむ、それは絶対にいかんな。ここは平和的にじゃんけんで決めようぞ……」
俺は、背中に嫌な汗を感じながら、恐る恐る振り返った。
できれば間違いであってほしい――そんな淡い期待を抱きながら。
そこには──大量のぺこが、立っていた。
イリアス様とブラディは、完全に引き気味の表情で固まっていた。
影紬は、俺が渡したハスターの紙片を取り出し、『今すぐ使うべきか、まだ温存すべきか』と言いたげに、悩ましげな視線を送っている。
「えっ、えっ、えっ……。ぺこも……増えたのか?」
「増えた……とは、厳密には言えないが。全て本物の我であるのは違いない」
全員が同時に頷いた。
それを見て、俺は思わず顔を引き攣らせる。
「そ、それって……」
言葉の先が、どうしても続かなかった。
ぺこ一人だけでも食費に困っていたのに、こんなに大量のぺこが居たら。
俺の財布は──どうなってしまうのか。
「──うんぬ……」
「ど、どうしたヴェーク! 我と会えたのが嬉しすぎて、気絶したのか!」
「多分、違うと思います……」
「なっ! どういうことだ、小さいイリアス!?」
俺はショックのあまり、意識が遠のいてしまうのだった。