進め! 我らは力の同盟!   作:クラウス道化

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(10)温泉を楽しめ! 力の同盟!

 気がつくと俺は、魂になっていた。

 

 肉体の感覚はどこにもなく、ただ意識だけが、静かな暗闇の中に浮かんでいる。

まるで斜め上から覗き込むような奇妙な視点で、俺は自分自身――淡く揺らめく白い球のようなものを見下ろしていた。

 

 周囲を見渡すと、そこは果ての見えない空間だった。

幾多の星が深い闇の中で光り輝き、広がっている。どこか宇宙空間を思わせる静けさの中で、俺はたった一人、重力に縛られることもなく漂っていた。

 

 以前、見たことがある光景だ。

西のタルタロスの扉の先──修羅世界と繋がる道中の景色にそっくりだった。

 

 ならば、ここは混沌と呼ばれる空間なのだろう。

 

「──」

 

 声も発することが出来ず、ただひたすらプカプカとしている。

それもそうだろう。体がないのだから、声が出せるわけもない。喉も肺も存在しない以上、言葉を形にする手段そのものが失われている。

 

 仕方なく、俺はぼんやりとした状態のまま、この状態で移動できるか試してみた。

すると不思議なことに、“進もう”と思うだけで、ゆっくりと前へ流れるように動くことができたのだ。まるで重力から解放されたかのように、抵抗も感触もないまま、静かな虚空を滑っていく。

 

 しばらく当てもなく進んでいると、やがて視界の先に、ぽつりと何かが浮かんでいるのが見えた。

近づくにつれて、それが虚空に浮かぶ小さな浮島であることが分かる。

 

 島には白い柱が何本か立っており、まるで朽ちた神殿の遺構のような雰囲気を漂わせていた。

中央には円形の紋様が刻まれており、淡く光を放っている。おそらく転移の魔法陣だろう。

 

 さらに、白い壁のような構造物があちこちに点在しており、それらが不規則に並んで通路のような形を作っていた。

迷路めいた配置のせいか、全体の構造は一目で把握できない。

 

 混沌の空間の中に、こんな人工的な場所がぽつりと存在している。

その不自然さに引き寄せられるように、俺は好奇心に駆られて浮島へと近づいてみた。

 

 すると――どこからか、かすかな話し声が聞こえてきた

 

「まさか、混沌の神を作り出すとはな。白兎と勇者ルカは、とんでもないことをしてくれたものだ……。まったく、私の業務はいつ落ち着くのやら……」

 

「くく……妾が手伝ってやろうかのう?」

 

「名に白がつくものは、厄介者しか居ないのか? ……私にしか出来ない業務であるのは分かっているだろうに。生意気な狐め……」

 

「──」

 

 四方を白い壁に囲まれた空間の中。

黒いシックな机を挟むようにして、二人の人物が座っているのが見えた。二人とも、俺がよく知っている人物だった。

 

 体を覆う黒いローブに赤髪──死神だ。

以前、修羅世界でうっかり冥界から出られなくなった際に、助けてもらったことがある。冷静で事務的な口調のわりに面倒見がいい。そんな印象が強く残っている人物だった。

 

 死神は、小さな銀色の丸眼鏡を鼻にかけ、ひたすら手を動かしている。

手元では、オシャレな黒と金の万年筆が休むことなく紙の上を走り続けていた。さらさらと筆先が滑る音が、この静かな空間にかすかに響いている。

 

 机の上には、白い紙がいくつも積まれていた。

いや、よく見ればそれは机の上だけではない。

 

 周囲を囲んでいる白い壁――その正体に、俺はそこでようやく気がついた。

 

 これは壁ではない。

びっしりと積み上げられた白い紙の山が、壁のように積層しているのだ。おそらく死神の業務書類か何かだろう。気の遠くなるような量だった。

 

 そして、その机の正面に座っているのは、もう一人の見知った顔。

 

 頭から足の先まで真っ白──俺たちの仲間の白天狐だ。

いつもと変わらない、どこか飄々とした雰囲気で机越しに死神へ視線を向けている。どうやら、彼女もブラディと同じように、特異点世界へと来ていたらしい。

 

 だが、どうして白天狐は混沌空間にいるのだろうか。

 

「答えは得ただろう……早く帰れ。確かに修羅世界の私から、あの男の魂は受け取った。だが、すでに円環の理へと導いている……。戻すことは神でも不可能だ。たとえ──新しく誕生した、混沌の神であってもな……」

 

「しかし、愛ゆえ……。妾もそう簡単に引き下がることは出来ぬのう」

 

 死神は大きくため息を吐き、万年筆を持つ手を止める。

そして椅子にもたれかかるようにして、自分の顎を数回、指先で撫でた。

 

「……存在の本質とは、情報にある。魂が消えても、情報は残存する……だから世界は崩れないのだ。情報ならば、探し出すことも可能だろう……。漂白された魂を戻すよりも、確実性がある……」

 

「それは、妾の中にある旦那様の記憶を取り出せば良い、ということかのう?」

 

「いや、それでは不十分だ……。あの男はお前と過ごした日々よりも、一人で放浪した期間のほうが長い。お前の持つ情報だけでは、欠損があまりにも多すぎる……」

 

「……」

 

 そう言って、死神はまた紙に万年筆を走らせる。

今度は白天狐が、手に持っていた扇を静かにたたんだ。そのまま扇の先端を自らの眉間へと当て、目を細めて考え込み始める。

 

「……ふぅむ。ならば、妾は『アカシックレコード』を探さねばならぬ、と?」

 

「その名をすでに知っていたか。あれに接続できるものは現状、“全てを識る者”のみ……。しかし、膨大な知識とは、自身の存在すら希薄にしてしまうもの。真理を継承しようとは考えんほうがいいだろう……」

 

「そうじゃな。魔導師として、興味がないとは言えぬが……。自らを塗りつぶしてまで、万物を識りとうはないわ……」

 

「まったく、難儀なものだな。異なる世界に生まれた男でなければ、黄泉比良坂の情報集積場所で記憶を拾い、そのまま生者に継承できたものだが……」

 

「それはもう妾の世界で試したからのう。……情報を感謝しようぞ、死神殿。なにか御礼の品を渡したいところじゃが……」

 

「現世の食べ物は腹に入ら──なんだ?」

 

 言いかけたところで、死神はぴたりと手を止めた。

それまで淡々と続いていた動作が、不意に断ち切られる。

 

 そして、わずかに眉をひそめると、視線を机上から外し、混沌の広がる虚空のほうへ向けた。

死神はその奥を探るように、しばしのあいだ鋭い眼差しで見据えていた。

 

 しばらくそうしていると、今度は椅子をわずかに引く。

机の引き出しを開けると、手慣れた様子で中を探り始めた。

 

 取り出したのは、鈍い金色の単眼望遠鏡。

死神はそれを片手に持つと、ある方向へと向ける。そして、望遠鏡をゆっくりと目元に寄せ、片目を閉じた。

 

 ・・・・・

 

「……」

 

「もしや、とらぶるか?」

 

「……ああ。これは大問題だ……」

 

 低くつぶやくように答えると、死神はゆっくりと望遠鏡を目から離した。

覗き込んでいた片目を細めたまま、しばし虚空の一点を見つめる。

 

 やがて小さく息を吐き、手にしていた望遠鏡を机の引き出しへ戻す。

引き出しを閉める動作は、どこか投げやりで、わずかに粗い。

 

 それから死神は顔を上げると、向かいにいる白天狐へと視線を向ける。

そして、どこか責めるような、じっとりとした目つきで白天狐を見つめた。

 

「現世に居る、とある白い狐が、世界を揺るがす賭けをしているようだ……。あのままでは、勇者ルカが特異点世界に戻る前に、世界が混沌で覆い尽くされてしまう……」

 

 死神は頬杖をつき、じっと白天狐を見据え続ける。

 

「な、なぜ妾を睨む? ……まさか! 特異点世界の妾が何かをしておるのか!?」

 

「……。さて、どうしたものか──ん?」

 

 死神は答えを濁すように小さく呟き、視線がふっと横へ逸れた。

紫の瞳が、ゆっくりと空間の一点へと向けられる。

 

 その視線の先にあったのは――俺だった。

 

「──」

 

 死神はわずかに目を細めると、片手を持ち上げ、指先をくいっと曲げた。

次の瞬間、俺の魂がスルスルと引き寄せられる。抗う間もなく、体――いや、魂そのものが、導かれるように死神のほうへ滑っていった。

 

 死神はそのまま手のひらを差し出す。

俺の魂は、まるで軽い玉でも扱うかのように、その掌の上でふわりと浮かび上がった。

 

「白天狐……。あまり言いたくはないが、お前の旦那様が死んでいるぞ……」

 

「──なっ、ななっ、なななな!? なんじゃと!? ど、どどど、どうしてここに居るのじゃ! 旦那様!!」

 

 白天狐は椅子から立ち上がり、信じられないものを見るようにこちらを凝視した。

目は大きく見開かれ、耳はぴんと立ち、尾も驚きに合わせてぶわりと膨らんでいる。

 

 事情を説明したいところだが、残念ながら口が出せない。

そもそも今の俺に口なんてないし、この白いおだんごのような姿ではどうしようもないのだ。

 

「こ、こうなったら妾も後を──」

 

「いや、待て……。一時的に、魂が肉体から離れただけのようだ……。それに、何かが魂に混ざり込んで──」

 

 死神は冷静な声で制しながら、手のひらの上に浮かぶ俺の魂を観察するように目を細めた。

指先をわずかに動かし、まるで研究者が標本を調べるかのように、角度を変えて眺めている。

 

 俺はなんだか恥ずかしくなっていると──。

黒と青――二色の炎が、突如として周囲を満たした。

 

「──やっと見つけた。危なかったわね……」

 

 そこに居たのは、ダークフェニックスだった。

だが、俺の知る子供の姿ではなく、明らかに大人になった姿。おそらく、本来の姿なのだろう。

 

 死神は驚いた様子はなく、ただすぅっと目を細める。

 

「お前は……ダークフェニックスか……。役目はどうした?」

 

「そういうあなたは死神ね……。はじめまして、同業他社の方……。私は休暇中、無職ではないわ……」

 

「……。ああ、そうか……。それで、どうしてここに──いや、この魂が目的か……」

 

「だ、旦那様の魂が目的じゃと!?」

 

 白天狐は俺の魂をかばうように手を広げる。

ダークフェニックスはクスクス笑い、翼をゆるりと振った。

 

「害を為しに来たわけじゃないわ……。現世で少し事故があって、肉体から魂がするっと抜けちゃったの……。私は彼と結びついていて、その魂を戻しに来ただけよ……」

 

「むむっ、結びついておるじゃと!? なんと破廉恥な鳥よ!? ゆ、許せぬ!!」

 

 白天狐の耳がさらにぴんと立ち、尾がばさりと大きく揺れた。

怒りと動揺が入り混じった声が、辺りに響く。

 

「……ああ。言い方が悪かったわね。彼と私は契約で結ばれているだけよ……」

 

 ダークフェニックスはやや慌てた様子で、ばさばさと翼を振って否定する。

しかし、白天狐の機嫌は治らない。

 

 止めたいのだが、今の俺は赤ちゃんより無口で無力だ。

……表面のツルツル具合なら、赤ちゃんの肌にも負けてないかもしれないが。

 

「こっ、こここ、婚姻まで!? ぺこ殿ならともかく、お主もじゃと!?」

 

「えーっと……どう言えばいいのかしらね……。ともかく、彼に害を加える気も、愛情も……まあ、無いとは言えないけど。友人の子供を見ているようなもので、恋愛的なものではないわ。ただ、連れ戻しに来ただけよ……」

 

 ダークフェニックスは少し困ったように首を傾げながら、言葉を選ぶように説明する。

翼の先がわずかに揺れ、その仕草にはどこか呆れが混じっていた。

 

 だが、その説明は白天狐の誤解を解くどころか、さらに火に油を注いだらしい。

 

「と、倒錯的な蜜事まで……!? 羨ま、許せぬ!!」

 

「……ぶん殴っていいかしら、脳内はピンク色の白狐」

 

「絶対にやめろ……。私が苦労して纏めた仕事が吹き飛ぶ……」

 

 いつの間にか鎌を持った死神が、二人の間に割り込む。

こうして場の空気がようやく静まり、ダークフェニックスは改めて事情を説明することになった。

 

「なにをやっておるのだ、旦那様よ……。しかし、シェーディ殿がそこまでお喋りだとは……」

 

「ノム語は確かに脳の処理能力を大幅に使うけど、処理をできないほどではないわ……。彼女が規格外のお喋りなせいで、こうなっただけ。現世に戻すときに、1%だけ理解するように調整してから戻すわ……」

 

「それが良いじゃろうな。さて、元気な旦那様のお姿──姿かのう、これは? ……ともかく、見れたことだし、妾も現世に戻るとするか。少し用事があるのでのう、合流はまた今度じゃ」

 

 そう言って、白天狐の表情がいたずらっぽく緩んだ。

 

「むふふ……ここならば、ぺこ殿にも見られておらぬのう……」

 

 そして白天狐は、俺の魂へとゆっくり顔を近づけた。

そっと唇を寄せようとして――。

 

「──!? な、何か寒気が……」

 

 白天狐は肩をびくりとすくわせ、周囲をきょろきょろと見回した。

 

「次元に干渉して、殺気を送ったようだ……。おそらく無意識だろうが、器用なことをする……」

 

「……むうううううん。なんとも嫉妬深い触手のおなごよ。では、今はこれだけにしておこうかのう。──ちゅっ♡」

 

 そう言って、白天狐は投げキッスを飛ばしてきた。

直後、彼女の隣の空間がゆらりと歪む。やがて白と黒の渦で構成された転移ゲートが生成され、軽い足取りでその中へ歩み込み――そのまま姿を消した。

 

「じゃあ、私たちもお暇させてもらうわね……。会えて良かったわ、死神……」

 

「会えて良かったと言われるのは、面白い体験だな……。ああ、いや、少し待て。その魂……ヴェークに話がある……」

 

 俺を抱えたダークフェニックスの動きが止まる。

そして彼女は空中でくるりと体を回し、再び死神と向き合った。

 

「お前の仲間の一人が……管理者の塔と呼ばれる場所で、世界を賭けた問題を起こしている。まだ焦るほどではないが……。なるべく早く、向かってくれ……」

 

「──」

 

「しかし、このタイミングでここに来るとは……。やはり、持っている男なのだな、お前は。さて、私は見ての通り、この仕事に追われている。現世に戻るといい……」

 

「戻りましょうか。……温泉、楽しみね」

 

 小さく微笑みながら、ダークフェニックスは俺を抱え、混沌の空間から飛び去った。

 

 ・・・・・ 

 

 目を開いた瞬間、視界いっぱいにシェーディの顔が広がっていた。

 

「…………」

 

「あ、ああ。大丈夫だ、ありがとう……」

 

 あの大量の言葉は聞こえず、シェーディの心配する気持ちが伝わってきた。

なるほど、これが“1%だけ理解する”ということなのだろう。

 

 はっきりとした言語として認識できるわけではない。

それでも、感情や意図が輪郭を持って伝わってくる。言語化するのは難しいが、なんとなく理解できてしまう──そんな、独特で少し不思議な感覚だった。

 

「やっと起きたのですか。まったく、心配ばかりかけるのですから……」

 

 少し呆れたような声が横から飛んできた。

 

「すいません、イリアス様……」

 

 上体を起こして、イリアス様のほうを向く。

なぜか、彼女も水着姿になって浮き輪を持っており、頭にはシュノーケルを付けている。……どう見ても、完全に遊ぶ気満々の格好だった。

 

「話はダークフェニックスから聞きました。うっかり、魂が肉体からはみ出てしまったそうですね。詰め込みすぎたサンドイッチの具ですか?」

 

「なんとも奇妙な人間ですね。さあ、気付けにこれをどうぞ……」

 

 柔らかな声とともに、ガブリエラが一歩前に出た。

手にはコップがひとつ。どうやら、それを俺に差し出しているらしい。

 

 ──黒茶色の液体。

しかも、ただの液体ではない。木の根っこを粉末にして燃やしたような匂いが漂い、なぜか表面から煙が立ち上っている。さらに、ぽこぽこと小さな泡が絶え間なく浮かんでは弾けていた。

 

 俺は無言でイリアス様へ視線を送った。

 

「ご安心を、ヴェーク。これは私が創り出した薬草と、十五の原始的なハーブを少量だけ混ぜ込んだ、よく効く薬です。疲労もスポンと消えますよ……。うふふふふっ……」

 

「あの、飲まなきゃ駄目ですか? 俺、もう元気になってるんですけど……」

 

 俺はできるだけ控えめに抗議してみた。

できれば、この謎の液体を口に含むのは遠慮したい。

 

「いえ、ダークフェニックス曰く、脳が深刻なちぃぱっぱ状態になっていたそうですよ。ガブリエラのポーションはよく効くので、飲んでおきなさい」

 

「……はい」

 

 俺は腹を括り、ガブリエラのポーションを口に注ぎ込む。

思っていた通り、強烈な苦みと生臭さが襲ってきた。壁に頭を打ち付けたくなるほど不味いのだが、ここは我慢をする。

 

 俺が咳き込みながら飲み切ると、今度は影紬がやって来た。

彼女は両手で大きな桶を抱えており、その中には湯気の立つ水と――ぽつん、と一枚の葉っぱが浮かんでいた。

 

「あなたが寝ている間、ここで少しだけ遊んでいくことになりました。ここは水着で入る浴場だとロアが聞いてもないのに教えてくれたので、影紬に水着を作らせて──なんですか、これは」

 

 説明の途中で、イリアス様が桶の中身に視線を落とし、眉をひそめる。

 

「予算が枯渇しましたので……。男性用の水着はガブリエラから提供された、最高級の世界樹の葉で作成をしました」

 

 影紬は、まるで当たり前の報告でもするかのような口調で言った。

作成、と言われたが――どう見ても加工の痕跡はない。ただの浮いた葉っぱである。

 

「もしかして、これを貼り付けろと?」

 

 恐る恐る確認すると、影紬は俺の質問にニッコリと微笑み、迷いなく頷いた。

 

「ああ、それと……バカには見えない透明の布で作った水着もありますよ? どうです?」

 

 そう言って、影紬は両手を広げ、何かを持っているかのように空中をつまみ上げてみせる。

俺はしばらく黙ってその“布”らしきものを見つめた。目を凝らしても、角度を変えても、やはり何もない。……どうやら、俺はバカだったようだ。

 

「はあ、ふざけてないで──いや、これは本当に水着がありますね。相手の頭脳指数を計測し、一定の数値以上に達していない場合は認識されない水着、と……。高度なテクノロジーを使ってやることが、こんなみみっちい嫌がらせなのですか」

 

「……えっ、本当にあるのですか? 小イリアス様。私には見えないのですが……」

 

 ガブリエラは戸惑った様子で、イリアス様と影紬の手元を交互に見比べた。

その顔には、心底不安そうな色が浮かんでいる。

 

「大丈夫だ、ガブリエラ。俺にも見えない」

 

「一ミリも慰めにならないのですが……。影紬、普通の水着も作っていたでしょう?」

 

「ええ、はい。ジョークですよ、お茶くみジョーク。こちらをどうぞ」

 

 影紬は悪びれた様子もなく肩をすくめると、懐に手を入れた。

そして取り出したのは、小さく丁寧に畳まれた布だった。

 

 俺はそれを受け取って広げてみると――。

なんだか、全体が虹色にピカピカと光っている水着だった。

 

「トンベリクイーンからご提供をいただいた布で作った、水着です。なんなりとお使いください」

 

「……まあ、いいか。これは隠れてるし……」

 

「…………」

 

 俺は水着を受け取ると、シェーディに教えてもらった更衣室の方へと足を向けた。

 

 ・・・・・ 

 

 妙に派手な水着に着替えた俺は、さっそく風呂に浸かっていた。

 

 今浸かっているのは、壺風呂だ。

大きな陶製の壺が地面に埋め込まれており、その中に湯が絶え間なく湧き出ている。縁はなめらかに丸く、背中を預けるとじんわりと温かさが伝わってきた。

 

 シェーディ曰く、この壺に使われている陶土には特殊な成分が含まれているそうだ。

具体的には疲労回復や美肌、あらゆる状態異常とやらにも効果があるらしい。ミニが喜びそうだ。

 

 湯気と一緒に、どこか優しい土の匂いを思わせる柔らかな香りが立ちのぼる。

壺風呂は何個も並んでおり、俺とシェーディ、そしてイリアス様がそれぞれの壺に肩まで浸かって、のんびりと入浴を楽しんでいた。

 

「…………」

 

「へー、そうなんだ。そんなことがあったなんてなあ」

 

「…………」

 

「友達の玉ねぎっぽい剣士に贈る、毒の沼対策の苔玉が欲しい? あとでガブリエラに用意できないか、聞いてみるか」

 

「また脱線してますよ……」

 

 関係のない話が大量に間へ入り込んでくるのだが、シェーディが今までの経緯を順を追って説明してくれた。

 

 タルタロスを脱出したあと、シェーディは恵みのオアシスへと飛ばされたらしい。

最初は力の同盟と合流することも考えたそうだが、むやみに動き回るのは得策ではないと判断し、しばらくはその場で様子を見ることにしたという。

 

 そうしてオアシスで過ごしていたところへ、サバサから避難してきた人々と天使が流れ込んできた。

かなり殺気立っていたので、シェーディは面倒事を避けるため、早々に別の場所へ移動することにしたそうだ。

 

 そして、特に当てもなく、なんとなく北西の方角へ進み続け――。

やがてたどり着いたのが、サファル砂漠遺跡だったらしい。

 

 そこで出会ったのが、三名の土の精霊。

特異点世界のノーム、魔界のロア、天界のノーマレンだったそうだ。

 

 その中のノームが、かなり困った状況に陥っていたそうだ。

遺跡の内部にある小さなオアシスのほとりに、人間の親友の墓を建てていたのだが、合一の影響で遺跡の構造そのものが歪み、その余波で墓の一部が崩れてしまったらしい。

 

 しかも、問題はそれだけでは終わらなかった。

 

 墓が建っていた場所の地盤そのものが、広い範囲で弱くなってしまっていたのだ。

このままでは、いずれ周囲の地面が陥没し、崩れてしまう恐れがあったらしい。

 

 しかし、混沌の影響によって大地を操る力がうまく発揮せず、本来なら造作もないはずの地盤の補強すら思うように進まなかったそうだ。

他の二名の力も借りてみたらしいが、状況は改善しなかった。力を合わせても、歪んだ地盤を維持させることしかできず、様々な方法でなんとかしようとしていたという。

 

 そこに通りがかったシェーディが事情を知り、ノームたちに力を貸すことにしたそうだ。

 

 まず墓を慎重に掘り起こし、土の精霊たちが見つけた、オアシスに近い盤石な地盤の場所へ移動させた。

新しい場所に一旦据えたあと、シェーディが地下に潜って元の場所の地盤を補強。

 

 そのあと、精霊たちの力も借りながら、墓を無事に戻したそうだ。

それに加え、四名で石材や土を使って丁寧に組み直して、星が壊れない限り大丈夫なほどに頑丈な墓へと作り直したらしい。

 

「思っていたより、良い話が出てきましたね……。それはそれとして、どうして温泉を?」

 

 イリアスは感心したように頷きながらも、首をかしげた。

ノームにとって大切なお墓を移動させ、修復した話は理解できる。だが、それと浴場がどう繋がるのかが分からない。

 

「…………」

 

「地下を掘ってる最中に、砂を泳ぐ幽霊のサメと遭遇した? しかも、レーザービーム搭載の? ミクリと白天狐が見たら喜びそうだな……」

 

「あの、私の疑問について返答してもらっても?」

 

 隣の壺風呂から、イリアスが困惑した声を上げた。

 

「ああ、すみません、イリアス様」

 

「…………」

 

「えっ、下半身はタコだった!? その話、もっと詳しく──」

 

「……その無駄に光る水着を奪って、水風呂に放り込みますよ?」

 

 俺は反射的に背筋を伸ばした。

 

「す、すいません……。シェーディ、どうしてここを温泉に?」

 

 改めて、疑問に話を戻す。

 

「…………」

 

 墓の移設が完了したあと、シェーディは──暇になってしまったらしい。

そこで、土の精霊たちが地盤を調べていた最中に発見した、温泉水の存在を思い出す。これを地上に引き、仲間のために“わくわく温泉ランド”を作ることを思いついたそうだ。

 

 最初は、ただの小さな湯だまりのようなものだった。

掘り出した岩で簡単な湯船を一つ作り、温泉として使えるように整えただけの、ささやかな施設だったという。

 

 だが――作業を進めていくうちに、だんだんと楽しくなってきたらしい。

 

 壺風呂を作り、石材を加工しまくり、成分の違う湯を引き、休憩できる場所まで整えていく。

精霊たちを加えた四名で、思いつくままに手を加えていくうちに、気づけば規模はどんどん大きくなっていった。

 

 その結果が、今俺たちの目の前に広がっているこの施設。

壺風呂、岩風呂、サウナ、岩盤浴、休憩スペース――様々な種類の温泉が整えられ、ちょっとしたテーマパークのような広さになっている。

 

 ……どう考えても、暇つぶしで作る規模ではない。

 

「……なんであなたのグループは、誰も彼もが揃って何かを作っているんです? 小屋、国、温泉……。残りのスライムと狐はどうしているのでしょうね。世界を滅ぼす爆弾を製造していても、私は驚きませんよ」

 

 イリアス様は半ば呆れた様子で、シェーディをじっと見る。

それに対し、シェーディは照れて頭を掻く。

 

「……あっ! イリアス様、そのことで話があるのですが……」

 

 俺は、魂だけで冥界に行った時の話をした。

死神にお願いをされ、管理者の塔に向かうように言われたこと。どうにも、ミクリが何か変なことをしているようで、死神曰く、世界を賭けた問題を起こしていること。

 

「ここで一泊したあとに、向かうようにしましょう。急を要するわけではなさそうですが、世界が賭かっているとは、穏やかではありませんね……」

 

「そうですね……。ミクリ、今度は何をやらかしてるんだろうなあ。ちょっとだけ性根が発酵してるところはあるけど、世界に害をなすようなことをするタイプじゃないから……」

 

「…………」

 

「少しくらいヤンチャなほうが可愛い? 少しだったかな……」

 

「少なくとも、世界を賭けた問題を起こすのは、ヤンチャの度合いを超えているでしょうね」

 

「…………」

 

 シェーディが再び関係のない話をし始めたので、聞き流しながら、俺は他のメンバーへと視線を向けた。

 

 大きな湯船では、イヌエルとプルエルが水をばしゃばしゃと跳ねさせながら泳いで遊んでいた。

その横では、ガルダがのんびりと体を沈め、ほこほことした笑顔を浮かべて湯に浸かっている。

 

 少し離れた場所では、土の精霊たちが砂風呂に埋まり、首だけを出して満足そうにしていた。

さらに別の区画では、ブラディがハーブの浮かぶ湯船に入り、ニコニコと機嫌よく湯気を浴びている。聞くところによると、ガブリエラにねだって用意してもらったらしい。

 

 俺の中から抜け出したダークフェニックスと火の精霊たちは、サウナで我慢大会をしているそうだ。

……ガブリエラもサウナに行くと言っていたが、どうなったのだろうか。

 

「次はこっちだよー!」

 

「わんわんっ! 水浴び楽しい~!」

 

「滑らないように気をつけるのですよー!」

 

 大きな湯船から上がったプルエルとイヌエルが、今度は流れるお風呂の方へと駆けていく。

床に落ちた湯がきらきらと光り、足元が少し滑りやすくなっているのを見て、イリアスが慌てて注意を飛ばした。

 

「あわわわわ……。ダイパニック号の中に水が……」

 

 その流れる温泉では、影紬が桶に入り、まるで小さな船にでも乗っているかのようにくるくると流されていた。

水流に押され、桶はさらに回転しながら湯の道を進んでいく。実に楽しそうだ。

 

 その後ろには──湯面に浮かぶ、褐色の尻が見えた。

 

「あー、もう流しお尻の時期になったのか。風流だなあ──じゃない! 誰か溺れてる!!」

 

「…………」

 

 俺は急いで壺風呂から飛び出し、流れる温泉の方へと駆け寄った。

湯の流れに乗ってぷかぷかと漂っている褐色の尻を両手でつかみ、そのまま力を込めて引き上げる。

 

「あ、慌ててお尻を掴んじゃった……。いや、それよりも大丈夫か!?」

 

「……も、問題ない。命の恩人、感謝永遠に……」

 

 引き上げてみると、その正体は妖狐だった。

 

 だが普通の妖狐とは様子が少し違う。

顔にはメカメカしい、壊れかけのヘルメットのようなものを被っており、表情はやや見えない。さらに体のあちこちには、どこかマキナを思わせる奇妙なアクセサリーが装着されていた。

 

 俺が妖狐を慎重に床へ座らせていると、ぺたぺたと小さな足音を立ててシェーディが近づいてきた。

そして、その姿を見た瞬間――彼女の顔色が、さっと青くなる。

 

「わ、私が悪かった!! もう生意気は言わん!!」

 

 妖狐は弾かれたように飛び上がり、慌てて頭を下げた。

 

「んん? シェーディ、この子となにかあったのか?」

 

「…………」

 

「悪質な地上げ屋? この子が?」

 

 シェーディの説明を聞き、俺は思わず妖狐を見直す。

 

 どうやらこの褐色の妖狐は、温泉の建設中に突然現れたらしい。

そして開口一番、この大地は自分たちのものだと言い出し、手作り間欠泉を設置中のシェーディと土の精霊たちに襲いかかってきたのだという。

 

 その結果――。

シェーディが、ギャルとして序列というものを徹底的に分からせる形で決着したらしい。反省の意味も込めて、しばらく“流し狐”として流れる温泉でぐるぐる回していたそうだ。

 

「私はもう無害な狐だ! 混沌とは手を切り、これからは温泉従業員のナインとして、気分一新で働く! 信じてくれ!」

 

「…………」

 

「サファル砂漠遺跡温泉の従業員にする? まあ、お互いが納得してるなら……」

 

 シェーディはどうやら、ナインと名乗った謎の妖狐を雇うつもりらしい。

本人もやる気満々のようだし、問題はなさそう……なのだろうか。

 

「私は温泉が大好き機械仕掛けの狐! 温泉の設備で使うマキナのメンテナンスだってお手の物だ! ボスはマキナは持っていても、修理や管理はできないようだからな! そこで、私の出番という訳だ!」

 

 胸を張って自慢げに語るナイン。

確かに、その装備を見る限り機械いじりは得意そうだ。

 

「…………」

 

「給料には油揚げを渡してる? それだけなのか? ……ああ、開業したらその売上からお金を渡す予定と。ならいいか……いいのか?」

 

 どうやら今は仮契約のような状態らしい。

温泉が正式に営業を始めたら、そこから給料を出すつもりなのだとか。営業については、土地の管理をしている土の精霊たちも了承済みだそうだ。

 

「…………」

 

「あ、ああ……! 頑張るぞ、ボス!!」

 

 『ウチの顔に泥パック以外の泥を塗るな☆』と、腕を組んで念押しするシェーディ。

言われた当のナインは、背筋をぴんと伸ばし、何度も何度も頭を下げている。

 

 ……なんというべきか。

ギャルって怖い存在だったんだ──そんなことを、俺はぼんやりと思うのだった。

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