わくわく温泉ランドにて、俺たちは心から休息と呼べる時間を過ごすことができた。
問題が解決したら仲間たちを連れて、また来ることにしよう。みんな、目を輝かせて喜ぶに違いない。
「お寿司の盛り合わせ、お待たせいたしました!」
「…………」
「はい! ボスのお好きな寿司ネタをご用意させていただきました! お口に合えばよろしいのですが……!」
ヤマタイ風の着物に身を包み、料理人でありながら給仕係としても、ナインは立ち働いていた。
何故か分からないが、メカメカしいヘルメットはしたままだ。
ナインはヤマタイの料理が得意らしい。
本人曰く、よく分からないが魂が覚えているそうだ。俺は気になって調理風景を見せてもらったのだが、包丁さばきや味付けは手慣れたもので、まるで長いあいだ厨房に立っていた職人のような自然さがあった。
「おさかな~♪」
「シロアナゴ~!」
やや遅めのご飯ではあるが、プルエルとイヌエルは相変わらず元気いっぱいだ。
素敵なヤマタイ料理を前にして二人ともご機嫌だった。隣に座るイリアス様も目元が綻んでいる。
あまりにも居心地がよすぎたせいで、仲間全員が見事に寝坊してしまった。
その結果、今日は朝食と昼食をまとめた、いわば豪華な“兼用食”である。お座敷の広間には料理の皿がずらりと並び、それぞれが好きなものを注文して、思い思いに箸を伸ばしていた。
「…………」
「そのような調理法が……精進します!」
寿司について玄人のように熱く語るシェーディを横目に、ふと気になっていたことを思い出す。
昨日からのやり取りを聞く限り、ナインはボス――つまりシェーディの言葉を当たり前のように理解しているのだ。気になった俺は、直接聞いてみることにした。
「そう言えば、ナインはノム語が分かるんだな。どこかで習ったりしたのか?」
「いや、生まれつき識っていた。私は混沌の神によって生み出されたアポトーシス。故に、ボスの言葉も難なく理解できるのだ」
「あなた、混沌の神の尖兵だったのですか。只者ではないと思ってはいましたが……」
ざるうどんをすすりながら、イリアス様が呆れたように呟く。
詳しく話を聞いてみると、ナインは九尾の狐を元に創造されたアポトーシスらしい。
さらにマキナを兵装として身に纏う存在で、いわば戦闘のために作られた兵器のようなものだという。混沌の神に忠誠を誓う尖兵だったらしいが、今はシェーディの下につくことを選んだらしい。
「主君を鞍替えとは……。その節操の無さはいかがなものでしょうか?」
「ええ、酷い狐さんですね……」
「……影紬はともかく、ガブリエラは口が裂けても言えない台詞だと思うんだが」
まだ体の赤みが抜けていないガブリエラが、冷水をぐびぐびと飲みながら影紬に同意をする。
彼女は昨日、サウナで目を回し、全身が真っ赤になった状態で救出された。すぐに水風呂に入れて身体を冷ましたが、未だに赤く染まった状態が続いている。
「独自の道を歩むことにしただけですよ、私は。……イリアス様は、特定の天使に偏愛や愛情を少し向けることはあれど、大多数の天使には目もくれませんでしたから」
「そういえば、ラファエラも同じようなことを言っていましたね。まったく、サブイリアスは問題の多い駄目駄目な駄女神ですね」
「それって、自分のことを貶してません?」
「……私は全知全能である真の女神です。あのような薄汚れた側溝のような女神とは別の存在なのですよ」
そう言いながら、イリアス様は当然のような顔でざるうどんのおかわりを要求する。
先ほどまで優雅に麺をすすっていたはずなのに、気がつけば器はすっかり空になっていた。どうやら気に入ったらしい。一方で、ガブリエラはいつもの三倍の速度で、ひたすら水を飲み続けていた。
「私は博打が好きではないのです。不確定事項に左右され、運による要素が大きいものに価値を感じませんから」
「それで裏切ったのか?」
「……ええ、まあ。結局、魔界での寝返りは上手く行きませんでしたが……。勇者ルカ一行の不規則な動きに加え、離反していたルシフィナが味方するとは……」
「ルシフィナさんか。あの人が動くと、何もかもが滅茶苦茶になるからなー」
ガブリエラの言葉を聞きながら、俺は湯のみを手に取り、ゆっくりとお茶を啜った。
温かい香りが鼻を抜け、食事の余韻と一緒に胸の奥へ落ちていく。
ルシフィナさんは今も、ルカくんの救出に向かっているのだろう。
もしかすると、すでに合流していて、こちらへ帰る途中かもしれない。
イリアス様曰く、ルシフィナのことだからなんとかする、とのことだった。
あの人に関しては、実に説得力のある言葉だ。俺も同意して、特に心配はしていない。
――そういえば。
昨日、流れる温泉に身を任せていたとき、不意にルシフィナさんとの訓練を思い出した。
あの人の“訓練”は、だいたいろくなものじゃない。
思い出したのは、まさに濁流と言える具合に荒れた川の中へ容赦なく放り込まれ、上から巨大な岩石を投げ落として来たときのこと。
あっちに避けろ、こっちに行けと言うでもなく、ただ淡々と無言で続く岩石投下。
今思えば、あれは訓練というより、ほとんど殺人現場だった。
……思い出しているうちに、なぜか視界が滲んだ。
特に悲しいことや辛いことを考えたわけでもないのに、勝手に目から涙が溢れてくる。
「白兎のあやふやな予言と、ルシフィナの息子に自分の命を賭ける気には到底──な、なんで急に泣きだしたのです?」
「ああ、すまん。俺にもわからないんだ。ルシフィナさんとの訓練を思い出してたら、勝手に涙が出て来ることがよくあって……」
「これは……ストレス処理のために体が防御反射的に涙を出しているのでしょう。この男、思っていたよりもおいたわしいですね……」
「自分からルシフィナの弟子になりたいと言ったあたり、ネジの外れた狂人だと思っていたのですが……。思っていたより普通の人間ですね。お水をあげましょう……」
「それ、私が運んできた水なんですけど……。しかも無料の水を渡して、すっごく良いことしたみたいな雰囲気を醸し出してますが……」
水の入った湯呑を持った影紬が、呆れた様子でガブリエラにツッコミを入れる。
当のガブリエラ本人は気にもしていない様子で、いかにも慈善を施したかのような顔をしていた。
渡された水をちびちび飲んでいると、やけに上機嫌な声が俺の背後から響いてきた。
「おーい! 我がライバルのヴェークよ! 何をしんみりしているのだ!? そういうときは、呑むに限るぞ!!」
振り向いた瞬間、強烈な酒の匂いが鼻をついた。
どう考えても、ほんの一杯二杯のレベルじゃない。
「おい! すっげー酒臭いぞ!! もうすぐ出発だってのに、一体どれだけ飲んだんだ!?」
「ぜんぜんわからん!」
「まったく! シェーディ、こいつを水風呂に放り込んできていいか?」
「…………」
シェーディは頭の上で大きく丸を作った。
こういうときは、冷たい水が一番効く。喚き散らすブラディの尻尾を掴んで引きずり、俺は温泉へと再び向かった。
・・・・・
シェーディのわくわく温泉ランドを出発し、俺たちは管理者の塔へと向かう。
見送りに出てきたナインが、少しほっとした様子で手を振っていた。ガルダの背に乗ったプルエルとイヌエルは、それに応えるように身を乗り出し、大きく両手を振り返している。空へと上がっていくにつれて、手を振るナインの姿が少しずつ小さくなっていった。
「さて、管理者の塔ですか。あそこには……あまり良い思い出がありませんからね。どうなっているのやら……」
「……」
イリアス様の言葉を聞きながら、俺はしばらく黙って上空を眺めていた。
ルカくん一行の旅路の中で、管理者の塔はとても重要な場所だった。
消え去った異世界において、人間や魔物、それに天使たちが最後まで抗った砦――そんな話を聞いた。
滅びに抗う者たちは、あの塔を拠点に情報を集め、戦い、そして次の可能性へと繋ぐための記録を残した。
彼らが最後まで諦めず、必死に足掻いたからこそ、特異点世界は完全な滅亡を一時的に免れることができたのだ。
もっとも、それはあくまで“先延ばし”に過ぎない。
滅んでしまった世界の人たちのためにも、俺たちの世界を守らなくては。
……それにしても。
死神が言っていた“世界を賭けた問題”とは、一体なんなのだろうか。
どうやら、うちのミクリが関係しているらしい。
だが、あの狐がそんな大それたことを仕組めるとは、どうしても思えない。
せいぜい、こそこそと小銭を稼いだり、しょうもない悪知恵を働かせたりする程度だ。
みみっちい小悪党みたいな動きをすることは多々あるが、世界規模の陰謀を企むような胆力はない……はずだ。
……とはいえ。
力の同盟の仲間たちは、なぜか無自覚のまま問題を引き起こすタイプがやたらと多い。本人たちは大したことをしているつもりがなくても、気がつけば周囲を巻き込んで大事になっている、なんてことが珍しくない。
「さっそく塔が見えてきましたよ! ──あれは、一体……?」
「なんだろうね、あれー?」
「く~ん、へんな色……」
「く、くええー?」
先頭に居たイリアス様にプルエルとイヌエル、それにガルダが困惑した声を上げた。
その様子に俺たちも視線を前方へ向け、上空から管理者の塔を見下ろす。
そこには──。
「なんだ、あれ……」
「私が用意した水着を思い出しますね。いつも通り、語りを述べようと思っていたのですが……。これについては、どう言えばいいのやら」
「おお! 我が売り出しているブラディブランドの商品に色味が似ておるな!」
「なんだか、品のない塔……」
「…………」
俺の目に飛び込んできたのは、妙に色とりどりな塔だった。
本来なら、管理者の塔はどこか無機質で、厳かな雰囲気を漂わせる建造物のはずだ。
赤、青、黄、緑、白。
塔のあちこちの隙間や窓のような部分から、鮮やかな色があふれ出している。まるで内側から光でも漏れているかのように、派手な色彩が塔の外壁を染め上げていた。
一体何が起きているのか。
思わず目を細めて塔を凝視していると、不意に肩を軽く叩かれた。振り向くと、シェーディがこちらを見上げていた。
「…………」
「えっ、本当か? ちょっと待てよ……。ああ、確かに聞こえるな……」
「ヴェーク、翻訳を忘れないでくださいね。あなたたちが何を話しているのか、まったく伝わってきませんよ」
「ええと、ノム語と……ヌル語? かな……。その二つの言葉で、怒ってるような声が微かに聞こえるんです」
シェーディに言われて、意識して耳を澄ませてみる。
最初は風の音に紛れてよく分からなかったが、注意深く聞いているうちに、確かに塔の方角から何かの声が届いていることに気づいた。
それも、ひとつではない。
複数の声が重なり合い、まるで言い争うように響いている。
耳に届く言葉は、ノム語とヌル語。
ヌル語は混沌に住まう、一部の生物が使う言葉だ。まったく別系統の言語が同時に聞こえてくるということは、少なくとも二つの異なる種族がそこにいるということだろう。
塔で、一体何が起きているのか。
俺が耳を澄ませているあいだ、ブラディも前方をじっと睨みつけるように目を凝らしていた。
やがて眉を寄せ、低く唸る。
「ならば、シェーディ殿と同じ種族……トンベリ娘たちが居るということか?」
「…………!!」
「ノム語の方は、聞き覚えのある声ばっかりで、娘たちが居るみたいだって──分かった! 分かったから!」
早く行きたいと俺に言いながら、背中をバシバシ叩いてくるシェーディ。
どうやら、娘たちの様子がよほど気になっているらしい。普段はマイペースな彼女にしては、珍しくそわそわとした様子だった。
「では、塔の手前で降りて、様子を見に行ってみましょう」
「くええ!」
ガルダが翼を大きく広げ、ゆっくりと高度を下げていく。
色とりどりに染まった管理者の塔が、次第に大きく視界に迫ってきた。
こうして俺たちは、管理者の塔のすぐ近くへと降り立った。
・・・・・
塔のカラフルな色は、決してペンキなどで塗りたくられたものではなかった。
ガルダから降り、しばらく歩いて塔へ近づくにつれて、その異様な光景の正体が徐々に明らかになっていく。
遠目には、ただ派手な色が塔に染み出しているように見えていた。
だが、近づいてみると、それは“色”などではない。塔の窓や隙間という隙間から、ぎっしりと詰まった何かが、外へと溢れ出していたのだ。
「これ、どうなってるんですか? イリアス様」
「私に聞かれても困るんですが……。詰まってますね、ふしぎないきものが」
「まるで花々のよう……いえ、小イリアス様の言う通り、ふしぎないきものが詰まっているとしか言えませんね……」
管理者の塔には──文字通り、ふしぎないきものたちが詰まっていた。
同じ見た目をした、赤、青、黄色の小さな生物。
その隙間には、シェーディと同じ種族のトンベリ娘が顔を出している。さらに、白くてふわふわとした生き物や、どこか少女の姿を思わせる小さな存在まで混ざり合い、塔の隙間という隙間を埋め尽くしていた。
まるで巨大な蜂の巣に、色とりどりの生き物を無理やり押し込んだような光景だ。
しかもその全員が、塔の内側から外へ押し出されるようにぎゅうぎゅうと詰まり、身動きが取れなくなっているようだった。
「あれはもしや、混沌の精霊に関するものでは?」
「……影紬の言う通り、確かにヌルコに見た目と雰囲気が似ていますね。ですが、あの緑のはシェーディ、あなたの関係者でしょう?」
「…………!!」
「みんな、娘だそうです。ユウニ、リュッケ、パイア? いや、全員の名前を教えてもらうのは、また今度にしてもらっていいか? 多分、教えてもらってるうちに世界が滅ぶからさ……」
緑の生物はすべて、シェーディの娘たちらしい。
どうやらかなりの人数がいるようで、塔のあちこちから同じような姿が顔を覗かせている。
シェーディは嬉しそうに跳ねながら、娘たちの名前を次々に呼び始めた。
だが、その声はほとんど聞こえていない様子。
塔の内部からは、ずっと別の声が響き続けているからだ。
ノム語とヌル語が入り混じった、怒声や怨嗟のような叫び声。
それらが重なり合い、まるで塔そのものがうめいているかのような騒がしさになっていた。
「すっごく怒ってるな……。シェーディの大声にも反応しないなんて。……脳が爆発しそうだから、ボリューム下げてもらってもいいか?」
「…………!?」
「そうなのか? イリアス様、娘たちがここまで怒ってるのは珍しいと。以前、娘たちがパーティのために買ってきた大量のヤマタイ寿司を、自分ひとりで全部食べちゃったときと同じくらいだって」
どうやらトンベリ一族にとって、相当な事件だったらしい。
シェーディはプルプルと震えて、当時のことを細かく話してくれた。
「怒りの具合がイマイチ理解できませんが、食べ物の恨みは恐ろしいですからね……。かなり怒っているというのは分かりました。では、ヌル語の方はどうです?」
「……ノーカウントだとか、インチキだとかって言ってます。……いや、まさか……」
耳に入ってくるヌル語の内容を拾いながら、俺は思わず眉をひそめた。
ノーカウント、仕切り直し、インチキ、貢ぎたい、反則。断片的に聞こえてくる言葉は、どれもこれも似たような意味ばかりだ。それと、怒りの矛先は、どうやら塔の外部にいる誰かに向けられているらしい。
このまま遠くから眺めていても始まらない。
俺たちは少しだけ足を早め、管理者の塔へと向かって歩き出した。
・・・・・
塔の入口らしき部分に、見覚えのある白い狐が居た。
しかも、そのすぐ近くにはこれまた見覚えのある簡易テントが張られている。
さらに、その前には小さな焚き火の跡があり、薪まできちんと積み上げられている。
どうやら、かなり前からここに陣取っているらしい。
「──はい、UNUって言ってないから、またミクリの勝ちだね……。ミクリの勝ち運に点数をつけるなら、十点中、百億点って感じかな……」
「きゅきゅきゅきゅ!!!」
「みゅみゅみゅみゅ~!?!?」
「…………!!!」
塔の前では、何やら大騒ぎになっていた。
俺の目に飛び込んできたのは、即席で作ったらしいテーブルだ。
粗削りの木材を組み合わせただけの簡単な作りだが、しっかりしている。
その上にはトランプ、サイコロ、カードゲームの類が山のように積まれていた。
そして、そのテーブルの外側には、これまた手作りっぽい木の椅子が置かれており、ミクリがちょこんと座っている。
「たかがカードゲーム、されどカードゲーム……。なんで負けたのか、明日までに考えておこうね……」
「……………………!」
「きゅっ! きゅきゅきゅきゅ~!!」
「…………!!」
「もしお金が払えなかったら、ミクリの友達のヤマタイヤクザが取り立てに来るからね……。シェーディの素敵で可愛い娘ちゃんとはいえ、お金は耳を揃えて払ってもらうよ……」
ミクリの手には、数枚のカードが握られていた。
その正面には、シェーディの娘であるトンベリ娘と、ふしぎないきものたちが対峙している。
もっとも、まともに向かい合っているわけではない。
彼女たちは塔の内部にぎっしりと詰まり、身動きが取れない状態になっているため、隙間から腕だけを塔の外へと突き出していた。そして、その手にしっかりとカードを握っている。なんとも奇妙な対戦風景が出来上がっていた。
対戦相手のふしぎないきものたちについて言うならば……。
ブチ怒っている──この言葉が一番しっくりくるだろう。
「いや、本当にすっごく怒ってるな……」
「全員、無表情で形ある言葉を紡いでいないにも関わらず……激しい怒りの感情が伝わってきましたよ。お茶とか飲んだほうがいいんじゃないんですかね?」
「はあ……。あの狐はあなたの連れでしょう? ヴェーク、なんとかしてきなさい」
イリアス様にそう言われ、俺はため息をつきながらミクリのほうへ歩み寄る。
砂利を踏む足音に気づいたのか、ミクリの耳と尻尾がぴくりと反応した。次の瞬間、耳と尻尾がぴんと上を向き、彼女はぱっと嬉しそうに振り返る。
「あっ、ヴェーク……。やっぱり無事だったんだね……。すごく心配してたよ……」
「本当に心配してたか? 随分と楽しそうにしてたみたいだけど……」
そう言いながら、俺はテーブルの上に広げられたカードやサイコロの山を見下ろす。
どこからどう見ても、心配していた奴の行動ではない。
「むふふふふ、いっぱい稼いじゃった……。これで旅の資金に困らないね……。最近は物騒みたいだし、稼いどかないと……」
「……具体的には、どれくらい稼いだ?」
俺がそう尋ねると、ミクリはニコニコとした顔で懐を探り、一枚の紙を取り出した。
自慢げにそれをこちらへ差し出してくる。
ちらっと視線を落とすと、そこにはびっしりと数字が書き込まれていた。
しかも、数えるのが嫌になるほど桁が多い。
「無制限ジャンケンでこれくらい、地上チンチロリンでこれくらい、その他を合わせれば……。だいたい、六十六兆二千億ゴールドになるかな……」
「加減しとけ!! 莫迦!!」
「ふぎゃあ……!!」
俺は反射的に拳を振り下ろし、ミクリの頭にゲンコツを落とした。
鈍い音がして、ミクリがその場でごろごろと転げ回る。
頭を押さえて悶絶しているが、完全に自業自得だ。
相手が動けないことと言葉が分からないのを良いことに、法外な金額の賭けを続けた挙げ句、イカサマまでやりたい放題していたらしい。
管理者の塔がどうしてこんな惨状になっているのか、その詳しい経緯はまだ分からない。
だが、塔の中から怒号が響いていた理由だけは、これで十分すぎるほど理解できたのだった。
・・・・・
「むぅぅぅん……! ヴェークのド畜生王……!」
「誰がド畜生王じゃ! それなら、お前は最低王だぞ! まったく、いつもいつも!」
「しかしですねぇ……。ミクリはギャンブルが大好きなのでして……」
「よく喋る!!」
俺はミクリを地面の上に正座させ、反省を促す。
とはいえ、この白狐が素直に反省するような性格でないことは、俺自身が一番よく知っている。だが今回は、さすがにやり過ぎだった。大騒動を起こしている以上、少しくらいは痛い目を見て反省してもらわないと困る。
イリアス様と影紬、ガブリエラは塔の外周を周り、どんな状況かを確認しに向かった。
残った俺たちは入口付近に留まり、塔にみちみちに詰まった子たちと、問題の張本人であるミクリから事情を聞くことになった。
「…………!」
「…………」
入口の隙間から顔を出しているトンベリ娘の一人に、シェーディが熱心に話しかけている。
どうやらその子の名前はトゥーンというらしく、娘たちの中では長女にあたる存在らしい。見た目は同じだが、しっかり者の雰囲気がある。
ただし、会話の内容はほとんどこちらには聞こえてこない。
なにせ、シェーディの声がやたらと大きいのだ。トゥーンが何かを説明しているようではあるのだが、その言葉はシェーディの歓声や驚きの声にほとんどかき消されてしまっていた。
「みゅみゅ♪」
「わーい! おともだち! おともだち!」
「きゅ~♪」
「今度はあたしがナデナデしてあげる!」
プルエルとイヌエルは、すでにふしぎないきものたちとすっかり打ち解けていた。
初対面のはずなのに、いつの間にか一緒になって笑い合い、頭を撫でたり撫でられたりしている。
どうやら彼女たちは“ヌルの眷属”と呼ばれる存在らしい。
塔の内部にいる“親分”を守るために生まれた生き物で、いわば守護役のようなものだという。
見た目はどこかゆるいが、その正体は混沌に関係する存在らしい。
「おお! お前から我と同じく、強い混沌の力を感じるぞ! 我の部下にならないか?」
「……………………」
「ワーハッハッハ!! シェーディ殿と同じく、言葉は聞こえないが……。我には嬉しくて感激している声がしかと届いているぞ!!」
「その子、別に何も言ってないぞ。それと、顔を横に振ってるから、断ってるし」
ブラディの勧誘は、一瞬で却下された。
それでも当の本人はまったく気づいていない様子で、勝手に盛り上がっている。
俺はそれ以上周りの騒ぎを気にするのをやめ、改めてミクリのほうへ視線を戻した。
「……で、ミクリ。何があったんだ?」
「忘れはしないよ……。タルタロスから脱出したあと、気が付けば精霊の森に──」
ミクリはそう言って、自分の身に起きた出来事をぽつぽつと語り始めた。
タルタロスから脱出したあと、彼女が飛ばされた場所は精霊の森だったらしい。本来ならイリアスベルクかヤマタイへ向かうという選択肢もあったのだろうが、ミクリの中ではそれ以上に行きたい場所があったという。
それが──グランドールだ。
理由の一つは、もちろんカジノで遊びたいといういつもの動機だ。だが、それ以上に、エクレアがそこへ向かう可能性が高いと踏んでいたらしい。もっとも、ミクリの口ぶりからすると、心配するだとか、大切な仲間として合流するだとか、そういう殊勝な理由はまったくなかったようだ。
「ミクリの素敵な顔面にキラキラを……! 今日という今日はあのヘンテコエセお姫様スライムにお灸を据えないと、ミクリの怒りは収まらない……!」
「あー、うん。なら、どうしてこの塔に?」
俺がそう尋ねると、ミクリはさらに続けて説明してくれた。
グランドールへ向かうため、精霊の森からまっすぐ西へ進んでいたところ。
偶然、この管理者の塔が目に入ったらしい。しかも、遠くから見てもやたらとカラフルな色をしていたため、単純に面白そうだと思って近づいてみたのだという。
そして、中を覗いてみると──。
塔の内部にはふしぎないきものたちとトンベリ娘たちが、これでもかというほどすし詰めになっていたそうだ。
ミクリも最初は、なんとかして助け出そうとしたらしい。
扉や壁を調べて回ったり、力任せに抜き抜けないかと試したり、それなりに努力はしたのだとか。
結果として、ミクリは一人では無理だと判断し、早々に救出を諦めた。
その代わり、塔のあちこちに遊び道具と手作りの机を持っていき、暇つぶしを兼ねていろんな子と賭けをしていたそうだ。
「……助けを呼びに行くって発想はなかったのか?」
「だって、みんな暇そうだったし……。それに、ミクリには出来ないよ……。シェーディの娘ちゃんたちを見捨てて離れるなんて……」
「いい感じに言ってるけど、すっごい罵声を飛ばされてたけどな。イカサマカード野郎とか、オラオラ叫びながらボコボコにしたいとか言われてたぞ」
「そ、そんな……。ミクリはただ、楽しい楽しいカードゲームを教えてただけなのに……。ブラディの魂とベリアルの魂、あとはヴェークの魂も賭けてみたり……」
「なんでその場に居ないヤツの魂を賭け事に使ってるんだよ!? 勝手すぎるだろ……!」
「いひゃい、いひゃい……!」
俺は思わずミクリの頬をぐいっと引っ張る。
柔らかく伸びた頬をつままれ、ミクリは情けない声を漏らしながらぱたぱたと手を振った。
そんなやり取りをしていると、娘たちと話をしていたシェーディが、こちらへ戻ってきた。
「シェーディ、このド鬼畜冒険家からミクリを守って──ああ~」
「甘やかしちゃ駄目だぞ。それで、どうしてこうなってるか分かったか?」
「…………」
ハグをされてふにゃふにゃになったミクリを抱えつつ、シェーディが話してくれた。
どうやら、この塔に娘たちが詰まってしまったのは、完全な事故だったらしい。
原因は、タルタロスの崩壊にシェーディが巻き込まれたこと。
母親の気配が突然感じ取れなくなったことで、娘たちはすぐに救出へ向かったという。
だが、その行動が裏目に出た。
世界が合一して不安定な状態で次元移動を行ってしまったせいで、娘たちは全員、同じ座標へと弾き出されてしまったのだ。
その転移先が、よりによって管理者の塔だった。
結果として、トンベリ娘たちは一斉に塔の内部へ出現し、そこにいたふしぎないきものたちと一緒になって、内部にぎゅうぎゅうに詰まる形になってしまったらしい。通路も空間も完全に塞がれてしまい、外へ出ることすらできない状態になったのだという。
「…………」
「ああ、そうだったのか。でも、どうしてここのせいで世界が危機に陥るんだ? 確かに危ない状況ではあったけど、世界に影響が出るなんて──」
「それは、私が説明しましょう。ガブリエラ、塔の補強の準備を。影紬は監督を行ってください」
「はい、小イリアス様……ふふっ」
「実に愉快でしたねえ、あの天使……」
横を見ると、影紬を抱えたイリアス様とガブリエラが歩いてきていた。
どうやら調査は一通り終わったらしい。それだけでなく、塔の状況について情報を掴んできたようだった。
「まったく、非常に危ないところでした。この狐、思っていたよりもとんでもないことをしていたようですね……。我々が早くたどり着かなければ、世界に混沌が飛び散るところでした」
「混沌が? それは一体……」
「調査の結果、この塔の内部に高濃度の混沌エネルギーが詰まっていることが判明しました。それを……ふふ、ここに居た熾天使のグノーシスが教えてくれましてね」
「それって天界の? それは良かった。また仲間が増えますね」
俺の言葉に、イリアス様は首を横に振った。
イリアス様の言うグノーシスは天界所属の熾天使であり、非常に強力な天使だと聞いている。仲間が増えるのは良いことのはずだが、どうも様子がおかしい。
「ふふふっ……いや、笑い事ではないのですが……。グノーシスはこの塔を調査していたらしく、トンベリ娘たちが出現した際に、ちょうど中に居たようで……。今は顔だけが外に……」
「あー、そういうことですか」
「彼女、顔が怖いので最初見たとき、びっくりして少し漏ら──いえ、何でもありません。……ふふ、ふふふっ」
イリアス様は口元を押さえながら、くすくすと笑っている。
どうやら完全にツボに入ってしまったらしい。
「あのグノーシスが『おたすけ……おたすけ……』と嘆く姿はあまりにも愉快すぎました。三人で思わず笑ってしまいましたね……。小イリアス様なんて、地面に転げ回って──」
「えっと、それでここの何が危ないんですか?」
俺がそう言うと、イリアス様はハッとした顔になる。
そしてすぐに表情を引き締めた。
「んんっ、脱線してしまいましたね……。これではシェーディのことを言えません。話を戻しましょう。調査の結果、混沌エネルギーが非常に不安定な状態で内部に滞留していることが分かりました」
「言われてみると、ここってタルタロスに雰囲気が似てる気がしますね」
「混沌の瘴気が漏れ出ているのですよ。理由はまだはっきりとは分かりませんが、この塔は現在、ある種の“爆弾”と言える状況になっています。言うならば──巨大混沌爆弾とでも名付けましょうか」
穏やかではない言葉に、俺は思わず目を丸くする。
この不可思議な塔が、そこまで危険な代物だったとは。
見た目だけなら、カラフルでちょっと可愛らしい塔にしか見えないのだが。
「この塔は、非常に奇跡的な状態を保っています。一匹でも、ふしぎないきものがはみ出てしまうと──中の生き物が高濃度の混沌エネルギーと共に飛び散るようになっているのです」
そう言って、イリアス様はミクリをじいーっと睨んだ。
「そのような危険な爆弾に対して非道な挑発行為を行い、まるで幼児が指で何でも突くが如く刺激をしていた存在が居たようです。不思議ですね?」
「へ、へえー……。そうなんだ……。それにしても、お生のおイリアス様はお素敵ですねぇ……。おミクリ、お生まれる前からお尊敬してますよ……。へぇい……」
「話のそらし方と媚の売り方が下手過ぎませんか? ……調査してみると塔の大部分にひび割れが発生していました」
「ミクリ……お前ってやつは……」
その場に居た全員の視線が、ミクリに集まる。
さすがに自分が悪いことをした自覚はあるらしく、ミクリは耳をぺたんと伏せて気まずそうにしていた。
「…………」
「ギャンブルで負けるたびに、塔の中のみんなが怒ってジタバタしてたってさ。そのせいでヒビ割れしたんだろうって、シェーディが言ってるぞ」
「うっ、うう……。反省してます……」
「大いにそうしてください。ガブリエラの力を使い、木の根を塔全体に這わせることで補強をしますが、これはあくまで対症療法です。根本的な解決にはなりません」
「すでに準備は完了しました。ですが、塔の構造が限界に近い以上……長くは持たないでしょう」
ガブリエラがそう言うと、地面からゆっくりと太い木の根が伸び始める。
それらは塔の外壁へ絡みつき、包み込むように締め付けていった。
「このままの状態を補強し続けたところで、いずれは限界を迎えます。内部の存在たちをどうにかして外へ出さなければ、この巨大混沌爆弾は解体できないのですが……」
「一匹でもはみ出したら爆発なんですよね……?」
「ええ。だからこそ、確実な解決手段を考える必要があります……困りましたね」
なんとか、混沌が世界に飛び散る事態は未然に防げた。
だがそれは、あくまで一時的な措置に過ぎない。
塔の中には、ぎゅうぎゅうに詰まったふしぎないきものたち。
その奥には、不安定な混沌エネルギー。
そして外には、イカサマ賭博で事態を悪化させた狐。
「……にへへ……」
「笑うな」
「はい……」
俺たちは、世界を守るために──。
この珍妙すぎる塔を、どうにかしなければならないことになったのだった。