ポケット魔王城での会議を終えたあと、俺たちはサバサへと戻ってきていた。
各自はそれぞれ異なる場所へと散り、サン・イリアから流れてくる難民たちを手助けするために動いていた。
正直なところ、少しでも早く次に進みたかった。
だが、準備が必要だ。ラファエラと魅凪は役割の引き継ぎを進めており、そう時間はかからないらしい。
俺は影紬と二人でヴェペリアの様子を見に行くことにした。
話によれば、街の入口付近で活動しているらしいが──現場は想像以上に混雑しているはずだ。
近づくにつれ、ざわめきと足音が耳に入ってくる。
その中に、ひときわよく通る声があった。
「よくできましたね! 今度はこちらに向かいますよ!」
「きゅきゅきゅ、きゅー!」
「次の団体で受け入れは終わり? それは良い知らせですね!」
「…………」
「その救急箱はもう必要ないと思いますが、一応手元に残しておきましょう」
視線の先には、数名のヌルの眷属とトンベリ娘を従えたヴェペリアの姿があった。
人の波を縫いながら、的確に指示を飛ばしている。どうやら、かなり懐かれているらしい。それに、ヴェペリアにも彼女たちの声が理解できるようだ。
「──あっ、父上に影紬!」
こちらに気づいた途端、ヴェペリアの表情がぱっと明るくなる。
手を振りながら、小走りでこちらへと近づいてきた。衣料品を抱えたヌルの眷属と、食事を器に盛ったトンベリ娘が、その後ろをきちんとついてくる。
「……随分と楽しそうですね。やはり、無機物ではなく、生物と付き合うほうが楽しいのでは?」
影紬が、わずかに目を細めてヴェペリアを見る。
声音は平坦だが、視線だけがじっとりと重い。どうやら嫉妬しているらしい。
向けられた視線に気づいたヴェペリアは、肩をびくりと揺らし、あからさまに慌てた様子で手を振った。
「わわわっ、そんなことはありませんよ! そうだ! このあと、新しくできたボウリング場に行くのはどうですか?」
「私がボウリングできるように見えますか? それとも、私をボウリングボールにしたいとか?」
間髪入れずに返された言葉に、ヴェペリアの動きが一瞬止まる。
冗談とも本気ともつかないその切り返しに、どう応じるべきか迷っているのが見て取れた。
「ち、違いますよ! ええっと! オーナーの坊主頭のサム……ステーサムさんのハンバーガーは美味しいですよ! いつもは運び屋をしていて留守にしていますが、今日は居るはずです!」
「私、食べられないんですけど……。まあ、いいです。付き合ってあげましょう」
呆れたように小さく息をつきながらも、影紬は最終的に了承する。
それを聞いた瞬間、ヴェペリアの顔がぱっとほころぶ。
二人のやり取りを横目に見ながら、俺はそっと一歩引く。
ここから先は、わざわざ割って入る場面でもないだろう。静かに離れるのが、ちょうどいいタイミングに思えた。
「じゃあ、俺が代わるから、二人で楽しんでおいで。みんな、俺に何をしたらいいか教えてもらってもいいか?」
「きゅー!」
「…………!」
俺が教えを請うと、ヌルの眷属とトンベリ娘たちが快く了解してくれる。
聞けば、受け入れ自体はまもなく終了するらしい。残っているのは、食糧と衣料品の配布だけ。慌ただしさの中にも、終わりが見えてきたことで、わずかな余裕が生まれているのが感じ取れた。
「…………」
「これとこれを配ればいいんだな」
俺はヴェペリアに影紬を預けると、トンベリ娘から物資を受け取る。
「父上、ありがとうございます」
「……」
短いやり取りを残して、二人は並んで街のほうへと歩き出した。
影紬は相変わらず無表情だったが、先ほどよりもわずかに刺々しさが抜けているようにも見える。
……あの様子なら、少なくとも機嫌は悪くなりすぎずに済みそうだ。
できれば、このまま少しでも落ち着いた状態でいてもらいたい。
これから向かう先のことを思えば、なおさらだ。
三代目影紬──陽絹に会いに行くのだから。
「きゅきゅきゅ、きゅー!」
「…………」
「……かわいいメイクの方法は、また今度の機会にして貰っていいかな? じゃあ、やろうか」
軽く苦笑しながらそう返し、俺は意識を目の前の仕事へと切り替える。
物資を抱え直し、避難民たちのもとへと足を向けた。
・・・・・
翌日。
ガルダに乗り、俺たちは懐かしの故郷──イリアス大陸へと向かった。仲間たちの大半はポケット魔王城に待機している。
イリアス様は露骨に不満を示していたが、安全を最優先し、プルエルとイヌエルも同様に待機とした。
もっとも、呼べば即座に来られる体制は整っているし、同行者もローテーションで入れ替わる手筈になっていた。完全な不在というわけではない。今は力の同盟と影紬、それにガブリエラが前に出ている。
ミダス村に向かう途中、俺の第二の故郷が遠くに見えた。
正直に言えば、イリアスベルクの現状は気がかりだった。あの街がどうなっているのか、確かめたい気持ちは強い。
だが──今はミダス村への訪問が最優先だ。
それに、ミニマムストーンの確保が終われば向かう必要がある。焦る必要はない。順を追えばいいだけの話だ。
「やはり、ここも混沌の影響を受けていますね……」
「こりゃ酷いな……」
上空から確認はしていたが、やはり、ミダス村も合一の被害を受けていた。
村のあちこちに、溶岩がまるで水路のように流れている。
明らかに人の住む環境ではない──はずなのに。村人たちも、住民であるナメクジ娘たちも、驚くほど平然と日常を送っていた。思っていたより、生命とは強いものらしい。
「えーっと、あそこですね。メイさんの家」
「この村に来るのも久しぶりですわね~! ……前よりも雰囲気が変わってますわ! イメチェンですわ!」
「イメチェンにしても変わりすぎ……。熱くて干からびそう……」
「そうか? 我はヌルいくらいだぞ!」
雑談をする力の同盟の仲間たちは放っておいて、ドアノッカーを叩く。
すると、やや間の抜けた声で『どうぞ~』と返事が返ってきた。俺は扉を開き、中に入ると──。
「はいはい、いらっしゃいませ。おお、これはこれはスポンサー殿。ようこそおいで下さいましたね」
「久しぶり……って言ったほうがいいのかな、メイさん」
「そうですね。村の人には正体を隠しているので、そうしてもらえるとありがたいです」
出迎えたのは、ダボッとした白衣を身にまとった、やや猫背の女性──メイ・カラットさんだった。
無造作に束ねられた髪と、どこか眠たげな目つきが印象的で、研究に没頭する者特有の空気をまとっている。
「ほう……これが世に潜むヒーロー、コズミックウーマンの隠れた姿か……。どうだ? 我の部下にならぬか? 最近はヒーローの悪堕ちを流行っていると聞いておるぞ」
「いえ、こっちは本当の私ですよ。それと、変な勧誘はお断りしておきます」
机の上には、大小さまざまな鉱石がケースの中で鈍く、あるいは鮮やかに光を放っていた。
整然と並べられているかと思えば、その周囲には資料が無秩序に積み上げられ、さらに空になったお菓子の袋があちこちに転がっている。
「…………」
シェーディがやれやれと文句を言いながら、机の上を片付け始める。
どうやら、見るに耐えなかったようだ。
「おおう……。すいません、片付けはいつかしようと思っていたのですが。ヴェークさん、この方が頼んでいた科学者ですか? どうにも寡黙な方ですね。物理学者ですか?」
「いや、その子は普通の……いや、少し変わったギャルなんだ。科学者じゃないけど、有識者の人を連れてきたぞ」
「ミダス村のメイ・カラット──私は創世の女神イリアス。あなたに叡智を授け──……この言い方、プロメスティンみたいでアレですね。やめておきましょう」
イリアス様が一歩前に出て、挨拶をする。
すると、メイさんは目を丸くしてパチパチと瞬きをする。
「これは……驚きましたね。まさか女神様が来られるとは。では、早速──私の力を少し解放しました。イリアス様、何か分からないでしょうか?」
「ふむ、やはり私の思っていた通りです。これは星喰い由来の──」
イリアス様が、メイさんに宿った力について説明した。
それに加えて、自分たちがこの星を守るために、星喰い対策を練っていることも話す。
「そのような力が、私の中に……酸っぱいものが好きになったのも、そのせいでしょうか?」
「それは知りません」
メイさんは、自分の手をじっと見つめている。
さっきまでと違って、視線がほんの少しだけ揺れていた。
「人には膨大すぎる力ですが、所詮は力。使い方次第です。あなたはどうするのですか?」
イリアス様は淡々と言い切る。
「……この混沌とした世界に希望を。そしてより良い明日を」
わずかな間の後、メイさんは迷いなく答えた。
その言葉は決して大仰ではなく、むしろ静かな決意として響く。やはり、彼女はヒーローらしい。
「……その心構えがあれば、問題ないでしょう。その力、あなたに委ねておきます」
イリアス様は満足げに頷き、続けて軽く付け加える。
「一つ、注意事項として言っておきます。何か辛いことがあっても、この惑星の周りをグルグル逆回転したりしないように。そんなことをしても時間は戻りませんよ」
「……? はい、わかりました」
どうやら、イリアス様とメイさんの話し合いは終わったらしい。
ならば、次の段階に向かうべきだ。
「メイさん。俺たちが知りたいのは、ミニマムストーンが採掘できそうな場所だ。それも、大量に」
「ミニマムストーンですか……。なら──」
メイさんは踵を返し、背後の棚へと向かう。
積み重なった資料の隙間に手を差し込み、慣れた様子で何かを探り当てると、数冊のノートと一枚の大きな地図を引き抜いた。
「以前、フィールドワークで鉱石の分布をまとめたことがあります。えーっと……。天界にも魔界にも存在しなかった場所だと……この辺りはどうでしょう?」
メイさんはペン先で円を描く。
「……ロストルム村の郊外ですか」
地図に示されたのは、ロストルム村。
イリアスヴィルから東へ進み、山脈を越えた先にある小さな集落だ。
──いや、“だった”と言うべきか。
俺が以前訪れた時には、すでに人の気配はなく、廃村となっていた。
「都合が良いですね。あの場所であれば、文句を言う連中も居ないでしょう」
「勝ったね……お風呂に入ってくる……」
「やはり風呂しか勝たぬか……。いつ出発する? 我も同行しよう!」
「うーん。その言葉を言われると、なんだか不安になりますわね」
「不吉なこと言わないでくれ。メイさん、詳しい場所を知りたいので、ついて来てくれませんか?」
「もちろんです。まさか力ではなく、私の研究が世界を救うことになるとは……」
こうして、ミニマムストーンが発掘できそうな場所を知ることができた。
だが、本当にあるかはまだ分からない。俺たちはひとまず、その場所を見に行くことになった。
・・・・・
「小イリアス様……。これはどういうことでしょうか?」
「知りませんよ……」
「前に見た、エクレアお姫様の石像を思い出すな……」
ミダス村から南へと進み、俺たちはロストルム村へと辿り着いた。
かつて訪れた時、この場所は完全に人の気配を失った廃村だったはずだ。風に軋む建物と、崩れかけた生活の痕跡だけが残る、静まり返った場所──そんな記憶がある。
だが、目の前に広がる光景は、その記憶と明らかに食い違っていた。
村の中心部に、あまりにも場違いな“何か”が存在している。遠目に見た時点で異様だったそれは、近づくにつれて輪郭をはっきりと現し、そして否応なく理解させてくる。
「むむむ!! ワタクシよりも先にあのような石像を! ズルいですわ! ズルいですわ!」
「デカすぎ……」
「我も新たな魔王城の建設ではなく、巨大な像を先に作ろうかのう?」
「…………」
そこに鎮座していたのは、天を貫くかのような巨大な石像だった。
造形は見間違えようもない──イリアス様そのもの。
ガルダの上空からでも視認できたが、地上から見上げると、その威圧感は比べものにならない。首が痛くなるほど見上げてもなお、頂点が遠い。
イリアス様本人が知らない以上、天界にも魔界にも存在しなかったものだろう。
だとすれば──これは合一後に造られたもの、ということになる。
誰が、何の目的でこんなものを。
「……とりあえず、行ってみましょうか。私が居れば攻撃はされないでしょう……。変な歓迎はされるかもしれませんが……」
「うーん。そうですね……」
本来、ロストルム村そのものに立ち寄る予定はなかった。
ミニマムストーンが採掘できる可能性がある地点は、あくまで村の“郊外”だ。そこに拠点を築き、周囲を調査しながら採掘を進める──それが当初の計画だった。
だが、この異様な状況を目の当たりにして、素通りするという選択肢は消えていた。
村に誰かが居る可能性がある以上、先に確認しておくべきだ。後から厄介ごとになるよりは、今のうちに把握しておいたほうがいい。
「──い」
「ん? 何か聞こえなかったか?」
「少々お待ちを……。村の方向から、何者かの声がしていますね」
影紬はどこからともなく取り出した集音器を耳に当て、周囲の音を拾い始める。
イリアス様は無言のままそれを取り上げると、そのまま懐へと放り込んだ。
「ああっ、自信作でしたのに……」
「あれ……この声って……」
ミクリがやや早足になり、先頭を歩き始める。
俺たちは慌てて、その後を追う。
「助けてくれよー! ちょっと触っただけじゃねえかよー!」
「囚われのお姫様とは、これまた良い趣向ですが……。この姿は少し……」
「他の人はともかく、私は解放して! ちょっとつまみ食いしただけじゃない!」
「ははは……困ったね……」
そこに居たのは──サバサで分かれたはずのハインリヒ一行だった。
・・・・・
「何をしているのです、ハインリヒ?」
「あっ、イリアス様……。ええっと、これには様々な理由が……」
イリアス様はじっとりとした視線を向けたまま、言い訳を許さない空気を漂わせている。
対するハインリヒは、どこか気まずそうに視線を逸らし、歯切れの悪い言葉を並べるばかりだ。
視線の先──そこにあった光景は、なかなかに衝撃的だった。
ハインリヒ一行は、地面に突き立てられた太い木柱に括りつけられ、完全に身動きの取れない状態になっている。いわゆる磔の状態である。
「熱く気高き拳を持つアイシスよ! 一体全体どうしたのだ!?」
「何をしているのです、アイシス?」
「どうせロクなことじゃない……」
「ひ、久しぶりの再会なのに、そんな目で見るんじゃねぇよ! ムキムキで可愛いラミアちゃんが居たから、ちょっと触っただけでこの有様になっちまっただけなのに……」
「そりゃお前が悪い。まったく……」
アイシスの弁明は、弁明になっていなかった。
どうやら、例の悪癖が存分に発揮された結果らしい。
「わ、私は悪くないわよ! パンの量が少ないのが悪いのよ! 何が清廉潔白でありなさいよ! あのラミア!」
「エヴァ、お前もか……」
師弟揃って問題を起こした結果、こうして仲良く拘束されているというわけだ。
だが、それに巻き込まれたハインリヒが可哀想だ。なぜか黒のアリスも大人しく一緒に磔にされているのは謎だが……。
「おいたわしや、陛下……」
「うふふ……。私は本来、磔にする側の立場でしたからね。こうしてされる側になってみるのも、新鮮で楽しいものです……」
「自然に俺の考えを読まないでくれ。このままにしてくのは悪いけど、まずは村に行ってくるから待っててくれ」
ここで彼らをそのまま解放すれば、間違いなく俺たちも同類扱いされる。
まずは状況を把握し、然るべき相手と話をつけるのが先だ。面倒ごとの匂いしかしないが、避けては通れないだろう。
「髭面にしてさしあげますわ~!」
「うりゃうりゃ……うりゃうりゃ……」
「やめろ! それ油性だろ!」
「ほら、遊んでないで行くぞ」
アイシスの顔に落書きをするエクレアとミクリに声をかける。
「少しお待ちを、南の勇者。あの村の長には注意するように。彼女、なかなか腕が立ちますわよ。ぼんやりしていると、正面からバッサリされるかもしれませんわね」
「そ、そうか……。忠告ありがとう」
「ちょっと油断してただけだ! 次はアタシが勝つ!」
「アイシスの傲慢……だと言いたいところですが、私も呆気に取られましたからね……」
アイシスが敗北し、黒のアリスがそれほどまでに言う相手。
俺はとても嫌な予感がした。
・・・・・
ロストルム村に足を踏み入れた瞬間、目の前に広がった光景に思わず足が止まる。
そこはもはや、俺の知る廃村ではなかった。
修道服に身を包んだラミアとスキュラたちが、忙しなく行き交っている。
大半の建物が修復されており、道も綺麗に整備されている。その姿はどこか、サン・イリアの都を思わせる光景だった。
そして、その中心にそびえ立つのは──あの、超巨大なイリアス様の石像。
どういうことなのか分からないが……村そのものが、一種の信仰施設へと変貌していた。
「八十点と言ったところでしょうかね。もう少し服の造形に力を入れてほしかったです」
「総評はあとにしましょう。すいません」
場違いな講評を始めるイリアス様を軽く制しつつ、俺は近くを通りかかったラミアに声をかける。
「ようこそ、聖なるロストルム村へ! このご時世にこの村に来られるのは大変だったでしょう……」
「そうですね。良ければ、ここの一番偉い人に挨拶をしておきたいのですが」
「ならば、この先にある井戸の近くにある家に向かうといいでしょう。では、イリアス様のご加護があらんことを……」
深々と頭を下げると、ラミアは足早に去っていった。
どうやら、この村をまだまだ発展させようとしているらしい。よく見ると、ラミアやスキュラ以外の魔物たちの姿が見える。どうやら、イリアス教を信じる魔物が集まっているようだ。
「良かったですね、小イリアス様。信仰の都が増えましたよ」
「それ、皮肉で言ってます? 魔物の中に私を信仰する奇妙な存在が多数居るのは知っていましたが、まさか村を作るとは……」
ガブリエラの言葉を聞き、イリアス様はこめかみを押さえ、露骨に頭が痛そうな様子を見せる。
この混沌とした世界では、何かにすがりたくなる気持ちも理解できる。
俺はそう考えながら、案内された方向へと歩みを進める。
やがて井戸が見えてきた。その傍らに建つ家の前で足を止め、扉をノックする。
「扉は開いてますよ! どうぞお入りください!」
「……ん? 今の声って」
「聞き覚えがありますわね!」
「うん……」
「……ふむ、あの者がリーダーになったなら……。ともかく、中に入ってみましょう」
俺が扉を開けると、そこに居たのは──。
「ヴェークさん! ご無事だったのですね!」
「ソロミさん!」
勢いよく駆け寄ってきたソロミさんを、俺は受け止めた。
親愛のハグをしたあと、安堵の気持ちがこみ上げる。シスターでラミアな彼女なら、この村に居るのも不思議ではない。しかし、リーダーになっているとは思わなかった。
「あなたがリーダーになったとは思いませんでしたよ」
「ああ、イリアス様! 御身が無事で何よりです!」
「イリアス様、ソロミさんとお知り合いだったんですか?」
「魔界で出会ったのですよ。それで、あの村にある石像はどうしたのです?」
イリアス様が問いかけると、ソロミさんは満面の笑みで応じた。
「偉大なるイリアス様の光を世界に広めるため、私が一人で作ったのです。良ければ、プレートにイリアス様自ら一筆をお願いしてもよろしいでしょうか? イリアス教巡礼の地として、相応しい場所にする予定なのです」
「まあ、それは素晴らしい……♪ この私の威光を世界に広める姿、まさに信徒として相応しい振る舞いです。褒めて遣わしますよ」
「自分大好きナルシストだ……」
「ミクリも大概だと思うけどな」
ソロミさんは、やや引き気味のミクリへと向き直る。
「ミクリさん! あなたの教えがあったからこそ、私はこうして己を奮い立たせることができました。ありがとうございます」
「ミクリ、ソロミさんに何かしたのか?」
小声で問うと、ミクリは困惑したように首を傾げる。
「それが、全く覚えてない……」
「……そうか。まあ、多分悪いことじゃなかった……無かったと思いたいな」
「……ん? ソロミ、あなた今、石像を一人で作ったと言いませんでしたか?」
イリアス様がふと引っかかりを覚えたように問い直す。
確かに、あの規模の石像を“個人”で作るなど常識的に考えればあり得ない。シェーディでもなければ不可能なはずだ。
聞き間違いであってほしい──そう思ったのだが。
「……いえ、イリアス様。この御身を象った石像は、私が信仰を示すために、素手で地を砕き、巨石を削って作ったものです」
「えっ……」
あっさりと、常識が否定された。
「力の同盟の皆さんと別れたあと……。聖なる力を使えるようになるため、ミクリさんのアドバイス通り筋トレに励みました……」
その口調は穏やかだが、どこか怪しげな熱を帯びている。
俺たちは無意識のうちに、一歩だけ距離を取った。
「一日百万回……。雨の日も風の日も、三つの世界が合一した日も……イリアス様への祈りと感謝を込めた信仰の正拳突きを欠かしませんでした……」
「そ、そうなんだ……。へ、へえ……すごいね……」
ミクリの返答も、さすがに引き気味だ。
「そうしているうちに、私の拳は音を置き去りにし、聖素を帯びるようになったのです。今は混沌が微笑む時代……」
誇らしげに語るその姿は、もはやただの信徒ではない。
確固たる“何か”に到達してしまった者のそれだ。
「私はそんな時代の中でも信仰と平和をもたらすため、ラミア族とスキュラ族をこの拳をもって纏め上げたのですよ……!」
ソロミさんは静かに構えを取る。
「イリアス様! ご覧ください! これが私の信仰の形──激流を制するはさらなる激流……!!」
ソロミさんの構えを見たガブリエラが驚いた様子を見せる。
「こ、これはイリアス神拳……! 特異点と魔界には伝来して無かったはず! この者、自らの力だけで、その境地にたどり着いたと言うのですか!?」
「な、なんですかその変な拳法は! サブイリアスは何を考えてそんなものを──」
「はああああ……!! かんしゃあ~……!!」
ソロミさんの全身が震え、内側から何かが膨れ上がる気配が走る。
次の瞬間──修道服が弾け飛んだ。
現れたのは、常軌を逸した肉体だった。
まるで隆起する大地のように盛り上がる筋肉。幾重にも重なり、叩き上げられた鋼のような質感。もはや“鍛えた”という次元を超えている。
その圧倒的な存在感に、俺は思わず言葉を失う。
「ええ……」
「こっ、この我が震えているだと……! 我が生涯に一片たりともなかったことだぞ……! いや、七度目だったか……?」
「ほう……荒々しさと信仰の美しさを兼ね備えたボディですね。どうです? 人形になりたくありませんか?」
「ミクリ、ここまでしろとは言ってない気がする……」
「まあまあまあ! 素晴らしい筋肉ですわ~!」
力の同盟の仲間たちがそれぞれ感想を言い合う。
それに対し、ソロミさんは誇らしくポージングをしながら返答した。
「ありがとうございます、エクレアさん。この筋肉、イリアス様のために捧げる所存です」
「えっ、えっと……ありがとうございます」
イリアス様は明らかに戸惑っていたが、それでも否定の言葉は口にしなかった。
こんな姿の相手に断ったら、どんな目に合わせられるか分からない──その気持ちがこちらにも伝わってきた。
……宗教ってやっぱり怖いものなんだ。
俺は心の底から、そう思った。
・・・・・
「えいやあ!! ほわたあ!!」
「…………!」
ロストルム村の郊外。
緩やかな丘陵の一角にぽっかりと穿たれた、すり鉢状の大穴。その底で、ソロミさんとシェーディは連携で地面を叩き続けていた。拳が振り下ろされるたび、乾いた音とともに土砂が弾け、周囲に小石が散る。
まるで人の手によるものとは思えない掘削速度だった。
このあと、ポケット魔王城から人員を呼び、本格的な採掘を進める予定だ。
「な、なんでこんなことをしないといけないのよ……!」
「おらあ! エヴァ! つべこべ言わずに詰め込め!」
「アイシスと過ごしていると、ハインリヒとはまた違った体験ができて楽しいですわね……」
「楽しそうで良かったよ、アリス。そこのつるはしを取ってもらえるかい?」
穴の中では、ハインリヒ一行もまた採掘作業に従事していた。
ここでの作業を手伝うことで、村での狼藉を許してもらえることになったのだ。
この穴は、石像のために急ごしらえされた採石場だ。
幸運なことに、ミニマムストーンが眠る鉱脈の近くであったため、新たに場所を探す必要はなかった。その代わり、この地をそのまま掘り進めて石を確保することになった。
「しゅばばばばっ……!」
「今日のワタクシは肉体派アイドルですわ~!」
「そこ! 足元がぬかるんでいるので気をつけなさい!」
「ワーハッハッハ! 環境破壊は気持ちいいぞ! 我がずっこけるワケなど──ぬわあああああー!」
「何をしているのですか……」
穴に落ちていくブラディを、木の根っこを伸ばして助けるガブリエラ。
俺はその様子を横目に、傍らに積み上げられたミニマムストーンへと視線を移した。淡く光を帯びた小さな石が、無造作に山を成している。
まだ鉱脈に当たっていないが、すでにかなりの量が取れている。
これから作業効率が上がり、もっと加速することを考えれば、必要分はすぐに揃うだろう。
「……順調ですね」
「これで必要分の確保の目処は立ちました。では、次は加工を行う職人の用意ですが……」
イリアス様は気まずそうに、穴の中に居る影紬を見た。
彼女は手に応援用のボンボンを持って、黒のアリスに声援を送っている。
「まあ、なんとかなりますよ。最初は俺と影紬、陽絹の三人で話すようにしても?」
「第三者が入っても、意味はあまりないでしょうからね。許可しましょう。……家族の不和と言うものは、なかなかに面倒なものなのですよ」
わずかに疲れを滲ませた声を残し、イリアス様は再び作業の指揮へと戻っていった。
――ついに、影紬と陽絹が再び顔を合わせることになる。
どう転ぶのかは分からない。
準備も覚悟も、万全とは言えない。
だが今は、世界そのものが危機に瀕している。
個々の事情に立ち止まっている余裕は、もうなかった。