俺が詰め所からようやく解放された翌日。
不満げな表情を隠そうともしないぺこを連れて、俺はサン・イリアの入り組んだ狭い路地を歩いていた。
「つまらん……この国は我には退屈すぎる」
「アイシスと一緒に読書でもしてみたらどうだ?」
「読書か……まあ、嫌いではない。だが、食べ物を持ち込んだら怒られるのだろう? 何か食べながらでないと、どうにも読む気にならん」
「その気持ち、けっこう分かるな。俺もお菓子を食べながら読むのが好きだし」
サン・イリアでの滞在は、五日間と決めてあった。
力の同盟のメンバーは、その間それぞれ自由に過ごすことになっている。
エクレアは観光地をあちこち歩き回ったり、劇場で演劇を観たりして、すっかり満喫している。
一方のアイシスは、サン・イリア城の地下図書館にこもって、趣味の読書に没頭していた。
そしてミクリ。
城の前にある広場で“洗礼”と称し、手から出る謎の白い光を人々に浴びせ回っていた。実際、聖なる力の込められた光であることは間違いないらしく、人々の間で注目を集めているようだ。
ぺこには特にやりたいこともなさそうだったので、俺は一緒に街をぶらつくことにした。
食べ歩きを楽しみにしていたらしいが、残念ながらサン・イリアには、これといった名物料理というものがほとんどない。全体的に料理の味は悪くない──というより、むしろ美味い方なのだが、正直なところイリアスベルクと大差はない。
強いて違いを挙げるなら、にんにくの栽培が盛んに行われていることくらいだろうか。
魔除けの効果を信じられているのか、街中の料理の隠し味によく使われている。
「もっと、にんにくを全面に押し出した料理を食したいものだ。アクセントとして使うのも悪くはないが、それでは物足りん」
「……魔物って、にんにくを普通に食べられるよな。吸血鬼がすごく嫌うって聞くけど、あの種族って基本的に野菜が好きじゃないだけだし」
「にんにくマシマシラーメン……にんにくマシマシチャーハン……いいことを思いついたぞ。ヴェーク、お前が料理を作れば──むっ」
「はいはい。そう言うと思ったから、宿の主人に調理場を借りれるか──」
突然、背後から誰かにぎゅっと抱きつかれた。
ドッキリかイタズラか? 一瞬戸惑いつつも、俺は身をひねって振り向く。
「ふふ、お久しぶりですね。少し大きくなりましたか?」
「ソロミさん! お久しぶりです」
そこには、俺の知り合いである、シスターのソロミさんがいた。
・・・・・
ソロミさんを連れて、近くの喫茶店に立ち寄った。
彼女はイリアス教のシスターで、以前の冒険で知り合った仲だ。俺が初めてサン・イリアへ向かっていたとき、粗暴なグリズリー娘に襲われていたソロミさんを助けたのが、知り合ったきっかけだった。当時、彼女もサン・イリアを目指しており、少しの間だけ同行したことがある。
「相変わらず元気そうで何よりです。シスターとしての修行は順調ですか?」
「はい! 先週の試験に合格して、見習いシスターとして認められたんです。まだ未熟ですが、日々励んでいます」
「もぐもぐもぐもぐ……」
「ぺこさんは、本当によく食べる方ですね……。そういえば、今回の旅はどちらに?」
「あー、実はヘルゴンド大陸へ向かおうと思ってます」
俺が向かっている場所を告げると、ソロミさんは目を細めた。
彼女は普段、とても温厚で優しい人物なのだが……目つきがすごく怖い。少しだけ体がキュッと縮こまった。
「本気ですか? 貴方の腕は信用していますが、ヘルゴンドは危険ですよ。十六代目の魔王様が温厚な方とはいえ……。それに、大陸につながる洞窟は崩落してしまったと聞いています」
「山越えをして向かおうと思っています。幸いなことに、魔の大陸で山越えをしたことのある仲間が同行者にいますし。俺自身も山は慣れてますから」
俺の言葉を聞いて安心したのか、ソロミさんは少し表情を和らげた。
「山……山ですか」
ソロミさんは山という単語を聞き、何かを思いついたように呟いた。
彼女は静かに手を伸ばし、テーブルの上のコーヒーカップを指先で包み込むように持ち上げた。そのわずかな間と目線の揺れに、俺はピンと来た。きっと、何か頼みたいことがあるんだろう。
「俺はこれでも冒険家ですし、依頼があれば引き受けますよ。あまり長く拘束されるのは困りますが」
ソロミさんはコーヒーを一口飲み、俺の目を見つめた。
そして、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべながら、静かに口を開いた。
「実はその、聖山アモスへ巡礼に行きたいと思っていたんです。ですが、一人で向かうのは危険ですので、ヴェークさんに護衛を頼めないでしょうか……?」
「なるほど、アモス山ですか」
「はい。今朝、魔物なのに聖なる力を使いこなす狐さんを見て、私も使えるようになりたいと思ったんです。習得のための修行の第一歩として、アモス山の聖なる力に触れたいと思いまして」
「あー、あの白い狐……ですか」
俺もコーヒーを一口飲み、思案に沈む。
アモス山──修行僧が巡礼のために登る、サン・イリア近くにそびえ立つ山だ。聖なる力が集まる地として知られているが、魔物の出没も多く、登山道はあまり整備されていない。さらに、断崖や足場の悪い岩場が点在していて、登るにはそれなりの苦労を伴う。
「ちょうど良かった。実は一度、山が不慣れな仲間を連れて、一緒に登ろうと考えてたんです。ソロミさんも一緒に登りましょう」
これは本当の話だ。
ぺことエクレアには登山の経験がなく、登ったことがあるのはイリアスヴィルの裏山くらいのものだ。もっとも、あの山はハイキング程度の難易度であり、しかもスライム娘たちが道を丁寧に整備してくれている。
「我と初めて会ってからすぐに、山を何度も越えただろう」
「それって、ぺこが弱ってたときの話だろ? たしかに山越えはしたけど……ずっとおんぶされてたんだから、あれは登山にカウントできないって」
ぺこと初めて出会ったのは、ゴルド火山の近くにある山中だった。
崩れた洞窟の前で彼女を保護し、俺は急いで安全な場所を目指した。空腹で弱りきっていたぺこは、持っていた食料をすべて食べ尽くしてもなお動けず、俺は彼女を背負って最寄りの村まで走り抜けた。あれは、登山経験には入らないだろう。
二人とも体力に不安はなく、必要なのは整備されていない山での実地経験だけだった。
アモス山はたしかに険しいが、修行を積んだ人間でも登れる山だ。それに、俺自身が一度登ったことがあり、ルートや危険箇所も把握している。練習にはうってつけだ。
「日帰りにはなってしまうんですけど、それでも問題ないなら、案内と護衛を引き受けますよ」
「問題ありません! ありがとうございます!」
ソロミさんは俺の返事を聞くと、ぱあっと笑顔になった。
・・・・・
「ん~……空気が美味しいですわぁー!!」
「空気が美味い……その発想は無かったな。我も味わってみるか」
「やめてくれ。空気まで食べだしたら、周りが窒息で死んじまう」
「あ、あはは……」
俺たちはアモス山の麓にいた。
目の前には、岩肌が剥き出しでゴツゴツした大きな山が堂々とそびえ立っている。
「素晴らしい眺めですわ~! まさしく大・自・然! という感じがしますわね……!」
「感動するのはまだ早いぞ、エクレア。ここの山頂が多分、お前が一番喜ぶ景色だと思うぞ」
「それにしても、珍しいな。ヴェークがハーピーの羽を使うとは。我の知る限りでは……四度目か?」
この山には、ハーピーの羽と呼ばれる魔法の羽を使ってやってきた。
これは、一度行ったことのある場所へと瞬時に移動が可能になる道具だ。屋内など、場所によっては使えないこともあるが、便利なことには変わりない。俺は道中を楽しみたいので基本的には使わないようにしているが、今回は別だ。
「まあ、登山より巡礼が主目的だからな。それに、登山では体力の一番低い人に合わせるのが鉄則だ。今回はソロミさんもいることだし、道中で疲れるのは避けたい」
「ふむ……そうか。だが、ソロミは本当に一人で登れないのか? 人間ではないだろう?」
「ぺこは鋭いな。ソロミさん、変身を解いてもらっても良いですか? 慣れてる姿で登ったほうが危険性が少ないでしょうし」
「ええ、分かりました」
そう言うと、ソロミさんの足が徐々に形を変えていく。
最終的に、彼女の下半身は艶やかな蛇の尻尾へと変化した。
「あら! ラミアさんでしたのね!」
「ええ、その通りです。私は魔物ですが、争いはあまり得意ではなくて……。一人で登るのはちょっと怖いんです」
ソロミさんの正体は、ラミア──蛇の下半身を持つ魔物だ。
魔物でありながら、彼女は女神イリアスの教えを熱心に信仰している。
これも、人間と魔物が歩み寄ったことで生まれた変化の一つだ。
かつては人間の間だけで伝えられていた教えが魔物にも広まり、今ではそれなりの数の魔物が信徒となっている。皮肉なことに、当の人間たちの信仰心は、むしろ少しずつ薄れてきているのだが。
「イリアスを信じる魔物か……なんとも風変りな。我には理解できん」
「祈りより実りが好きなタイプだもんな、ぺこは。よし、じゃあ準備もできたことだし、行こうか」
ソロミさんを連れて、俺たちは登山を開始した。
・・・・・
道中は予想していたよりも順調だった。
俺が先頭で案内役を務め、ぺこが最後尾で後ろを見張る形で隊列を組む。何度か敵対的な魔物に遭遇したが、咆哮で威嚇して戦闘を回避したり、エクレアが力任せに殴り飛ばしたりして、いずれも大事には至らなかった。
山頂へ到着すると、ソロミさんとエクレアはその景色に目を輝かせた。
「わぁ~♪ 綺麗なお花畑ですわ! 素敵ですわ~!!」
「これが聖なるアモス山……本当に美しいですね」
眼前には、一面の花畑が広がっていた。
色とりどりの花々が咲き誇り、風に揺れながらそれぞれの色彩が調和し、まるでひとつの巨大なキャンバスのように鮮やかな風景を描き出している。その光景に心を奪われたエクレアは、歓声をあげながら花の中へと駆け出していった。
俺も改めて、その美しさに目を奪われた。
こんな険しい山の上で、なおも力強く咲き誇る花々。まるで自然の神秘そのものが、そこに姿を現しているかのような光景だ。
「花で腹はあまり膨れぬ……だが、悪くない。たまには目で愛でるのもいいものだな」
「ここまで来る苦労も、この景色を見ると全て吹き飛んでしまうようです。私は開けた場所で、イリアス様にお祈りを捧げてきますね」
ソロミさんは周囲を見渡し、開けた場所を見つけるとお祈りを始める。
ぺこは持ってきた絨毯を広げると、そのうえで寝転がった。俺は花畑の中に入ると、数本の花を摘む。エクレアは花畑の中でクルクルと回っていた。
「ふふ! ふふふふふ! お姫様にふさわしい景色ですわね~!」
「エクレアー、あんまり離れすぎるなよー。ぺこ、プレゼントだ。……ほら」
「ん、これは……花冠か」
俺は作り終えた花冠をぺこの頭に乗せる。
青い花々が散りばめられた花冠は、彼女の黒髪に映えて良く似合っていた。
「たまには食べ物以外の贈り物もしないとな。数は多いけど、この山でしか咲かない花なんだ。時魔法で花が枯れないようにしたから、持って帰れるぞ」
ぺこはご満悦の様子で花冠を撫でる。
どうやら気に入ってもらえたらしい。
「くく。そうか……」
「次はエクレアとソロミさんにも作って──いたっ、急に触手で頭を叩くな」
「毒蜂が止まっておったのだ」
「げっ、そうだったのか? ありがとう。……ん、そろそろ昼食の準備をしないと、下山の時間に間に合わなくなるな」
「……まったく、世話の焼けるやつよ。我も手伝うから、早く腹を満たそうではないか」
厳かな雰囲気をまといながら祈りを捧げるソロミ。
花畑の中ではしゃぎ回るエクレア。そして、俺とぺこは昼食の支度を始めた。
この光景こそが、まさに平和な日常そのものなのだと感じさせられる。
昼食を終えたあと、俺たちは無事に下山し、サン・イリアへと戻った。
・・・・・
「皆さん、今日は本当にありがとうございました。お陰で、ずっと願っていた巡礼を果たすことができました。まだ、聖なる力を使えそうにありませんが、努力してみます」
「こちらこそ、楽しい登山になりましたわ~! お姫様としての経験がまた一つ増えましたわね!」
「ソロミさん、これからも修行頑張ってください。それじゃあまたどこかで」
「またな」
俺たちはソロミさんに別れを告げ、サン・イリアの街を歩き出した。
日はすっかり傾き、街には街灯の柔らかな光が灯り始めている。
「人間を襲う魔物が人間を守護する女神に仕えるとは。これも時代の流れなのか?」
「そうだろうな。……ぺこはどうなんだ? 誰かを崇めたりしたいと思ったことはないか?」
「ふむ、我か。なぜか分からんが……話に聞いた邪神様については、不思議と親しみを覚えるのだ。もしかすると、記憶を失う前の我は、ソロミのように敬虔な邪神信者だったのかもしれん」
「邪神……か。まあ、魔物ならおかしくはないな」
邪神は全ての魔物を生み出したとされる伝説的な存在だ。
人間にとっての女神イリアスにあたる存在であり、魔物たちからは崇められている。女神イリアスの敵対者とされ、教えによればイリアスが天使を引き連れて討伐したとされている。アイシス曰く、初代魔王と同一人物らしいが……そのあたりの詳しいことは分からない。
「まあ良い。それより……腹が減った。何か食い物はあるか?」
「残念だけど何も持ってないな。どこかの店にでも入るか。お前が大満足できるようなボリュームを出す場所は無いと思うけど」
「構わん。どこに行く?」
「そうだな……この時間ならまだ営業してるはずだし、俺が前に行ったステーキ屋にでも──」
「おーい!! やっと帰ってきたのか! 大変だぞ! 大変!」
血相を変えたアイシスが走ってくる。
その表情は焦りと苛立ちが混ざっていた。
「ど、どうした……?」
「ミクリが……ミクリが詐欺の容疑で捕まっちまった! 今、ヴェークが世話んなった詰め所で取り調べを受けてる!!」
「誤認逮捕か……?」
「いやあ……正直、グレーってとこだな。あいつ、自分の洗礼は特別すごいんだって触れ回ってさ。相場より、かなり高額でゴールドを巻き上げようとしたみたいで……」
「やれやれ……」
「まったくもう、困った子ですわね!」
心の清浄さと聖なる力を使えるということは、どうやら別物らしい。
俺はため息をひとつ吐き、重くなった足取りのまま――出たばかりの詰め所へと、再び向かうことになった。