伊波先生。伊波ハクトさん。
彼の第一印象は最悪だった。
初めて彼のことを知ったのは、お父様が持っていた書類の上での事だった。
来年度に配属される講師。そのリスト上に彼の名前はあった。
写真を見ると、金髪にピアスを開けた、見るからに不真面目そうな男が写っていた。(金髪は私もだけど、これはお母様譲りの生まれつきだ)
経歴の欄に視線を移すと、白紙。講師の経験すらなく、大会優勝経験などもないという。父にそのことを問うと、スポンサーからの依頼による採用だと心苦しそうに答えた。
要するに、コネクションによる採用。私は初めてお父様に失望を覚えた。もちろんスポンサーからの資金提供が打ち切られればVS学園の運営にも関わる。子供が口を挟むことでは無い事はわかっていた。
しかし。お父様がコネクションによって講師を採用するという事実があれば、私もまたコネクションによってこの学園に捩じ込まれたと、そう誤解されかねない。
お父様に向けられていた失望は、すぐに伊波先生への憎しみに取って変わっていた。この男が、コネなど使わなければ……と。
彼と直接出会ったのは、黒崎さんに連れられて学園内を歩いているところに
ひと目見た時はわからなかった。なぜなら、金髪を黒に染め、眼鏡までかけていたからだ。当然、ピアスも外している。
それだけで、だいぶ印象が変わっていた。名前を聞くまで気づかないほどに。
名前を聞いた後、私は動転していた。思わずキツい口調で当たってしまった。しかし、今にして思えば、わざわざ髪を染めてくるというのは、彼が真摯に仕事……講師業に臨んでいる証だったのかもしれない。
しかし、それでも私の内心での不信感は晴れなかった。
選択講義の申請期間が始まると、伊波先生の講義には何人かの生徒が集まった。確か、10人にも満たなかったと思う。他の新任講師は20人は集めているというのに。
これはコネ採用の教師を糾弾し、排除するチャンスだと思った。私は彼の元に赴き、VSを提案した。
彼が勝てば序列5位に勝利した、という宣伝になり、私が勝てば彼が学園を去る。今にして思えばめちゃくちゃな条件ではあったが、当時の私は、それが非常に冴えたやり方だと信じ込んでいた。
当然、伊波先生はそれを拒否した。
受けるメリットがない、と。全くの正論だ。
苛立った私は、彼にコネクションを使うものとしての責務を果たすように論じた。伊波先生は、好きで講師をしているわけではないのに、上から目線で偉そうに。
それでも彼は私の気持ちを汲んでくれたのだろう。私の話に理解を示し、生徒を集めると言ってくれた。
ただ、私はその時、それは彼が大口を叩いているだけだと考えていた。
結論から言えば、それは間違いだった。
以前から親交のあった結束さんに協力を依頼したようで、あっという間に定員以上の申請を集めた。
しかし、事ここに至っても、私は彼の実力に疑いを持っていた。宣伝や擦り寄りが上手いだけで、きちんと講師としての手腕を備えているのか。それを確かめるため、私は講義に参加していた。もちろん、コネなどではなく、自分で申請した上でだ。
杞憂だった。彼の講義は他の先生のやり方と違い、彼の知識を生徒たちに口頭で伝えつつ、生徒たちからも活発に意見を出させていた。
自分から生徒に振ることもあれば、生徒から質問が飛ぶこともある。とにかく、生徒との距離が近いように思えた。
内容が内容だけに、初めは皆も身構えていたというのに。初めの講義が終わる頃には、そんな空気は霧散していた。
多分、伊波先生の人柄が影響しているのだろう。私は初回の講義の一番初めに、見定めるつもりがつい伊波先生に出席を取らなくて良いのか、とお節介を焼いてしまった。
けれど、彼はなんでもないように、生徒全員の顔と名前を覚えているから問題ない、と返答した。
初めて講師をする新任が、だ。実際、生徒に呼びかける際は特にカンニングペーパーなどを見る様子もなく、名前を呼びかけていた。
講義内容も新鮮で興味深く、それを話す様子も堂々としたものだった。本当に、初の講師だとは思えないほどに。
だが、私はまだ、彼のことを認めることができていなかった。いや、内心では認めていたのだが、それを素直に表に出すことができなかった。
私は、改めて……伊波先生の言葉を借りるなら、心の整理を付けるために、彼にVSを申し込んだ。条件などなく、ただ純粋な勝負を。
伊波先生は真剣な顔付きで、それを受け入れてくれた。やはり、なんだかんだ言っても講師ということだろう。彼には何のメリットもないのに……
VSの結果は、私の完敗だった。
鮮やかなプレイングだった。私も食らいついたが、常に一歩先を行かれている感覚。あんなのは、1年生の時に現序列1位の橘くんと対戦した時以来だ。
そして……気持ちの整理を付けた私は、伊波先生の、コネを使ったと思っていた彼の『秘密』を知ることになる。
もはや、伊波先生への不信感は完全に拭い去られていた。
むしろ、彼を……信頼の置ける先生だと、そう思った。
そして今。
情けなくも、内心で救いを求めた今。
現れた彼への私の感情は、またその様相を変えることとなる。
「なんだ、随分と面白いことしてんじゃねぇか」
私たちのVSを見て、彼はそう評した。
確かに、一進一退の攻防ではある。けれど、その言い回し、視線には、どこか含みがあった。
「ジャッジは2年生か。ま、なら仕方ねえか」
「伊波先生……突然現れて一体何ですか? 進行妨害ならば、たとえ講師であっても……」
「三国。ボディチェックをさせてもらうぞ」
「………………は…………?」
ぽかんと、三国くんは口をあけて。
そして、にやりと不敵に笑う。
「何の権限があって、伊波先生がそんな真似を?」
「俺は講師だぞ、不正が行われていないか調べる権限なんてあるに決まってんだろ。そうでなくともジャッジに指示すりゃ良い話だ。分かったらとっとと手ェ上げろ」
「はいはい、分かりましたよ。お好きにどうぞ」
「伊波先生、既に私とジャッジの彼で検証しました。ダイスには何も問題はありません!」
「ほう?」
伊波先生が、興味深そうに笑う。その態度は、三国くん以上に余裕で、自信に満ち溢れている。
彼はずい、と三国くんに顔を近付けた。じろじろと、何かを観察しているような。
「へぇ。なかなか気合い入ってるじゃねえか」
「な、なんです? 何が言いたいんですか!」
「さあなぁ。じゃあ、三国。ほらコレ」
伊波先生から三国くんに、何か小瓶のようなものが渡される。
「……これは?」
「
それを聞いた瞬間。
三国くんの顔色がさっと悪くなった。
「な……なんです? なぜ、そんなものを俺に?」
「言わなきゃ分からないほどの間抜けか? いいからさっさと飲め」
「……嫌です。いくら先生の言うことでも、こんな怪しい薬飲めません」
「おお、そりゃあ確かに正論だなあ。……おっ?」
三国くんと話していた伊波先生は、突如何かを見つけたように、三国くんの頭越しに彼の後方を見つめた。三国くんが、釣られてその方向に首を向けた瞬間……
伊波先生は、右の拳で三国くんのお腹を思い切り殴った。
「ぐ、げえええっ!?」
三国くんはあまりの痛みに悶えて、膝から崩れ落ちる。そして、床に倒れた。
「せ、先生ッ!?」
「何をしているんですか!?」
私とジャッジの子が詰め寄るも、伊波先生は表情を崩さない。
「甘ぇよ。その程度で逃げられると思ったか? まあ、この後病院で証拠を掴んでも良かったが、っと」
伊波先生がそんなことを呟いたのと、ほぼ同時に。三国くんは、痛みからか胃の中のものを戻した。
床に吐瀉物が広がり……その中に、カラン、と硬質な音が紛れ込む。
「汚ねぇが、まあ仕方ねえ。今日のは安物で良かったぜ」
伊波先生はハンカチで吐瀉物の中から何かを拾い上げた。
「ゔぁ、そ、それはぁ……!」
「ほれ、見てみろ」
伊波先生が、拾い上げたものを私たちに見せてくる。
それは……間違いない。さっきまで使われていたはずの、ダイスだった。
「まさか……!?」
「すり替え!? しかも、証拠となるダイスを飲み込んでいたんですか!?」
そうか……だからダイスを調べても、ボディチェックをしても証拠が出てこなかったんだ……!
「ジャッジのお前。あー、名前は……」
「た、高橋です」
「ま、三国も上手いこと掌にダイス挟んですり替えたんだろうが……高橋ィ。てめえ、ジャッジなら簡単に道具すり替えられてんじゃねえぞ。こりゃ後で反省文だな」
「い、いや、その……はい」
私も全く気付かなかったけど……確かに、ジャッジなら気付いていてほしかった。
まだ一年から上がりたてとはいえ、高橋くんにはしっかり反省してほしい。
「ど、どうしてダイスを飲み込んでいると分かったんだ……!」
痛みから戻ってきたのか、三国くんが未だ倒れながらも、伊波先生に問いかける。
彼は心底面倒そうに、彼に視線を向けた。
「さあ、なんでだろうなぁ」
彼の質問には答えず、懐からポーチを取り出した。
「俺は普段からDIYが趣味でな。こんなモンを持ち歩いてんだ」
伊波先生はポーチの中から、ドライバーが幾つかならんだ小箱を出して、さらにその中からマイナスドライバーを取り出した。
「藤宮、高橋。よく見とけ」
「や、やめ——」
「おら」
ぱきゃ、と音がして、伊波先生のマイナスドライバーがダイスを綺麗に割る。
その残骸は……明らかに異様だった。
中は半分くらいが空洞で、1の面の部分の側だけ、明らかに体積が多い。
「1の面に重心を寄せて6が出るようにしてんな。で、こいつらに見せたのはカモフラージュ用に持っていた通常ダイスか」
「くっ……! それは……!」
「不正なダイスの使用。こいつは明確なルール違反、
イカサマ。
その四文字が耳に届き、意味を理解した瞬間、私は、それを行った三国くんに強い嫌悪を抱いた。
VSで。このVS学園で。
イカサマを行った? そんなのは、到底許せることじゃない。
「ま、待ってくれ。誤解だ!」
「誤解も何もねぇだろ。それに、追加で押さえられる証拠だってある。なあ?」
伊波先生は、三国くんの台の上から、一枚のカードを取り上げる。それは、伊波先生も持つ『賭博天使ディセル』のカードだった。
さらに、『ヴォーパルソード・ドラゴン』『背徳の天使イザキエル』……それを見た三国くんの顔色が、もう真っ白というくらいに悪くなる。
「偽造カードだろ」
「な、な、な……」
「俺もこの内何枚かのカードを使ってるから分かんだよ。結束とのVSの時点で違和感はあったけどな」
三国くんは、もはや顔を上げていられないのか、倒れたまま、顔をも地面に伏せた。
「まったく。神聖な学舎、そしてVSでイカサマとはな。
——恥を知れ、このイカサマ野郎」
伊波先生からハッキリとそう告げられた三国くんは……顔を地面に付けて、ぴくりとも動かなくなった。
「高橋。沙汰を下してくれ」
「え……は、はい! 三国先輩は不正なダイスの使用、偽造カードの使用の反則行為により失格。勝者は藤宮先輩となります!」
ジャッジの高橋くんの宣言により、私の勝利が決まった。VSギアに、全賭けしていた三国くんのポイントが追加された通知、そして、バーテックス・セブンの序列が2位まで浮上したことについての通知がくる。
「おっ、ポイント全賭けなんてしてたのか。良かったじゃねえか、序列2位だぞ2位」
伊波先生も結果を受けて、私を祝福してくれる。しかし……これは私が実力でもぎ取ったものではない。
「その……伊波先生、この試合で得たポイントは無効にしていただけませんか? 私は実力で勝ったわけじゃない。不戦勝のようなものです……とても、序列2位になんて見合わないです」
「はぁ? 何言ってんだ、これはお前が戦って得た正当な成果だ」
私はポイントの無効を提案したが……伊波先生は、心の底から意味が分からない、と言わんばかりに、困惑の表情を浮かべている。
「ポイントのオールインを提案した三国は、
「で、でも……」
「どうしてもポイントが受け入れられねえなら、テキトーな相手にくれてやるんだな。賭けVSで」
確かに、私に相応しくないと思ったなら、その方法で他者への譲渡はできるのか。
相手は選ばなければならないけど。いや、小分けにして色んな人に渡すでもいい。
……でも、それを考える元気は、今はない。極度の緊張状態から解放されて、私は立ちくらみをしてしまう。
ふらっ、と前に傾いた私を、伊波先生は力強い手で受け止めてくれた。
「イカサマ野郎相手に、よく頑張った。よく戦ったな」
私の頭の上に伊波先生の手が置かれる。
その瞬間……私の目からは……安堵からか、涙が溢れていた。
「うっ……ううーッ……」
「高橋、わりぃけど三国連れて外出ててくれるか。あと教員棟に連絡頼む」
「はい、分かりました!」
その後しばらく、私は俯いて泣き続けた。
伊波先生の顔が見れない。でも、私は自分の心を自覚していた。
初めは、コネで講師になった情けない、卑怯な人だと思った。
でも実際は、あっという間に生徒を集めて、興味深い講義内容で生徒たちの信頼を勝ち取った、優れた人物だった。
VSの腕も確かで、私なんかよりずっと強い。
そして……彼は、私がお父様の娘だからではなく……私の実力で頑張っていると、認めてくれた。
私は、そんな伊波先生が……好きだ。
◆
堕ちたな。
チョロいもんだ、ちょっとピンチに陥ったとこを助けて、コンプレックスを解消するような言葉をくれてやれば好感を持ってくれるんだから。
俺の手の中で泣いている、藤宮キョウカ。学園長の娘。
俺への敵愾心を取り除くことは既に完了していたが、仕事を円滑に進めるためにももう一段俺への信頼度を高めておきたかった。
少なくとも、父親並みに信頼できる相手。あるいは恋愛的な意味で好意を持つ相手にまでなっているだろう。
これで残りの任期も安泰。かつ、この学園の秘密とやらも聞き出せるはずだ。
しばらくキョウカを宥めていると、やがて彼女も落ち着いたようで、泣き腫らした顔ながら俺を見つめてくる。
「先生……ありがとう。本当に助かったわ。私、イカサマなんて全然見抜けなくて……」
「気にするな、この学園の講師としての仕事を全うしたまでだ。だが、感謝は受け取っておく」
「その、三国くんは……?」
「停学か、悪ければ退学処分だろうな」
キョウカは残念そうに眉根を寄せる。あれだけ一方的に因縁を付けてきた相手を心配するとは、なかなかお人好しだな。
「一体、どうして三国くんがイカサマを?」
「さあな。ただ、学園長はこの件には秘密結社『
「DS……聞いたことがあるわ。偽造カードの流布やレアカードの強奪などを行う闇の組織だとか」
「三国はヤツらに良いように操られたと俺は見ている。恐らく、今賭けVSをしている連中もそうだろう。手口は分かったから、一時的な解決はすぐだろうが……DSの構成員を押さえない限り、また似たようなことが起こりかねない」
「そんな……」
ここで、俺はキョウカの両肩を掴み、彼女と目線を合わせる。真っ直ぐ、いかにも真剣そうな顔付きで。
「キョウカ。俺はDSを止めたい。それには、ヤツらの目的に先回りするのが肝要だ。何か、連中がこのVS学園を狙うような事情に、心当たりはないか?」
学園長からは聞き出せなかったことを、キョウカから搾り取る。これも目的の一つだ。
「それは……その……」
「……俺には秘密か?」
「……いいえ。伊波先生は信用できる人なので……と、特別に話すわ。特別よ。他の人には絶対、話しちゃダメだからね」
キョウカはぽつぽつと、この学園の秘密について話し始めた。
「この学園には、特別なカードが封じられているの。強力かつ、人の精神を狂わされる……特に、手にした人の攻撃性を強めると言われていて——」
目的は果たした。キョウカの話に耳を傾けながら、同時に、俺は少しばかり落胆する。
彼女が俺の講義内容を忘れていそうなことに。
いや、一月前に教わったことなんてパッと出てこないか?
もしくは、俺の講師としての技術が不足していたか。……後者かな、多分。
わざわざ「俺には秘密か?」なんて言ったのは、以前俺がコイツに、講師になった理由という『秘密』を教えたことを思い出させるためだ。
心理学者チャルディーニ曰く、人が行動を決定するには6つの要因、法則があるという。その内一つが、以前の講義でも扱った返報性の原理だ。
俺が知られたくない『秘密』を話したなら。
自分もまた、話すべきでない『秘密』を話すべきではないか。
そんな心理にキョウカを誘導した。
もっとも、初めに秘密を明かした時は、単に自己呈示により精神的な距離を縮めるためだったのだが。
「……そうか、よく話してくれた。ありがとな、キョウカ」
「っ……う、ううん。先生の役に立てて、とても嬉しい」
俺の腕の中で喜ぶキョウカ。
が、封印されたカードとやらの情報を得た今、こいつにはもうなんの価値もない。
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