「おい、起きろ」
軽く頬を叩いてアヤメを起こそうとするが、この程度では起きない。仕方ない、と俺はペットボトルの水を開け、アヤメを仰向けにして顔面にぶっかける。
「げほっ、ごほっ!? なっ、なんだ!? 今度は水責め!?」
「おー、起きたかよ」
「は、ハクトさん!?」
「話は後だ、とっとと逃げんぞ」
肩を貸してやろうと腕を掴み持ち上げるが、アヤメは苦悶の表情を見せる。剥がされた爪が痛むか。
「下手打ちやがって。治療は後でしてやるが、それまでは我慢するんだな」
「っつ……はい……」
廃ホテルからの脱出を試みる。意識のない人間を抱えて逃げるよりは、起こして自分で歩かせた方が楽だし早い。それに、情報も欲しいしな。
「どうしてここに……」
「感謝しろ、助けに来てやったぞ」
「……あ、ありがとうございます」
あ、嘘だってバレてんな。微妙な表情してやがる。
俺がそんなお優しい人間じゃないなんてのは百も承知か。キリヒコよりかは俺への理解度が高い。
「そうだ……清水は!?」
「キリヒコと闇のVSしてるところだ。今のうちに逃げるぞ」
「そんな! 助けないと……三国も一緒に!」
ん? 三国? あのイカサマどヘタクソ野郎か?
アイツもこの島に来てたのか。で、清水に捕まったかカードにされたって?
まあどうでもいいが。
「馬鹿、後で良いんだよンなことは」
アヤメに肩を貸し、歩かせながら話す。
「ど、どういうことですか?」
「清水の目的はテメーだ。ならキリヒコがカードになろうが三国がカードになろうが向こうの目的は果たせねえ。向こうが最も嫌がる手はテメーを手の届かないところに逃がされ、通報されることだろ。それ以外の被害はこの際、目を瞑る」
アヤメから情報が漏れるのを恐れて処分しに来た訳だが、敵が清水一人である以上、ここを逃げ切ればヤツはもう詰みだ。
キリヒコの口から情報が漏れる心配もほぼしなくていいしな。闇のVSを仕掛けられている以上は、拷問で口を割る心配はまずない。
闇のVSで負けた側はカードになる訳だが、仕掛けた側と仕掛けられた側でカードになった時の状態が異なるからだ。
後者は通常、マナブやハル、スイレンのようにカードになったら意識を失う。しかし、前者の場合は以前俺がアヤメに拷問を働いたように、意識の残ったままカード化される。
今回、仕掛けたのはキリヒコ側でないのは間違いない。なら、キリヒコがカードになっても、意識が途絶える以上は俺のことを話すことは不可能だ。
闇の空間内で清水に唆されるなり共謀するなりで俺を裏切る可能性は0ではないが、限りなく低い。
清水が詰んでるのはキリヒコにも説明した。俺の性格は……十分には分かっていなかったが、それでも俺を敵に回そうとは思うまい。
「そ、それは……いえ。その通り、ですね」
キリヒコはともかく、三国を救う理由なんて皆無だ。
が、アヤメはどうも心残りがあるようだな。
「ま、清水を殺せばキリヒコも三国も戻ってくるから、そう心配することもない」
「は……はい!」
嫌に良い返事だな。
「なんだ、三国に惚れたか?」
「それはないです」
全く、何の感情も篭ってない恐ろしいほどに冷たい返事が返ってきた。
「ならなぜ三国をそこまで助けようとする?」
「……今更ですが、少々の罪悪感が」
ほんと今更だな。
まあ、それはいい。
アヤメが拷問に屈して俺のことを話してさえいなければ、情報が敵に漏れる可能性はほぼない。
だから俺は、アヤメに聞く。
「清水に拉致られたようだが、何があったか話せ。歩きながら、簡潔にな」
「はい。今日の夕方、大会の予選の後のことです……」
もし俺のことを話した、なんてことがあれば……相応の処分が必要となる。
◆
「ハクトさん、新垣先生とどこに行ったんだろう……」
控室でケネス氏の挨拶を聞いた後、ハクトさんは彼を追うように出て行ってしまった。私もその後を追ってみると、スタジアムのロビーでその姿を見つけた。
ケネス氏と何やら話しているところを陰から見守りつつ、彼らが去った後に声をかけようとしたが、すぐにどこかへと電話を掛けていた。
邪魔になるといけないから、電話が終わった後に報告しようと思っていたんだけど……
電話の最中に、ハクトさんに話しかける人がいた。新垣先生だ。
来年からは正式にVS学園の教師になるという話も噂される、臨時講師。ちょっと前までのハクトさんと同じ立場の、つまりは同僚だ。
VS学園の講師がVSチャンピオンシップを観戦に来た。それ自体は何もおかしくない。おかしくないが……
目の下の隈も化粧でしっかり隠した彼女は、元々そうだったけど、さらに見違えるような美人だった。スタイルも良く、周囲の注目を集めていた彼女は、電話中のハクトさんを捕まえると、少し話した後にハクトさんのバイクに二人乗りをして、どこかへ走り去っていった。
……報告したいことがあったが、仕方がない。暗号化してメールで送るとしよう。
この暗号も、全部ハクトさんが考えたものだ。
本人は『ちょっと時間をかければ誰でも考えつくだろ』と謙遜するが、思い付いたとしても解読しようがないし、少なくとも私には思い付きもしなかった。
ハクトさんの見ている景色には、私はまるで到達できていない。
……今、連れ立って去って行った新垣先生はどうなんだろう。
ハクトさんの本性を知っているのか。
その上で、ハクトさんの考えすら汲み取って、だから気に入られている?
仮定の話でしかないのに、私の中で何か黒い感情が燃えるように内を焦がすのを感じる。
「……ホテルに戻ろう」
明日は本戦だ。まだ組み合わせは発表されていないが、ハクトさんに当たるまでは勝っておいた方が良い。できるかどうかはともかくとして。
「黒崎!」
名前を呼ばれて、振り返る。その姿を認めた私は、眉根を寄せないように気を払った。
「三国」
「や、やあ。久しぶりだな」
三国カズヤ。私に好意を寄せている、同学年の男子生徒だ。
ハクトさんの謀略によりイカサマに手を染めてしまった。私もそれに加担していたので、そこだけ見れば同情の余地はある。が、私が接触する前からDSの偽造カード使用をしていたという側面もある。
結局は元々素養があって、それをハクトさんに良いように利用されただけ。
私は彼が嫌いだった。が、今や彼への感情は、憐れみが勝る。
「VSチャンピオンシップの観戦か? 確か君は参加を制限されていたはずだが」
以前までは敬語で話していた私だったが、ハクトさんの指示で敬語はやめた。その方が親近感を得やすいとのことだったが、私の話し言葉から親近感など得られるのだろうか?
「ああ、その通りだ。イカサマなんて……我がことながら、愚かな真似をした。大会参加の制限は当然のことだと受け入れているよ。寧ろ、それだけで済ませるのはかなり温情ある措置だと思っている」
「そうか……」
三国は、元々今の私の位置……バーテックス・セブン第七席に居た男だ。
それがイカサマに手を染めたという汚名を着て、今や学園中から後ろ指を指されることになってしまった。
三国と同じように、イカサマに手を染めた生徒の多くはそれに耐えられず退学した。
だが、三国はどんな罵倒を受けようと、どんな嘲りを浴びようとそれを粛々と受け入れていた。
「伊波先生のおかげかな。俺たちの処分が軽くなるよう、学園長にかけ合ってくれたらしい。俺なんかとの約束を守って……口は悪いが、良い先生だよ」
「…………」
私はハクトさんの下僕だが、だからこそ内心で断言する。
ハクトさんが良い先生? それは違う。
彼は藤宮とVSをするよう私に誘導され、キリヒコさんにイカサマに手を染めるよう促され、ハクトさんの手によって罪を暴かれた。
全てはハクトさんの計画の内だ。彼が、ハクトさんに恩義を感じるところまで。
ハクトさんは空恐ろしい人だ。私への拷問や、普段からの付き合いでも十分に良く分かっていたことだが、
そんな彼に目を付けられた三国は……哀れだ。
「明日は本戦だな。気分転換じゃないが、少し話さないか? 夜のビーチ沿いは海風が気持ちいいぞ」
「ああ、構わない」
私たちはスタジアムから少し離れ、ビーチ沿いの道を歩きながら話す。
以前、ハクトさんが学園にいた時、よく三国には付き合わされていたのを思い出す。正直に言って、鬱陶しかった。
「バーテックス・セブンは全員、本戦出場か。俺が言えた義理はないが、誇らしいよ」
「そう自分を卑下することはないんじゃないか? 序列7位にいた時は……」
偽造カードを使っていただけじゃないか、といいかけて、口を噤む。
「はは、けど伊波先生に言われたよ。強いカードを揃えるのも実力。そこを反則で補っていたんじゃ、俺の実力が序列7位に相応しかったとは言えない」
「なら、そういうことにしておこう」
「ははっ。黒崎もそうだが、藤宮も見事だった」
以前はイカサマで貶めようとした相手に対しても、三国はそう称賛する。イカサマを摘発された件を経て、色々と心境の変化があったようだ。
「橘や結束は……まあ、順当だよな。今にして思えば、入学当初結束に挑んだのは少々無謀だったな」
「すまない、私のせいだ」
私はハクトさんの命令で、三国をハルに挑むようにけしかけた。
「俺が勝手に思い上がっただけだ、黒崎のせいじゃない」
「しかし……」
「良い経験になったよ。結束はきっと、橘同様トッププロになるような存在だ。手合わせできたのは自慢になる」
「……君らしくもない、随分低い志だ」
「はっ、現実を知ったのさ。いや、改めて思い知らされた、ってヤツかな」
三国の自嘲に、私は共感を覚えていた。
私たちの代のプレイヤーのほとんどがそうなのではないだろうか。
橘のあまりの強さに、入学当初は雲よりも高い志を持っていた私たちの鼻柱は、ぽっきりと圧し折られた。
それでもあの高慢な態度を崩さない三国は、あの時からある意味大物だったのかもしれない。
それが現実を知り、小さく纏ってしまうのは少し寂しいような気もする。
私も、彼を陥れる一端を担った者として、三国には同情する。
だから、彼の語りを黙って聞くつもりでいた。
しかし、彼の口から出た言葉は、私の思いもよらないモノだった。
「黒崎」
「……なんだ?」
「黒崎は、伊波先生と付き合ってるのか?」
その言葉が耳から脳へ到達し、意味を理解した瞬間。かっと顔が熱くなるのを感じる。きっと私は今、赤面していることだろう。
「何を言ってるんだ」
「最初会った時は黒髪だから気付かなかった。でも、今伊波先生は金髪に染めているだろ」
ああ、と思い至る。
昨年、ハクトさんと公園でクレープを食べているのを目撃されたことにより、復学した私に男の影があると噂が広がった時期があった。金髪で背の高い歳上男性、という話だったから、黒髪にしていたハクトさんは当然候補から外れていた。
噂もすぐに収まったから、誰も気にしてはいないと思っていたが……三国は覚えていたようだ。
……まさか、ハクトさんが学園で黒髪にしていたのは、私の噂が再燃し、学園内でハクトさんとの接触が持ちにくくなるのを避けるためだったのか?
駒の動きを不自由にしないためだったら、髪色を変える程度の手間は惜しまない。実にハクトさんらしい考え方だ、と勝手に納得してしまう。
「別に、付き合ってなんてない。伊波先生は以前からの顔馴染みではあるし、公園で一緒にいたのも事実ではあるが……男女が一緒にいただけで交際していることにされても困る」
「じゃあ、伊波先生に対して恋愛感情はない、って言うのか?」
「ああ。あくまで顔馴染みだ」
そうだ。私は下僕。ハクトさんの道具だ。
私にハクトさんの恋仲になるような価値はない。
「正直、そうは思えない」
「……なぜ? 君がどう思おうが、それが事実だ」
「付き合ってるかどうかまでは確かに分からないが……黒崎はいつも伊波先生を見ている。目で追っている」
「それが、根拠になるのか?」
つい、そう聞いてしまう。しまった、見ていないと否定すべきだった。
「ああ。俺もそうだ。好きな人ってのは目で追ってしまうものだ」
……事実はどうあれ、三国は私がハクトさんに好意を抱いていると確信しているようだ。
言葉を弄しても考えを変えることはないだろう。
ひとまず、ここは肯定しておこう。そうだ、それは事実ではない。三国の勘違いだ。一時的に恥ずかしい思いはするが、適当に肯定し、流しておけばいいじゃないか。
ああ、そうだ。私はハクトさんのことを——
そう言葉に出そうとして、しかし口が開かない。
「……あからさまな反応をされると、ちょっと落ち込むな」
「ち、ちがっ」
なんだ? 私はどうしてしまったんだ?
どうして恥ずかしがって否定なんてしてるんだ。適当に話を合わせるんじゃなかったのか。
顔が熱い。
「いいや、図星を突かれて黙り込んだようにしか見えない」
「ッ、悪いが、今日はこれで失礼する。明日は本戦だ、デッキの調整をしたい」
嘘だ。一刻も早くこの場から逃げたかった。
「そ、そうか。思えば失礼なことを聞いたな、すまない」
「何も謝ることはない。三国、君のそれは誤解だ。私はハク……伊波先生のことなんて……」
自分で言って、しまったとまたも下手を打ったことを自覚する。動揺して、普段のハクトさん呼びが出かかった。しかも、無理に伊波先生呼びに直したせいで、またあらぬ誤解を招きかねない。
どうにか誤魔化す方法を考える中。
「伊波、ハクト。なるほど、それがお前が裏切った理由なのか?」
その男は突然現れた。
誰もいない、海沿いの道を歩いていた私と三国。私たちが対面しているところから少し離れた場所に、男が立っている。
陰気な男だ。前髪で目元が隠れており、猫背。そして、彼には見覚えがあった。
「清水選手……?」
先ほど、本戦出場者の控室にいた、魂の質が高い……精霊の見える男。
しかし、裏切った、とはどういうことなのか。
彼とは、先ほど初めて会った。何か勘違いをしているのか……
「ナユタとキリヒコもそうだが、アヤメ。お前が闇に堕ちてまで悪を滅さんとする心を忘れてしまったのは、とても悲しいことだ」
————ナユタくんとキリヒコさん、そして私。
共通項のある3人の名前を挙げられた瞬間、私は警戒心を最大まで引き上げる。
スイーパーのことを知っている。そして、この口振り。
まさか……
「黒崎、この人は……」
「三国、下がれ」
三国にそう伝えるが、彼は困惑するばかりだった。男の正体を告げようとした時、清水が三国に語りかける。
「聞いていたよ。三国といったな。お前はどうやらVSでイカサマをしたらしい」
「……ああ、事実だ」
三国が自らの罪を認める。認めてしまった。
それはまずい。もし、この男が本当にそうなら……
清水は悲しそうに眉根を下げる。
「そうか……お前は悪人なのか。ならば仕方ない」
「三国! 逃げろ!」
叫ぶも、三国は反応できない。
清水の体から紫紺の靄のようなものが発せられ、それが三国と私、そして清水を覆う。
夜の闇とは全く違う。それは私のよく知る、VSにより人の魂を奪う闇だ。
「なっ、なんだこれは!」
「フゥーッ……」
大きく息を吐く清水。その正体は、もはやハッキリしていた。
「貴様……やはりスイーパーの……!」
「……ああ、気付いていなかったのか。認識阻害の影響もそうだが……そうだな、無理からぬことだ」
ようやく、彼が黒幕であると私が気付いていなかったことに思い至ったようだ。
「すまないが、アヤメ。お前は少し待っていてくれ。まずは彼を断罪しなければ」
「断罪……だと」
「三国、お前はイカサマという悪事を働いた。ならば、VSという決闘審判により、お前を断罪しよう」
闇の力により、VS用のフィールドが現れる。
ここまで来てしまっては、逃げることはできない。しかし……
「いや、私が相手をする。貴様の目的は私だろう」
「悪いが、お前をカードにするわけにはいかない。後で相殺してもらうから、大人しくしていろ」
せめてもの抵抗を、と考えた私だったが、甘かった。
カードにする。その言葉を聞いて、私の体の奥から、底冷えするような恐怖が湧き上がる。
術者でない者は、カード化されても意識を保つことはない。ハクトさんにされた拷問のようなことは起こらないと、分かってはいる。それでも、私の体は動くのをやめた。
「カードにする? 一体何の話だ!?」
「闇のVSだ……負けたら魂を奪われるぞ!」
「闇のVS……!? さっきスイーパーがどうだの言っていたが、実在するのか……! 黒崎、下がってろ。あいつは俺が倒す!」
三国は私を庇うように前に出る。
私は……それに逆らうことをしない。
「恐らくヤツは闇のカードを使ってくる。通常では考えられない強力なカードだ」
三国を気遣ったようにアドバイスを口にしているが、欺瞞だ。私はカードになる恐怖に怯え、動けないでいる。
なんなら、この場で三国が狙われていることに……安堵すら覚えていた。
「確かに俺は罪を裁かれるべきだ。だが、それはお前の役目じゃない」
「法で裁かれぬ悪は、闇が覆い尽くすしかないのだ。断罪を始めよう」
そうして、三国と清水とのVSが始まった。