戦乙女のやる事は、神の兵士エインフェリアの選定だけではない。
その英霊達を自ら率いて、先陣に立ち、人間界に巣くう不死者や悪霊、悪魔などを浄化、滅する。
それも主神オーディンより下された、彼女の使命の一つである。
少し前までは貧乏暮らしの田舎傭兵にすぎなかったセオドールも、今やその英霊達の中の一員だ。
何もなければ魂の状態で、戦乙女の内にてひたすら待機。
交戦の際は、彼女によって仮の器を一時的に与えられ、他の仲間とともに神の敵に立ち向かう。
戦いが終わればまた、魂の状態となって戦乙女の内に戻り、次の戦いを待つ。
その他に英霊同士で鍛錬を行なう時間や、また休息日も用意されてはいるが。大体はこのような、戦い漬けの日々の繰り返しとなっている。
これらはすべて、人間界ミッドガルドのうちの出来事である。
神界アスガルドは今のところ、ほんのわずかの間、滞在した事があるだけだ。
生前に聞いた説話では、
『勇者に選ばれた者は、すぐに壮麗荘厳な神の世に連れていってもらえる』
といった事などが、ひたすらに強調されていたはずだが。その辺りも実態とはだいぶ異なっていたようだ。
戦乙女いわく──
最初から勇者として成熟している者でもない限り、選定した者をそのまま神界に送り届ける事はしない。力量なり精神なり、その人物に足りないものを鍛えて、神界でもやっていけると判断した後、ようやく一人前の勇者としてその者を送り届ける。
さもなければ、その者が神界で“死ぬ”だけだから──。との事だ。
つまりセオドールのような半人前の勇者が、神界にいる事はあまりない。
それこそ一人前になった勇者を送り届ける時や、他の神への報告など、戦乙女の用事のついでに連れていってもらえる時くらいなものだ。
一方、戦乙女のもとで過ごす人間界の日々は、なんというか……少々ハードだ。
とにかく戦い、戦い、戦いの繰り返し。
魂の状態で彼女の内に在る間は、時間の感覚が曖昧なので、なおさらそう感じられるのだろう。魂だけの存在には食事が必要ない、という問題もある。
戦乙女の美貌につられて英霊になった者がいたとしても、大半がこの辺りの理由で、早々に神界の美女に目を移す事になるわけだ。セオドールより十五以上は年上ながら、“一目惚れ”したらしい戦士もぼやいていたので間違いない。
少しだけ滞在した神界は、話に聞いた以上の絢爛豪華ぶりであった。
なにより戦神の指揮の下、名高い英雄と肩を並べて戦う事のできる戦場。
名誉ある戦士にこそ相応しい、最高の環境だ。
下卑た考えの持ち主でなくとも、早く神界に行きたいと願うのも無理はない。
セオドールとともに日々を送る英霊達はほとんどが、日々そうやって、己の腕を磨き続けている。
そんな中、セオドールは……
☆☆☆
セオドールが戦場で死んでから、最初の冬もまだ終わらない頃。
「なんですって? ……冗談はやめてください、戦乙女」
「冗談ではない、セオドール。私はお前に、神界に行く気はあるかと聞いたのだ」
戦乙女に呼び出されたセオドールは、改めてそう問われ狼狽えた。
いつかは聞かれる事だとは、予想していたが。いくらなんでもこんなに早く、その日が来るとは思っていなかったのだ。
「待ってください。大体なんで私なんです。順番からしても、私なんかより先に行くべき人がいるでしょう」
口から真っ先に出たのは正直な答えではなく、いかにもそれらしい質問だ。
セオドールが知る限り、今までに戦乙女の手を離れて神の世に送られた英霊達は三人とも、セオドールより先に彼女に選定されている。その順番を飛ばして、自分が先に神界に送られるのはおかしい、という理屈だ。
その“彼”の享年はセオドールに比べ大分若いが、確か亡くなったのは昨年の春過ぎ。セオドールより半年も先だ。
なによりその青年には、『戦乙女に認められた腕を、神界で存分に振るいたい』という明確な熱意があった。
「まず彼に言うべきだ。彼とは話をしたのですか?」
「いや、していない」
「そうでしょう、彼が断わるわけがない。なら──」
予想通りの戦乙女の答えに少しだけ安堵するセオドール。
しかしその後に戦乙女が言った事も、セオドールが予想できていた事だった。
「お前は今のカミーユを、神界に行かせてもいいと?」
英霊としては先達である彼は、もとは初陣で死んだ新米騎士である。
さすがに戦乙女が見込んだだけあって、伸びしろもやる気も十分以上にあるのだが。今のところはセオドールの方が、生前の友の見よう見まねで、手の空いている時に槍を教える事もある、といった具合だ。
「……それは」
「人としての死を一度逃れようと、それは決して、お前達が不滅の存在となった事と同義ではない。お前にも最初に言ったはずだろう、セオドール」
うつむき黙り込むセオドールに、戦乙女は言う。
「望み通りにしてやる事は容易い。だがそれは、その者のためを真に考えている、と言えるだろうか」
いつも通りの落ち着いた声の調子が、なおのことセオドールの耳には痛い。彼女の少しの間の沈黙すら、自分の事を非難しているように受け取れる。
あんな苦し紛れの戯言、どうせ彼女に通用しない事は分かっていたが……。
自己嫌悪に陥るセオドールを前に、戦乙女は一呼吸置いてから
「いずれ彼の望みが叶う日も来るだろう。しかし今ではない」
と言い、改めて聞いてきた。
「お前は神界でも生きていけると、私は判断している。今のお前はどう思う? セオドール」
今度こそ逃れようのない、戦乙女の真剣な眼差しと問いかけだ。
セオドールはやっとの事で言い返したが、
「だけど、私だって最初に言ったはずでしょう。神界に興味はないと。あなたも承知の上で私を選ばれたのではないのですか」
「……そうだな。しかし勇者を神界に連れていくにあたって、必ずしも本人の同意は必要ない。お前が否と言おうと、」
なんて事だ。
戦乙女は無理やりにでも、私を神界に連れていく気だ。
頭が真っ白になったセオドールを冷酷にも指差し、戦乙女はゆっくり宣告しだした。
「私がこの者を、今すぐにでも、神界に連れていこうと思えば──」
神界に連れていかれる。
何か言わなければ、今すぐにでも連れていかれる。
「ま……待ってください、そんな事をしたら──!」
「──そんな事をしたら?」
戦乙女の言葉を制止して、慌てて声をあげるセオドール。
そこから先はなにも考えていなかったので、
「暴れますよ、神界で! 力のかぎりに、暴れまくってやる!」
とっさに口から出たのがこれである。
「……」
「……」
無言で、指差していた手を下げる戦乙女。
言ってすぐ後悔したセオドールも、相手の反応を見て、即座に思い直した。……これはもしかすると、もしかするんじゃないか?
「見え透いた嘘はやめろ、セオドール。お前はそんな事はしない」
「嘘なもんか! やりますよ私は……、本当にやってやる!」
実際のところどうだかセオドールも知らないが、おそらくは戦乙女の言う通りであろう。
あくまで神界に行く気がないだけであって、仲間の英霊達や現在の雇い主である戦乙女に不満があるわけではないし。周りに迷惑をかけるようなみっともない事はたぶんしない。と思う。
「セオドール」
「はっ、どうせ失うものなんかないんだ。神界の椅子でもテーブルでも、目につく物手当たり次第にぶん投げまくってやる。柱にキズもつけてやる。豪勢な床に家畜の糞をぶちまける、ってのもいいかもなあ」
「……やめろセオドール」
しかしそれとこれとは話が別である。
なんたって今は、人間界に残れるかどうかの瀬戸際なのだ。
戦乙女の視線が痛い事も、自分が二児の父親だった事実も全部考えないようにして、地面にどかっと寝転がり、思いつく限りの暴れっぷりをわめき続けた。
ややあって、戦乙女の呆れたような声。
「もういい。お前は精神に過大な問題があるようだ」
「本当ですか! ありがとうございます、戦乙女!」
聞くと同時に立ち上がり、背筋をのばして深々と礼をした。
「言っておくが、私の心が変わったわけではないぞ。聞いているのかセオドール」
などと言われても、正直あまり聞いていない。
セオドールの頭はすでに、これまで通り戦乙女に付き従って人間界にいられる事、これから彼女が訪れるだろう場所の事。それと関連して、次の休息日の時に、彼女が羽を休める場所は一体どこなのか……といった事でいっぱいである。
「時は移ろうものだ。人も同じ。変わらない事など、そうありはしない」
戦乙女はそんなセオドールをしばらく見てから、そう言ったが。
その時のセオドールはそれもせいぜい、(ありきたりな説得術だな)くらいにしか考えていない。形だけは申し訳なさそうな笑顔で「はあそうかもしれないですね」と、それらしい相槌でやり過ごしただけだった。
「その気になった時は、いつでも言うといい。神界に連れて行ってやろう」
★★★
最初に様子を見に行ったのは、セオドールが戦死した、その日の夜。
戦乙女は外で待っていた。
何気ない日常を一通り眺めた後、「すまない」「ごめんな」と一方的に家族に声をかけ、開いていたドアの隙間からすり抜けるようにして、家の外に出た。
家族は誰も、肉体のないセオドールに気づかなかった。
──直接抱きしめる事はできないが。相手が眠っている時ならば、心を伝える事はできる。目覚めた後、当人の記憶にはほとんど残っていないだろうが……。
そう言った戦乙女の提案を、その時のセオドールは受け入れなかった。
娘の誕生日が近いから。知らせが来るまでは、何も知らないままでいてほしい。そんな理由を口にした。嘘ではなかった。
戦乙女もそれ以上は何も言わず、夜更けを待たずにその場を離れて、その時はそれっきり。
次は、それからひと月も経った頃。
戦乙女が選んだ休息地が、偶然にも、トゥルク村の近くだった時だ。
もっとも生きている人間なら、歩きで四日はかかる距離ではあるが。肉体のない存在なら、その限りではない。
別の方面に用事があるという仲間の英霊にならって、皆が語らう休息場所を抜け出し、まさしく飛ぶような速さで家族のいる家へ向かった。
とはいっても、様子を少し見に行っただけだ。
父親のいない日常を過ごす、家族の姿を。
子供達は少し背が伸びたんじゃないか。ウィルフレドは最近ますます妻に似てきた。エルシーも一人で食器を片付けられるようになったんだな。……
そういう事をただ確認して、数刻もしないうちに休息場所へと戻った。
勝手に抜け出した事は気づいていただろうに、戦乙女は何も言わなかった。
この程度の事なら他の仲間もやっているから、という事なのか。一安心できたセオドールは、早くも次の休息日の事を考えるようになっていた。
今度の休みは、いつのどこなのだろう。よほど遠くない休息地であったなら、またトゥルク村に行ってみよう。その次も、そのまた次も……
家族の成長を見守る、こんな第二の人生も悪くないのではないか。
そんなふうに思い始めていた矢先に、まさしく戦乙女から呼び出しを食らったわけである。
☆☆☆
結局は神界行きを強く拒んでしまったセオドールはそれから、これまで以上に、新入りの英霊の面倒をよく見るようになった。
同輩も後から来た者も、順調に神界へと旅立っていく。
かつては手のかかる新米騎士であったカミーユ青年も、その後めでたく神界へ行ったため、その時点でセオドールが一番の古株となった。
ある者は、憧れや名誉を抱きつつ。またある者は、人間界へ残してきた想いを、完全に断ち切るために。
豪奢な宴や美酒であふれる神界に行きたがらないセオドールを、変わり者扱いする者。もう彼らとは住む世界が違うのにと、呆れて親バカ呼ばわりする者。または戦乙女と同じような事を、同情的に諭す者。または豪快に笑い飛ばして、先に行っているぞとだけ言い残していった者など……。
どの別れの言葉も、セオドールは愛想よく聞き飛ばしたのみであった。
相変わらず休息日には、トゥルク村の家族のもとへ。
親バカのあだ名通りに、仲間達に家族の成長っぷりを自慢したりもした。
そうして堂々と人間界に居残り続け、三年以上は経った頃──
「はっはっは。ここまで図太いエインフェリアは、あなたも初めてでしょう」
「……。その自覚があるのなら、今すぐにでも」
「いやその……。言葉通り、これまで私のように何年も居座る奴なんていたのかどうか、ふと気になったものですから」
やや長い沈黙の間、今のは軽口がすぎたなと焦るセオドール。
と思いきや、戦乙女は質問に答えてくれた。
「何人もいた。皆、とうに昔の事だが」
「はあ、そうなんですか。で、その人達は結局、どうなったんです?」
今は誰もいないという事は、みんなどこかには行ったんだろう。
心の奥底で“それ以上知ってはいけない”と警告を発した時にはもう、自然と戦乙女に聞いてしまっていた。
彼女もそうなる事を予見したから、この話を続けたのだろう。
「色々だな。私の力及ばず、人間界で志半ばに消滅した者。やはり人に転生させてくれと、考えを改める者。一番多いのは──」
言葉を区切って、戦乙女は問いかけた。
「お前も、もう分かっているはずだろう。セオドール」
確かに。彼女が言いたい事の続きは、色んな意味で分かっているつもりだ。
一度は黙りこくりかけたセオドールは、けれどすぐに軽い口調で言い返した。
「みんな最終的には、すっぱり気持ちを切り替えて、神界へ行ったわけですな」
「そうではない、セオドール」
たしなめる戦乙女の語調は、決して強くはない。
真面目に自分と向き合ってくれている事も内心理解しつつ、セオドールは言い切った。
「とにかく、私はこれからもしつこく居続けますよ。神界になんか興味ないんだ。あなたもいい加減に諦めてください」
なんなら家族全員老衰で死んだところを迎えに行く時くらいまでは、このまま人間界に居座ろうかなと思っています。という言葉まで出かかったが。
さすがにその部分は、以下もあわせて、目線でそれとなく訴えただけである。
いいじゃないですか。あとほんの数十年くらい。これでもあなたの補佐役として、多少は役に立っているでしょう──?
「強情なやつだな」
最後は戦乙女もそう言って、その時も話は終わった。
セオドールはすっかり安堵していたつもりだったが。
実際のところ、この頃にはすでに、戦乙女の言葉の一つ一つが身に染みて理解できていた。
いくらでもいる先人の例を引き合いに出されても、未だ自分の場合に当てはめて考えることができない。性懲りもなく自分だけが“特別”なんだと思い込んでいる親バカ──、つまりは“分かりやすく家族想いな父親”を演じているだけだと、心のどこかで冷静に思ってもいた。
それでも物わかりの悪い父親であり続ければ、そのうち本当にそうなるんじゃないか。
漠然と思いつつも、その後も変わらずに戦乙女のもとで働き、苦しい生活を続ける家族の様子を見に行き、人間界での時が流れたが──
セオドールが現実を思い知ったのは、それから一年と経たないうちだった。
☆☆☆
ある休息日。
セオドールは、夕時になっても休息場所に戻らなかった。
「やはりここにいたか」
トゥルク村まで迎えにきた戦乙女は、そう言っただけで、叱責はしなかった。
家の中にはセオドールの他に、食事の用意をしている十代半ば頃の少女と、ベッドで半身を起こしたまま、何が楽しいのか上機嫌に体をゆらゆらさせながら、閉じた窓の板をいつまでも見続けている女がいる。
二人とも、もちろんセオドール達の存在には気づいていない。
セオドールは女の方に寄り添うように、そのベッドの端に座っていて、
「ああ、もうそんな時間でしたか。申し訳ない。家の中だとどうにも時間が分からなくて」
立ち上がる前に「また来るよ、マルゴット」と声をかけてから、戦乙女とともに家の外へ出る。
女はセオドールどころか、「おばさん、寒くない? ウィルならもう少しで帰ってくると思うから」といった生きている少女の呼びかけにも一切反応を示さない。変わらずゆらゆらと、何もない窓板を見るだけだった。
「今の子、ティルテっていうんです。いい子でしょう? ……ウィルにはああいう子を嫁にもらってほしいんですが、あいつはその辺まだ子供だからなあ。アンセル君のがよっぽど」
戦乙女が何も言わずに後ろをついてくるので、セオドールもゆっくり歩きつつ、勝手にべらべらと喋る。
「エルシーもあの子によく遊んでもらって……ああでも、妻から聞いた話だと、エルシーはアンセルお兄ちゃんが気になるらしいって。まだ五歳やそこらなのに、女の子の成長はずいぶん早いなって、感心したもんです」
家の脇についたところで、セオドールは足を止めた。
足元付近には、小さな墓石。
雪に埋もれかけてはいるが、苔の一つもない。
セオドールはそれを見下ろしたまま、半ば独り言のように、戦乙女に言った。
「私だってね、想像できなかったわけじゃない。こうなる事くらい」
ずっと厳しい暮らしをさせていると思っていた。
妻に無理をさせすぎているとも思っていた。
見守り続ければどうにかなるなんて、楽観的に思いきれるほど馬鹿じゃない。
だからってこんなの、あんまりじゃないか。
「なんなんでしょうね、本当に。涙の一つも出てきやしない」
想像できていたからって、それがなんだ。
知らない間に娘が死んでいて、妻がおかしくなっていて、どうしてそんなに無感情でいられる?
もう手の届かない世界だなんて、とても割り切れないから、諦められなかったから人間界にこだわっていたはずだったのに。結局はこれか。
死んだ直後と全く同じ感情を抱き続けるなんて無理?
他のみんなだって、そうだったのだから?
──知るかそんなもの! 愛する家族が自分のせいで壊れたんだぞ!
もっと動揺しろ! 激しく後悔しろ!
頭がいかれるくらい、泣き叫んでみろ──!
どう煽情的に考えてみても、やはり心は動かない。
そういえば若い時分、目の前で幼馴染が戦死した時も、自分は泣かずに冷静だった気がする。きっと元からこんなものだったのだろう。
深く息を吐いた後、セオドールは戦乙女に話しかけた。
「エルシーは、こんな父親を恨んでいたでしょうな」
「どうだろうな。私には、その子の“声”は聞こえなかった」
と戦乙女は答える。
「ここには迷い子も、不死者の気配もない。今頃は、すでに次の生を受けているかも知れないな」
『不死者』はその大体が、かつては人間であった者達だ。
自らの意思で神の敵となり果てた咎人も、中にはいるが。そうではない者もまた、多くいる。……そう、戦乙女から聞いた事がある。
自分達に浄化される際の悲痛な断末魔も、今までに散々聞いてきた。
あの子がそうはなっていないというのは、親として救われた気分ではあるが。
「もう、ですか? 思い切りがよすぎでしょう。まったく、一体誰に似たんだか」
☆☆☆
その翌日。
セオドールは聞かれる前に、戦乙女に言い切った。
「ああそうだ、神界には行きませんよ。諦めてください」
「なぜだ」
「なぜもなにも。私が妙な意地だけで、ここに残ってると思っていたんですか?」
戦乙女は返事の代わりに、ただセオドールを見返した。
羽根兜で隠れてやや分かりづらいが。これは眉根が寄っている時の顔つきである。
セオドール自身ですら昨日までそう思っていたくらいなのだから、彼女の心境はいかばかりか。自分が彼女の立場だったら、正直ずっこけていたんじゃないかと思う。
「いや冷静に考え直してみたんですが。どうにも腑に落ちない、といいますか。ひとつ確認してもいいですか」
「何をだ」
「戦乙女。あなたは、私に言っていない事があるでしょう」
黙り込んだ戦乙女。
予想通りの反応を前に、セオドールは言った。
「それでも最後まで人間界に居続けた先人も、中にはいたんじゃないですか? どうせ興味のない神界よりも、あなたに仕える事を選んだ変わり者が」
やや間を置いた後。
戦乙女は仕方なしとばかりに口を開き、
「神界はお前が思うよりずっと、お前に向いている環境だと思うが。お前を高く評価する者もいくらでも──」
「話をごまかすのはやめてください、戦乙女」
セオドールに言われて、また不服そうに口を閉じた。
とにかく否定はしなかったという事は、そういう事なんだろう。
「やっぱりだ。おかしいと思ったんですよ。こんなの、私が初めてのはずがないって」
「……。最上の暮らしぶりも名誉も求めない、戦いそのものに、何よりの価値を見出していた者達ばかりだ。お前は違うだろう」
「これでも私も、それなりの数の戦場を経験した身でしてね。色んな上官を見てきた。こんな理想的な主に巡り合えるなんて、そうある事じゃない」
「そんなもの。それこそ神界へ行けばいくらでも──」
「死ねばどうせ終わりの世界なら、私は、自分自身が見込んだ主のもとで生きたい。主がどう思ってようが関係ない。そもそも私は、あなただからついてきたんだ」
戦乙女の言い分をまるきり無視して、セオドールは自分の意思を述べた。
生きていた頃、少しでもマシな暮らしをと働いたのは、家族を養うためだ。自分だけなら、暮らしにこだわりなどない。飢える事がないのならそれで十分だ。
名誉はもとから興味がない。栄えある一族でもないし、家族も別にそんなものは求めていないだろう。
いっそう決意が固まってしまったセオドールを前に、
「お前を選ぶべきではなかったかもしれんな──」
と戦乙女は呟いた後、ついに言ったが。
「もういい分かった、セオドール。お前の好きにしろ」
「それでは。我が主、戦乙女よ。──私はこの先も、この命ある限り、あなたのもとで剣を振るい続けましょう。何年、何十年も、何百年でも」
かしこまって言うセオドールに、戦乙女は言った。
「言っておくが、何十年は無理だ。先に私の任期が終わる」
戦乙女が言うには、彼女の任期はあと七年ほどだそうだ。
その時に彼女のもとに未熟な英霊が残っていた場合、教育は後任の者、つまりまた別の戦乙女に引き継がれる事になるのだと言う。
もう教育される必要もないのに残っている、セオドールの場合は──
今現在の戦乙女いわく、「彼女は私ほど甘くないぞ」との事。
……まあその時になってみなければ分からないだろう、とセオドールは結論づけた。
そりが合わなそうな後任だったら、彼女の言う通り、神界に行くのも悪くない。
実際向こうに行ったら、それはそれでなんとかやっていける気もするし。
なんとも肩すかしな事実を知らされてしまったが。とりあえずあと七年間は、人間界に居ていいのは確かだ。
セオドールは気持ちも新たに、人間界での日々を過ごす事にした。
☆☆☆
戦乙女のもとで神の敵と戦い、時間があれば積極的に仲間の面倒を見て、また時には神界にも滞在し、休息日には家族の様子を見に行く。
やっている事は結局、今までと変わらない。
戦乙女付きの英霊としてそれなりに充実した年月ではあるが、なにせどこを向いても無慈悲な事だらけの世界だ。いい出来事ばかりではない。
妻マルゴットはいつ訪れても、あの調子だ。様子を見るうちに、自分の息子の事を、若い頃のセオドールと混同しているらしい事も分かった。
いつかの戦乙女の提案を思い出し、「夢の中なら妻に私の声が届くのか」と彼女に聞いても、望み通りの返事は得られなかった。心が固く閉ざされた今の状態では、どんな呼びかけも聞こえないだろう、という事だった。
とりあえず機会があれば、「エルシーが死んだのは君のせいじゃない」「あの子は私達を恨んでなどいなかった」といった事を話しかけるようにはしているが。今のところ効果はない。
人間界でともに腕を磨いたかつての仲間が、神界で戦死したと知らされた事もあった。
名はカミーユ。不利な戦況からの撤退の際、殿を自ら志願した末の、見事な最期であったという。
「あの雷神トールも彼の尊い犠牲を偲び讃えた、か。……なんともまあ、でかい男になったもんですな」
「……そうだな」
しみじみ言うセオドールに、戦乙女も同意してみせるが。
セオドールも何年と付き従った経験上、彼女の本心はおおむね理解しているつもりだ。
少々考えた後、
「あなたは私達に、選ぶ権利を与えてくれただけです。選んだのは私達だ」
「ああ、そうだなセオドール。お前はそう言うと思っていた」
「そうですか? 我ながら気の利いた文句を思いついたと思ったのに」
「前にも似た事を言われたからな。お前と同じ、私の事を純朴な少女と、勘違いしているようなやつだった」
向こうの方が一枚上手だったらしい。
多少は表情の緩んだ戦乙女を前に、セオドールはぼりぼりと頭をかいた。
「まあ本人は後悔していないだろうというのは、正直なところですが。ただ──」
英霊となった者の“死”は、“魂の死”だ。
完全な存在の消滅。戦乙女に選ばれなかったその他大勢の人間と違って、また人として生まれ変われる可能性は、限りなくゼロに近い。
選んだ側としては、どうせ『記憶をなくして転生』も『消滅』も自我がなくなる事に変わりはないのだからと、迷う事すらなかったが。
見送った側としては、世の無常を感じるのは確かだ。
気のいい青年だった。身分違いのセオドールを、まるで年の離れた兄のように慕っていた。セオドールの方も、大きくなった息子に武器の扱いを教えるような気持ちで、彼と接していた時もあった。
それを思うと──
「息子は──、ウィルフレドには、人としての生を歩んでほしい。そう思います」
「そうか」
「……まあその、あくまであなたに認められるような戦士になった場合の話です。今のところ、もうとてもとても……」
草葉の陰からたまに見ている分だと、筋は決して悪くないと思うのだけど、思い切りが足りていないというか。
いっぱしに金を稼げる傭兵になれるよう、必死に頑張っているのは分かる。仮に可能だったとして、あの子に口出しできる権利など自分にはない事も分かる。
それでも親として願わずにはいられない。
皮肉な事に、自分が死んだ後、トゥルク村周辺に戦火が上がった事はない。
あの頃よりは土地も肥え、実りもいくらかは増えただろう。
傭兵など諦めて、どんなに厳しくともトゥルク村で、麦畑を耕し生を全うしてくれないだろうか──と。
「あの子は、戦いには向いていない。私のように金のために──、自分のために平気で人を殺せるほど、神経が図太くないんだ。ですから」
「分かっている。その時が来たとしても、私はお前の息子を迎えはしない」
──十七だ。十七になったら傭兵に行くぞ。
息子がアンセル君と、しきりにそう話しているのを聞いた事がある。
早ければ、年が明けた春には、あの子達はトゥルク村を出ていくのだろう。
「ありがとうございます、戦乙女」
“その時”など一生来なければいいのに。
戦乙女に向かって大げさに頭を垂れつつ、セオドールは思った。