どうして、俺ばっかり、こんな目にあわなきゃならない。
全部、あいつが悪いんだ。
父さんがあいつに連れてかれなきゃ、エルシーは死ななかった。母さんだって、おかしくならずに済んだんだ。
あいつを絶対に許さない。
強くなって、生き抜いて、あいつに会えるくらいの戦士になれたら──
あいつをこの手で、殺してやる。
それを支えに、今まで生きてきたんだ。
ようやくトゥルク村を出て、傭兵になれて、これからだったんだ。まだ始まったばかりだったんだ。
それなのに
……嫌だ。死にたくない。こんなところで、無駄死になんかしたくない。
戦乙女……。あの死神に会う事さえできずに、終わるなんて……
……なんだ? 復讐できるものなら、したいかって?
そんなもの。決まってるだろう。できるものならな。……なんてな。こんな恨みつらみ、どうせ俺みたいな弱者のたわ言だよ。お前だって分かってるくせに。
……俺がもっと、強かったら。こんなところで死ななかったのに。
俺に、力さえあれば……
……なんだって? 見逃してくれるのか?
力を……くれる? 本当に?
……ああ、なんでもする。必要なら、俺の魂を、冥界に売ったって構わない。
本当は嫌だけど……それで戦乙女に、復讐できるのなら。
……こんなところで、全部終わるくらいなら──
☆☆☆
「なんなんだよ、こいつら……!」
ウィルフレドとアンセルの周りを、すでに二体の魔物がとり囲んでいる。
黒い翼を持った、悪魔のような魔物。
あの犬の魔物と違って、やばさを隠そうともしていない不気味な存在。魔物と呼んでいいのかすら分からない──
「なんでっ、なんで死なないんだよ。ちゃんと、斬ったのに、なあ俺、ちゃんと斬れたよな!? 黒い血だって、落ちたの見たんだぞ」
アンセルが、諦めずに剣を振っている。
あんなの、一匹だけでも、かなうわけないのに。
『ただの剣で一度斬られたくらいでは、グールは死なない。あれはそういう存在だから』
頭の中で、あの化け物の声がする。
これがグールなのか。
そうか、お前か。お前が、こいつらを呼んだのか。
「う、あ……。なんで、こんなこと……」
「ウィル、聞こえるか!? 頭痛いのは無視しろ! 早く立てっ! 立つんだっ!」
アンセルの必死な呼び声も届かない。ウィルフレドは『女神の羽根』を握りしめ、地面にへたり込んだままだ。
自分は一体、何をしてしまったのか。記憶はおぼろげでも、この赤黒く染まった羽根が、あれが夢ではなかった事をはっきりと示している。
あの暗闇の中で、自分は、憎い仇である戦乙女を討ちたいと願っていた。あの化け物に、言ってしまった。
復讐のためなら、何をしてもいい──と。
「こっちに来るな! 来るなよぉっ!」
翼を持ったグールは、アンセルの剣をいともたやすく避けている。ほんの僅かずつ距離を詰め、時折襲いかかるそぶりを見せるだけで、攻撃は未だしていない。
さっきは死なない事を見せつけるために、わざと斬られたのか。
今はおそらく、次の命令を待っているだけ──
「誰かっ、誰か聞こえないのか!? ヤバい魔物が、ここにいるんだよ! 怪我人も! ……ちくちょう、なんでっ、なんで誰も来ないんだよ! 空なんか飛んでたら、すぐに分かるんじゃなかったのかよ!」
『助けは来ない。結界を張っているから。ここから、逃げられもしない』
そうなのか。つくづく最悪の化け物だ。
恐怖と絶望で支配されたウィルフレドの頭は、すでにあがく事を諦めようとしている。
そこに、化け物の不気味な声がさらに響いた。
『ただの人間なら、死ぬしかない状況でしょう? ──でも、お前は違う』
声にならない声で、そうなのか。とまた呟いた。
『契約の証──。その女神の羽根を手に、強く願えばいい。自分だけは、何をしても助かりたいと。だから』
強く願う。……それだけ? それだけでいいのか。なら
『そこの男の命を、女神の羽根に捧げなさい』
言っている意味が、わからない。
「……なん、で?」
そこの男……。ここにいるのは、俺とアンセルだけだ。
命を、捧げる……殺す? 俺が、アンセルを?
どうしてそんな事を、しなきゃいけない?
『その女神の羽根は、業を溜め込む器となった。お前が大きな罪を犯すほど、羽根の力は強まるの。いずれは、お前の憎き仇、戦乙女をも打ち倒せるほどの力になる──』
だから、アンセルを?
戦乙女への復讐に、必要だから?
だからといって、そんな事、できるわけが……
『いいえ。復讐のためなら、お前はなんでもやる。さもなくば、お前に待っているのは“無意味な死”だけ』
私はどちらでも構わないのだけど。そう言って化け物は笑う。
ウィルフレドは涙をぼろぼろ流し、取り乱していた。
「あ、あ……。嫌だ、アンセルっ、俺、俺は……!」
「しっかりしろウィル、立てっ! 立って逃げるんだ! そうすりゃ絶対なんとかなる! 今までだってそうだっただろ? ……それにこいつら、よく見りゃ大した事してこねえ、ただの見かけ倒しだ!」
無理だ。アンセルには何も聞こえてないんだ。
全力で走ったところで、こいつらからは逃げられない。二人とも、ここで無惨に殺されるだけなんだ。
死にたくない。
死にたくない。だけど
「俺達は死なない。二人で、生きて帰るんだ。トゥルク村に──!」
……嫌だ。俺には、できない。
様々な感情が押し寄せるウィルフレドの頭に、化け物の声が冷たく響いた。
『──そう。何もできないのなら、ここでお別れね。ご愁傷様』
グールの動きが、一瞬止まった。
それから、凄まじい速度で一直線に、二人に向かっていき、
「ちっ……、くしょおおおぉぉッ!」
アンセルが、声の限りに叫びながら、剣を振りかぶる。
──殺される。死にたくない。
その瞬間。ウィルフレドは、女神の羽根を強く握りしめ、願った。
……アンセルが、たった一人でグールと戦っている。
ウィルフレドはその光景を、地べたに座りこんだまま、ただ茫然と見届けた。
頭の中では、化け物が話し続けている。
女神の羽根に与えた力は、我が主、冥界の女王ヘル様の御力。
お前の意思によって捧げられた人間には、その女神の羽根の力が注ぎこまれる事になる。
その人間に隠された能力を、表層に引きずり出す力。
通常ならば無意識化で、抑制されている能力。
抑制されていなければならない、ただの人間の限界を、遥かに超えた能力を──
アンセルの強さは、常軌を逸していた。
振り払った剣は、向かってきたグール一体の胸部を、ぱっくりと切り裂いた。
それでも動きを止めずに襲いかかってきたそいつの腕を、片手で受け止め、体全体を力任せに地面に叩きつけた。
そいつに馬乗りになってまたがり、何度も何度も斬りつけた。
途中で、もう一体のグールに攻撃された。
ぼろぼろの革の防具は意味をなさず、アンセルの背中からは鮮血が流れ落ちたが。アンセルは構わず、そのもう一体を頭突きで遠くに弾き飛ばし、なおも執拗にグールを攻撃し続けた。
アンセルは攻撃を止めなかった。
反撃で片腕を嚙み砕かれても、鋭い爪で腹部を切り裂かれても攻撃し続けた。
剣の方が先に、負荷に耐えきれずに砕け折れた。折れた剣が完全に使い物にならなくなるまで、さらに攻撃を続け、ついには折れた剣先の方も素手で掴んで握りしめ、攻撃に使い始めた。
攻撃を続けるアンセルの手は、とっくに奇妙な形にひしゃげていた。
グールの攻撃を受けていないはずのこめかみからも、血が流れ出ていた。
アンセルは、それでも攻撃の手を休めなかった。
グールのものとも人間のものとも知れない血が、アンセルの全身を染め上げている。
グールの抵抗はいつの間にか、次第に弱くなっていた。
もう一体のグールは、弾き飛ばされた後、もうアンセルに近づこうともしなかった。
完全に動かなくなったグールの肉塊を見下ろした後。血まみれのアンセルは、残ったグールに向かって、渾身の雄たけびをあげた。
硬直していたグールはそれをきっかけに、翼を広げると、空の向こうに遠く飛び去って行った。
直後にアンセルは顔を歪め、地面にどさりと倒れこんだ。
「は、はは……。助かっ、た……、俺達、助かったんだぜ、ウィル……」
「アンセル、アンセル。嫌だ、アンセル」
ウィルフレドは泣いていた。
泣きながら、ずたぼろになったアンセルを見る事しかできなかった。親友の手をとってやる事すら、体がすくんでできなかった。
「なんで……っ、そんな顔、してるんだよ。こんなの、たいしたことねー……て」
戦いに集中していたあまり、アンセルは自分の体の状態を、まだよく把握できていなかったらしい。
乱れた呼吸で、ウィルフレドにどうにか手を伸ばそうとして、
「──あ。うそ、だろ? なんで、俺、が……?」
アンセルは肺がつぶれたような悲鳴をあげた。
痛い。痛い。なんだこれ。体が、ちぎれる。助けてくれ、ウィル。
ウィルフレドは耳を塞ぐ事もできずに、アンセルが地面をのたうつのを見続けた。
ほどなくアンセルの動きは弱くなり、
「……や、だ。……にたくな……ティル……帰……」
そう言ったのを最後に、アンセルは動かなくなった。
嗚咽を漏らすウィルフレド。
唐突にあの化け物が、犬の魔物の姿をともなってウィルフレドの前に現れた。
「うあぁ、く、くるな……!」
へたり込んだまま、恐怖に身をすくませたが。
犬の魔物は襲いかかるどころか、こんな事を言う。
『よくやった人間よ。契約通り、これより一年の間、私があなたの復讐の手助けをしましょう』
「……うるさい黙れっ! アンセルが、アンセルが死んだんだぞ!」
『そう。あなたが背負った咎は、きっとあなたの大きな力になるわ。今のあなたにはまだ見えないでしょうけれど、その女神の羽根だって、先ほどまでとは比べ物にならない──』
「違うっ! 俺はこんなの、望んでなかった! こんな、こんなの……!」
半狂乱で犬の魔物に言い返しつつ、強く握りしめたままだった女神の羽根に目をやる。
これが、アンセルを死に追いやった羽根なのか。
この羽根が。この羽根さえなければ。
今すぐにでも投げ捨ててしまいたい気持ちになって、
「こんなものっ……!」
振り上げたウィルフレドの手から、犬の魔物がぱくっと羽根をとりあげた。
犬の魔物は羽根を口にくわえたまま、
『そろそろ邪魔が入る頃だから──。確かに、これは私が預かった方が得策ね』
勝手に自分で納得すると、一方的にウィルフレドにこう言って姿を消した。
『それじゃあ、また。要塞の外で待っているわね、ご主人様』
ヒューゴー傭兵士長達がやって来たのは、それからすぐ後の事だ。
この日が討伐戦最終日だったため、隣には、彼の雇い主の魔術師もいた。
翼を持った黒い魔物のような影が、東の方角に飛び去っていくのを見て、急いで駆けつけてきた様子だった。
痛ましい光景を前に、傭兵士長がウィルフレドに、せめてもの慰めの言葉をかける一方。同行していた魔術師は、グールの肉塊に動揺の色を見せた。
この穢れは、グールか? なぜグールがこんな場所に。ここで何があったのだ。
ウィルフレドにはまともな受け答えなど、何一つできなかった。
俺じゃない。俺のせいじゃない。
そんな事ばかりを何度も繰り返したが、その言い分を疑う者もいない。すべて想定外のグールと友人の死に錯乱した、哀れな生き残りの妄言として聞き流された。
その後。調べのため、グールの肉塊とアンセルの亡骸は、要塞へと移動された。
ウィルフレドも言われるまま要塞すぐ外の野営地に連れ戻され、その後もしばらく、茫然自失と時を過ごした。
☆★☆
人間界の、上空高く。日が沈み、空に星が浮かび始めた頃。
そこには蒼穹の戦鎧を纏った、戦乙女の存在があった。
主神オーディンより与えられた彼女の使命は、ここ人間界で、勇者に相応しい人間の魂を探し出し、その英霊達を鍛え、神界へ送り届ける事である。
現在、共に在る勇者は、彼女に直接仕えている“セオドール”のただ一人のみ。ちょうど今しがた、勇者を二人ほど送り届けて、神界ヴァルハラから舞い戻ってきたばかりのところだ。
不在の間に人間界で大きく変わった事はなかっただろうかと、さっそく己の精神を集中させ始めた戦乙女だったが……。
──ずいぶん不愉快そうですね。不死者ですか?
精神集中を切りあげた後。セオドールに問われ、戦乙女も答えた。
「ああ。すでに倒されてはいるようだが。それと、……おそらく犠牲者だな」
心の奥深くまで集中せずとも、すぐに感じ取る事ができた。ここからそう遠くない場所だ。
蠢く不死者の気配ではなく、浄化されていない穢れの塊。その穢れの中に、人の魂も混じっているような感覚が微かにあった。このまま放っておけば、いずれその者も不死者と化す可能性が高い。
──場所は? と聞かれたので、それにも答える。
「アルトリア、北の方角だ」
戦乙女はそれからすぐ、不死者の穢れを感じ取った場所へと向かった。
☆★☆
アルトリア北西部、オルーウェン要塞内部の一角。
到着するなり、戦乙女が救った魂の正体が分かった時……。当然の事ながら、セオドールはショックを受けた。
「まさか、……アンセル君?」
戦乙女の許可を得て、彼女の内から霊体の状態で飛び出し、同じく霊体ながらまだ意識のないアンセルの顔を、まじまじと見つめ……
疑いようもなく、彼は自分の知っている、あのアンセル君であると。
理解できたと同時に、周囲をせわしなく見渡したりもした。
壁掛け燭台の明かりに照らされて見えるのは、床中央に置かれている、グールの肉塊とアンセルの亡骸。それから、それらの死体を調べている様子の魔術師。周りにも何人も、魔術師らしい人間達がいて、壁際には、槍を持った熟練の戦士らしき男も控えていて……
息子の、ウィルフレドの姿はどこにも見当たらない。
アンセル君と一緒に、傭兵になったはずじゃ? ここにいないという事は、ウィルは無事なのか? それとも、まさかあの不死者が……
などと色んな事を考え、狼狽したりもした。
結局、ほどなくして意識が戻ったアンセルから話を聞き、おそらくウィルフレドは無事らしい、という事だけは理解できたのだが──
「だーかーらぁー。本当に! 俺が、倒したんだって!」
「ああ、君はとても勇敢だった。こんな化け物相手に、一歩も退かなかったのだからね。普通の人間にはなかなか出来ない事だよ」
「ほらその反応だよ! 絶対信じてないだろ親父さん」
セオドールは、アンセルにしつこく食い下がられていた。さっきから彼が、そこで肉塊になっている魔物を倒したのは自分なのだと、言い張ってきかないのだ。
なお戦乙女が浄化した穢れは、彼女が引っ張り出したアンセルの魂についてきた、ごく一部分のみである。人間達が今も調べている最中なため、グールの肉塊などは当然そのままだ。
「そうは言うけどね、アンセル君……」
セオドールは困り顔である。
そもそも不死者はその辺の魔物とは違う、というところから説明すべきか。
生きていた頃の私でも倒せなかっただろう相手を、傭兵になったばかりで、魔法も使えない君が倒せるわけがないだろう。と言ってしまうのはさすがに酷だろうか。
どう言ったものか考えるセオドールをよそに、
「ていうか戦乙女、なあ、あんた本当に戦乙女なんだろ? あんたは……おーい、せめてこっち向いてくれたっていいだろお?」
アンセルはめげずに戦乙女にも話しかけたが。
戦乙女は相変わらず、魔術師達の様子の方を観察し続けている。一通りアンセルの話を聞き終わった後は、もうずっとこれだ。
アンセルから聞けた話は要約すると、「とても強い魔物に襲われたから、力の限りに戦った」だけなのだ。……説明が下手というか、大雑把すぎるというか。ともかく自分でもよく分かっていないであろうアンセルの話よりも、彼らの会話を盗み聞きした方がよっぽど、詳しい状況を察せると判断したのだろう。
「こらアンセル君、戦乙女の邪魔をしたらダメじゃないか」
「それが一番納得いかないんだって、親父さん。邪魔って……、俺、めちゃくちゃ一生懸命戦ったんだぜ? で、気がついたら、目の前にいかにもな戦乙女がいたわけだろ?」
「まあ、そうだね。君の気持ちは分からなくもない」
「で、ずっと昔に死んだはずのセオドールの親父さんも、ガキの頃の記憶まんまの顔で、いっぺんに俺に話しかけてきたわけだろ?」
「それもまあ……。君も例に漏れず、“戦乙女”に何か誤解があったみたいだからね」
「……。そりゃあ、ついビビっちまったのは悪かったと思ってるよ。けどさあ」
やはりこちらを見ていない戦乙女に話しかけ、ばつが悪そうな顔をしたアンセルではあるが。
意識を取り戻したばかりの死者にそういう反応をされるのは、何もこれが初めての事ではない。それどころか普段は、彼女自身が慣れた様子でうろたえる死者を落ち着かせていたりもするのだ。
今回は、たまたま同郷だったセオドールに任せた、という事なのか。
というよりも──。そもそもの目的が違う、といった方が正解なのか。
「よく分からないんだけど、俺、あんたに助けられただけってこと? 俺の強さ、認めてくれたわけじゃないのかよ?」
そりゃあんまりだぜ、と一方的に話しかけるアンセル。
ようやく彼の言葉が届いたか。戦乙女がこちらを振り返ったが、
「……。もう一体、不死者がいたのか?」
「へ? 不死者?」
「翼を持つグールが一体、東の方角に飛び去っていったと。彼らが言っている」
考え込みながら聞いてきた戦乙女に、きょとんとした顔を見せるアンセル。
セオドールが「そこの魔物の事だよ」と教えてあげると、アンセルは胸を張って答えた。
「ああそれな。俺が思いっきり脅かしてやったら、あいつビビッて逃げてやんの。……あれ? 俺、さっき言ってなかったっけ?」
セオドールは「初耳だよアンセル君」とだけ言っておいた。……実際のところは、ここで倒されている不死者と同じく、ちょうど駆けつけてきた魔術師が何かしらの事をしたのだろう。
それから戦乙女に聞く。
「追うんですか? もうだいぶ遠くに行かれてると思いますが」
アンセルいわく、彼がその不死者と死闘を繰り広げたのは日中の出来事だ。
なにより不死者というやつは、人間界のいたる所に存在しているものである。
いかに戦乙女でも、今からそいつ一体の行方を正確に探し当てるのは、少々難しいのではないだろうか。
「あと、そっちの……浄化はしないんですか? なんと言いますか、このままだと」
「人間に任せるしかあるまい。幸いこの魔術師には、ある程度心得があるようだ」
戦乙女は膝をつき、穢れにまみれたアンセルの亡骸およびグールの肉塊を、もう一度しっかりと確認した。
それから立ち上がって、やはり考え込みつつ言う。
「痕跡がないわけではない……。辿れる所までは辿ってみよう」
今回のように人に直接危害を加えた不死者を、彼女が見過ごせないというのは分かるが。
憤りを抑えている様子とは若干違う気がしたので、
「何か気になる事でも?」
聞いてみたものの、戦乙女は答えてくれそうにない。
セオドールもそれ以上は聞かず、大人しく彼女に従う事にした。
目指すはとにかく、東の方向だ。
戦乙女に付き従うセオドールの他に、本人の強い主張によって、アンセルもとりあえずは一緒に連れていく事になった。
「ホントありがとな、戦乙女! まじサンキューだぜ!」
アンセルは早くも、勇者として認められた気になっている様子。
さっそく戦乙女が二人を連れて、この場所から離れようとしたところ、
「……っと。その前に、ちょっとウィルの様子見てきてもいいか? たぶんまだその辺にいると思うんだ」
昨日まではウィルフレドと一緒に、この要塞のすぐ外にある野営地で寝泊りしていたのだと言う。言い終えたアンセルが走りだそうとするより先に、戦乙女が全員まとめて、その野営地のすぐ前に一瞬で移動させてくれた。
「うわっ、すっげえな。あんたこんな事もできるのかよ」
「これくらいなら、慣れれば君にもできるよ。なにせ今の私達には、肉体がないんだからね」
へえーと素直に感心するアンセルを、セオドールが「ほら早く行きなさい。戦乙女が待ってるよ」と急かした。
すんませんと軽く謝った後。なんとなく覚えのある場所を見渡し、
「お、やっぱりいた。……おーいウィル、聞こえてるかあー?」
すぐに発見できたアンセルは、そんな声をかけながら近くに駆け寄っていく。
たき火の前に座りこんでいるウィルフレドは、当然アンセルには気づかない。薄暗がりで、ここからだと表情はよく見えないが、時々、手や頭が動いているのが見える。眠ってはいないようだった。
「そんな気にすんなって。俺ならほら、この通り、ピンピンしてるぜ。まあ死んでるんだけどな」
聞いた話では、彼は戦えなくなってしまったウィルフレドを背後にかばいつつ、あの不死者に一人で立ち向かったらしい。
アンセルが死んだのは自分のせいだと、あの子が気に病むのも無理はない状況だ。
「頭はもう大丈夫か? まあなんつうか、お前だけでも生きててよかったよ。……もとはといえば、俺がなんか一人で先走ったせいでもあるし」
アンセルはしゃがみ込んで、ウィルフレドに一方的に話し続けている。
その様子をセオドールが見守っていると、
「お前は行かなくていいのか?」
隣にいる戦乙女に聞かれたので、肩をすくめて言い返した。
「さすがに野暮ってもんでしょう」
あちらの方ではアンセルが、歯切れ悪く「あーなんだ、その、ウィルには言ってなかったけどさ。俺、実は村に帰ったら──」となにやら打ち明けようとしている。
一方的な会話でしかないとしても、息子とその親友の大事な話の場に、しれっと父親まで混ざり込むのはちょっと違うだろう。
「それに私は、あの子が生きていると分かっただけで十分ですから」
「そうか」
なにより自分の頭の片隅では、“これであの子が傭兵を諦めて、家に帰ってくれるのではないか”という、最低な考えがよぎっている事も確かだ。
そんな自分が、今のあの子に、一体どんな言葉をかけてやれるというのだろうか。
あの子をかばってくれたアンセル君にしたって、かつての自分と同じく無我夢中で戦っただけで、本当は死にたくなんてなかったろうに。
「あぁーっ! やっぱやめだ、こんな今さらすぎる話! てか段々すっごく悔しくなってきちまったじゃねえか、くそっ、俺のバカ野郎!」
結局アンセルは頭を掻きむしると、荒っぽく立ち上がった。
うつむいているウィルフレドを、びしっと指さし、
「いいかウィル! 俺の分の報酬、絶対トゥルク村に持って帰れよ! 絶対だからな!」
言うだけ言うと、勢いよく自分の頬を叩き、駆け足でこちらに戻ってきた。
セオドール達に向かって「準備オッケーっす」と、アンセルは平然と言ってみせる。
戦乙女は頷くと、今度こそ二人を連れて、夜の野営地から飛び去った。