日本競馬年代記   作:くさくさ

13 / 19
大江戸の始まり・後編

 徳川家康の関東移封に伴い、彦九郎は江戸の街づくりと、徳川家が所有する広大な牧場、そして将来の競馬場の整備に心血を注いでいた。しかし、その構想が具体化するにつれ、彦九郎は一つの大きな課題に直面する。それは、新たな娯楽となる競馬の公正性をいかに保ち、馬の健康を守り、そして広大な施設内外の秩序を維持するか、という問題であった。通常の武士や番人では対応しきれない、特殊な技能と情報網が必要だと痛感した彦九郎は、この新たな時代にふさわしい人材の登用を模索し始めた。

 

 そのため、彦九郎はまず、小田原の馬比べで北条の意地を示した若き武士、小笠原源太夫に注目した。北条氏の滅亡により浪人となった源太夫は、他の大名が声をかける間もなく、すぐさま彦九郎から接触を受けた。彦九郎は、彼の類稀なる騎乗技術と、馬への深い情熱、そして何よりもその誇り高い精神性を評価していた。彦九郎は自ら源太夫と接触した。

 

「源太夫殿。貴殿の馬術、そして武士としての意地、まことに見事であった。しかし、戦乱の世は終わりを告げた。貴殿のその才を、別の形で日ノ本のために活かしてはみぬか?」

 

 源太夫は、彦九郎の言葉に驚きを隠せない。彦九郎は、彼に従来の武士の枠に囚われない、馬を極める新たな道、すなわち「競馬」という新興文化の発展に貢献する役割を提案した。具体的には、徳川の牧場における調教師や騎手育成の指導者、あるいは競馬場での馬術演武の責任者といった、馬と直接関わる重要な役職に就くことであった。当時の徳川家臣団において、鳥居小次郎のような譜代の家臣は通常、知行地を与えられ、そこからの年貢を俸禄としていた。領地を持つ武士は、その統治や軍役など様々な義務を負うため、特定の専門職に永続的に専念するとは限らない。そのため、彦九郎は、鳥居小次郎が今後もずっと競馬に関わり続けるとは限らないと考え、その将来的な後継者として源太夫を見込んでいた。

 

 源太夫は、彦九郎の先見性と馬への情熱に強く共感した。主を失い、行く末を見失っていた彼にとって、彦九郎の提案は、武士としての新たな矜持と生きる意味を与えてくれた。源太夫は、彦九郎の誘いを受け入れ、徳川家を通して彦九郎の指揮下で、馬飼家の家臣として仕えることを決意した。

 

 表の顔となる人材を得た彦九郎は、次に、その構想の「影」の部分に着手するべく動いた。彦九郎の脳裏に浮かんだのは、小田原征伐で主家を失い、散り散りになった「風魔衆」の存在であった。彼らの隠密行動、情報収集、そして身体能力は、平和な世でこそ新たな価値を生み出すと確信したのだ。彦九郎は、この大胆な構想を家康に進言した。

 

「殿、競馬の公正と、牧場の安全を守るため、風魔衆の力を借りたいと存じます。彼らの技能は、この新しい時代において、徳川の影の力となりましょう」

 

 家康は眉をひそめた。忍び衆への不信感、そして主家を失った者たちの忠誠心への疑念は当然であった。

 

「風魔衆とな?奴らは北条の残党。それに、徳川には伊賀衆がいる。彼らの縄張りを侵すことになろう」

 

 家康の懸念はもっともであった。徳川家には、長年仕える伊賀衆という強力な忍び組織が存在する。彼らの反発は避けられないだろう。彦九郎は冷静に答えた。

 

「伊賀衆の功績は、我ら徳川の礎でございます。しかし、風魔衆に求める役割は、伊賀衆とは異なる特殊な任務にございます。競馬における不正の監視、馬の健康状態に関する秘匿情報の収集、そして競馬場内外の不審者の発見など、彼らの持つ独自の技能が不可欠なのです。伊賀衆とは互いの領域を侵さぬよう、明確な役割分担を設ける所存。これにより、徳川全体の利益となり、伊賀衆の負担も軽減されましょう。また、戦乱が終わり、居場所を失った彼らを放置すれば、食い詰めて盗賊や山賊等の世情を乱す者と化す危険性もございます。彼らを徳川の組織に組み込むことは、治安維持の面からも有効な策と存じます」

 

 彦九郎の熱意と、その先見性に家康は納得した。平和な世における「影の力」の必要性を理解し、勧誘の許可を与えた。ただし、彼らの身分は武士ではなく、競馬場と牧場の運営を司る新設の「御馬奉行所」に属する特殊な「職員」として、徳川家から直接雇い入れられることとなった。そして、彦九郎は初代「御馬奉行」として、この奉行所を統括し、風魔衆を含むその運用全般を指揮する形を取る。これは、彦九郎の類稀なる才覚と、彼が提唱する競馬事業が徳川家にもたらすであろう利益を家康が深く信頼した結果であったが、同時に、馬飼家が私兵ともなりうる特殊な集団を抱えることによる将来的な危険性を回避するため、風魔衆を徳川直属の公的な組織に組み込むという、周到な配慮でもあった。

 

 彦九郎は、風魔衆の生き残りの居場所を探り始めた。

 その動きを察知した伊賀衆は、すぐさま彦九郎に探りを入れてきた。伊賀衆の頭領である服部半蔵は、彦九郎の元を訪れ、風魔衆の再編に対する懸念と不快感を露わにした。しかし、不快感の表明は半ばポーズでしかない。半蔵自身は、彦九郎が伊賀衆がもたらす情報を家康以上に高く評価してくれるため、彦九郎に好感を覚えていたからだ。

 

「彦九郎殿。北条の残党を招き入れるとは、いかなるお考えか。彼らは我ら伊賀衆とは相容れぬ存在。徳川の秩序を乱すことになりかねませんぞ」

 

 彦九郎は半蔵の言葉に耳を傾け、伊賀衆の長年の功績を認めつつ、風魔衆に与える役割が、彼らの領域とは異なることを明確に説明した。

 

「半蔵殿。風魔衆に求めるのは、戦乱の世の忍びの技ではございません。彼らの持つ隠密性と情報収集能力を、競馬の公正な運営、そして牧場の健全な管理に活かしたいのです。彼らは表舞台には出ず、影で徳川の新しい文化を支える存在となる。伊賀衆の任務とは明確に棲み分けをし、互いに協力し合うことで、徳川の天下泰平に貢献できると確信しております」

 

 半蔵は彦九郎の言葉に疑念を完全に払拭したわけではなかったが、家康の裁定と彦九郎の明確な説明、そして何よりその熱意に、渋々ながらも理解を示した。そして、半蔵は風魔衆の隠れ里の場所を彦九郎に教え、協力を約束した。その際、半蔵は伊賀衆から一人の忍びを案内役兼連絡役として同行させることを申し出た。彦九郎もこれを了承し、小笠原源太夫、そして伊賀の忍びと共に、風魔衆の隠れ里へと向かった。

 

 風魔衆の隠れ里に到着した彦九郎と源太夫、そして伊賀の忍びは、激しい警戒を受けた。刃を向けられ、一触即発の状況となるが、彦九郎は動じることなく、風魔衆の頭領、すなわち新たな風魔小太郎と対面を果たした。

 彦九郎は、頭領に、戦乱の終結により忍びとしての居場所が失われつつある彼らの苦境を理解していることを示した上で、新しい時代における「影の力」としての役割を提示した。

 

「貴殿らの持つ技能は、戦のためだけに存在するものではない。新しい時代には、新しい役割がある。競馬という娯楽を公正に保ち、馬の命を守る。そして、この大江戸という新たな都市の秩序を、影から支えるのだ」

 

 彦九郎は、馬房の清掃や馬の餌やり、日常的な健康管理など、馬の世話全般といった任務に加え、不正賭博の監視、競走馬の健康管理における異常の早期発見、厩舎の不審者の排除、広範な情報収集も提示し、彼らの技能がどれほど重要であるかを強調した。さらに、徳川家が彼らの生活を保証し、身分は町人であるものの、新設の御馬奉行所に属する特殊な「職員」として、世間には知られない特別な地位を与えることを約束した。加えて、競馬場で得られる総売り上げの一割を風魔衆に与え、その配分は頭領に一任するという破格の条件も提示された。これは、彼らが「影」として生きることを許しつつ、その存在を徳川が認めるという、忍びにとっての新たな矜持となる提案であった。

 

 風魔衆は、長年の主家への忠誠心と、忍びとしての誇り、そして新しい主への疑念の間で激しく葛藤した。特に、彼らが培ってきた破壊や撹乱の技が、平和な世の「秩序維持」や「公正」といった目的に本当に役立つのか、という不安が頭領の胸中をよぎった。しかし、戦乱の終結という現実と、彦九郎が提示する未来への可能性、そして生活の安定という魅力的な条件に、彼らは新たな「生きる道」を見出した。最終的に、風魔衆の頭領は、彦九郎の提案を受け入れる決断をした。こうして、風魔衆は御馬奉行所配下の職員として、徳川に仕えることとなった。

 

 こうして、影の力である風魔衆と、表の力となる小笠原源太夫が、それぞれの役割で活動を開始した。風魔衆は影で競馬の不正を監視し、情報を集め、牧場や競馬場の安全を水面下で支える。一方、源太夫は牧場で馬の調教や騎手の指導にあたり、彦九郎の馬術理論を実践していく。江戸の街づくりと競馬文化の発展は、彦九郎の構想の下、異なる才能を持つ者たちの協力によって、着実に進んでいくのであった。




現代においても、馬の世話して400年という家系が何軒かJRAの中にいます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。