日本競馬年代記   作:くさくさ

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おいたわしくない秀康君 後編

 天下分け目の関ヶ原から五年。江戸の町は活気に満ち溢れ、その発展は目覚ましい速さで進んでいた。日ごとに新しい家屋が建ち並び、商人の活気や新たな文化が息づき始めていた。しかし、徳川の世が定まりつつあるこの時代にあって、一人、複雑な胸の内を抱える男がいた。

 徳川二代将軍、徳川秀忠。

 彼は父、家康によって将軍の座を与えられたが、その心中には常に兄、松平秀康に対する拭い切れない負い目があった。幼い頃から武勇に優れ、人望も厚かった兄が、なぜ将軍にならなかったのか。その問いは、秀忠の心を常に苛んでいた。

 

 そんな折、家康は将軍である秀忠の権威を示すべく、第一回将軍杯の開催を命じる。「日本の頂点を決める馬比べ」と銘打たれたその大会は、全国から名だたる名手名馬が集まる一大イベントとなった。距離は二十二町(約2400メートル)平場、出走馬は4歳(現代でいう3歳)限定。

 そして、秀忠は出場者候補の中に兄・秀康の名を見つける。

 

「兄上は、なぜこのような…」

 

 秀忠は、将軍として兄の「奇行」を諌めねばならないという思いと、兄の真意を知りたいという思いの間で揺れ動く。   

 

 将軍杯本戦を前に、大江戸競馬場は早くも熱気に包まれていた。各地から集まった農民や町人、そして武士やはるばる京都からやって来た貴族が、飯を食い、酒を飲み、大声で話しながら、前座の馬比べを楽しんでいる。会場の至る所から「それ行け!」「今だ!」という威勢のいい声が飛び交っていた。彦九郎が選抜した本戦から漏れはしたが、これはと見込んだ各地の精鋭たちが馬を駆る度に、会場は大いに盛り上がっていた。

 

 つつがなく前座が終わり、ついに本戦出場者たちが馬場に集う。細川忠興の息子、細川忠利は、貴賓席にて高みの見物を決め込んでいた。彼は秀康の姿を見て、家臣に吐き捨てるように話した。

 

「大名自ら馬を駆るとは、笑止千万。そもそも、こうなっては八百長の疑いさえ頭をもたげてくる。将軍家に花を持たせるためにな!それとも、将軍になれなかった兄が弟に対しての当てつけか?巻き込まれるこちらはいい迷惑よ」

 

 それを耳にした彦九郎は、激しく憤り、忠利に顔を突きつけて言い放った。

 

「舐めるなよ小僧!馬頭観音に誓ってこの俺は馬比べを汚すような真似はしないし、させぬわ!見ていろ!俺が選んだ15頭と15人、いずれも劣らぬ日ノ本の兵よ!」

 

  彦九郎の気迫に忠利は一瞬飲まれ、口をつぐむが、すぐに言い返そうと口を開きかける。しかし、ここでようやく周りの目を思い出し、「いや、戯言を言いました。許されよ」と口にした。胸をなでおろす忠利の家臣と周囲の大名達。一連のやり取りを目撃していた家康は苦笑いを浮かべ、秀忠は動揺していた。

 

「(俺に対する当てつけ…そうなのか?兄上?)」

 

 胸中に生じた疑念を抱え、馬場に視線を送る秀忠。

 

 そして、いよいよ将軍杯本戦が始まった。

 

 彦九郎に選ばれた五畿七道の代表15組が紹介され、その多くは名のある大名の家臣とその愛馬だった。しかし、松平秀康の名が呼ばれた際、馬を駆るのは大名である秀康その人であると知った庶民たちは、皆一様に驚き、殿様が馬を駆って勝負になるのかと疑問に思った。相手は専門職ともいえるような乗り手ばかりである。客席に詰めかけた観客からのざわめきをよそに、秀康は愛馬「震電」の首筋を撫でながら、その時を静かに待っていた。

 

 ゲートの扉替わりの縄が落ち、レースが始まった。それぞれの家中の馬達が先を争うように有利な位置取りを争う中、秀康と震電は最後方に位置した。観客席からは「あー」と落胆の声が上がり、忠利は侮蔑の笑みを浮かべた。ただ、彦九郎だけは「ほう」と短い声をあげた。

 

 家康が彦九郎に尋ねた。

 

「秀康はもう終わりか?」

 

 彦九郎は不敵な笑みを浮かべ答えた。

 

「殿のご子息はなかなかの名将でございますぞ。ま、最後までご覧あれ」

 

 レースが進み、現在の先頭は細川家。次に相馬家、島津家と続く。最後のコーナーを回り、観衆はかたずをのみながら最後の直線に入って来る若駒達に視線を送る。観衆の一人が「あ!」と大きな声をあげた。声を発した男の周辺にいた人間たちが何事かと思い、声の男が見つめる視線の先を追う。「あ!」

 

 各馬が懸命に最後の力を振り絞って加速する中、そのさらに外をすさまじい勢いで加速し、追いつき、追い抜いていく馬がいた。震電である。

 残り200メートルを切った頃に、秀康は震電に向かって「行け、震電」と静かに声をかけた。震電は一瞬ブルリと体を震わせると、さらなる加速を始めた。三番手に浮上していた本田家をあっという間に追い抜き、二番手の相馬家に追随する。

 相馬家の騎手がちらりと後ろを振り返り、その顔に驚愕の表情が張り付いた。レース序盤に早々に消えたはずの葦毛の馬が、自分を追い抜こうとしている!抵抗する暇もなく撫で切られ、先頭を走る細川家をも追い抜いていく震電。残り50メートルで先頭を追いぬいた震電は、二着に一馬身差をつけて勝利。

 

 競馬場に凄まじい歓声が轟く。なかなかお目にかかれないような逆転劇に、人々は興奮しきり、口々に秀康と震電の直線での一連の行動を話題にし、誉めそやした。  

 

「一時はもう終わったと思っていたが」

 

 優勝者に金杯を渡すためのセレモニーの為に馬場へと移動する家康と秀忠、そして、彦九郎をはじめとする徳川の家臣団。家康が呟くと、彦九郎が、

 

「あれは秀康様の策でございますよ」

 

「策?」

 

「秀康様はこの馬比べを俯瞰し、震電にはこの距離は長すぎると判断したのでしょう。最初に体力を抑え、最後に残りの体力を注ぎ込み追い抜くという戦法をとったのです」

 

「お前が教えたのか?」

 

「軽く雑談で話したことはありましたな」

 

「やれやれ、うちの奉行は優秀すぎる」

 

 二人の会話を横で聞きながら、秀忠は兄にどう声を掛けたらいいのだろうと悩んでいた。もし本当に自分に対する当てつけでこの馬比べに出ていたのなら、自分はどういう対応をするべきなんだろうという思念が頭の中でグルグルと渦巻いている。

 やがて馬場に降り立ち、観衆に応えていた秀康が見えてきた。満面の笑みを浮かべている秀康。大名という身分を感じさせない、軽やかさを感じさせる振舞い。

 

 司会の家臣が口上を述べ、そして、秀忠が優勝の証である金の将軍杯を秀康に贈る。競馬場の盛り上がりは最高潮に達した。秀康は杯を受け取るためにひざまずき、父と弟に深々と頭を下げ儀礼的な言葉を交わす。その後、秀康は静かに小さく口を動かした。

 

「秀忠、将軍就任、おめでとう」

 

 儀礼的ではない、兄から弟に贈る心のこもったこの言葉を聞き、秀忠は顔を上げた秀康の顔を凝視した。そこには爽やかな笑みを浮かべた秀康の顔があった。これまで兄に対して抱いていた複雑な思い、将軍としての重圧、そして何よりも、兄からの純粋な祝福が、秀忠の心を激しく揺さぶった。彼は感情をぐちゃぐちゃにされ、目に涙をためながら顔を歪める。それは、歓喜、驚き、そして安堵が入り混じった、複雑な表情だった。それを横目に見ていた家康は、肩の荷が一つ下りたことを感じた。

 

 将軍杯での優勝後、秀康は一人の武士として騎手として完全に自身の居場所を見つけた。彼は、父の「負い目」や弟との「競争者」という立場から解放され、結城秀康という一人の人間として、新しい人生を歩み始める。彼の物語は、「不遇な武将」の物語ではなく、自らの手で運命を切り開いた男の物語として、後世に語り継がれることになる。




小ネタ1
 ある歴史系バラエティー番組にて、競馬場にいるすでに出来上がったお父さんにインタビューした際「徳川幕府の初代、家康で知っていることは?」という質問に対して「そりゃあおめえ、初代ダービージョッキー様の親父ってことよ。それだけで価値がある」と答えられ、歴史系競馬民は「数百年越しに秀康の悲願がかなったw」と話題になった。

小ネタ2
 史上最強のジョッキーはという問いに対し、結城秀康という答えは鉄板。ただし、(物理)というカッコが付く。馬に乗って喧嘩したら誰も勝てないのは満場一致している。

小ネタ3
 この第一回将軍杯から、南蛮時計によるタイムの計測が行われており、一応の参考記録として残っている。これは置時計で、一応国産。ただ、精度にばらつきがあり、五つの時計の平均値を記録としている。ちなみに、第一回のタイムは3分22秒。

小ネタ4
 天皇が将軍杯のことを聞き、それから毎年「行きたい!行きたい!」と駄々をこね、宮中の春の風物詩となった。なお、見に行けたのは上皇になってからである。
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