慶長20年(1615年)春。大坂冬の陣の和睦は破られ、再び戦火が天を焦がそうとしていた。徳川家康は、天下統一の最終盤、天王寺・岡山方面に本陣を構えた。
その夜、家康は久方ぶりに深い眠りについた。夢の中、若き日の己を乗せ、戦場を駆け抜けた愛馬・風神が、かつてと変わらぬ雄々しい姿で現れ、家康に告げた。「主よ、明日は我が孫である神風(じんぷう)をともない、天下の行く末を見せてやってくれまいか」と。風神の言葉は、家康の心に静かに染み込んだ。
翌朝、家康が朝食を食べていると、京に詰めているはずの御馬奉行・彦九郎が姿を現した。
「大殿、おはようございます。実は、数日前に夢枕に風神が立ち、神風をここに届けよと……」
彦九郎の言葉に、家康は苦笑しながら言った。
「お前も見たか。風神のやつ、最後まで世話を焼いてくれるわ」
馬丁に引かれた神風は、20歳という老齢を感じさせぬ、若々しい立ち姿であった。家康が神風の傍に歩み寄ると、神風は静かに頭を下げ、他の人間には決して見せない、甘えるような仕草で家康の肩口に鼻を摺り寄せた。
神風が家康にこれほど懐くのには、深い理由があった。風神の血統ながら、神風は1歳の時に足を悪くし、跛行の癖がついてしまった。これが、家康との20年間の絆が始まるきっかけとなった出来事である。当時(家康が関東を統治する大大名であった慶長初年、1595年頃)、軍馬としては使い物にならないと判断され、馬丁たちは処分を検討した。
その報告を受けた家康は、これを強く止めさせた。その判断の裏には、祖父・風神の面影と、家康自身の深い後悔があった。
神風は、祖父である風神に顔つき、毛並み、そして眼差しまで瓜二つであった。風神の最期を看取ることがかなわなかった家康にとって、神風は風神との再会を意味し、長年の後悔を晴らす機会となった。さらに家康は、風神の血統を受け継ぐ神風を、「風神の命は救えなかったが、その孫の命は我が手で必ず救う」という強い決意を込めて庇護した。そして何より、家康自身の「戦場で倒れるのは本望だが、生まれながらの命を人の都合で摘むことはできぬ」という、命を尊重する哲学がその判断を支えたのである。家康は御馬奉行や馬医に、時間をかけて手厚く療養させるよう命じ、多忙の中でも自ら馬舎へと赴き、優しく神風に語りかけた。この主の深い慈愛こそが、神風にとっての命綱となり、命の恩人である家康を絶対的な主と認識し、他の誰にも見せない特別な親愛の情を抱くようになったのである。
家康は優しくその鬣を撫で、「お前も来たか」と静かに語りかけた。神風は、家康の歴代の愛馬の中でも、もっとも家康に懐き、親愛の情を示した馬であった。家康は「我が人生最後の戦を、神風に見届けてもらうのも一興よ」と、迷いなくその手綱を受け取った。彦九郎は一礼し、静かにその場を辞した。
大坂城に籠もる豊臣方には、勝利への道筋はほとんど残されていなかった。真田幸村は、劣勢を覆すべく、家康本陣への決死の突撃を敢行すべく、愛馬・黒閃を駆る。
黒閃は、風神の兄弟馬である雷神の血統を受け継ぐ駿馬であった。その荒々しい気性と圧倒的な突進力は、幸村の猛将ぶりを一層引き立てた。黒閃は今まさに全盛期を迎え、その凄まじい加速は黒い閃光のようであった。
幸村率いる真田隊の猛攻は、徳川軍の牙城を次々と打ち破っていく。黒閃の雷鳴のような蹄の音は、徳川の将兵を恐怖に陥れた。家康はかつてないほどの危機に瀕し、本陣は混乱の坩堝と化した。
混乱の中、幾重もの備えを突破し家康本陣へと突入した真田騎馬隊は、現在の乗騎である「風雲」に乗ろうとしていた家康を発見した。幸村は馬上筒を構え、風雲の胴体に向けて放った。銃弾は見事に命中し、横倒しに倒れる風雲から投げ出される家康。幸村はとどめを刺すべく黒閃を促すが、そこへ神風と近習達が立ちふさがる。
「大殿、ここはわれらに任せ、お逃げください!」
槍を振るい、真田方を牽制する近習達。だが、それらにお構いなしに突き進み、馬蹄で踏みにじろうとする黒閃へ、神風が猛然と吠えた。その咆哮は老馬とは思えぬ威厳に満ち、真田方の馬達は棹立ちになり、恐れ慄いた。その隙を利用し、家康は神風の上に跨る。
家康が手綱を握った瞬間、神風は駆け出した。老体からは想像もつかない俊敏さで、その疾走は、かつて風神が三方原で見せたような、風を切り裂くような速さであった。
逃げ出した家康を見て、幸村は高をくくっていたが、追いつけない事態に焦燥する。いくら風神の血統とは言え、全盛期の黒閃がなぜ老馬に追いつけないのか。黒閃が加速すれば神風も加速し、決定的な距離にまで詰め寄らせない。幸村が手に持った槍を投げつけてきたが、神風は命中する寸前で右へのステップでかわした。
そうこうするうちに横合いから徳川方の騎馬隊が間に合い、追撃を断念した幸村をしり目に、神風は家康を安全な場所へと運び去る。神風の体からは限界を超えた負荷による汗が吹き出し、口からは血泡がこぼれていた。家康は神風の異変に気が付き、「もうよい!もういいのだ!走るな、神風!」と叫ぶが、神風は主の命を守るため、決して止まることはなかった。
家康を安全な場所へ運び終えた神風は、その場に力尽きて倒れ込んだ。家康は神風の労をねぎらい、その頭を撫でる。神風は家康の手に甘えるように顔を擦りつけた後、主の腕の中で安堵したように静かに息を引き取った。
時を同じくして、家康を取り逃がした幸村は、黒閃と共に戦場を離れ、深手を負いながらも、安居神社の傍らへと辿り着く。
そこへ、徳川方の武将、壮年になった鳥居小次郎が部下数人とともに現れた。小次郎は槍を下ろし、幸村に敬意をもって相対した。
「真田左衛門佐殿とお見受けする」
「いかにも。もはやこれまで、というところか」
「戦の趨勢は決しました。これ以上の流血は無益。おとなしく降参なされよ」
幸村は深手を負いながらも、自嘲気味に笑った。
「ふふふふふ、これほどの傷だ、どうせ助からぬよ。だが、一つ頼みを聞いてくれれば、おとなしくこの首差し出そう」
「何事でござろう」
幸村は愛馬の首筋に顔を埋め、その鬣を撫でた。
「この黒閃を、どうか兄、真田信之の元へ届けてはくれまいか」
小次郎は一瞬目を閉じ、深く頷いた。
「鳥居小次郎、確かに承った。必ずや信之殿の元に御馬を届けよう」
「おお、感謝する。そなたは…鳥居小次郎といったな。よろしく頼む」
幸村はその後、黒閃の首筋に顔を埋め、「黒閃よ、よくぞここまで付き従ってくれた。お主がいなければ、この幸村、これほどの働きは叶わなかったであろう。感謝するぞ、我が友よ……」と語りかける。黒閃は悲しげにいななき、主の言葉に応えるかのように静かにその大きな瞳を幸村に向けた。
そして、小次郎の部下に黒閃の手綱を渡すと、幸村はその場で切腹し、小次郎が介錯を務めた。日本一の兵と称えられた彼の壮絶な最期は、敵味方問わず、多くの者の心に深く刻まれることとなった。
大坂夏の陣は徳川方の勝利に終わり、豊臣家は滅亡。天下は徳川によって完全に統一された。
神風の活躍は、戦場の混乱の中で一部の者しか目撃しなかったが、家康の命を救った「徳川の守り馬」としての伝説が語り継がれることとなった。
時が下り、家康の遺言により、神風は愛馬・風神と共に、家康の墓所の両隣に葬られることになる。
一方、真田幸村の討ち死に後、黒閃は約束通り真田信之の元に届けられ、その余生を大切にされて過ごすこととなる。そして、その血統は後に、将軍杯や天皇賞を幾度となく制することとなるのであった。
小ネタ1
なんで都合よく老馬である神風が京都に詰めていたのかという疑問は歴史ファンの誰しもが思うことで、これは創作なのではないかと疑われていたが、昭和になってある旧家(徳川家の厩番の家系)から初代の日記が見つかり、その中になぜだか知らないが、いつの間にか神風が紛れ込んでいて、それに気が付いたのが尾張を過ぎた頃だったため、そのまま連れてきたと書かれていた。
小ネタ2
風神はこの後ちょくちょく徳川家の血を引く人間の夢枕に立つことがあり、結構おせっかいな性格だと認識されている。
小ネタ3
神風は跛行の影響で、軍馬としての経歴はこれまで持っておらず、この家康の逃走時が初陣だった。エモい。