日本競馬年代記   作:くさくさ

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日ノ本の馬文化の萌芽と彦九郎の革新

 聚楽第での馬比べは、日ノ本に大きな衝撃を与えた。特に徳川家の馬たちが三本全てを制したという結果は、単なる勝敗以上の意味を持っていた。長距離の疾風の圧倒的なスタミナ、中距離の迅雷の稲妻のような加速、そして障害での鳥居小次郎と光嵐の人馬一体の妙技。これらは、従来の馬術の常識を覆すものであり、その背後には馬飼彦九郎という稀代の馬奉行の存在があることが、天下に知れ渡った。

 

 この馬比べを目撃した各地の大名たちは、その光景に度肝を抜かれた。特に、徳川家とある程度の付き合いがある大名家からは、こぞって使者や家臣が浜松へと送り込まれてきた。彼らの目的はただ一つ、徳川家の馬の飼育方法、繁殖方法、調教方法、そして革新的な騎乗技術「猿乗り」を学ぶことであった。彦九郎は、自身の野望のためには、日本の馬全体のレベルアップが不可欠であると考えていたため、惜しみなくその知識と技術を公開し、指導にあたった。

 家康もまた、彦九郎の持つ非凡な才が徳川家だけでなく、ひいては日ノ本全体の馬の質を高めることで、徳川家の武威と影響力をより広く天下に示す好機となると見抜いていた。馬は戦における重要な要素であり、優れた馬と調教技術はそのまま軍事力に直結する。徳川家が馬術の最先端を行き、その知識を広めることで、他大名が徳川家を頼り、その指導的立場を認めざるを得なくなる。これは、武力だけでなく、技術と文化の面でも徳川家が天下を牽引する存在であることを示すものであった。家康はこの知識の共有を許容した。

 天下人である秀吉の権勢は揺るぎないものであったが、この新たな文化の広がりは、彼といえども容易に止められるものではなかった。これにより、徳川家を中心に、日本の馬文化は新たな段階へと足を踏み入れ始めた。その結果、各地の大名たちも自領に馬場を設け、徳川家を模範とした馬比べを開催するようになる。中には、自国の地形を活かした独自の障害を設けたり、地域に伝わる馬の神事と組み合わせたりと、趣向を凝らした催しを企画する者も現れ、馬比べは多様な発展を遂げていった。

 

 彦九郎がこれらを実現させるために行った様々な革新の中でも、最も基礎的でありながら、最も大きな影響をもたらしたのは、馬が食べるものを自ら栽培したことであった。当時の馬の飼料は、主に稲藁や雑穀が中心であり、栄養バランスや品質は決して良いとは言えなかった。彦九郎は、現代の知識を活かし、馬の成長と能力向上に最適な飼料を研究し、大麦や燕麦といった穀物、さらにはクローバー(シロツメクサやアカツメクサなど)などの牧草の試験的な栽培を試みた。その際には、土壌改良の重要性も理解しており、痩せた土地でも作物が育つよう、堆肥の活用や排水性の改善にも積極的に取り組んだ。これは、単なる飼料の改善に留まらず、これまで手つかずで放置されていた土地を牧草地として有効活用することや、新たな農業技術の導入にも繋がり、徳川領内の農業生産性向上にも貢献した。

 

 また、彦九郎は、馬それぞれの詳細な記録を残すことにも徹底的にこだわった。日々の調教内容、飼料の量と種類、体調の変化、そしてレースでの成績や特徴など、ありとあらゆる情報を克明に記録させた。この報告書は、後世の血統管理や調教法の確立に不可欠なものとなるため、彦九郎は部下たちに楷書による正確な記述を徹底させた。

 

 そして、その記録を残すための道具にも、彦九郎の現代的な感性が光っていた。彼は、ほとんどすべての書類を、自ら考案した金属製のつけペンで書き記した。当時の筆や墨に比べ、金属製のつけペンは細く正確な線が引け、何よりも美しい楷書を書き記すのに適していた。最初は彦九郎の奇妙な道具に戸惑っていた部下たちも、その書きやすさと仕上がりの美しさに魅了され、次第に金属製のつけペンを真似て使う者が増えていった。こうして、馬飼家の厩舎から、じわじわと金属製のつけペンによる楷書文化が広がり始めたのである。

 

 また、絵描きの中には、筆と金属製のつけペンを併用し、より緻密な描写を試みる者も現れ始めた。このことから、日本の絵画文化の中で、馬を躍動感ある姿で描くことが流行し、江戸時代になると有名な馬の錦絵などが売られるまでになった。後世、江戸時代中期に活躍した絵師、尾形光琳は、国宝ともなる「風神雷神図屏風」を描き上げた後、セルフパロディとして、馬の風神と雷神が駆け抜ける様を描いた「馬風神馬雷神図屏風」を洒落で描いたという逸話が残っている。皮肉にも、その馬の絵の方が当時の人々に大いに受け、光琳が知人に「まさか、あの馬の絵がこれほど評判になるとは……」と愚痴をこぼした、という話が伝えられている。

 

 さらに、彦九郎は徳川家全体の馬の管理体制も抜本的に見直した。武士が個人で所有する馬も、厩方が管理する広大な牧場に定期的に放牧することを義務付け、馬の健康維持とストレス軽減を図った。放牧期間中には、武士たちには代わりの馬が貸し出され、戦への備えを怠ることがないよう配慮された。また、戦が近いと判断された場合には、彦九郎の指導のもと、各個人の馬に対して専用の調教が施されるようになり、個々の馬の特性を最大限に引き出すための工夫が凝らされた。馬の厩舎近くには銃の射撃場なども併設され、銃声に慣れるような工夫もされた。

 

 彦九郎の革新は、馬の能力向上だけでなく、日本の文化そのものにも静かな、しかし確かな影響を与え始めていた。また、馬の重要性が増すにつれて、馬の守護仏である馬頭観音への信仰も篤くなり、各地の厩舎や牧場には馬頭観音の石像が建立されるなど、馬文化は精神的な側面にも広がりを見せていった。




 つけペンと楷書文化は商家などにも広がりました。記録しやすくて見やすいとか最高じゃねえか。
 ちなみに、彦九郎は自分で作らせた紙を使っているので、紙がにじみにくいです。そして、その紙とかつけペンは清水屋に販売させてます。他にも色々販売させてるので、清水屋はただの馬喰商家ではなくなって来てます。彦九郎に対する見返りは、彦九郎からの無茶ぶりに応えることです。今は中央アジア行って、アルファルファの種持って来いって言われてます。

「馬風神馬雷神図屏風」は重要文化財です。
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