関の入門から数日が経過した4月18日。
浦海部屋に一人の来客があった。
若干薄い白髪に、蓄えた髭、小柄ながらも丸々としたその様はさながら高橋是清にそっくりだった。その正体は、浦海部屋の後援会会長を務めるタニマチで、投資家と不動産王の顔を持つ
春のうららかな気温がかき消されるような熱気が、稽古場に充満している。
激しいぶつかり合いの末に、片方が地面に伏し、勝者の元へ次の取り組みをと続々と力士たちが集まる。
申しあい稽古と呼ばれるそれは、簡単に言えば勝ち残りの稽古で、取組で勝った力士が次の対戦相手を指名し続けることが出来るという極めて単純なものだった。
なお現在、関 勇之助は16連勝中。
次々と対戦相手が転がされていくその様はまさに無双そのもの。事前に聞き及んでいた強さよりも遥かに上回るその実力を目の当たりにした影山は、思わず少年のように目を輝かせ、自然と口角を上げていた。
「親方」
「はい…」
「こりゃ、横綱になりますな」
「…えぇ、私もそう期待しています」
関西弁特有の上ずった語尾と絞り出すような小さな囁き声で、少しの会話をした後、影山は再び稽古に釘付けとなった。
バシンという空間が割れるような音が鳴り響く、丸々と太ったアンコウ型の
がっぷり四つになれば確実に負けると悟った蘇ノ海は、自身の得意とする押し相撲へと持ち込んだ。
押し相撲とはその名の通り、相手を押し出す戦闘スタイルで、使用する力士は主に、蘇ノ海のようなまるまる太ったアンコウ型と呼ばれる体型の力士が多い。有名な技で言うと相手の胸や喉に手の平を"打ち付け"、土俵の外に置いやる"突っ張り"がよく知られている。
相手を寄せ付けず、攻撃の姿勢を前面に出して土俵外に押し出すその様は、時に流血を伴う激しい取り口となることが多い。
蘇ノ海の両手から次々と放たれる突っ張りは、確実に関の巨体を捉えていた。そのまま威圧感をかけ続け、土俵際へと着実に追いやる。遂に関に黒星をつける時が来たかと、親方も影山も思わず前傾姿勢になった。
その瞬間、先程まで責め続けていた蘇ノ海が、地面にその巨体を打ち付けた。
「おぉ、はたき込みや…」
押し相撲となった今回の取り組みは、両者ともに攻防を仕掛けていたのものの、激しい攻撃を続ける蘇ノ海に対して、関は相手のスタミナを切らすために攻めと受けを上手く使い分け、戦いを長引かせた。
息絶え絶えになりながら、土俵際まで持っていった蘇ノ海の攻撃を最後の瞬間受け流しながら、バランスを崩したその技に、思わず影山は
フィジカルにかまけることなく、相手の取り口に合わせて戦略立てすることの出来る、相撲IQの高さ、技巧という面においても、なかなかに有望だ。
その後しばらく取組が続いた後、11時30分頃に朝稽古は終了となった。
稽古後、流した汗と体に着いた土をシトラスの香りのボディソープとともに洗い流した関は、昼のちゃんこを食べるためにちゃんこ場へと向かう最中、影山とばったり出くわした。
「お、これはこれは未来の横綱やないの」
163センチの小柄な体格からすれば、見上げるほどの巨体を誇る関に対し、影山は鼈甲のメガネ越しにニタリと笑みを浮かべ、若干強引ながら握手を求めた。大きな片手を両手で包み込んでゆさゆさと上下に揺らす。
2、3往復したところで止まり、影山片手で顎髭をさすりながら興奮冷めやらぬ様子で言った。
「いやぁ、これでも長いこと角界を支えてきたつもりなんやけど、アンタほど将来有望な新弟子を見るのは今日この日まで一度もなかったわ、威風に見合わぬ黒廻し…ええもん見さしてもらった」
「ごっちゃんです」
「礼を言いたいのはワシの方やて、アンタは将来絶対に横綱になる男やからな、そないごっつい漢を入門当初から支えられるんは、もうタニマチ冥利に尽きるわ」
「期待に添えられるよう頑張ります」
「おう、その意気や。期待しとるで、来年の
そう言うと、影山はナハハと大きく笑いながら部屋を去っていった。
小柄ながら快活な老人の後ろ姿を唖然と眺める関のさらに後方で、様子を伺っていた弟子たちは
「影山の爺さんいつも以上に元気だな」
「な…」
と小声で話していた。
3威風に見合わぬ黒廻し
5月2日
普段は見慣れぬスーツ姿に身を包んだ浦海親方は関を伴って、相撲の聖地 両国に訪れていた。10日後に5月場所を控えている今日は、相撲部屋に入門する新弟子の検査を行う日だ。
通常、新弟子検査とは本場所の直前に行われ、新弟子にとっての初土俵も当然検査から10日後となっている。本場所は1年のうち奇数月、つまりは2ヶ月に1回行われるため、新弟子検査は1、3、5、7、9、11月と年6回行われている。
今現在、年々相撲人口が減少傾向にあるため一度の検査に参加する新弟子の数が10人を切ることも少なくは無いが、一昔前の相撲全盛期の頃は測定器に長蛇の列が出来ることは当たり前だった。
ちなみに五月場所直前となる本日の新弟子検査参加者数は関も含めて全部で11人、多くも少なくもない人数であった。
新弟子検査の会場である両国国技館の周辺には、今場所で入門する新弟子を一目見ようと駆けつけたディープな好角家が散見され、特に高校相撲において無双を誇り、学生相撲の中でも著名であった関に対しては、若干の歓声が挙がっていた。
親方と共に守衛に挨拶をした後、両国国技館の裏口へと向かった関は更衣室で測定用の短パンに着替え、検査の時を待った。呼ばれるまでは会議室を控え室に使うことになったのだが、関はそこで思わぬ再会を果たした。
「…お前、やっぱ居んのかよ」
「あれ、なんで居るの」
「いや、こっちのセリフだわ」
関より若干小さい、と言っても身の丈189cmの長身と丸々としたアンコウ型の体型を持つその様は、相撲界を席巻したハワイ州出身の力士でNHKの教育番組にも出演していたあの大関を思わせる巨体だった。
名を金子といい、高校相撲の時には幾度となく関とぶつかった過去がある。その伝説は凄まじく、高校在学中は彼専用の椅子と机が用意された他、制服や体操服も特注で、食堂には金子スペシャルという名の総重量2キロのすり鉢を使った焼肉丼が用意されていた程だ。
高校相撲においても数々の伝説を作っており、もしも関が同じ時代に生まれていなければ無双を誇っていたと言われるほどの強さで、実際、孤高の存在であった関と唯一対等に張り合えた稀有な学生力士として高校進学前から、数々の相撲部屋にスカウトを受けていた。
「てっきり、大学に進学するものだと思ってたけど。私立で頭良かったでしょ」
「それも迷ったんだが、大学行ったとて何か強さに拍車がかかるかと言われれば首をかしげざるを得ないしな、高校相撲の時に怪我してたらリハビリと療養期間も兼ねて進学していたかもだが」
「そうか、しかし相変わらず足腰が強いな、その体重を支えられるほど丈夫な力士はそうそう居ないと思うし…相撲の神に愛されてるよ」
「お前が言うな」
嫌味か貴様、と範馬勇次郎のようなセリフを付け加えながら金子は関に突っ込んだ。実際、高校相撲人生において金子は関に黒星をつけたことがない。あと一歩という惜しい試合を何度重ねてもなお、ついぞや3年間、彼の膝に土をつけることは叶わなかった。
金子の通っていた高校は全国屈指の相撲強豪校と言うだけあってか、団体戦では常に首位を許すことはなかったが、個人戦においては関という怪物が同期に存在しているせいで、表彰台は2位に留まっていた。
されど2位である。
やはりその強さは他の追随を許さぬほど無類の存在で、特に持ち上げることも叶わぬ巨体と、太い腕と大きな手から繰り出される突っ張りは、並の高校生力士を吹き飛ばすほどの威力だった。
怪物と怪物。
共に幕下付出の特例を手に角界に足を踏み入れた期待の新星、そんな2人が合間見えた控え室は、異様な雰囲気が漂っていた。
後に最高位幕下5枚目で引退後、地元の千駄ヶ谷でちゃんこ料理屋『竜ちゃん』を営むことになる元
『忘れもしません、2024年5月場所…その新弟子検査。明らかにでかいんですよ、それに身に纏うオーラも現役幕内力士に匹敵するそれを持っていると感じました』
『同時期に入門したことを悔やんでいるか?そうですね、まぁ全く遺恨があったかと言われれば嘘になりますけど、でも当時中学相撲から親方にスカウトされて序の口からスタートを切った自分ですけど、年齢も大きさも違う二人を見た途端に、自分は横綱を目指すことすら難しいんだろうなと確信しましたね。何せ横綱目指すにはあの二人を倒す必要がありますから』
『戦ってみたかったか?いやいや、戦うどころか遊ばれると思いますよ。自分がようやく幕下まで上がった頃には、あの"二人は"既に横綱でしたからね。いやぁ、でも全くの同期から横綱が2人も輩出されたことと、その2人の新弟子検査を同じ時、同じ場所で受けられたのは末代までの自慢ですよ』
元 竜鳳凰は笑いながら言った。
後に四股名を
新弟子検査に至るまで、どこで着替えてどこで待機するのかなどの情報が調べても出てこなかったため、本小説における描写は完全に憶測です。