東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる   作:四国の探索人

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第10話 村への脅し

朝靄が村を包み込み、炊き出しの煙が軒先に立ち上る頃。

 

諏訪村――いや、今は八坂神奈子の統治に移ったこの村では、まだ寝ぼけ眼の村人たちが一日の準備を始めていた。

 

「……今日は冷えるなぁ。朝餉でも炊いて……っと」

 

ある一軒の家、年老いた男が味噌汁の鍋を火にかけようとしたそのとき、外からかすかに“ざわっ”と草が揺れる音がした。

 

風のない朝――それは明らかに不自然な気配だった。

 

「……ん?」

 

男は眉をひそめ、戸口へと歩く。

 

ごく普通の朝のはず。だが、なぜか背筋に氷のような感覚が走る。

 

そっと戸を開けると、そこにいたのは――

 

白く、長く、滑るように蠢く異形の存在。

 

全長はゆうに大人三人分。分厚い鱗が朝日に鈍く光り、その冷たい眼が、まっすぐに男の目を射抜いていた。

 

「……ッ!」

 

一瞬で血の気が引く。男は何も言えず、戸を“バンッ”と乱暴に閉めた。

 

心臓が早鐘を打つ。

 

(なんで、なんで白蛇がここに……?)

 

震える手で柱をつかみ、記憶を探る。

 

あの白蛇は、かつてこの地の守護神だった“洩矢諏訪子”の神獣。 だが彼女は、八坂神奈子に敗れ、すでに追いやられたはずでは――?

 

「まさか、神奈子様の統治に切り替えたことを……怒ってるのか……?」

 

男の脳裏に、ぞっとする光景が浮かぶ。 白蛇が夜な夜な村を這い、信仰を裏切った者の寝所に忍び込み、いつのまにか喉元に巻きつく――

 

(信仰を変えたのは……神の怒りに背くことだったのか……)

 

その時、家の外を“ずる……ずる……”と何かが這う音が通り過ぎていく。 白蛇はその家を一周するようにして、やがて隣の家へと向かっていった。

 

次の家でも同じように。

 

玄関の前に静かに佇み、何もせずに、ただ**“見つめる”。**

 

その目に宿るのは、罰でも、怒りでもない。もっと冷たい――“見届ける者”の眼差し。

 

「見られている……我々の選択が、“誰を神と仰ぐか”が、あの蛇に……いや、神に見張られている……!」

 

村人たちは次第に畏怖を覚え始めた。 誰も傷つけていない、何も壊していない、ただ歩くだけ――

 

それだけで、“信仰を裏切った”ことを思い出させるには、十分すぎた。

 

朝の空気は、もう温かくなかった。 村全体に、目に見えぬ蛇の冷気が這いずりまわるような気配が充満していた。

 

 

 その朝、村中に不穏な空気が流れ始めた。

 

白蛇の足音なき巡回――それは家々を静かに這い、村人たちの胸中に“かつての神”の存在を蘇らせていた。

 

とある家では老婆が膝を抱えて震えていた。 「見たよ……あの目は……災厄の前に現れる兆し……諏訪子様が怒っておられる……」

 

そんな中、村の集会所で男たちがざわついていた。

 

「おい、あの白蛇は……」

 

「間違いねぇ。洩矢様の使いだ」

 

「昨日までなんともなかったのに、今朝から村中を見て回ってる。まるで“何か”を試してるように……」

 

「神奈子様の軍勢は強い。勝った。それは事実だ。だが……」

 

一人の壮年の男が、ぽつりとつぶやく。

 

「……俺たち、神様を捨てたんじゃないか?」

 

誰もが口を閉ざす。 それを否定する声は、どこにもなかった。

 

その時、巫女が立ち上がった。 東風谷家の末裔――かつて諏訪子に仕え、神奈子によって地に伏した巫女であった。

 

「私たちは、諏訪子様に祈りを捧げていた。雨を願えば雨が降り、豊穣を祈れば実りを与えてくれた……。 でも、戦が始まったあの日、私たちは神奈子を待たずに戦いを挑んだ」

 

巫女は、手にした小さな紙垂を胸に掲げる。

 

「けれど、忘れていた。神は、“力”ではなく“心”で結ばれる存在だということを」

 

村人の中に、静かなざわめきが広がる。 誰もが思っていたが、誰も口にしなかった言葉が、そこにあった。

 

その瞬間、村の中心にある石碑――諏訪子が祀られていたかつての社の跡地に、ふわりと白蛇が姿を現した。

 

誰に襲いかかるでもなく、ただ石碑の前に身を横たえるようにして、まるで“戻るべき神の居場所”を示すかのように静かに伏していた。

 

そして――誰かが、言った。

 

「……やっぱり、洩矢様を怒らせちゃいけねぇ」

 

「神奈子様は強い。だが、“この地”を守ってきた神様は、諏訪子様だ」

 

「神様は、追い払うもんじゃない……“迎える”ものだ」

 

一人、また一人と―― 石碑の前に人が集まり、花を供え、昔のように手を合わせはじめた。

 

忘れていた祈り。

 

見捨てたと思っていた神。

 

それが、いま“静かな怒り”によって、再び村人たちの心に火を灯しつつあった。

 

そのすべてを、森の中の朽ちた祠から――諏訪子と隠岐人は、見つめていた。

 

 

 

 

 

 

祠の奥、苔むした梁の下。

 

諏訪子は岩に腰かけ、白蛇の頭を静かに撫でながら呟いた。

 

「……ね、見たでしょ? 信仰ってのは、消えたように見えても、ちゃんと“土に根を張ってる”ものなんだよ」

 

その隣で隠岐人は腕を組み、村の方角に目を細めていた。

 

「……それでも、決着はまだついていない。人の心が揺れても、あの御柱が立ち続ける限りは」

 

「うん、まだ“神奈子の支配”は終わってない。だけど、ね――あの白蛇のおかげで、人々の心の隙間に、もう一度私の名前が芽吹いた。少しだけ、力も戻ったよ」

 

諏訪子はすっくと立ち上がり、地面についた手を軽く払った。

 

「これでようやく、“土着神”として土俵に立てるってわけだ。あとは――」

 

「――八坂神奈子、か」

 

一方その頃、村の中心。

 

太鼓も笛も止まり、祝宴の喧騒はどこかに消えていた。 残るのは、焚かれた火の揺らめきと、静まり返った夜の空気。

 

八坂神奈子は一人、広場の中央に立っていた。

 

その眉が、ぴくりと動く。

 

「……この気配。懐かしいな。東風谷の巫女と戦った時にも、ほんのわずかに感じた。やはり……洩矢諏訪子、貴様だったか」

 

神奈子は大杯を静かに地面に置き、夜空を見上げる。

 

雲の切れ間から覗いた月明かりのなか、わずかな神気の揺らぎが風に溶けて漂っていた。

 

「いいだろう。この地の神として、どちらが相応しいか――力と信仰、その両方で決める時だ」

 

背後に立てられた御柱に、神奈子が手を添える。

 

その瞬間、地面がドン……と低くうねるように震えた。

 

「来るがいい、洩矢。土に伏した古き神の意地、見せてもらおうじゃないか」

 

八坂神奈子は、口元に挑発的な笑みを浮かべた。

 

その眼には、これから始まる“神と神の争い”への興奮が、はっきりと宿っていた。

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