東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる 作:四国の探索人
諏訪地方に住み着き幾百年。隠岐人が暮らす諏訪の社に、ある日、神奈子が声をかけに来た。
「おーい、隠岐人。お前に会いたいという珍しい客人がいるんだ。居間まで来い。」
怪訝に思いつつ従うと、諏訪子が待っていた。
だが部屋を見渡しても、肝心の客人の姿は見えない。
「お客さんは?」と問う隠岐人に、諏訪子がくすりと笑い、足元を指差した。
視線を落とした瞬間、隠岐人は思わず声を漏らす。
そこに立っていたのは掌ほどの背丈の小人だった。
「……あっ、すいません!」
小人は微動だにせず、澄んだ声で答えた。
「その反応には慣れておる。我は小人、名を少名一寸。お主が空間を渡る術を使えると聞いた。」
隠岐人は頷く。
「自分の空間を経由すれば、一度行ったことがある場所には――ですが。」
「では、京には行けるか?」
「京?」と隠岐人が首をかしげると、背後で神奈子が補足する。
「この国の都だ。だが隠岐人は地方育ちだからな、行ったことはないだろう。」
一寸は肩を落とす。
「なんじゃ、未踏か……。だが一度行ってしまえば、帰りはそなたの力で戻れるのじゃろう?」
「……試したことはありませんが、おそらくは。」
「ならば頼みたい。我と共に京へ向かってほしいのじゃ!」
小人は胸を張り、声を張り上げた。
「背を伸ばすための薬がいるのだ!」
あまりに私欲全開の告白に、隠岐人は思わず口を尖らせる。
「思いっきり私欲じゃないですか。」
一寸は頬を赤らめ、しかし続けた。
「実はな……好いておる女子がいてな。文を交わし合い、縁談の話も進んでおるのだが……。この度、初めて会うことになっての。もし我が小人と知られたら、不味いのだ!」
諏訪子が悪戯っぽく笑って言う。
「ってなわけで、この子について行ってあげてほしいんだよね。」
隠岐人は頭を抱えた。
「すごい……びっくりするほど私にメリットがないですよ。」
だが神奈子がふと真顔で口を挟んだ。
「ただの薬ならそうだが……聞くところによると、その薬には“月の秘術”が持ち込まれているらしい。」
隠岐人の表情が険しくなる。
「……月の秘術?」
神奈子は鋭い目でうなずいた。
「そう。地上の薬師が月から薬を仕入れているのか、あるいは――月の民が地上に潜んでいるのか。」
その言葉に隠岐人の瞳が光を帯びる。
「……分かりました。行きます。」
一寸は飛び跳ねて喜ぶ。
「おお! 頼もしいぞ、隠岐人! 我一人なら京で見世物小屋にでも攫われてしまうところじゃったからの!」
昼下がりの諏訪の空気は澄んで、遠くの山並みまでくっきりと見渡せた。
その道を、隠岐人と小人――少名一寸は並んで歩いていた。
「なあ、隠岐人。どうして背を伸ばす薬が“月の秘術”だと知っておると思う?」
見上げるように声をかけてきた一寸に、隠岐人は少し首を傾げた。
「いや……俺も気になってたんです。そんなもの、どこで聞いたんです?」
「旅商人からじゃよ。」
一寸は胸を張り、小さな体で大きな声を出す。
「京の方に“なんでも作れる薬師”がおるそうでな。そやつが扱う薬を、連中は“月の知恵を借りたもの”と吹聴しておるらしい。それが“月の秘術の薬”と言われる所以というわけじゃ。」
「……月の知恵、か。」
隠岐人の瞳が僅かに揺らぐ。
彼の胸の奥に、冷たい針のような記憶が突き刺さる。
(まさか、まだ“あいつら”が地上に関わっているのか……?)
歩きながらも、隠岐人の視線は遠く、誰にも見えぬ月を睨んでいた。
そんな彼の心中など知らず、一寸は小さな手をぶんぶん振り回しながら続ける。
「もちろん噂に尾ひれはつくものじゃ。だが、もし本当に月の力を借りた薬なら……背丈どころか、どんな願いも叶うかもしれん!」
「……それが真実なら、危険すぎますね。」
低く呟いた隠岐人の声は、どこか刺々しく響いた。
一寸はきょとんとした顔を上げる。
「どうした隠岐人。そんなに月のことが気になるのか?」
「……まあ、少し因縁がありましてね。」
それだけを答え、彼は歩調を緩めぬまま空を仰いだ。
太陽は高く、京への道はまだまだ長い。
だが二人の胸の内には、それぞれに異なる目的と、確かに交わる一本の道が芽生え始めていた。