東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる 作:四国の探索人
隠岐人が息を整えながら立ち上がると、茨木童子は肩を回し、不自由になった右腕を見下ろして鼻で笑った。
「やめだ。これ以上は不毛だ。復活できる半妖なんざ、何度殴ってもキリがねぇ。」
隠岐人は訝しげに目を細めた。 「いいのか? 戦闘そのものは、そっちが有利だった。」
童子はふっと笑う。 「十分楽しめた。それにこの腕、当分は使い物にならねぇ。……ほら、向こうも終わったみたいだぜ。」
童子が顎で示した先で、一寸がピースをしていた。
その足元には鬼たちがまとめて倒れている。
一寸「さぁさぁ、茨木童子よ! 約束の薬を渡せ!」
童子「ほらよ。薬と貴族はそこにな。」
縄で転がされた貴族・宮古芳香と、その傍らに薬とされる団子が置かれていた。
影狼は団子を持ち上げ、不思議そうに眉を寄せる。 赤蛮奇も、首を傾げながら覗き込んだ。
そこへ、童子が淡々と忠告を落とす。
「負けた私が薬の使用を止めるつもりはねぇが……やめとけ。それ、大麻が入ってる。」
一寸「はぁ? お主、ワシらを騙したのか!」
童子「騙してねぇ。元々そういうブツなんだよ。
大麻による幻覚が、願いを叶えたように錯覚させる。……それだけの話だ。」
赤蛮奇は呆れたように目を丸くする。 「それを知りながら買い占めた? そんな馬鹿な話……」
童子は顎で貴族を示した。 「正気を疑ったぜ。ほら、本人に聞きな。」
視線が集まると、宮古芳香は涙と鼻水を垂らしながら叫んだ。
「いくら大麻が入っていようと、死にたくなかったんじゃぁぁぁ!
望みを叶える可能性があるなら試してみとうて……!」
影狼の声が揺れる。 「そこまでして叶えたい願い? いったい何を……」
芳香は苦しげに胸を押さえた。 「私はもう寿命も病も尽き果てた身……。死ぬ前に、一度だけでも……健康な身体に戻れたら、それで……」
童子は肩をすくめる。 「願いを叶える薬と聞いて盗んでみりゃ、このザマよ。
だったらせめて、人質にして遊び相手にしようとしただけだ。」
隠岐人は深く息を吐いた。 「つまり――ただの大麻入りの団子だったわけだ。」
膝をついたのは一寸だった。
一寸「なんじゃ……それでは我が身長を伸ばすという願いは……叶わんではないか……!」
童子はしばらく一寸の落ち込みを見て、鬱陶しそうに頭をかいた。
「仕方ねぇな。ほら。」
懐から小さな小槌を取り出し、一寸へと放る。
一寸「こ、これは……打ち出の小槌!」
童子「ああ。鬼の秘伝道具の一つだ。軽い願いなら叶えてくれる。
ただし代償は出る。馬鹿みたいな願いかけると命で払う羽目になるぞ。」
芳香がすがる。 「わ、私の病を……!」
童子はすぐさま遮った。 「やめとけ。病を治せなんて願ったら、お前はその場で死ぬぞ。
それでもいいって覚悟があるなら、使えばいい。」
一寸は小槌を抱きしめ、深く頭を下げた。 「……優しいの、鬼の癖に。」
童子は鼻で笑った。 「楽しい戦いの礼だ。それと――このうるせぇ貴族、連れて帰れよ。」
一寸「其奴は要らぬのじゃが……まあ、街には戻してやろう。」
童子は踵を返す。 「また戦いたくなったら来い。今度は右腕が治ってからな。」
鬼たちが山の奥へと消えていくと、ようやく静寂が戻った。
隠岐人は一寸に目を向ける。
「一寸、その小槌……本当に使うつもりか。」
一寸は小槌を両腕で抱え、自信ありげに笑った。
「無論じゃ! 薬では叶わなんだが――目的は達成されたのじゃ。
これで堂々と彼女に会いに行けるわ!」
隠岐人はゆっくり扉を開いた。諏訪へと繋がる裂け目が広がる。
「……これで、ひとまずお別れだな。私はこの貴族を街へ送り届けてから帰る。扉は諏訪まで繋いでおく。」
「行きは長旅、帰りは一瞬。便利なものよの。」
一寸は振り返り、誇らしげに言った。
「隠岐人よ、見ておれ! 必ずや願いを成就してみせる。
婚姻の儀には呼んでやるからの!
礼を言うぞ――隠岐人、赤蛮奇、影狼!」
そう言い残し、小槌を携えた小さな背は扉へ吸い込まれるように消えた。
影狼が大きく伸びをする。
「さて、と。私たちも帰りましょ。興味本位で薬を追っただけだしね。」
赤蛮奇はうなずき、スカーフを結び直した。
「弱い妖怪なりに、身の丈に合った暮らしをするさ。
また縁があれば頼む、隠岐人。」
二人も夜道へと姿を消していった。
残された宮古芳香が、怯えた目で隠岐人に尋ねる。
「あの……お主は戦闘で死んでも復活していたが……儂も、そうなれるじゃろうか?」
隠岐人は首を振る。
「やめておいた方がいい。あれは祝福じゃない、呪いです。
……行きましょう。街まで送ります。」
隠岐人と芳香も闇の向こうへと歩み去った。
全てが終わったその場所に、夜風がひらりと揺れる。
茨木童子が腕を組んだまま呟いた。
「――出てきていいぜ。いつまで隠れてやがった、八雲のババァ。」
薄紫の隙間が裂け、和装の女が姿を現す。
「私はまだ若いつもりよ? 茨木童子。」
八雲紫は扇を口元に当てたまま、戦いの跡を見渡す。
「……確かに似ていたわ。あの“扉”と称していた空間操作、
あれはスキマに限りなく近い。私と同質……そう判断していいレベルね。」
童子が目を細める。
「やっぱりお前の身内じゃねぇのか。」
紫の瞳が、夜の光を宿して揺れた。
「身内……かもしれないし、そうでないかもしれないわ。」
童子は眉をしかめる。
「何を曖昧な。」
紫は夜空に浮かぶ淡い雲を見上げ、ぽつりと告げた。
「昔、私は――月の連中に血を盗まれた事がある。
油断していたのね。それ以来、あそこは嫌いになったわ。
もしあの子が、その血を材料に作られた存在だとしたら……」
紫はそこで言葉を濁し、かすかに笑った。
「……考えすぎかもしれないわね。」
童子は鼻を鳴らす。
「どっちでもいいさ。ただ、あの半妖――隠岐人とか言ったか。
なかなか楽しかったぜ。また戦りてぇくらいだ。」
紫は扇を閉じ、薄い隙間が彼女の足元に広がる。
「その機会が来るかどうかは、まずその腕を治してからね。」
静かに紫は消え、山には再び風だけが吹き抜けた。