東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる   作:四国の探索人

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第23話 芳香との別れとスキマとの出会い

隠岐人は宮古芳香を支えるように歩きながら声をかけた。

 

「ほら、家はどこですか。送りますよ」

 

だが、芳香は答えなかった。うつむいたまま、震える唇でかすれた声を吐く。

 

「……なぜ。なぜだ。呪いだというなら、その呪いを私に寄越してくれ……まだ死にたくない……いやだ……いやだ……」

 

次の瞬間、痩せ細った指が隠岐人の衣を掴む。骨のような手は、必死に縋るように震えていた。

 

「なんでもやろう。金でも地位でも、望むものすべて与える……だから……死なない方法を……頼む……!」

 

声は途切れ、激しい咳が芳香の身体を揺らした。床に散る鮮血が、月光の下でぬらりと濡れる。

 

「大丈夫か」

 

隠岐人が手を伸ばすと、芳香はかすれた声で笑った。

 

「大丈夫なものか……! 家に帰れば布団の上で死ぬのを待つだけ……それが生きていると呼べるか……?」

 

隠岐人は迷った。

そして、決して口にすべきではない言葉を、零してしまう。

 

「……人を“辞める”選択肢があります。村で……人間が妖怪になった例を見たことがあります。死から逃れる術としては……」

 

その瞬間、芳香の目に生気が戻った。まるで死体に魂が戻ったかのように。

 

「――人間を辞める。そんな道があったか」

 

「忘れてください。妖怪になるというのは救いではなく、ただの異形――」

 

「礼を言おう、隠岐人。お主は……私に道を示した」

 

笑みは喜びとも絶望ともつかぬ、ぎらついた感情で満ちていた。

 

「礼がいるな。金か? 屋敷か? それとも……この朽ちかけた身体でも抱くか?」

 

「冗談でも言わないでください。病人にそんなことは」

 

「冗談じゃ。冗談」

 

彼女は懐から一振りの扇子を取り出し、隠岐人に押しつけるように渡した。月光を吸い込むような紋が刻まれている。

 

「宮古の家の印だ。売れば金にもなるし、都での面会の札にもなる。持っていろ。私は――調べることがある」

 

隠岐人が呼び止めようとした時、すでに芳香は歩き出していた。

足取りはふらふらなのに、迷いは一切ない。

 

「次に会う時、私はもう人間ではない。妖となって戻る。その時は改めて礼を言おう。ではな」

 

月が見下ろす中、宮古芳香は闇へと溶けていった。

 

隠岐人は残された扇子を見つめ、かすかに呟く。

 

「……救いではないが、あれが生きる気力と言うやつなのか」

 

 

隠岐人は宮古芳香の姿が闇に消えるのを見届けると、深く息を吐いた。

 

「……帰るか」

 

指先が虚空をなぞり、空間が裂ける。

いつもの自室へと繋がるはずの扉――その中へ足を踏み入れた瞬間、違和感が肌を刺した。

 

 

 

 

 

 

「……ここは?」

 

見覚えのない空間。

薄紫の帳が揺れ、視界は霞のような境界線に歪んでいる。

 

「私の空間じゃない。扉を間違えた? 隠岐奈の場所でもない……誰だ、ここは」

 

その問いに答えるように、背後から女の声が落ちてきた。

 

「ようこそ。あなたの“扉”は、私の“隙間”に繋がったのよ」

 

振り向くと、そこには紫を纏う女性が立っていた。

その存在感は圧倒的で、世界の構造そのものが彼女を中心に歪むようだった。

 

「突然の侵入、驚いたでしょう? 私は八雲紫。境界を操る者よ」

 

彼女は扇を軽く煽り、愉快そうに目を細める。

 

「さて――少し、質問をさせてもらうわ。

“月の民”という言葉に、聞き覚えはある?」

 

隠岐人の瞳が一瞬だけ揺れた。その微かな変化を、紫は決して見逃さなかった。

 

「その反応――やはり、ね」

 

胸の奥で脈が跳ねる。隠岐人は息をのむ。

 

(この人……月を知っている。どこまで、何を……?)

 

紫は静かに一歩踏み出した。その足取りは優雅だが、空気が凍るほどの殺意を孕んでいた。

 

「目的は知らないわ。けれど――月から来た存在に、地上を歩かせる訳にはいかないの」

 

裂け目が生まれる。紫の隣に開いたスキマが息を呑むほど滑らかに揺らぎ、そこから一本の槍が姿を現した。

 

「死になさい」

 

紫の声と同時に、槍が走る。

隠岐人が防ぐ間もなく、次々とスキマが開き、三本、四本と槍が身体を貫く。

 

「ぐっ……ならば……!」

 

血を吐きながらも扉を展開し、迫る槍の一本を吸い込み、紫の死角へと射出する。

 

だが――次の瞬間、それは自分の腹に突き刺さった。

 

「っ――!? なぜ……!」

 

紫は扇を口元へ運び、楽しげに目を細める。

 

「能力の扱いが甘いわ。“扉”に入る前に私のスキマに繋いだの。」

 

隠岐人の身体は地面に縫い付けられるように槍で固定されてゆく。

逃げ道として開いた扉も、紫のスキマに吸収され、出口として成立しない。

 

「自分の上位互換が相手でしたか……」

 

「成長する前に摘み取るのは、合理的な選択よ」

 

紫がゆっくりと近づく。

その歩みは捕食者のそれであり、隠岐人の呼吸は浅く速くなっていく。

 

(まずい……逃げ道がない……いやだ……誰か……

――隠岐奈、助けてください)

 

最後の抵抗とばかりに神力を解放する。

しかし紫の眉が小さく動いただけで、隠岐人の意識はそこで途切れた。

 

「神力……この子のものじゃない。だとしても――ここは私の隙間。

誰であれ、たどり着けないわ」

 

足元に倒れた隠岐人の血が床に滴り落ちる。紫は指先ですくい、舌先に乗せた。

 

「……やっぱり。これは“私の血”。

月は、私を殺すためにこの子を生み出した……?

殺せない身体にしてわざと地上へ放った……そういうこと?」

 

紫は一度距離を置く。だが隔離方法を考える間にも、隠岐人は死なず、ただそこに存在し続けている。

 

「永遠に隙間に閉じ込めるか……扱いに困るわね」

 

独り言のように呟いたその時――

 

ギィィ――ン

 

紫が開いた覚えのない扉が、空間の中に現れた。

 

紫の瞳が細められる。

 

「……誰? 私は客を呼んだ覚えはないのだけれど」

 

扉の向こうからゆっくりと姿を現した影が、紫の視線を真正面から受け止めた。

 

「招待? 確かに受けてはいない。だが――この子は私の“保護下”だ」

 

声は静かだった。だがその足音が床を踏むたび、空間そのものが震える。

 

「妖怪風情が、神の祝福を受けた子を――よくも弄んでくれたな」

 

摩多羅隠岐奈。

 

紫の顔に、初めて明確な警戒が浮かんだ。

 

隠岐奈は怒っていた。

それは、静かで――しかし底知れぬ神の怒りだった。




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