東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる 作:四国の探索人
数日を経て、隠岐人は諏訪の地へと戻ってきた。
境内に足を踏み入れた瞬間、どこか気の抜けた、それでいて聞き慣れた声が飛んでくる。
縁側に腰を下ろし、足をぶらぶらと揺らしていた洩矢諏訪子だった。
「おー、久しぶりだね。どうだった、都は?」
隠岐人は軽く頭を下げ、旅の報告を始める。
「人間たちが力を得始めています。
下級妖怪の一部は、制御されながら生活していました。」
その言葉を聞き、少し離れた場所で腕を組んでいた八坂神奈子が低く息を吐いた。
軍神らしい重みのある声で応じる。
「ほう……人間が、そこまで出来るようになったか。」
再び口を開いたのは諏訪子だった。
どこか皮肉を含んだ笑みを浮かべている。
「妖怪を操れるようになる、ねぇ。
外の脅威が減れば、次に人間が向ける目は内側さ。」
隠岐人は首をかしげる。
「内側、ですか?」
「仲間内での権力争いとか、思想の違いとか。
まあ、この土地とはまだ無縁かもしれないけどね。」
少し間を置き、隠岐人は思い出したように話題を変えた。
「そういえば……赤蛮奇を覚えていますか。
都で会いましたが、仲間たちと楽しそうにしていました。」
その名を聞いた諏訪子は、ぱっと表情を明るくする。
「おー、元気だったかい。
一苗も、空の上で喜んでるだろうね。」
そう言った直後、諏訪子は不意に両手を前へ差し出した。
「で……?」
「……何でしょう。」
「お土産は?
都まで行ったんだから、珍しい物の一つくらいはあるでしょ?」
隠岐人は少し困ったように視線を逸らす。
「元々は一寸の付き添いでしたから。
持ち帰ったのは……これくらいです。」
そう言って差し出した包みを、諏訪子と神奈子が覗き込む。
「これは?」
問いかけたのは諏訪子だった。
「今回探していた“願いが叶う薬”の正体です。
実際は、ただの薬物入りの団子でした。
幻覚で願いが叶ったように錯覚していただけのようです。」
「喰えないねぇ……白蛇、食べる?」
足元の白蛇は、無言で首を振った。
「どれ、私にも見せておくれ。」
そう言って神奈子が団子を一つつまみ上げ、じっと観察する。
「見た目は……普通の団子だな。」
次の瞬間、神奈子は何の躊躇もなくそれを口に放り込んだ。
「ちょっ……!」
隠岐人が声を上げるより早く、諏訪子が叫ぶ。
「神奈子! 毒! 毒!」
隠岐人は慌てて駆け寄り、神奈子の肩を掴む。
「吐いてください! 今すぐ!」
だが神奈子は軽く彼を突き飛ばした。
「全く、驚かせないでくれ。
神なんだから、この程度でどうこうなるものか。」
「毒だと説明した直後に食べる人がいますか……!」
神奈子はしばらく目を閉じ、舌の上で味を確かめるようにしてから、静かに言った。
「……だが、食べたおかげで分かった。」
「分かった……?」
問い返したのは隠岐人だった。
「これは丹薬だ。」
「丹薬?」
「道教で使われる薬だよ。
奇跡の薬として称されることもあるが、実態は強い薬物だ。」
諏訪子は露骨に顔をしかめる。
「道教? あの胡散臭い連中かい?」
「胡散臭いのは否定しないが……
効果があるのも事実だ。」
神奈子は淡々と続ける。
「もっとも、使いこなせるのは“仙人”になれた者だけだがな。」
隠岐人は眉をひそめた。
「……仙人用の薬が、一般に流通していた?」
「そういうことになる。」
「一般人が食べれば、中毒になるのが関の山だろう。」
その言葉に、隠岐人は静かに拳を握る。
「……見過ごすわけにはいきませんね。」
顔を上げ、はっきりと告げる。
「戻ってきたばかりですが――
もう一度、都へ向かいます。」
諏訪子は少しだけ真剣な目になった。
「道教勢力、かい。」
神奈子は意味ありげに笑う。
「……面倒な相手になりそうだな。」
隠岐人は、ただ一人で再び都へと足を踏み入れた。
人の往来は相変わらず多く、香と埃が混じった空気が肌にまとわりつく。
その中を歩いていると、不意に視界の端に見覚えのあるものが映った。
――丹薬。
露店の上に並べられた団子状の薬を見た瞬間、隠岐人の足が止まる。
(茨木童子が、すべて回収したと思っていたが……)
鬼の手によって一度は流通を断たれたはずの薬が、何事もなかったかのように再び売られている。
その光景に、胸の奥がざわついた。
隠岐人は露店の前に立ち、店主に静かに声をかける。
「すみません。この薬……少し前に、貴族が買い占め、鬼が攫う騒ぎがあったはずですが」
店主は特に驚いた様子もなく、手を止めずに答えた。
「ああ、ありましたね。ええ、確かに一度は止まりましたが……また入荷しましたよ。
よく売れるんでね。お一つどうです?」
「……いや、いい。ありがとう」
隠岐人はそう言って踵を返す。
(悪びれもせず、当たり前のように売っている……)
胸の奥に、嫌な予感が広がる。
次に向かったのは、通りの詰所に立つ都の衛兵たちだった。
隠岐人はその一人に近づき、率直に問いかける。
「あの薬屋の件だが……売買させて問題ないのか?」
衛兵は怪訝そうに眉をひそめる。
「……どういう意味だ?」
「中毒性のある薬物だ。明らかに危険だろう」
その言葉が終わる前に、衛兵の空気が一変した。
一瞬の沈黙の後、低く押し殺した声が返ってくる。
「…………御上の政に逆らう気か?」
次の瞬間、周囲にいた衛兵たちが一斉に動いた。
「確保しろ!」
隠岐人は囲まれ、腕を掴まれる。
だが抵抗はしなかった。
(……そういうことか)
冷静に状況を見つめながら、心の中で整理する。
(賄賂か、それとも上からの命令か。
だが、構わない。どうせ逃げられる)
さらに、その先の展開も読めていた。
(上に訴えれば、この衛兵たちも処罰されるだろう)
隠岐人は静かに息を吐き、あえて大人しく拘束される。
――道教勢力の影は、思っていた以上に深く、広く、都を覆っていた。