東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる 作:四国の探索人
牢へと連行された隠岐人は、鉄格子の向こうに視線を巡らせた。
薄暗い地下牢には、自分以外にも数人の人影がある。
皆、疲れ切った顔をしており、視線だけが虚ろに揺れていた。
その中で、隣の牢から気だるそうな声が投げかけられる。
「あんたも、あの薬にケチをつけた口?」
隠岐人は声の主へと目を向けた。
そこにいたのは、年若い少女。
だがその気配は、人間のものではない。
「ええ……あなたは?」
少女は肩をすくめ、軽く笑った。
「私? ぬえよ。
人間たちに“その薬は危険だ”って言ったら、ここに放り込まれたわけ。」
「ぬえ……どこかで聞いたことが……」
少女は胸を張る。
「封獣ぬえ。
都じゃ、ちょっとは名が知られてる妖怪よ。」
隠岐人は小さく息をのむ。
「妖怪が……なぜ人間を助けるような真似を?」
ぬえは鼻で笑った。
「勘違いしないで。
妖怪は人間の恐怖を糧にして生きてるの。」
少し真面目な声色になる。
「人間が薬に夢中になれば、
“病”も“死”も怖くなくなる。
そうなったら、妖怪の居場所はなくなるでしょ?」
隠岐人は静かに頷いた。
「つまり……あなた自身のために?」
「そっ! 私のため!」
ぬえは即座に言い切った。
「それにね……私を捕まえたやつが、思った以上に強かったのよ。」
「封獣ぬえを捕まえられる人間が?」
「正確には、人間に惚れ込んだ妖怪。」
ぬえの目が細くなる。
「驪駒早鬼。
妖怪が人間側につくなんて思わなくて、油断してたの。」
隠岐人は眉をひそめた。
「でも……制御札もなしで?」
「つけられてないわ。」
ぬえは肩をすくめる。
「心から“ご主人様”が好きなんでしょうね。
……ほら、噂をすれば。」
その時だった。
カツ……カツ……カツ……
硬い靴音が、石段を降りてくる。
地下牢に、異様な圧が満ちた。
やがて姿を現したのは、堂々とした体躯の女。
人間の装束を纏いながら、その眼光は明らかに妖怪のものだった。
驪駒早鬼。
「ほら、飯の時間だ。お前ら。」
早鬼は淡々と言い、牢の中へ入ってくる。
一人一人の前に、握り飯のようなものを置いていく。
それを終えると、何事もなかったかのように立ち去った。
隠岐人は、残された握り飯を手に取る。
だが――
「やめときなさい。」
隣から、ぬえの低い声が飛ぶ。
「中に入ってるわよ。丹薬。」
隠岐人の手が止まる。
「他の連中は……?」
「もう食べた後よ。
だから、手遅れ。」
牢の奥から、かすかな呻き声が聞こえた。
隠岐人は、冷たい鉄格子に視線を落とす。
(……この感じ。)
胸の奥が、嫌な記憶を引きずり出す。
(牢、管理、薬……月。)
知らず、拳が握られていた。
ここは都の地下牢。
だが、やり方は――月と、何一つ変わらない。
隠岐人は鉄格子に手をかけ、静かに言った。
「……ここから出ましょう。」
隣で座っていたぬえが、即座に首を振る。
「やめときなさい。私も何度か試したけど、この牢は結界で囲まれてるわ。」
隠岐人は落ち着いた様子で応じる。
「なに、結界の中だとしても……私の能力まで縛れるとは思えません。」
そう言って、隠岐人は一歩前に出る。
空間が歪み、目の前に“扉”が開いた。
牢の空気とはまるで異なる、静かな空間がその向こうに覗いている。
ぬえが目を見開いた。
「……その扉、能力?」
「ええ。
私の自室に繋がっています。
そこを経由すれば、外に出られますよ。」
一瞬の逡巡の後、ぬえはにやりと笑った。
「面白いじゃない。
ちょっと相乗りさせてもらおうかしら。」
二人は迷いなく扉の中へ踏み込み、空間は静かに閉じた。
その頃――。
結界の外、静かな堂内で、異変を感じ取った者がいた。
「……結界内の反応が、二つ消えましたね。」
落ち着いた声が、空間に響く。
それを聞き、即座に答える者がいた。
「何でしょうか、豊聡耳神子様。」
「“太子”でいいですよ。」
淡々とした声で訂正し、思考を巡らせる。
「結界の反応が二つ、同時に消失しています。
確認してきてください。」
「承知しました。」
驪駒早鬼は一礼し、すぐさま駆け出した。
その場に残された豊聡耳神子は、静かに目を閉じる。
「……結界に破壊の痕跡はない。死んだにしては不自然ですね。二人同時というのも……。」
わずかな沈黙。
「逃げた、か。
しかし……どうやって?」
しばらくして、足早に戻ってくる気配。
驪駒早鬼が息を整えつつ報告する。
「太子様。
……やはり、牢にはいませんでした。」
「消えたのは誰ですか。」
「封獣ぬえと――
先日、鬼と勝負したと噂になっていた男です。」
一拍置いて、はっきりと名を告げる。
「摩多羅隠岐人。」
その名を聞いた瞬間、豊聡耳神子の表情が、わずかに変わった。