東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる 作:四国の探索人
神子の剣閃が、夜の空気を裂いた。
ぬえの分身が幾重にも散り、視界を埋め尽くす。だが神子は迷いなく、その“本物”の気配だけを追っている。斬撃は分身を貫き、地面に白い線を刻み、まるで最初から正解を知っているかのように迫ってきた。
「――っ、こいつ……!」
ぬえが舌打ちし、身を翻す。
隠岐人は扉を開き、神子の死角へと攻撃を送り込む。霊力を宿した一撃。骨を砕くつもりの重さだった。
だが、神子はそれすらも“受け流す”。
剣を横に払っただけで、拳の軌道が僅かに逸れた。隠岐人の拳は空を切り、腕が痺れる。
「なんで……死角でも対処できるんだ。」
同時に、神子の足元に扉が開く。
隠岐人の狙いは踏み込みを奪うこと。さっきの早鬼と同じだ。
だが神子は落ちない。
床が消えているのに、そこに立っている。
まるで“この世の足場”そのものを、自分のものにしているかのように。
ぬえが背後から突撃する。
「正体不明――複製人形!」
本体と同じ気配の“ぬえ”がいくつも湧き、神子を包囲する。だが神子は眉ひとつ動かさず、剣を軽く回した。
次の瞬間、分身の半数が一斉に崩れ落ちた。
「はぁ!?」
ぬえが叫ぶ。
「おやおや。性能の悪い分身がいくらいたところで、変わりませんよ。」
隠岐人は、その“雑さ”に違和感を覚えた。
(……この人、私たちの位置や隙を把握しているのに、致命打を撃ってこない。)
そして気づく。
神子の呼吸が乱れていない。
剣の軌道も、殺意も、整いすぎている。
つまり――
(本気を出してない……!)
隠岐人は扉を開き、今度は神子の背後から霊力を込めた蹴りを放つ。
ぬえも同時に、別方向から爪を振る。
二方向からの挟撃。
普通なら避けられない。
だが神子は、ほんの少しだけ身体を傾けた。
「これは避けられませんね。」
布が裂け、衣が僅かに破れる。
――それだけ。
傷は浅い。
隠岐人の背筋に冷たいものが走った。
「……あなた、勝てるのに。なぜ勝たない。」
隠岐人が睨みつけると、神子は剣を下ろした。
その動きはあまりに自然で、戦いの最中とは思えないほど落ち着いていた。
「そうですね。もう十分です。」
ぬえが一歩踏み出す。
「は? 何よそれ。」
神子は淡々と、言い切る。
「倒そうと思えば、あなた方二人まとめて倒せますよ。
ただ……恐怖の噂になっている正体不明の大妖怪。
そして鬼を倒した半妖。
その力が気になりましてね。少し、長引かせていただきました。」
隠岐人の眉が寄る。
「……遊び、だったと?」
「遊びではありません。観察です。」
神子は微笑み、視線を隠岐人へ向ける。
「ですが、ここから先は――私にとって都合のいい方向へ変えましょうか。」
「……何のつもりですか。」
それは勝者の笑みではなく、決断を終えた者の笑みだった。
「あなた方には、私たちを“殺したこと”にしてもらう。」
ぬえが目を見開く。
「はぁ!? 死んだことにするって、どういう――」
神子は剣を静かに地面へ突き立てた。
「私は尸解仙となるため――眠りにつきます。
そのために、世間から消える必要があるのです。
急に消えれば、周囲に邪魔されかねない。
だからこそ……“死んだ”ことにするのが最も手っ取り早い。」
神子の周囲に、薄い光が浮かぶ。
道教の符のようなものが宙に滲み、淡い輪郭を描く。
隠岐人が踏み込む。
扉を開き、距離を詰める。霊力を込めた拳を振り上げた。
「待て――!」
だが神子は目を閉じたまま言う。
「追う必要はありません。あなた方は“勝った”。
都は“守られた”。
それで十分でしょう?」
そして、付け足すように冷たく告げた。
「ただし――その代償に、私を消したという濡れ衣を背負ってもらいます。」
隠岐人の拳が止まる。
止めたのは優しさではない。
(……このまま殴っても、届かない)
直感がそう告げていた。
神子の身体が、ゆっくりと光に溶けていく。
ぬえが歯を食いしばる。
「ふざけんな……!
人間の癖に、私を都合よく使おうなんて……!」
神子は最後に、懐から小さな筒を取り出した。
夜空へ向けて放つ。
ぱぁん、と乾いた音が響き、花火が咲く。
都のどこかから、無数の視線がこちらへ向く気配がした。
「この短い人としての生……
生まれ変わった時には、少しは変わるのでしょうか。」
神子は、淡い笑みのまま続ける。
「私の衣服。ほんの少しの血。
それだけで十分、あなた方を犯人に仕立て上げられます。」
夜風が吹き抜け、ぬえの髪が揺れた。
「……アイツが冬眠するために。
私たちは都合のいい理由作りのために戦ったってこと……」
ぬえが吐き捨てるように言う。
隠岐人は即座に判断した。
「ぬえ、不味い。逃げましょう。
さっきの花火で役人たちがすぐ来る。」
二人はその場を離れた。
残されたのは、神子の裂けた衣と、僅かな血痕。
そして翌日――都には噂が流れた。
“豊聡耳神子は、二匹の妖怪に襲撃され命を落とした”
事実とは違う噂が、あまりにも都合よく、あまりにも自然に広がっていった。