東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる 作:四国の探索人
数日ほど、後戸の世界――隠岐人の部屋に身を潜めていた。
静かな空間。外界の喧騒は届かないが、その代わり不穏な気配だけがじわじわと滲み込んでくる。
隠岐人がぽつりと呟く。
「……向こうでは、どうなっているでしょうね。」
ぬえは畳に寝転びながら、湯呑をくるくる回す。
「考えなくても分かるでしょ。私らの力、ちょっと増してるもの。」
にやりと笑う。
「人間たちの間で、“神子を殺したのは私たち”って噂、ちゃんと広まってるみたいよ。」
隠岐人は眉を寄せた。
「濡れ衣で……いや、確かに襲いはしましたけど。殺してはいないのに。」
「妖怪なんて、だいたいそんな扱いでしょ。」
ぬえはあっさりと言う。
「深く考えても仕方ないわ。恐怖が増えた。力も増えた。それでいいじゃない。」
「うーん……そういうものなんですかね。」
「そういうものよ。」
ぬえは起き上がり、伸びをする。
「このまま引きこもっても仕方ないし、私はもう帰るわ。世話になったわね。」
隠岐人は立ち上がる。
「外まではついていきます。神子が消えた影響も気になりますし。」
――そして二人は、再び都へ。
都は、以前よりもざわついていた。
噂が形を持ち、紙となり、壁に貼られている。
隠岐人は、思わず足を止めた。
「……やはり。」
そこには自分の顔が描かれている。
ぬえが覗き込み、吹き出した。
「有名人ね、あんた。」
「なんで私だけなんですか。」
「私はほら。“正体不明の大妖怪”だから。普通の人間には、ちゃんと姿が見えてないの。」
隠岐人は手配書を読み上げる。
「……“封獣ぬえを従えし罪人、摩多羅隠岐人”。名前まで……。」
小さく、空を仰ぐ。
「すみません、隠岐奈。あなたが与えてくれた名前、犯罪者として有名になりそうです。」
「まぁまぁ。名前なんてどうとでもなるわよ。」
ぬえは別の紙を指さす。
「ほら、いいことも載ってる。」
「……なになに。」
読み進めるうちに、隠岐人の表情が固まる。
「“豊聡耳神子に取り入り、劇薬・丹薬を普及させていた首謀者”……は?」
ぬえが肩を揺らして笑う。
「アンタのお陰で、丹薬が“劇薬”として認識されたみたいね。」
「代償として、やってない行為で名誉が地に落ちてるんですが。」
拳を握る。
「あの自称“聖人”、次に会ったらぶちのめしてやる……。」
「アハハ。ほんと散々ね。」
ぬえはくるりと背を向けた。
「でもまぁ、生きてるでしょ。力も増えたでしょ。上出来よ。」
隠岐人は静かに頷く。
「……短い間でしたが、ありがとうございました。」
ぬえは振り返らずに手を振った。
「こちらこそ。今度なんかあったら、お礼に助けてあげるわよ。」
ちらりと横目で見る。
「私はこのまま、“妖怪としての格”を上げ続けるから。」
そう言い残し、ぬえの姿は人混みの中に溶けていった。
正体不明のまま。
ぬえが去ってしばらく後――。
都の通りを一人歩いていた隠岐人に、珍しく通行人が声をかけてきた。
「そこの方、少々お話をお聞きしても?」
振り向きざま、隠岐人は相手を観察する。
見た目はただの少女。だが――その奥に、うっすらと妖力の気配。
「……妖怪の方が、何か用でしょうか。」
「あやや。バレましたか。」
少女は楽しげに目を細める。
「人間相手ならこれで十分なのですが。いやはや、何も――少しお話をお聞きしたいだけですよ。
手配書の、摩多羅隠岐人さん。」
「……人違いでしょう。」
「ふむ。しらを切るなら構いませんよ。」
少女はくるりと振り向き、大きく息を吸い――
「衛兵さーん! 手配書の男が美少女にいけないことを――」
叫ぶ前に、隠岐人の手が少女の口を塞いだ。
「……っ!」
少女の目が愉快そうに細まる。
「そんな都合よく衛兵がいるわけないのに、その慌てよう。ご本人でお間違いないようですね。」
隠岐人は小さく舌打ちした。
「……分かりましたよ。行きます。」
「協力感謝しますよ。」
隠岐人は少女に促されるまま、都の外へと連れ出される。
しばらく歩いたところで、彼は口を開いた。
「それで……あなたの名前をまだ聞いていませんが。」
「ああ、私ですか。」
少女は軽く一礼する。
「名乗るほどでもありませんが――私は鴉天狗の射命丸文。」
「鴉天狗? 羽根は?」
「そんなの隠してるに決まってるじゃありませんか。」
文は肩をすくめる。
「人里で堂々と出していたら、制御札を貼られかねませんよ。ほら、背中に膨らみがあるでしょう?」
「へぇ……この中に。」
隠岐人は、そっと文の背中に手を伸ばした。
びくっ――と、文の身体が跳ねる。
「天狗の羽根は繊細なんですよ、この変態!」
「なっ――」
隠岐人は慌てて両手を上げる。
すると文は、けろりとした顔で笑った。
「冗談ですよ冗談。場を和ませようとしただけです。」
そう言って、何事もなかったかのように歩き出す。
都を離れ、山へ。
人の気配が薄れた頃、文は不意に足を止めた。
「……目的地はここですか? 何もなさそうですが。」
「ええ、ここですよ。」
文の口元が、わずかに歪む。
――その瞬間。
草木の中から、何かが飛び出した。
野兎どころではない。鋭い殺気。
横合いから、抜刀――!
隠岐人は即座に妖力を拳に込め、迎撃に出る。
だが白髪の少女――天狗は、紙一重でそれを回避。
そのまま斬り返そうと踏み込む。
「……!」
しかし次の瞬間。
避けたはずの拳が、少女の腹部へと“出現”した。
扉による空間接続。
「ぐっ……!」
予想外の一撃を受け、少女の体勢が崩れる。
隠岐人は追撃に入ろうとする――が。
少女は両手を上げた。
「これ以上の交戦の意思はない!」
隠岐人の拳が、寸前で止まる。
「お疲れ様です、椛。」
文がのんきに声をかけた。
「こんな能力を使ってくるなら、先に教えてくれてもいいじゃないですか、文さん……」
白狼天狗――犬走椛が、腹を押さえながら立ち上がる。
「いや~、失礼しました。」
文は扇子もないのにそれっぽく手を振る。
「隠岐人さん。彼女は白狼天狗の犬走椛。
貴方を襲わせたのは――手配書の真偽を試すためです。」
「……襲撃しに来ただけなら、帰りますよ。」
隠岐人が背を向けかける。
だが文は、そこで声色を少しだけ変えた。
「いやいや、待ってくださいよ。
別に懸賞金目当てではありません。」
隠岐人の足が止まる。
「少しばかり――頼み事をお願いしたくて。」
「罪人に頼み事って、まともな話じゃ……」
「ただとは言いません。」
文の目が、鋭く細まる。
「貴方のお師匠様の“幻想郷計画”――
手伝ってもいいですよ。」
空気が、変わった。
「……なぜ、その話を。」
「なに。」
文は肩をすくめる。
「以前、貴方が戦った鬼――茨木童子。
彼女、私たち天狗の上司でしてね。
八雲紫から幻想郷への勧誘を受けたと聞いています。」
隠岐人の視線が、鋭くなる。
「……それで、頼みは?」
文はにこりと笑った。
「納得していただけたようで何より。」
そして、はっきりと言い放つ。
「私の頼みは――
ヤクザと天狗の“縁切り”ですよ。」