東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる 作:四国の探索人
「大天狗は、どこにいますか?」
静かな声だった。
だが、その奥にある圧力に、椛の耳がぴくりと動く。
「……そんなの、教えられるわけ――」
言い切る前に、隠岐人は淡々と続けた。
「貴方達は、目的じゃない。」
空気が一瞬、止まる。
そして。
隠岐人の身体が、扉の中へ滑り込むように消えた。
「――っ!」
文が舌打ちする。
「やられましたね……!」
椛は腹の傷を押さえながら、低く呟いた。
「最初から……山全体を探るつもりか。」
二人の表情が、同時に険しくなる。
嫌な予感だけが、はっきりと残っていた。
◆
――その翌日から。
天狗の山に、静かな悪夢が降り始めた。
夜。
巡回中の天狗の背後に、音もなく開く扉。
「――なっ」
短刀が閃く。
血飛沫。
倒れ込む影。
そして、決まって同じ問い。
「大天狗は、どこにいますか。」
答えられぬ者には、それ以上何もせず、隠岐人は消える。
また別の場所。
また別の夜。
同じ襲撃。
同じ問い。
同じ沈黙。
山全体が、じわじわと侵食されていく。
岩陰に腰を下ろしながら、隠岐人は小さく息を吐いた。
(……誰も、吐かない。)
額の制御札が、かすかに軋む。
(他人は売るくせに……)
(仲間の情報は、吐かないんだな。)
最近では、夜になると誰かが襲われる。
それが日常になりつつあった。
そんな噂を聞きつけ、二つの影が山を訪れていた。
「この地域にて最近よく現れているという噂を聞いているが……」
周囲を警戒しながら、赤蛮奇が呟く。
「とりあえず来たけど……天狗の住処でしょ? やばくない?」
影狼は落ち着きなく辺りを見回す。
「いくら天狗とて、この広い山にいる私達をそうそう見つけられる訳ないだろう。」
赤蛮奇が言い切った、その直後。
「――果たして、そうでしょうか。」
背後から声が落ちた。
二人の背筋が凍る。
「ん?」
振り返る。
そこに立っていたのは、黒い翼を隠した少女。
射命丸だった。
「て、てててて……天狗。」
赤蛮奇の頭がわずかに浮き上がる。
射命丸は溜め息をつく。
「なんだ、ただの野良妖怪でしたか。」
腕を組み、冷ややかな視線を向ける。
「貴方方も妖怪の端くれなら、天狗の住処に手を出すなというのはご存知でしょう? ただでさえピリピリしていると言うに。」
影狼は一歩前に出た。
「悪いけど、友達を助けたいのよ。」
射命丸の目が細まる。
「……お友達?」
赤蛮奇が答える。
「摩多羅隠岐人だ。」
その名に、文の表情がわずかに変わる。
「ああ……隠岐人さんのお友達。」
赤蛮奇が問い詰める。
「何か知っているのか?」
射命丸は視線を山奥へ向けた。
「知ってるも何も。ここ最近、天狗達を襲撃している張本人ですからね。」
影狼の瞳が揺れる。
「やっぱり……」
赤蛮奇が低く呟く。
「噂は本当か。」
射命丸は二人を見比べる。
「それで?」
わずかに皮肉を含んだ声。
「私より力がなさそうな妖怪が、どうやって“あれ”を止めるおつもりですか?」
沈黙。
影狼が視線を落とす。
「……特には。」
正直すぎる答えに、文は一瞬きょとんとした。
そして、小さく笑う。
「まあ……」
踵を返す。
「ついてきて下さい。」
赤蛮奇と影狼が顔を見合わせる。
「これって何処に向かっているの?」
影狼が警戒を隠さず問いかける。
射命丸は振り返らずに答える。
「私の上司の所ですよ。ちょうど隠岐人さんの件について話し合う所でしたので。」
山道を抜け、さらに奥へ進む。
空気が変わる。
巡回天狗の数も増え、明らかに中枢へ近づいているのが分かる。
案内されたのは、山奥に構えられた石造りの広間だった。
中に入ると、既に三人の天狗が待っていた。
白狼天狗の犬走椛。
姫海棠はたて。
そして中央に座す、大天狗――飯綱丸龍。
「来たか、射命丸。」
飯綱丸の視線が後方へ向く。
「後ろの二人は……部外者のようだが。」
射命丸は一礼する。
「先ほど山に侵入したのを捕らえました。隠岐人さんのご友人だそうで。」
飯綱丸は一瞬だけ影狼と赤蛮奇を見据え、静かに頷いた。
「了解した。発言は許可する。ただし騒ぐな。」
広間に緊張が満ちる。
飯綱丸が本題に入る。
「まず確認する。被害状況は。」
椛が前に出る。
「ここ数日、夜間を中心に巡回天狗が襲撃されています。負傷者は増えていますが――死者は出ていません。」
「死者は出ていない?」
「はい。刺突は急所を外している例が多く、致命傷を避けている可能性があります。」
はたてが口を挟む。
「それに、襲撃後は必ず同じ問いをしているわ。“大天狗はどこか”って。」
飯綱丸が顎に手を当てる。
「殺害が目的ではない、か。」
射命丸が続ける。
「無差別ではありません。狙いは明確に“大天狗”。
天狗への復讐が目的なら、まず私が狙われているでしょう。」
影狼が一歩前に出る。
「それ、隠岐人の意思じゃない。」
視線が集まる。
赤蛮奇が静かに言う。
「制御札だ。額に貼られている。私達も確認した。」
空気がさらに重くなる。
「……制御札。」
飯綱丸が低く呟く。
射命丸が補足する。
「鬼傑組が、天狗組織を邪魔と判断した可能性が高いですね。」
はたてが胸を張る。
「それと――場所は分かるわよ。」
「何?」
「能力で追えるの。隠岐人の“今いる場所”は、念写である程度特定できる。」
飯綱丸はゆっくり立ち上がる。
「問題はこちらが万全の戦力で向かえば、隠岐人は能力で逃げるという点だ。」
一拍。
「だが、幸いにも“大天狗の首”はここにある。」
そう言って、自らの首を指差す。
「ならば、誘導できる。」
射命丸が目を細める。
「囮、ですか。」
「そうだ。私が出れば多少の不利でも逃げはしないだろう。」
影狼が拳を握る。
「戦って制御札を剥がすってこと?」
「それが最善だ。」
だが飯綱丸は続ける。
「問題は、解放した後だ。鬼傑組が何もしてこない保証はない。」
視線が影狼と赤蛮奇へ向く。
短い沈黙。
その中で、赤蛮奇がぽつりと言う。
「……首を渡せばいい。」
椛が即座に反応する。
「お前、何を言っている!」
赤蛮奇は冷静だった。
「私が大天狗のように装飾する。戦闘で負けたように見せかけ、私の首を隠岐人に渡す。
鬼傑組から見れば“大天狗殺害達成”。それなら追加の干渉は減るかもしれない。」
影狼が息を呑む。
「危険すぎるわよ。」
「多少危険はある。でも他に犠牲を出さずに済む可能性がある。」
広間が静まり返る。
はたてが小さく呟く。
「囮の二重構造……。」
射命丸が赤蛮奇を見つめる。
「あなた、そこまで背負う気ですか。」
赤蛮奇は肩をすくめた。
「隠岐人は友達だから。」
影狼が小さく頷く。
飯綱丸はゆっくりと目を閉じ、熟考する。
やがて、静かに告げる。
「賭ける価値はある。」
視線が全員を巡る。
「作戦は三段階。」
「本物の私が隠岐人を引き出し、囮として戦闘する。
戦闘中に制御札を剥がす。
万一失敗した場合、赤蛮奇の首を使い“任務完了”と誤認させる。」
椛が拳を握る。
「命令を。」
飯綱丸は静かに、しかしはっきりと言った。
「目的は討伐ではない。」
一拍。
「――救出だ。」
広間の空気が、決戦前の静けさに包まれた。