東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる 作:四国の探索人
隠岐人は、静かに扉を開いた。
後戸の世界。
何も変わらない、はずの場所。
それでも――どこか空気が重い。
一歩、踏み出す。
「……ただいま、戻りました。」
舞と里乃が振り向く。
「えーと……」
「お帰り。」
言葉は返ってきたが、どこか歯切れが悪い。
その理由はすぐに分かった。
正面。
摩多羅隠岐奈が、じっとこちらを見ていた。
何も言わない。
ただ、見ている。
その沈黙に、隠岐人は思わず背筋を伸ばした。
やがて――
「……お帰り、都の犯罪者様。」
「……ごめんなさい。」
「まさか、妖怪に使われて悪名を轟かせて帰るとは予想外だ。お陰で私を戦神と勘違いする奴まで出たぞ。まったく。」
「ハハ……。」
乾いた笑いしか出ない。
だが、隠岐奈はふっと息を抜いた。
「だがまあ……天狗を幻想郷計画に引き込んだ点は評価できるか。」
「そうですよね隠岐奈!」
一瞬だけ空気が緩む。
だが――
隠岐奈の表情が変わる。
「摩多羅隠岐奈の育ての子、摩多羅隠岐人よ。」
(……来た。)
隠岐人は直感する。
「摩多羅の姓を持ちながらの、都での悪逆非道な行い。その沙汰を下す。」
「いきなり何を……」
「信仰を取り戻すまで――」
一拍。
「お前を、私の保護下から外す。」
空気が凍る。
「……八雲紫の保護へと移す。」
隠岐人は一瞬、理解が追いつかない。
言葉の意味を噛み砕く。
そして――顔色が変わる。
「……嘘、ですよね。」
「隠岐奈……私は、操られていただけで――」
「関係ない。」
きっぱりと断ち切る。
「今回の騒動で、私の信仰は揺らいだ。それに対する罰だ。」
静かな声。
「一時、紫の元で預かってもらう。」
沈黙。
隠岐人は視線を落とす。
抵抗しない。
「……はい。分かりました。」
その言葉に、里乃が飛び出す。
「お師匠様だって放置してたじゃん!監督責任!」
舞も続く。
「そうそう!無責任だよ!」
隠岐奈が眉をひそめる。
「ええい!五月蝿い!私の決定だ!」
ぴたりと空気が止まる。
「……安心しろ。信仰が戻れば、呼び戻す。」
その時。
空間が静かに裂ける。
紫のスキマ。
「隠岐奈、話は終わったの?」
「ああ。もういい、連れて帰ってくれ。」
「じゃあ――行きましょうか、隠岐人。」
隠岐人は何も言わない。
ただ、静かに頷き。
紫の後ろへと歩き出す。
そのまま、スキマの中へ消えていった。
空間が閉じる。
静寂。
里乃がぽつりと呟く。
「……お師匠様、神が妖怪に子を預けるなんて正気?」
隠岐奈は、少しだけ視線を逸らした。
「……別に、信仰云々は口実にすぎない。」
舞と里乃が同時に顔を上げる。
「え?」
「どういうこと?」
隠岐奈は腕を組み、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「自分の血から生み出された存在。」
「それが“家族”なのか、“化物”なのか――」
少しだけ目を細める。
「あいつらは、まだ答えを出せていない。」
舞が小さく呟く。
「……あいつらって。」
「隠岐人と、紫だ。」
静かに言い切る。
「仲は最悪だ。」
一拍。
「だからこそ、いい機会だと思ってな。」
わずかに口元が緩む。
紫のスキマを抜けると、そこは普通の家屋だった。
畳の匂い。
外の光。
後戸の世界とは違う、“生活の気配”がある空間。
隠岐人は周囲を見回す。
「……驚きましたね。」
少しだけ肩の力が抜ける。
「隠岐奈みたいに、自身の空間に住んでいるのかと。」
紫はくすりと笑う。
「窓もない、空気も変わらない空間で暮らすなんて異質よ。」
縁側の方へ視線を向ける。
「せっかくの景色、愛でないと。」
隠岐人もその視線を追う。
外には確かに、穏やかな景色が広がっていた。
だが――
「……それにしては、視線はあるのに人気がないというか。」
紫が肩をすくめる。
「妖怪はいるわよ。」
軽く指を差す。
「私の式や、そのお友達が多少暮らしてるから。」
視線の先。
一匹の猫が、のんびりと遊んでいた。
「……あれも?」
「ええ。化け猫よ。」
紫はどこか楽しそうに微笑む。
「可愛いでしょう?」
隠岐人は少しだけ間を置き、頷く。
「ええ。」
紫がふと、横目で隠岐人を見る。
「もしかしたら、私と貴方――同じ血なんだから、感性も似てるのかもね。」
その言葉に、隠岐人の表情がわずかに曇る。
「……本当に、同じ血なんですか?」
紫はあっさりと言う。
「指でも切り落として、舐めさせてあげましょうか?」
「いいですよ。」
即答。
紫が一瞬だけ止まる。
「……冗談よ。痛いの嫌い。」
少しだけ肩をすくめる。
「半分は確かに私の血。でも、もう半分は……」
考えるように目を細める。
「嫦娥、だったかしらね。」
「何を詰め込まれたのかは、私にも分からないわ。」
隠岐人は静かに呟く。
「……いつか、知れるでしょうか。」
紫は少しだけ空を見た。
「知らない方が、幸せかもしれないわよ。」
そのまま。
短い沈黙が落ちる。
重くはない。
だが、どこか距離のある静けさ。
――その時。
ふわり、と気配が揺れる。
現れたのは、一匹の九尾。
整った所作で頭を下げる。
「紫様、お帰りなさいませ。」
そのまま、隣へ視線を向ける。
「……隣にいるのは、例の方でしょうか。」
紫は軽く頷く。
「ええ。摩多羅神のところの子。」
そして、にやりと笑う。
「私の“弟”みたいなものね。」
隠岐人の肩がぴくりと動く。
「ほら、“お姉ちゃん”って呼んでいいわよ?」
間。
「……検討します。」
紫が露骨に不満そうな顔をする。
「酷くない?」
「初対面で串刺しにされた相手に甘えるほど、柔軟ではないので。」
「根に持つわねぇ……。」
やれやれとため息をつく。
隠岐人は九尾へ視線を向ける。
「……紫、この方は。」
紫が軽く手を振る。
「この子は私の式、九尾の――」
「八雲藍と申します。」
丁寧に一礼する。
隠岐人はその姓に反応する。
「……八雲姓?」
紫が答える。
「隠岐奈が貴方に摩多羅姓を名乗らせているのと同じよ。」
「血の繋がりはないわ。」
藍も補足する。
「厳密には少々異なりますが……概ねその認識で問題ありません。」
一拍。
藍が隠岐人を観察するように見る。
「隠岐人殿。」
「何か?」
「いえ。」
わずかに目を細める。
「都では“世紀の大悪党”と噂されておりましたので。」
「こうして堂々と名乗られる方なのだな、と。」
隠岐人が少しだけ苦い顔をする。
その横で、紫がさらっと言った。
「名前、変える?」