東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる 作:四国の探索人
隠岐人は妖怪の山を歩き回り、茨木童子の姿を探していた。
鬼の住処を訪ねるのは久しぶりだったが、幸いにも目的の相手はすぐに見つかった。
大岩の上で酒を飲んでいた茨木童子が、隠岐人を見るなり笑う。
「誰が訪ねてきたかと思えば、お前か。」
枡を揺らしながら愉快そうに続ける。
「意外だな。何かあったのか?」
隠岐人は単刀直入に切り出した。
「貴方と戦った時、人質にしていた人間を覚えていますか?」
童子は顎に手を当てる。
「あー……あの泣き虫な。」
「何となくは覚えてる。」
「彼女に今、世話になっているんです。」
「ですが病魔に侵され、死にかけています。」
童子は少し驚いたように眉を上げた。
「あいつ、まだ生きてるのか?
とっくに死んだもんだと思ってたぜ。」
隠岐人は頷く。
「霍青娥という勉強の先生が、妙な術で病の進行を遅らせています。」
「額に札を貼られながらも、何とか生きています。」
「額に札ねぇ……。」
童子は酒を一口飲み、鼻で笑った。
「遅らせたところでどうすんだ?」
「どうせ五年もすりゃ死ぬだろ。」
隠岐人は静かに答える。
「宮古芳香本人は、死ぬまでに仙人になりたいそうです。」
その瞬間、童子は腹を抱えて笑い出した。
「ハハハッ!」
「仙人だぁ?」
「無理無理!」
「あの泣き虫にゃなれっこねぇよ!」
笑い終えると、隠岐人は真剣な表情のまま尋ねた。
「そこで相談に来ました。」
「仙人になれなくても、病気を治す方法や……人間を辞めさせる方法はないんですか?」
童子は隠岐人の顔をじっと見つめる。
そして、口元をにやりと歪めた。
「……何だお前。」
「惚れてんのか?」
隠岐人は思わず顔を赤くする。
「なっ……!」
「違います!」
「世話になっているから長生きしてほしいだけです!」
童子は肩を揺らして笑った。
「冗談だよ。」
そう言うと指を一本立てる。
「まず病気を治す方法だが、お前らに貸した『打出の小槌』。」
「あれなら代償さえ払えば、大抵の願いは叶えられる。」
隠岐人は頷く。
「以前、そう言っていましたね。」
「だが止めとけ。」
童子の声色が少しだけ真面目になる。
「あれはデカい願いほど、それ相応の対価を持っていく。」
「一人や二人の命程度じゃ済まねぇぞ。」
少し間を置き、再び笑う。
「だから俺様のおすすめは、やっぱ後者だ。」
「人間を辞めることだな。」
隠岐人は苦笑した。
「……やっぱり、そうなりますよね。」
「だがお前の反応を見るに、あの泣き虫も先生も仙人以外は駄目なんだろ?」
「霍青娥はともかく、芳香本人だけでも納得してもらいます。」
童子は肩をすくめた。
「まあ、俺には関係ねぇけどな。」
そう言うと懐から一つの枡を取り出した。
普通の酒枡にしか見えない。
だが、鬼の妖力が濃く宿っている。
「これを使わせてやる。」
隠岐人は目を見開く。
「それは……?」
童子は枡を軽く掲げた。
「百薬枡。」
「鬼の秘宝の一つだ。」
「怪我人でも病人でも、この枡に酒を注いで飲めば、たちまち回復する。」
隠岐人の表情が明るくなる。
だが次の言葉で固まった。
「……ただし。」
「いずれ鬼になる。」
「それが代償付きの道具だ。」
隠岐人は枡を見つめた。
「いいんですか。」
「そんな貴重な品を。」
童子は鼻を鳴らす。
「勘違いすんな。やるわけじゃねぇ、貸すだけだ。」
「お前には手下の天狗連中が世話になったらしいからな。その礼だ。」
そして枡をしまいながら言う。
「あの泣き虫本人に使う気があるなら連れて来い。」
「その場で使わせてやる。」
隠岐人は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「すぐに芳香へ伝えてきます。」
そう言うと踵を返し、来た道を駆け出した。
隠岐人は宮古家へ戻ると、息を切らせたまま芳香の部屋へ駆け込んだ。
「芳香! お前を治す方法が見つかった!」
書物を読んでいた芳香は勢いよく立ち上がる。
「おお! 本当か、隠岐人!」
ちょうど芳香へ勉強を教えていた青娥も、静かに顔を上げた。
「私もお聞かせ願いたいですわね。」
隠岐人は二人を見渡し、真っ直ぐに言う。
「鬼の秘宝を借りられることになりました。」
「その道具を使えば芳香の病は治ります。」
芳香の表情が一気に明るくなる。
「本当か!」
隠岐人は少しだけ言葉を選びながら続けた。
「……ただし、代償があります。」
「人間を辞め、鬼になることです。」
部屋が静まり返る。
「鬼……。」
芳香が小さく呟く。
隠岐人は頷いた。
「治癒の代償が鬼化です。」
「だが、生きられる。」
「仙人になりたいのなら、鬼になってから目指せばいいじゃないか。」
青娥は目を細めた。
「折角可愛い芳香ちゃんを、化物にするつもりですの?」
隠岐人も負けじと言い返す。
「このまま病魔で死ぬくらいなら、こちらの方がずっといい。」
青娥は静かに首を振る。
「嫌ですわ。」
「私は芳香ちゃんを仙人にしたいのです。」
「鬼ではありません。」
隠岐人は一歩前へ出る。
「理想を語っている間に死んだら意味がないでしょう。」
青娥の表情が僅かに険しくなる。
「芳香ちゃん。」
優しく呼びかける。
「岩笠殿も半分は化物。」
「その言葉を信じてはなりません。」
隠岐人は眉をひそめた。
「さっきから化物、化物と……。
本音が漏れていませんか。」
青娥は扇で口元を隠し、くすりと笑う。
「あらやだ。本音が漏れましたわね。」
その笑みのまま芳香へ手を差し伸べた。
「芳香ちゃん。」
「岩笠殿を信用してはなりません。」
「知っているでしょう?都襲撃の首謀者だったことを。」
「こちらへいらっしゃい。」
隠岐人も負けじと芳香を見る。
「芳香。確かに都を襲ったのは事実だ。」
「だが、私は恩を仇で返すような人間に見えるか?」
芳香は二人を交互に見つめる。
どちらも自分を助けようとしている。
だからこそ、答えが出ない。
「わ、私は……。」
混乱した表情で立ち尽くす。
そんな芳香へ、青娥が静かに問いかけた。
「芳香。」
「貴方の額の札。」
「誰が作ったか、忘れました?」
芳香は無意識に額へ手を当てる。
この札があったから、今まで生きてこられた。
その記憶が蘇る。
ゆっくりと青娥へ手を伸ばした。
その瞬間だった。
――ドゴォンッ!!
天井が爆音と共に吹き飛ぶ。
木片が降り注ぐ中、一つの巨大な影が着地した。
赤い角。
豪快な笑み。
茨木童子だった。
隠岐人が目を見開く。
「童子!? 何でここに!」
童子は肩を鳴らしながら笑う。
「うるせぇよ。」
「鬼は好きにやらせてもらう。」
そう言うや否や、童子は芳香を軽々と抱え上げ、そのまま肩へ担ぐ。
「わっ!」
芳香が小さく悲鳴を上げる。
青娥は一歩踏み出しかけるが、すぐに足を止めた。
四天王級の鬼を前にしては、手の出しようがない。
「……流石に鬼の目の前では、どうにも出来ませんね。」
「この場は諦めますわ。」
童子は鼻で笑い、隠岐人を見る。
「隠岐人。」
「扉を開けろ。」
「天狗のところだ。」
隠岐人は一瞬戸惑う。
「天狗?」
「いいから開けろ。」
有無を言わせぬ声だった。
隠岐人は能力を発動し、扉を開く。
童子は芳香を担いだまま、その扉へ向かう。
隠岐人も慌てて後を追った。
三人の姿は扉の向こうへ消える。
部屋には青娥だけが残された。
静まり返った部屋で、青娥はゆっくりと扇を閉じる。
そして薄く微笑んだ。
「ふふ……。」
「追いかけっこですね。」
その笑みは崩れない。
「まあ。」
「最後に勝つのは、私ですけど。」
そう呟くと青娥は何事もなかったかのように部屋を出た。
やがて宮古家の使用人や衛兵たちを集めると、落ち着いた口調で事情を説明する。
「鬼が宮古芳香様を連れ去りました。」
「付き人である岩笠殿は、芳香様を救うため鬼を追っております。」
本当は違う。
岩笠は鬼と共に去った。
だが青娥は、その事実を口にすることはなかった。
宮古家の者たちはその言葉を疑うことなく信じ、屋敷は「令嬢誘拐」の騒ぎで慌ただしくなっていく。
一方その頃、何も知らぬ隠岐人は、芳香を救えるかもしれないという希望だけを胸に、童子の後を追っていた。