東方穢天落 月の失敗作は地球に落ちて摩多羅隠岐奈に拾われる   作:四国の探索人

7 / 38
第7話 因幡の白兎

隠岐人が歩いていた道は、やがて尽きる。

視界の先には、果てしない青の世界が広がっていた。

 

「……海か」

 

初めて見る海。

地平線の先まで広がる蒼に、自然と足が止まる。

 

打ち寄せる波と、海風の塩の匂い。

道は続かず、遠くまで海岸線を回り込む他に手はない。

 

「……遠回りだな。まあ、仕方ないか」

 

そう呟いたそのとき、背後から軽やかな声が聞こえた。

 

「海があるからって引き返すなんて、もったいないよ?」

 

振り返ると、そこに立っていたのは――兎の耳を持った少女だった。

長い黒髪にふさふさの尾。見た目は若く、どこか楽しげな笑みを浮かべている。

 

「……妖怪か?」

 

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるかな。

 私は因幡てゐ、この辺に住んでる地上の兎だよ」

 

「因幡……?」

 

「名前。地名じゃなくてね。旅の途中の人だろう? まあ、知らなくても不思議じゃない」

 

てゐはそう言って、海辺に向かってぴょんと跳ねた。

 

「ちょうどいいところに来たね。今から海を渡るところだったんだ」

 

「海を?」

 

隠岐人が眉をひそめると、てゐはにっこりと笑って、自分の尻尾を海に差し入れた。

 

波が揺れ、しばしの静寂のあと――

 

ざばり、と水面から鋭い背びれを持つサメが現れた。

 

「兎が……何か用か?」

 

「ねぇねぇ、サメさんたちって、この海にどれくらいの数いるウサ?」

 

「さあな。広いからな。自分じゃ分からん」

 

「ふふっ、だったら教えてあげるウサ。

 ウサギとどっちが多いか、私が数えてあげる!」

 

サメが目を細める。

 

「数えるって、どうやってだ?」

 

「君たちがあの岩場まで背中を並べてくれたら、私がぴょんぴょんと飛び跳ねて渡っていくの。

 1匹ずつ、ちゃんとね。そしたら、私が“何匹いるか”数えてあげられるウサ!」

 

サメは少しの間黙ったが、やがてくつくつと笑い始めた。

 

「面白い兎だな。いいだろう。おい、お前ら――並べ!」

 

ざばざばと音を立てて、数匹のサメが現れ、少しずつ横に連なっていく。

 

隠岐人はしばらく無言でその様子を眺めていたが、やがてぽつりと言った。

 

「……それ、本気でやる気か?」

 

「もちろん!」

 

「そのうち嘘だってバレるぞ」

 

「バレる前に向こうへ行き切れば問題なし! じゃ、来る?」

 

「……は?」

 

「ほら、君も向こう岸に行きたいんでしょ?

 じゃあついでに私と一緒に行っちゃおうウサ♪」

 

てゐはそう言って、隠岐人の手を軽く引っ張る。

 

一瞬、彼はためらったが――やがて微かに笑って言った。

 

「……いいだろう。

 もし落ちても、骸は埋めておくよ」

 

「頼りにしてるよ、旅の兄さん!」

 

2人の影が、青空と海の間に並ぶ。

これが、“因幡の白兎”がまだ神話ではなかった頃の、ただの一つの冒険の始まりだった。

 

 ひとつ、ふたつ、みっつ――

波の上を跳び、駆け、渡る。

 

サメたちは何も知らず、ただ背を並べていた。

 

 ふたりが波の上を飛び続けてどれくらい経っただろうか。

向こう岸が視界に入り、潮風に土の匂いが混じり始めた。

 

「……あと少しだウサね!」

「何とか行けそうだな」

 

そのとき、不意に、真下のサメの一匹が顔を上げて尋ねてきた。

 

「なあ、今……何匹くらい数えた?」

 

ふたりは一瞬、動きを止め――目を見合わせた。

 

「……おい、数えてたか?」

「……わ、忘れてたウサ……」

 

「はぁ!?」

 

「どうなんだ?」

 

別のサメが顔を出す。

その目は好奇心から疑念へと変わりつつあった。

 

「これは……不味いウサね」

 

「バレる前に、走れ!」

 

「え、え!?」

 

「走れえええええウサあああああああああ!!」

 

ふたりはサメの背を蹴って全力で跳び始めた。

 

「ん? お前ら……まさか……騙したな!?」

 

「騙されるほうが悪いウサ!」

「それを言うなぁああああ!」

 

海が騒ぐ。

泡を蹴って次々とサメたちが海中に潜り、足場の“サメロード”が崩れ始める。

 

「出会えー! 出会えー! そこの2人をやってしまえー!」

 

背びれの道が歯をむく。

ひとつ、またひとつと足場が沈み、サメの群れが牙を剥く。

 

てゐ「わああああ! 襲ってくるサメを足場にするウサ!」

 

隠岐人「そっちのほうが悪いことしてる気がする!」

 

迫り来るサメの鼻面に足をかけ、てゐはぴょん。

続く隠岐人も妖力でバランスを取りながら、咄嗟にサメを蹴って跳ぶ。

 

てゐ「これぞ……海上うさぎ跳び!」

隠岐人「適当な技名を叫ぶなあああ!!」

 

必死に跳ね続けるふたり。

海はもう敵だ。

潮は逆巻き、牙が飛び交い、波は崩れる。

 

――だが、岸は近い。

 

「もうちょっと……ウサ……っ!」

「脚がもたない……!」

 

波が迫る。

そして、そのとき――

 

牙が迫る。

 

波が荒れ、最後の足場――サメの背がぐらついた。

その瞬間、てゐの足が滑る。

 

「っ――!」

 

姿勢を崩した彼女の腕に、飛び出してきた別のサメの牙がかすった。

 

「うあっ!」

 

細い腕から赤い筋が流れる。

てゐの身体が、バランスを失ったまま宙に放り出され――

 

「てゐ!!」

 

隠岐人が叫ぶ。

 

咄嗟に地を蹴り、手を伸ばす。

 

海風が裂ける音。

 

てゐの身体が落ちてゆく、まるで地球の重力に引かれるように。

 

が――

 

「……っ!」

 

ぎりぎりで、彼はその腕を掴んだ。

傷のある腕に強くは掴めず、力を込めきれない。

だが、手を放せば――彼女はそのまま波の中に消えてしまう。

 

「――!」

 

隠岐人は、そのまま渾身の力でてゐを岸へ向かって投げ飛ばした。

 

「えっ――!?」

 

てゐの小柄な身体が宙を舞い、白兎のように軽く地面に転がって止まる。

 

「隠岐人――!!」

 

岸の上から叫ぶ声に、彼は片足を波間に飲まれながらも、ぐっと力を込めて海面を蹴った。

 

霊魂たちが背に寄り添い、彼の身体に力を貸す。

 

「もう少し――!」

 

牙が伸びる。

波が覆う。

呼吸は限界だった。

 

だが――次の瞬間、彼は波から身体を引き抜き、岸へ這い上がった。

 

肩で息をしながら、砂を握りしめ、ようやく立ち上がる。

 

「……助かった……?」

 

てゐは目を見開き、掴まれた腕を見つめた。

痛みがある。けれど、命はある。

 

「君……わたしを、岸まで……」

 

「お前が勝手に転んだからだ」

 

隠岐人は息を荒げながらも、ぶっきらぼうに言った。

 

「それに、助けるくらいなら……できる。俺は、見捨てたくなかっただけだ」

 

てゐはぽかんと隠岐人を見つめ――そのあと、ふっと笑った。

 

「……そっか。

 じゃあ、わたしはちゃんと、ありがとうって言っとく」

 

「……どういたしまして」

 

てゐはよたよたと近づいて、掴まれて傷ついた自分の腕を見せる。

 

「痛いウサ」

 

「自業自得だろう」

 

「でも、君が助けてくれなきゃ――もっと痛かったウサ」

 

海岸へと這い上がったふたりは、しばらく砂の上で息をついていた。

海はすでに穏やかで、先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っている。

 

てゐは身を起こし、自分の腕を見た。

赤く染まった毛並みに、潮風が刺さる。

 

「……痛いウサね……ちょっと、海で洗って――」

 

「待て」

 

隠岐人が制した。

 

「海水は駄目だ。塩が染みるし、余計に悪化する。

 真水を――持ってる」

 

彼は袖の内から、布でくるんだ小さな皮袋を取り出す。

自分の空間から取り出したものだ。

 

てゐは目をぱちくりさせた。

 

「それ、どこから出したウサ?」

 

「“俺の空間から物を出す程度の能力”だよ」

 

「へえ……地味に便利ウサね」

 

隠岐人は袋の水で彼女の傷をやさしく洗い、手拭いを裂いて包帯代わりに巻きつけた。

静かに、丁寧に。

 

てゐは、しばらくその様子を見つめていたが、やがて小さく呟いた。

 

「……ありがとウサ。

 私は運がいい方だから、この傷もきっとそのうち治るウサ」

 

隠岐人は、軽くうなずいた。

 

「また、機会があれば会いましょう」

 

彼が立ち上がろうとしたとき――

 

「ちょっと、最後に手を貸すウサ」

 

てゐが右手を差し出してきた。

 

一瞬ためらったが、隠岐人も手を伸ばしてそれを取る。

 

その手は細くて、小さくて、けれど温かかった。

 

「汝の旅に、幸運を」

 

どこか芝居がかった口ぶりに、隠岐人は思わず眉をひそめた。

が、その瞬間、不思議な感覚が体に走った。

 

風が止まり、鼓動がひとつだけ遅れるような――妙な“間”。

 

てゐはその手をゆっくりと放し、にやっと笑った。

 

「バイバイウサ。

 次に会うときは、彼女でも紹介してやるウサよ」

 

「そんな予定はないけどな」

 

「あるってウサ。君、わりと面倒見いいからモテるタイプウサよ」

 

そう言い残して、てゐは森の方へと軽やかに歩いていった。

後ろ姿を見送る隠岐人の背に、波がふたたび寄せてくる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。