発売から二ヶ月くらいは経過しているし、もう大丈夫かな……?
ちなみに、ゲストはいそうでいなかったデジモンです。
シュテンモンを倒した翌日の月曜日。
登校した多樹が最初に感じたのは、教室を包む、粘りつくような嫌な静けさだった。
いつもなら週末の話題で騒がしいはずの6年2組は、
まるで嵐の前の海のようにしんと静まり返っている。
教卓の前に立つ担任の教師は、心なしか顔色が悪く、
その表情には隠し切れない焦燥が滲んでいた。
「……いいか、みんな。今日は重要な連絡がある。
放課後は寄り道をせず、絶対に一人で出歩かない事。
……実は、近隣の小学生が次々に失踪する事件が起きているんだ」
その言葉が投げ落とされた瞬間、教室中に波紋のように動揺が広がった。
女子数人が小さく悲鳴を上げ、男子達は顔を見合わせる。
「失踪って……神隠し?」
「昨日も一人、塾の帰りにいなくなったらしいよ……」
周囲のひそひそ話を聞きながら、多樹は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
脳裏に浮かぶのは、以前暴走した隣のクラスの友人、哲志の姿だ。
あの事件の背後には、ウィザードという組織の影があり、
今回もまたウィザードの仕業だろうと思った。
(また……始まったの……?)
多樹が隣の席に目をやると、北斗が唇を噛み締め、
机の下で拳を白くなるほど強く握りしめていた。
その拳は、怒りと、そして得体の知れない焦りからか、微かに震えている。
「あいつら……懲りてねえのかよ。あんなデカい戦いの後だってのに……!」
北斗の絞り出すような低い声が、多樹の耳に届く。
多樹はポケットの中のデジヴァイスにそっと触れた。
液晶画面には、いつも通りカラムモンのドット絵が健気に動いている。
パートナーとの繋がりが断たれていない事に安堵するが、同時に苦い感触が指先を掠めた。
筐体の端、昨日の事件で黒く焦げ付いたブースト・トリガー。
何度ボタンを押しても、あの爆発的なエネルギーが解放される予兆はない。
(通信も、進化もできる……。でも、デジモンブーストはもう使えない)
究極体をも打ち倒した「禁じ手」を失ったまま、新たな事件に直面している。
平和を取り戻したはずの教室。
しかし、窓の外に広がるいつもの町並みが、
今はまるで獲物を待つ怪物の口のように、不気味で空虚なものに見えていた。
放課後のチャイムが鳴ると同時に、多樹と北斗は1組の教室へと急ぎ、零と合流した。
失踪事件の現場を洗うため、三人は町へと繰り出した。
事件の起点と思われる公園、子供達の足取りが途絶えた路地――
「みんなが失踪した場所って、この辺じゃないかな」
いくつかの場所を巡るうちに、
三人は町の外れにある、窓の多くが割れた古い雑居ビルの前に辿り着いた。
「ねえ、零、何か感じる……? 私、ここに来てからずっと肌がチリチリする気がするんだ」
「……ああ。多樹の感覚は正しいよ」
零は瞳を鋭く光らせ、ビルの入り口付近を凝視した。
「待て。……あそこだけ光の屈折がおかしい」
零が指差した先には、何もないはずの空間が、
真夏の道路のアスファルトのように陽炎となってゆらゆらと揺らめいていた。
そこだけが背景のビルとズレて、歪なノイズのように景色を歪ませている。
「本当だ! 何か、見えちゃいけないものが透けてるみたいだぜ」
「恐らく、デジタルワールドのデータが現実世界に漏れ出している……いや、
空間そのものが上書きされようとしている。ガルゴモン、あそこに軽く衝撃を与えてくれ」
零の声に応え、彼のデジヴァイスからデータが実体化する。
「了解だよ、零。……それっ!」
現れたガルゴモンが、右腕のガトリングアームから一発の小さな弾丸を放った。
鉛の粒が陽炎の中心を叩いた瞬間――耳を劈くような硬質の音が響き渡った。
まるで巨大な鏡が粉々に砕け散ったかのように、空間が鋭利な破片となって飛び散る。
その裂け目から、現実のものとは思えない強烈な色彩が溢れ出した。
「これだ……! 穴が塞がる前に飛び込むぞ!」
「……うん、行こう!」
「オレ達が全員助け出してやるぜ!」
三人は意を決して、暗い空洞となった空間の裂け目へと飛び込んだ。
視界が激しく明滅し、平衡感覚が消失する。
直後、三人の足裏が着地したのは、コンクリートではなく、
硬いプラスチックのような奇妙な質感の地面だった。
「……ここ、は……?」
多樹が顔を上げ、呆然と辺りを見渡した。
そこは、物理法則をゴミ箱に捨て去ったような、狂った空想の世界だった。
見上げる空はピンク色に染まり、
雲の代わりに巨大な磁器のティーカップがいくつも浮かんでいる。
カップからはドロリとした原色の紅茶が滝のように零れ、重力を無視して横向きに流れていた。
地面は白と黒のタイルが交互に並ぶ巨大なチェス盤になっており、
遠くにはねじ曲がった巨大なキノコや、独りでに歩き回るトランプの兵隊のような影が見える。
「なんだよこれ、夢の中か……?」
「いや、これはデジタルワールドだ。
多樹、北斗、油断するな。ここはもう、僕達の知っている場所じゃない」
零が警戒を促す中、お菓子の焦げるような甘い匂いが、不気味な風に乗って運ばれてきた。
チェス盤の地面をどこまでも進んでいくと、
ねじ曲がった巨大なキャンディの柱が林立する広場に出た。
そこには、行方不明になっていた数人の子供達が、力なく地べたに座り込んでいる。
「あ……いた! みんな!」
「おい、しっかりしろ! 今助けてやるからな!」
多樹と北斗が駆け寄るが、子供達の反応は鈍い。
瞳からは光が消え、まるで魂を吸い取られたかのように虚ろな表情で一点を見つめていた。
「……あ、お兄ちゃん、達……」
一人の男の子が、震える指先で虚空を指しながら、途切れ途切れに呟く。
「僕、家で……面白いサイトを見つけて……。
そこをクリックしたら……画面から、変な女の子が出てきて……。気がついたら、ここに……」
「闇サイトか。ウィザードはネットの深層に、デジモンを仕掛けて、
子供達をデジタルワールドへ釣り上げたんだね」
零が冷徹に状況を分析したその時、頭上から不協和音のような笑い声が降ってきた。
「ひっひっひ! 見つかっちゃったわね。
もうちょっと、ゆっくりみんなを閉じ込めておこうと思ったのに」
空に浮かぶ巨大なティーカップの縁から、重力を無視して「それ」がひらりと舞い降りてきた。
右半分は、フリルたっぷりのエプロンドレスを纏った愛らしい少女。
しかし左半分は、真っ赤な瞳を不気味に輝かせ、金鎖の懐中時計を握りしめた白ウサギ。
二つの存在が中央で無理矢理縫い合わされたような、おぞましくも滑稽な姿。
完全体パペット型デジモン、アリシャモンだ。
「あなたが、この子達を連れてきたの……?」
多樹は恐怖を抑え込み、震える声で問いかけた。
「子供達を返して! こんな事して、一体何が楽しいの!?」
多樹の叫びに、アリシャモンはカチカチと不自然な音を立てて首を九十度横に傾けた。
少女の口が三日月のように歪み、白ウサギの鼻がヒクヒクと動く。
「楽しいわよぉ? だって、これは私の特別なゲームだもん!
ルールは簡単。この世界に迷い込んだ人間は、私の玩具。壊れるまで遊んであげるの!」
アリシャモンは手にした鍵型のステッキをくるくると回し、踊るように宙を浮遊した。
「あなた達も遊びに来たんでしょ? いいわよ、混ぜてあげる!
――でも、残念でしたぁ! あなた達は最初から『負け確』なんだから!」
アリシャモンがステッキを振り下ろすと、周囲の空間がぐにゃりと歪み、
子供達の周りに巨大なトランプの壁が次々と突き立った。
「子供達には指一本触れさせないんだから! ヴォレモン!」
「オレ達が相手だ、アリシャモン! カラムモン!」
「僕達の戦い、見せてあげるよ。ガルゴモン!」
三人のデジヴァイスが光を放ち、パートナーデジモンが実体化する。
狂ったお茶会が、今、戦場へと変わろうとしていた。
「やるしかない……! みんな、お願い!」
「アリシャモンを倒せば、みんなを助けられるんだね! わたし、頑張る!」
カラムモンが身体から小さな火花を散らし、気合を入れる。
「酷い趣味のデジモンざんす。ミーの優雅な空中戦でその汚いドレスを切り刻んでやるざんす!」
「切り刻むなんて……失礼な奴ね!」
ヴォレモンが大きな翼を広げ、不敵な笑みを浮かべた。
アリシャモンの言葉から、もう容赦してはならないとヴォレモンは判断した。
「相手は完全体で、データ種……ワクチン種の僕には相性が悪いけど、そんなの関係ないよ!」
ガルゴモンがガトリングアームを構え、低く身構えた。
「あら、やる気満々ね! でも、私の庭では私のルールに従ってもらうわよ!」
アリシャモンが鍵型のステッキを高く掲げ、残酷な笑みを浮かべる。
「ロスト・ラビリンス!」
その瞬間、虚空から無数の巨大なトランプカードが溢れ出し、
猛烈な勢いで回転しながら三体を取り囲んだ。
「させないざんす! スフレ・バットル!」
ヴォレモンが即座に暴風を巻き起こすが、
その突風は迷路のように組み上がったトランプの壁に乱反射し、
行き場を失って霧散してしまった。
「なっ、風が殺された……!?」
「次はこっちよ! くるくる回れー!」
アリシャモンがステッキを上下逆さまに振ると、突如として三人の平衡感覚が消失した。
「わあぁっ!?」
「うわっ、なんだ! 地面が……!」
凄まじい衝撃と共に、ガルゴモンの巨体が「天井」に向かって落下していく。
重力が完全に反転し、空に浮かんでいたティーカップが今や足元に、
チェス盤の地面が頭上へと入れ替わったのだ。
「サンダービーム!」
逆さまに宙へ投げ出されたカラムモンが、必死に体勢を立て直し、
アリシャモンの無防備な胸元へ凝縮された雷撃を放つ。
「ふふっ、お行儀が悪いわね。熱い熱いお茶はいかが? ワンダー・ティータイム!」
アリシャモンがステッキを一突きすると、
巨大なティーカップから原色の紅茶が濁流となって噴き出した。
ただの液体ではない。
それはデジタル文字が複雑に混ざり合った高密度のデータエネルギーだった。
青白い電撃のビームは、その熱い激流に触れた瞬間、
パチパチと頼りない音を立てて飲み込まれ、霧のように四散してしまった。
「……技が、消された……?」
多樹が愕然と声を漏らす。
「くっ、この空間そのものがアリシャモンの味方をしているのか……!」
逆さまになった世界で、零が歯噛みする。
アリシャモンは優雅に空中を歩き、困惑する三体を見下ろしてクスクスと喉を鳴らした。
「あはは! 面白いわね、あなた達の必死な顔!
まだまだお茶はたっぷりあるから、溺れるまで遊んであげるわ!」
アリシャモンは無邪気な残酷さを撒き散らしながら、指先で空中に円を描いた。
すると、迷宮を構成していた巨大なトランプカードが次々と鋭利な刃へと変貌し、
逃げ惑う子供達の足元を正確に射抜いていく。
「やだ! 怖いよぉ!」
「助けて、お母さん……!」
泣き叫ぶ子供達の声を、アリシャモンはまるでお菓子の焼ける音でも楽しむかのように、
うっとりと目を細めて聞き入っている。
その姿は、命を弄ぶ事に何の躊躇もない態度だった。
「ふざけないで……!」
多樹の声が、震えながらも低く響いた。
俯いていた多樹が顔を上げた時、その瞳には静かで、しかし烈火のような怒りが宿っていた。
「怖がってる子供達を……誰かの心を傷つける事を『遊び』にするなんて……
そんなの、絶対に、絶対に許さない!!」
多樹の叫びに呼応するように、彼女の手に握られたデジヴァイスが激しく脈動した。
シュテンモン戦で焦げ付いたはずの筐体から、パチパチと黄金の火花が溢れ出す。
それはブースト機能の再起動ではない。
多樹の「守りたい」という強い意志が、デバイスを無理矢理動かしている純粋な光だった。
「みんな、今だよ! 連携して! 私達の本当の力を見せてあげて!」
多樹の放った光が、三体のパートナーを繋いだ。
「了解だよ! 天井だろうが地面だろうが、僕には関係ない!」
ガルゴモンが、反転した重力を逆手に取った。
頭上の「地面」を強靭な脚力で力一杯蹴り飛ばすと、
重力による加速も味方につけ、弾丸の如き速度でアリシャモンへ肉薄する。
「これで見納めざんす! プリューム・タンペット!」
ヴォレモンが迷路のようなトランプの隙間を神業のような旋回で潜り抜け、
無数の鋭い羽根を乱射した。
アリシャモンの周囲を羽根が舞い、アリシャモンの視界を真っ白に染め上げる。
「なっ、何なのよこれ!? 前が見えな……」
「今ざんす! カラムモン!!」
ヴォレモンの合図と共に、最後尾に控えていたカラムモンが全身の電力を一点に凝縮させた。
「これがわたし達の、精一杯なんだからぁぁぁ!! サンダービーム!!」
放たれた極太の雷撃は、
アリシャモンが咄嗟に放った紅茶の激流を真っ向から切り裂き、蒸発させた。
閃光はそのまま、アリシャモンの身体の左半分――
白ウサギが握りしめていた「時計」を正確に直撃する。
「……あ、あ……嘘……時計が……」
アリシャモンの象徴であった時計が粉々に砕け散った。
時を刻む音が止まると同時に、アリシャモンの世界のルールが崩壊していく。
「ゲーム、オーバー……? 私の負け……? そんなの、つまらない、わ……」
少女の顔が悲しげに歪み、次の瞬間、彼女の身体は無数の光の粒子へと弾け飛んだ。
主を失ったティーカップも、トランプの迷宮も、
全てが砂上の楼閣のようにサラサラと崩れ落ち、眩い光の中に溶けて消えていった。
眩い光に包まれ、視界が白一色に染まる。
次の瞬間、頬を撫でたのはデジタルワールドの熱い風ではなく、
夕暮れ時の少し冷たい現実の空気だった。
気がつくと、多樹達は調査を開始したあの古い雑居ビルの前に立っていた。
アスファルトの地面、ひび割れた壁、遠くから聞こえる車の走行音。
アリシャモンを倒した事で、全てが元通りになった。
すぐ隣には、一緒に空間から吐き出された子供達が立っている。
しかし、彼らは先程まで泣き叫んでいたのが嘘のように、
きょとんとした表情で顔を見合わせ、首を傾げていた。
「あれ? 僕達、こんなところで何してたんだっけ?」
「……分かんない。塾に行かなきゃいけないのに、ぼーっとしてたのかな」
デジタルワールドでの恐怖体験も、アリシャモンの不気味な姿も、
彼らの意識からは綺麗に消え去っていた。
それがアリシャモンの消滅によるものか、あるいは防衛本能によるものかは分からない。
子供達は不思議そうにしながらも、それぞれの帰路へと、元気に駆け出していった。
その背中を見送ってから、多樹はそっと自分の掌を見つめた。
握りしめていたデジヴァイス。
液晶画面にはカラムモンの姿が映っているものの、バックライトは弱々しく、
筐体からは先程まで放たれていた黄金の火花も消え失せている。
以前よりもさらに深く、沈み込むような沈黙を保っていた。
「助かったけど……あんな勝ち方、いつまでもできるわけじゃないよね」
多樹の不安げな言葉に、北斗が苦々しい表情で空を見上げた。
「あのウィザードって奴は力押しだけじゃねえ。
ネットの海に罠を張って、子供の好奇心を餌に攻めてきやがるんだ。
……卑怯すぎて吐き気が出るぜ」
「怪しいサイトにはアクセスしない。ネットの世界では当たり前の教訓だけど……」
零が静かに言葉を継いだ。
「デジタルワールドが僕達の現実と繋がってしまった今、それはただのマナーじゃない。
文字通り、命に関わる教訓になったね。
ウィザードは、クリック一つで僕達の日常を壊しに来るんだから」
町を朱に染める夕日が、三人の影を長く地面に引いていた。
多樹はふと、茜色の空を見上げた。
平和に見えるこの空の裏側で、目に見えない無数のデータが飛び交い、
そのどこかに悪意に満ちたウィザードの眼光が光っている。
アリシャモンは倒した。
けれど、それは巨大な闇のほんの一端に触れたに過ぎない。
自分達のすぐ隣、デジヴァイスの画面やパソコンの向こう側に、魔の手は常に潜んでいるのだ。
多樹はデジヴァイスをぎゅっと胸に抱きしめ、いつまでも暮れていく空を見つめ続けていた。
今回の風刺のテーマは「ネットリテラシー」です。
児童書でも取り上げられたし、デジモンとの相性も抜群なので、入れました。
~オリジナルデジモン図鑑~
アリシャモン
ネット上のとあるデータが、
迷い込んだデジモンの好奇心と混ざり合って誕生したパペット型デジモン。
右半分はエプロンドレスを着た少女、左半分は時計を持った白ウサギを思わせる歪なデザイン。
手には巨大な鍵の形をしたステッキを持ち、
常に宙に浮いたティーカップからデジ文字の書かれた紅茶を零している。
その空間に足を踏み入れた者は、体の大きさが変化したり、重力の方向が狂ったりと、
デジタルワールドの物理法則を無視した現象に翻弄される。
無邪気だが、相手が困惑する様子を「楽しい遊び」として観察する。
必殺技はステッキから熱い紅茶の激流を放つ「ワンダー・ティータイム」と、
カードで敵を閉じ込めたりカードを鋭い刃として飛ばしたりする「ロスト・ラビリンス」。
・デジモンとしての情報
レベル:完全体
種族:パペット型
属性:データ
必殺技:ワンダー・ティータイム、ロスト・ラビリンス