ウィザードのボスが、多樹達に立ち塞がりますが……。
今の社会をとにかく風刺しているので、覚悟して読んでください。
冷たい電子の匂いが、乾いた風と共に吹き抜ける。
空には裂け目のようなデータの亀裂が走り、そこから漏れる光が異様に辺りを照らしていた。
中央には、ウィザードのボス、遠山誠と、パートナーデジモンのドウモンが静かに立っていた。
その手には、黒く鈍い金属の装置が、まるで意志を持つかのように脈動している。
「ウィザードの幹部が皆、敗れたのは残念だったよ」
「ここまで我らを追い詰めた子供達、決して侮るわけにはいかぬ」
誠とドウモンの声は穏やかでありながら、地の底を這うような重みがあった。
そして、誠はダークヴァイスを、まるで神聖なもののように掲げる。
「あれは……ダークヴァイス……! お父さんも使っていたなんて……!」
多樹が、ぎゅっと唇を噛みながら言った。
その目はいつもの落ち着きを保っていたが、胸の奥底にある戸惑いは隠せなかった。
ブルーエルフモンが多樹の隣で、小さく震えている。
「これが起動したらみんな、あいつの思うがままになっちまうぜ」
北斗が叫ぶと、テングモンが翼を広げて威嚇するように空へ舞い上がった。
「嫌な予感がするな……」
零は薄く目を細め、セントガルゴモンと共に一歩前に出る。
その背中からは、かすかな覚悟のような気配が感じられた。
誠はそんな三人を見て、ふっと笑みを浮かべた。
「タイガ、ミシル、アイリアは、ありとあらゆる社会問題を正すために尽力してきた。
物価高やデジタル商品の在庫切れには窃盗で、ジェンダー格差には抑圧で対抗しようとした。
もしも彼らが行動を続けていれば、腐敗した政治も、深刻な社会情勢も瞬く間に正され、
社会や世界はより良い方向へと進んでいたというのに、
それを『犯罪』というくだらない理由で阻止する事は、
たとえ子供でも私にとっては本当に許されざる事だ」
「当たり前だろ! もし、ウィザードのやってる事が社会を良くするってんなら、
今頃、町では奪い合いしか起こってないんだぜ!」
「値上げしたら盗む、気に入らないなら押さえつけるだなんて、ただの我儘ざんす!」
北斗とテングモンは、ただ、犯罪は悪い事だと誠に伝えようとした。
彼らは、ウィザードのせいで困り、苦しむ人々を何度も助けてきた。
そのため、誰かの幸せを奪って作るより良い社会を、認めるつもりは微塵もなかった。
「世界中の国の統治者が腐っている以上、社会問題を正すためには、
たとえ君達が言う『犯罪』であっても辞さずに実行しなければならない。
君達のような奇麗事しか言えない人には、全く分からないだろうな」
しかし、北斗とテングモンの言葉は誠の耳には届かず、誠は話を続けた。
誠にとって、自分の思想を認めない者は、邪魔者でしかないのだ。
「そんな、奇麗事だなんて言わないでよ! 私達は、お父さんを止めるために来たの!」
「多樹……何も知らない癖に、それこそが奇麗事だというのに」
誠は実の娘を鋭い目で睨みつける。
凝り固まった考えは、自分に賛同しない者を全て敵としてしか見ていなかった。
「私はいくつもの社会問題と不祥事をテレビで見てきた。
牛丼に病原体が混入した事で、牛丼屋は次々に販売を打ち切った。
芸能人が異性とトラブルを起こし、ほとんどの企業はそのテレビ局のスポンサーを取りやめた。
世界中でも国同士が対立しているというニュースも見てきた。
夢と希望に満ちた場所で起きた血生臭い事件も見てきた。
そして……私は妻と考えが合わずに離婚した」
誠の言葉で、多樹達は息を呑む。
彼は全く嘘を言っておらず、その言葉には確かな重みがあった。
特に、母親と二人暮らしの多樹は、胸が締め付けられるような気持ちになる。
「信頼というのはなんと儚いものだ……。築くのは難いのに、簡単に崩れてしまう。
国同士が対立するのも、それぞれの意見が違うのが一番の理由だ。
暖かい夢の世界で起きた悲劇も、人々の心が汚かったから起きたのかもしれない。
だが、ニュースを見たところで、私達はデジモン以外では世界を変える力を持っていない。
だから、私はこの特別なダークヴァイスを使い、人々を力と恐怖で支配するしかないと決めた。
例えば……そうだな、値上げするごとに犯罪率が値上げした分の100倍になり、
国同士が敵対的になれば統治者の財産を奪う権利が国民に与えられる、といった感じだな」
「決して崩れる事のない、永遠の信頼関係を築けるのだ。
こうなれば、物価高になる事はなく、国同士の敵対も、悲しい事件も起こらないだろう」
ダークヴァイスを使えば人々は力と恐怖で支配され、二度と悲しい事件は起きなくなるという。
誠が持っているダークヴァイスは、今の世界に疲弊している大人達にとっては強い誘惑だった。
「違う……」
しかし、まだ子供である多樹達は、首を横に振った。
「そんなの間違ってる!」
思わず、多樹は誠に叫ぶ。
多樹は静かに、しかし確実に、前に踏み出した。
「お母さんと離婚して、色んなところで悲しい事件が起きて、色んな国が睨み合って、
ウィザードがあんな事をして……世界中のみんなの心が汚いのは分かるよ。
だからといってダークヴァイスでみんなを押さえつけても、世界は良くならないよ!
だって、そんなのは信じる事じゃなくて、怖くて従ってるだけだもん!」
「オレ達は何度もぶつかって、やっと信じてくれたんだ!
無理に友達を作るなんて、オレにはできねぇよ!」
北斗が多樹の言葉に頷くように、力強く応える。
ダークヴァイスは、デジヴァイスとパートナーデジモンという関係を、大きく崩すからだ。
「僕は物価高でデジモンが万引き事件を起こした事は、何となくだが知っている。
でも、君がやろうとしてる事は、社会を正そうとしてるんじゃない。
むしろ、そうなってしまったら、この社会が滅茶苦茶になるだけだよ」
そして、零の声が静かに続いた。
一瞬の沈黙の後、多樹達のパートナーデジモンが身構える。
「信頼は崩れる可能性があるからこそ、守ろうとする気持ちに価値があるの!
不完全で傷つけ合う事があっても、それを乗り越えようとするからこそ、
わたし達と人間は本当のパートナーになれるんだよ!」
「自然災害で不作が起きて、仕方なく値上げをする事もあるざんす。
それすらも許さないなんて、絶対におかしいざんす!」
「国が睨み合い、物の値段が上がれば、力で奪って黙らせるなんて、ただの戦争だよ。
デジモンは戦うのは好きだけど、戦争はみんなが傷つくだけだよ!」
多樹、北斗、零のパートナーデジモンも、誠のダークヴァイスによる支配を否定した。
誠が語る社会の平穏は、人々の自由を奪い、心を摩耗させる事でしか得られない、
虚飾の平和だとパートナーデジモンは思っていた。
掲げられた大義名分の裏側で、ダークヴァイスの闇が、
無実の人々の人生を黒く塗り潰していくのは、多樹達には耐えられないのだ。
そんな三人の子供と三体のデジモンを見た誠の瞳に、微かに怒気が走る。
「そんなもの、悲劇的な事件や物価高騰への免罪符にはならない!
人々を徹底的に力で押さえつけ、恐怖で支配しなかったから、あのような事が起きたのだ!」
「我が主は、信頼よりも強固な関係を結べ、世界を平和に導くのだ!
それを否定するならば、誰であれ容赦はしない!」
誠は何が何でも、ダークヴァイスによる支配以外は認めたくない。
彼は、様々なテレビのニュースを見た事で自分の無力感を察し、
信頼と自由を無価値なものとしか見ていないのだろう。
画面越しに流れる悲劇、繰り返される争い、
そして彼自身が目にしてきたであろう裏切りの記憶が、歪んだ正義の盾となっているらしい。
「おい、さっきから勝手な事ばっかり言いやがって!」
「お前が作ろうとする世界、平和な世界じゃないざんす」
「「何だと!?」」
そんな誠に対し、北斗は苛立って自分の気持ちを誠にぶつけた。
彼らの対応に対し、誠とドウモンはさらに苛立った。
「確かに、お前の言う通り、信頼は壊れやすいかもしれないざんす。
でも、壊れたものを直そうとしたり、
次は間違えないように工夫したりするのが、本当に社会を良くする事ざんす。
恐怖で縛って誰も逆らえないようにするのは、本当の平和じゃないざんす!」
「想定外の事を許さないなんて、お前、頭が固すぎるんだよ!」
誠の言う通り、信頼は脆く、築くのに時間はかかる。
しかし、その脆さの裏にある「自由な選択」と「修復の可能性」こそが、
ダークヴァイスより遥かに強いと、北斗とテングモンは主張した。
多樹と北斗、そして彼らのパートナーデジモンに否定された誠は、わなわなと身体を震わせた。
「崩れた信頼は、決して取り戻せはしない! 修復できはしない!」
「そうだ。自由や信頼は力と恐怖の前には無力なのだ。
政治家の足の引っ張り合いにも、国同士の対立にも、自然災害は一切忖度しないようにな……」
第一次世界大戦では、戦死者よりもスペイン風邪で亡くなった者の方が多かったという。
誠とドウモンは、たとえ相手がどんな事を言っても、自分の意見を押し通すつもりのようだ。
しかし、零は首を横に振り、真剣な表情で誠にこう言った。
「お前はニュースで嫌な事件ばかりを見て、目の前にいる人間を信じるのをやめたのか?」
零は一歩前へ出ると、冷ややかな、しかし芯の通った声で誠を見据えた。
「確かに、社会は不完全だ。
政治も、国同士の関係も、お前の言う通り、みんなが足を引っ張り合っているかもしれない。
だが、それをお前一人の正しさで塗り潰して何になる?
迷う事も反省もない世界に、一体何の価値があるんだ」
セントガルゴモンが、零の言葉に呼応するように重厚な駆動音を鳴らす。
「お前は『信頼は脆い』と言ったけど、それは違うよ。
信頼は、裏切られるリスクを承知で、それでも相手に手を伸ばす覚悟の事。
ダークヴァイスで心を縛って、絶対に裏切らなくするのはただの管理だよ。
お前は、自分が傷つきたくないがために、世界から心を消し去ろうとしてるんだ!」
零の言葉は、氷の楔のように誠の心に突き刺さった。
完璧な秩序によって、争いも、足の引っ張り合いもない世界。
誠が掲げていた、そんな高潔な理想は、
その実、自分が傷つく事を恐れた「逃避」に過ぎないと、零は断じたのだ。
「黙れ! 夢と希望を与える場所で悲しい事件が起きた後、貴様らはどうした!?
『こんな事件が起こるなんて思わなかった。夢であって欲しかった』と言うだろう!
人々の行動を管理し、予知ができなかったから事件が起きたのだ!
私は、悲しい未来をダークヴァイスで消そうとしているのだ! それのどこが悪い!?」
「その通り。
我が主に逆らう者は、たとえ子供であっても、我にとっては邪魔者以外の何者でもない」
しかし、絶望に染まった誠と、彼に従うドウモンに、多樹達の声は届かない。
それでも、多樹は誠を信じて、話を続けた。
多樹は激昂する誠の瞳の奥に、凍りついたような孤独と、
あまりにも純粋故に壊れてしまった正義を見た。
彼女は一歩、また一歩と、ドウモンの威圧感に怯む事なく、誠の方へ歩み寄る。
「確かに、悲しい事件が起きた後で『夢であってほしい』って願う事はあるよ。
未来が分かっていれば、防げた悲劇もたくさんあるかもしれない」
多樹の声は静かだったが、不思議と周囲の殺気を吸い込んでいくような落ち着きがあった。
「でも、お父さん。管理されて、予知された通りの未来だけを進むなら、
私達はもう……生きてるって言えるのかな?」
多樹は自分の胸に手を当て、言葉を紡ぎ続ける。
彼女の脳裏には、これまで出会ってきた人々の姿が浮かんでいた。
物価高やデジタルデータの在庫の概念に苦しむ女性や、いじめに悩んでいた哲志、
そして心に傷を負いながらも前を向こうとしている零など。
「私は、不器用で、言葉が下手で、自分に自信が持てなかった。
でも、スプライモンに出会って、北斗や零とぶつかり合って、
少しずつ自分を変えようって思えた。
それは、明日がどうなるか分からない不安な世界で、
それでも自分で選んだから意味があったんだよ」
「悲しい事があっても立ち上がれる強さを信じる事は、そんなに間違ってる事なの?
わたしには、よく分からないなぁ」
多樹とブルーエルフモンの言葉は、誠が頑なに守り続けてきた歪んだ正義を、
内側から静かに溶かしていくかのように響いた。
しかし、誠は苛立ちながら、多樹を睨みつけている。
誠はなおも、多樹の考えに決して同調せず、自分の意志を曲げなかった。
「貴様……どこまでも甘い考えだな……。貴様は加害者に味方し、被害者を無視する。
個人への罪を犯す危険を防ぐために拘束しない貴様に、この世界で生きる価値はない」
「お父さんは、そうやって悪い事が起きる前に誰かを閉じ込めたいんだね。
でも、それじゃあ、お父さんが憎んでる悲しい事件の犯人とやってる事は同じだよ!
誰かの未来を勝手に決めつけて、奪い取ってるんだもん!」
「たとえ、それが事件の加害者でもか!? 最悪の結末になってしまっても、
貴様は罪を犯す可能性のある人間を拘束しないのか!?」
「それでも、私は縛らない! 誰かが罪を犯す前に閉じ込める世界なんて、
誰も信じ合わなくていいって言ってるのと同じだもん。
私は、お父さんが信じるのを諦めた人間の中に、まだ光があるって信じたい。
もし最悪な事が起きても、それを一緒に乗り越えられる誰かが隣にいる……
そんな世界を私は選ぶよ!」
誠は、数多くの裏切りを見て絶望し、裏切りが一切存在しない世界にしようとした。
しかし、その方法は、多樹にとって到底認めたくないようなものだった。
だから、多樹はたとえ戦いになったとしても、父親を止めようとしたのだ。
「……貴様は最早私の娘ではない……。
信頼に固執し、不確実な未来にしがみつき、手遅れになってから事件を解決する愚か者……」
「事件を未然に防がぬ愚か者しか……我ら以外にはいないというのか……」
誠は、多樹達に向かって恨めし気な声でこう言った。
彼とドウモンの言葉には、強い確信と、異論を許さない冷徹な決意が込もっていた。
彼らはダークヴァイスこそが唯一の平和をもたらす手段だと見なしている。
誠から見れば、多樹達が求める「信頼」は、
彼が目にした不祥事の例からも明らかなように、単なる脆い幻想に過ぎない。
だから、誠は多樹達を「愚か者」と断じ、
自分の絶対的な真理を強制的に社会に適用しようとするのだ。
しかし、絶対に諦めてはいけないため、多樹達は身構えた。
「貴様らのような愚か者は、今すぐにここで消し去る!」
「我らに敗れ、不本意な結果を得るがいい!」
ドウモンは、誠の願いを叶えるべく、ブルーエルフモン達に襲い掛かった。
「鬼門遁甲!」
「うわっ!?」
ブルーエルフモン達は、突然、ドウモンが作る迷路に閉じ込められた。
迷路の中は、まるで空間そのものが歪んでいるかのようだった。
左右の壁は常に形を変え、進んでも進んでも同じ場所に戻ってしまう。
足元には霧が立ち込め、視界は数m先までしか見えない。
「くっ……ここはドウモンが作った迷路ざんす! 出口が見えないざんす!」
テングモンが苛立ちを隠せずに叫ぶ。
「ブルーエルフモン、落ち着いて」
多樹の声に応じて、ブルーエルフモンは目を閉じ、耳を澄ませる。
微かなデータの音が、迷路の奥から聞こえてきた。
「あっちだよ! 風が、外に向かって流れてる!」
ブルーエルフモンが指差す方向へ、三体のデジモンは慎重に進み始めた。
壁が揺れ、床が崩れかける。
ドウモンの術式が彼らの脱出を阻もうとするが、
三体は互いに声を掛け合い、迷路の罠を一つずつ突破していく。
「信頼に固執するから、血生臭い事件や不祥事や物価高が起きるのだ!
力と恐怖による支配こそが正しい! それ以外は全て間違っている!!」
ドウモンが作った迷路の外から誠の声が響く。
悲しい事件への怒りと憎しみに囚われている誠は、多樹達への敵意でいっぱいだった。
誠は最早、多樹を娘ではなく、自分に逆らう悪だとしか思っていなかった。
吹き荒れるデータの風の中、多樹は一歩、また一歩と歩く。
その瞳には、恐怖ではなく、拒絶でもない、深い悲しみと決意の光が宿っていた。
「……お父さんの言ってる事、私には難しくて全部は分からないよ。
ニュースで流れる悲しい事件も、お母さんと離れ離れになった寂しさも……本当は、凄く怖い。
でもね、誰も傷つかない代わりに、誰も自分の心で笑えない世界なんて、私は絶対に嫌だよ!」
多樹の声は、震えながらも真っ直ぐに誠の胸へと突き刺さる。
「失敗するかもしれない、誰かを傷つけちゃうかもしれない……。
それでも、自分で考えて、悩んで、誰かと手を繋ぎたいって思うから、心は温かいんだよ。
ダークヴァイスが管理する正しいだけの世界に、私の大好きな人は誰もいない!
そんなの、寂しすぎるよ!」
ブルーエルフモンが多樹の前に立ち、透明感のある、しかし力強い声で言葉を継いだ。
「わたしはね、多樹ちゃんが迷いながらも、自分で決めてここまで歩いてきた姿を見てきたの。
誰かに命じられたからじゃない、多樹ちゃんが自分の心で信じたいって願ったから、
わたし達は強くなれたんだよ!」
ブルーエルフモンの身体から、温かな青い光が溢れ出し、迷宮の禍々しい霧を押し返していく。
「信頼は、裏切られるのが怖いからこそ、守り抜こうとする力になるの。
あなたの優しさは、世界を縛るためじゃなくて、誰かの涙を拭うためにあったはずでしょ?
心を閉じ込める鍵じゃなくて、隣に座って一緒に悩んでくれる……
そんなお父さんに、多樹ちゃんは会いたかったんだよ!」
「血生臭い事件を手遅れになってから解決し、我が主に同意しない貴様らは、我らの敵だ!!」
そう言ってドウモンは、さらに迷路を複雑にする。
決して脱出させないために、誠が望んだ世界にするかのように。
「多樹ちゃん、諦めちゃダメ。絶対に脱出するからね!」
「うん! ブルーエルフモン、自分を信じるんだ!」
その言葉に、ブルーエルフモン達はさらに強く前へ進む。
信頼の力で、迷路の術式を打ち破るように。
「貴様らはダークヴァイスの素晴らしさを何も分かっていない。
物価高騰の原因は戦争や環境問題が大半を占めている。
そして、それを引き起こしているのが、統治者の暴走だ。
ダークヴァイスならば、統治者すらも力と恐怖で支配できる。
それに反対するという事は、貴様らは物価高騰に対して何も思っていないのと同じだ」
「……いい加減にしやがれ、誠」
北斗は一歩前に出ると、誠の歪んだ理屈を真っ向から否定するように睨みつけた。
「国がどうとか、統治者がどうとか、そんなでかい話でオレ達を騙そうとするな!
物の値段が上がって苦しいのは、世界中のみんなも同じだ!
でもな、それを解決する手段が泥棒だって言うなら、そんなのただの八つ当たりだろ!」
「その通りざんす!」
テングモンが翼をバサリと広げ、北斗の言葉に勢いをつける。
「お前の言ってる事は『あいつが悪いから自分も悪い事をしていい』っていう言い訳ざんす!
支配者を押さえつけるために、
罪のない人々の生活まで恐怖で滅茶苦茶にしていい理由にはならないざんす!」
北斗が拳を握りしめ、誠に自分の意見を叩きつける。
「対抗手段がないからって、ダークヴァイスに頼って心を捨てるのがお前の言う正義かよ!?
たとえどんなに苦しくても、みんなで助け合って苦しみを乗り越えるのが人間の意地だぜ!」
「やはり貴様らは敵だ! ここで果てるがいい!」
ドウモンは、さらに迷路に大量の罠を張る。
自分に逆らう者を、徹底的に痛めつけ、排除するために。
零とセントガルゴモンは、さらに複雑になった迷路を探索する。
罠もたくさんあり、セントガルゴモンの身体は傷ついていた。
「……絶対にここを脱出するからね、零」
「ああ……ダークヴァイスで支配する世界になってはならない」
誠が望んでいる、ダークヴァイスによる支配を、零とセントガルゴモンは認めない。
零にとって、力と恐怖は決して社会問題の解決にならないと思っているのだ。
しかし、そんな零の心を折るかのように、誠の恨めし気な声が聞こえる。
「……貴様にこんな事件を教えよう。夢と希望に満ちたキャラクターグッズ屋で、
夢を持って働いていた20代の被害者をストーカーしていた20代の加害者が殺し、
加害者すらも自ら命を絶った最悪の事件だ。
最大の原因は、犯罪者予備軍だった加害者の歪んだ心を力と恐怖で支配しなかったからだ。
政治家がそれを首相に伝えても首相は聞き入れず、結果的に痛ましい悲劇が起きたのだ。
私から見たら、その首相は被害者を見殺しにした殺人犯でしかない。
だから、ダークヴァイスを認めない貴様もあの殺人犯と同じだ」
誠の言葉は、ただの暴論ではない。
彼が画面越しに目撃してきた現代社会の歪み、
そして自らの家庭の崩壊という現実の重みが、その歪んだ正義の礎となっていた。
しかし、その高潔な理想の裏に隠されていたのは、
これ以上傷つきたくないという、あまりにも脆く、孤独な逃避であった。
完璧な秩序という名の檻に人々を閉じ込め、不確実な未来から目を背けようとする誠に対し、
零とセントガルゴモンは、その欺瞞を容赦なく射抜く。
「お前の言う殺人犯と同じだっていうならそれでも構わない。
でも、お前がやろうとしてるのは、誰も死なない世界じゃなくて、誰も生きてない世界だ。
加害者が生まれるのを防ぐために、みんなをあらかじめ檻に入れるのがお前の正義なのか?
僕は、そんな冷たい平和のために、誰かが誰かを想って笑う自由まで差し出すつもりはないよ」
「……僕が零とパートナーになったのは、零が完璧な人間だからじゃない。
悩んで、迷って、それでも僕を信じようとしてくれたからだ。
心を管理して、プログラム通りに動かすのは平和じゃない。
そんな止まった世界、僕が全て撃ち抜いてやる!」
零の冷徹なまでの論理と、セントガルゴモンの地を震わせるような宣戦布告。
それは、誠が「正しさ」という隠れ蓑の裏に隠していた、
独りよがりの支配欲を真っ向から否定する響きを持っていた。
「……やはり、貴様らは邪魔者だ。この迷路に永遠に閉じ込めてやろう」
ドウモンの呪いの言葉と共に、迷路の壁がどろりと溶け、際限なく増殖を始めた。
「わたし達は、絶対に諦めない!」
「ここを脱出して、あいつを止めるざんす!」
「ダークヴァイスなんて……いらない!」
そして、三体のデジモンが進んでいくうちに、迷路の出口が、霧の向こうにぼんやりと現れた。
ブルーエルフモンが先陣を切り、風を纏って駆け抜ける。
続いてテングモンとセントガルゴモンも飛び出し、三体はついに迷路から脱出した。
外の空気は重く、誠とドウモンの気配が濃密に漂っていた。
ドウモンはすぐに彼らの脱出を察知し、手に札を握りしめる。
「くっ……逃げたか! だが、この攻撃は見切れるはずがない! 呪禁札!」
札が空中に舞い、青白い光を放ちながらブルーエルフモンに向かって飛ぶ。
ブルーエルフモンを拘束して、倒そうとしていた。
「させない!」
その時、ブルーエルフモンの瞳が強く輝き、両腕を広げてエネルギーを集中させる。
「プラズマ・レイ!!」
そして、空間が震えた。
青白い光線が一直線に走り、呪禁札を貫いてドウモンの胸元へと突き刺さる。
鬼門遁甲に力を使っていたのか、戦いは、あっさりと決着がついた。
「わたしはね、多樹ちゃんを心の底から信じて戦ってるの。
ただ利用されてるだけのあなたには、絶対に負けないんだから!!」
「馬鹿な! 信頼というくだらない力に、我が敗れるだと……!?」
ドウモンの身体が光に包まれ、輪郭が崩れていく。
断末魔もなく、静かに、しかし確実に、データの粒子となって空へと消えていった。
同時に、誠の手に握られていたダークヴァイスが、鈍い音を立てて砕け散った。
黒い金属の装置は、まるでその瞬間に意志を失ったかのように、地面に崩れ落ちる。
「馬鹿な……こんな事が……あっていいはずがない!!」
多樹達に敗れた誠は、叫びながら頽れる。
誠が起こそうとしていたダークヴァイスによる力と恐怖の支配を、
多樹達が自由と信頼をもって阻止したという事実を、誠は認められなかった。
「私は認めない……。世界を救う力が、貴様らのようなゴミ以下の存在に敗れた事を!
貴様らのせいで、世界から痛ましく悲しい事件を根絶できなくなるのだぞ!
物価高騰を止められず、世界中の苦しみを見捨てるという事なのだぞ!
私がダークヴァイスで悲劇を未然に防いでいれば、救われた命があったはずなのに……
力と恐怖で統治者を支配していれば、物価高騰は止まっていたのに……。
貴様らは……それを、諦めて、見殺しにしたという事だぞ……!!」
誠は取り返しがつかなくなるまで絶望に堕ちようとした。
そんな彼に、零、北斗、多樹、そして彼らのパートナーデジモンは優しく声をかけた。
「今の日本の法律は、人権保護という名目で加害者にも慈悲を与えている。
それは、君にとっては良くない事なのかもしれない。
けれど、やり直すチャンスさえ奪う世界に、誰が希望を持てるんだ」
「君は自分が正しいと思ったからこういう社会にしようとしてたんだよね。
でも、正しさに囚われてたら、自分達以外の全てを見失っちゃうんだよ」
零は、穏やかな口調で誠に説得する。
セントガルゴモンが巨体を揺らし、誠を見下ろしながら静かに告げた。
「いい加減、目を覚ますざんす! お前がニュースの数字ばっかり見てる間に、
目の前にいる北斗はこんなに立派に自分の足で立ってるざんす!
これがお前が言う不確実な未来の答えざんす!
誰かに決められた平和じゃなく、自分で選んだ強さざんす!」
「オレは友達と時に喧嘩もするし、誰かに裏切られる事もあるかもしれない。
けど、そのたびに立ち上がって、また誰かと握手する。
それが人間やデジモンが生きてる証なんだぜ!
ニュースだか何だかオレはそんなの知ったこっちゃない!
お前が本当に多樹の父さんなら、ちゃんと多樹の姿をしっかり見ろよ!」
北斗は力強く拳を突き出し、誠の歪んだ正義を真っ向から否定した。
テングモンが扇をひと振りすると、淀んでいた焦げた電子の匂いを、清涼な風が吹き飛ばす。
それは、支配という名の静寂を破る、生命の鼓動のような風だった。
「私は、お父さんが見てきた世界の本当の怖さを知らないのかもしれない。
でもね、誰かが罪を犯すのを防ぐために、みんなの心まで閉じ込めちゃったら、
それはもう、助けた事にはならないんだよ。
お父さんがニュースを見て苦しんでいたのは、そこに心があったからでしょ?
悲しい事件をなくしたいって願ったのは、お父さんの優しさだったはずだよ!」
「わたし達は、お父さんが守りたかったはずのその優しさを、壊させないために戦ったの。
ダークヴァイスがなくても、ううん、ダークヴァイスがないからこそ、
人は誰かのために泣いたり、笑ったりできるんだよ!」
多樹とブルーエルフモンの叫びは、荒廃したデジタルワールドに静かに染み渡っていく。
誠は砕け散ったダークヴァイスの破片を凝視したまま、言葉を失っていた。
多樹の瞳に宿る光は、誠が管理しようとしたどんな未来よりも強く、そして純粋だった。
「黙れ!! 戯言しか言えない愚か者どもめ!!」
しかし、敗北した上に、自分の考えを否定された誠の苛立ちは、ますます増していった。
誠は、なおも力と恐怖による支配を諦めたくない様子だった。
ダークヴァイスとパートナーデジモンを失ってもなお、自らの信念への執着は消えなかった。
「今度は私自らが貴様らを排除し、力と恐怖が支配する世界を作る!」
「もうやめて、お父さん! もう戦う事は……」
ダークヴァイスはなく、ドウモンも戦闘不能だというのに、
また誠が襲い掛かってくるのかと思った、その時。
「貴様にもう用は無い」
突然、空のどこかから声がした。
そして、巨大なエネルギーが誠に放たれ、誠は吹き飛ばされた。
「お父さーーーーーーーーん!!」
社会情勢も見ながら加筆修正していました。
私だったら誠みたいな行動をしていたのにと思うと、何ともやるせない。
さて、次回がラスボス・バルバモンとの最終決戦です。
最後まで多樹達の活躍を見守ってください。