艦これ 砲声なき日々に 作:ダッフル
一度ストーリーを書き直したものです
基本的な流れに変化は無いです
「あれから、もう一年か……」
ぽつりと提督が呟く。
左袖だけが浮いた制服姿のまま、書類の束を前に深々とため息をついた。
「うへぇ……またこの量か」
「今日の分はまだマシですよ」
笑みを浮かべながら、大淀が書類を机に置いていく。
「“まだマシ”でこれかよ……。退役前と変わらんじゃないか」
提督はぼやきながら、右手で無造作に判を押していく。
スタンプの音がリズムよく響くが、その表情はやや疲れ気味だった。
「横須賀の状況は、落ち着いてきました」
大淀が椅子に腰掛け、軽く背筋を伸ばす。
「本拠地を叩いてから丸一年。敵勢力の大規模な反攻は確認されていません。けれど……」
「残党はまだ世界の海に散らばってるってわけだ」
「はい。武装解除が完全とは言えませんし、深海棲艦の“存在”そのものが消えたわけでもない。国家ではなかった分、明確な講和もなければ、降伏文書もない。……勝ったけれど、終わってない」
「軍縮の話も、基地の縮小も進まんよな」
「基地自体は一応少し残されるようです。最低限の守りとして」
「それで俺も“最低限の守り”か。予備役って肩書きで、後任が来るまでここに詰めてるってわけだ」
「ええ、まあ。……その割に、押すハンコの量がやたら多いですけど」
「まったくだ」
提督は肩をすくめながら、もう一枚に判を押した。
しばし沈黙が流れ、窓の外の風がカーテンを揺らす。
静かな午後だった。
ふと、提督が呟くように口を開く。
「……吹雪だけが、残ってんのか?」
大淀は少し視線を落とし、うなずく。
「はい。彼女だけが、いまだ鎮守府に」
「兵役に残ったわけでもないよな?」
「ええ。正確には“帰る先がなかった”んです。軍にも、民間にも。……引き取り手も、いなかった」
提督は黙って天井を見上げた。
溜め息のような空気が、室内をまたひとつ通り抜ける。
「……吹雪って、もともとどういう身の上だったんだ?」
「正直、はっきりしません」
大淀の声が少し低くなる。
「軍の情報管理がずさんで……いえ、“最初からなかった”と言った方が近い。生まれて間もなく、艦娘としての適性が高いという理由だけで組み込まれた。記録では“孤児”とされていますが、親の存在も確認できず……。名前も本名かどうか分かりません」
「つまり……捨てられてたか、拾われてたか、どっちにしろ“軍の娘”だったってことか」
「……ええ。吹雪さんは、軍の中で生きてきたんです。それが“普通”だった」
「……もう5年になるのか」
「はい。あなたと初めて配属を受け持ってから、ちょうど5年と少しです」
「長いような、短いようなな……」
提督は机から立ち上がり、左袖を軽く払う。
空っぽの袖が微かに揺れた。
「他の奴らはどうしてる? あいつら……戦後、けっこうバラバラだったろ」
「大半は退役して民間に。籍を残した子もいますが、それでも基地に残ったのは数人程度です。……吹雪さんのように“残された”形で残っているのは、彼女だけですね」
「“残された”、か」
大淀は言い淀むように、少し間をおいてから続ける。
「彼女は、何も言わなかったんです。退役勧告の時も、ただ“はい”と答えて、それっきり。……でも私、彼女は――」
提督が目を向ける。
「――きっと、お父さんかお母さんが迎えに来てくれるって、思ってたんじゃないかなって」
「……親か」
「ええ。名前も顔も知らない両親を、いつかきっと迎えに来てくれる人として待っていた……そんな気がしてならないんです。子どもが、そうやって待ってることに理由なんて要らないんです」
提督は黙っていた。
ただ、海の方角へ視線を向ける。
「……だったら、せめて俺が“いる”くらい言ってやってもいいかもな」
「あなたが、ですか?」
「あいつにとっての家がここなら、家長くらいは名乗ってもバチは当たらんさ。――俺も、もう家はねぇからな」
大淀が微笑む。
「……じゃあ、提督の次の業務は“父親”ですね」
「それが一番難しい気がするな」
提督は、ふっと笑った。
それは少しだけ、風の音に混じって軽く響いた。
潮風が頬を撫でていた。
陽射しは強いが、風はどこか穏やかで、夏の終わりを感じさせる。波戸の先端にぽつりと腰を下ろした少女が一人。
麦わら帽子を小脇に置き、緩くなった麦茶のペットボトルを足元に。
竿の先は、潮騒に合わせて気だるく揺れていた。
彼女――吹雪は、じっと海を見つめていた。
釣れるでもなく、かといって飽きるでもなく。
ただ、時間が流れていくことを、その手の中で確かめるように。
背後から足音が近づく。
「釣れますか?」
思わず吹雪が振り返る。
「し、司令官っ!」
慌てて立ち上がりかけ、姿勢を正して敬礼しようとするが――
「あー、いいいい。今はな」
提督が片手をゆるく上げて制す。
そのまま吹雪の隣に腰を下ろすと、どこからか取り出した小ぶりの竿を、ゆっくり海へ向けて垂らした。
吹雪は、ぽかんとしながらその姿を見る。
左腕の袖が空のまま、風に揺れている。
「……サボりですか?」
「んー。まあ、そんなとこだ。お前の釣り場をちょっと拝借な」
吹雪は少しだけ笑って、また海を見た。
波はゆっくりと、沖へと引いていく。
「よく来るのか? ここ」
「はい。午後はよく……暇なので」
「暇ねえ。自習とかしてるって聞いたが?」
「それも……はい。午前中とか、夜とかに。最近は戦術とか忘れないようにまとめてみたり……あと、漢字の練習とか……」
「真面目だな、お前は」
提督が少しだけ笑った。
その声音に、咎めるでも呆れるでもない、ただ柔らかい気配があった。
吹雪は照れくさそうに、麦茶のペットボトルを握り直す。
「……釣れるときは、釣れるんですけど。今日は、ダメみたいです」
「釣れなくても、こうやって竿を出すのが大事なんだよ。目的じゃなくて、過程ってやつだ」
「……それ、サボりの言い訳じゃないですか?」
「それもあるな」
吹雪が、ふふっと笑った。
提督も、つられるように笑った。
海は静かだった。
この海の向こうに、あの戦いがあったことが信じられないほどに。
提督はそっと、釣り糸を指でつまむ。
その感触は生温く、だが確かに“今ここにいる”という手応えがあった。
隣の吹雪もまた、同じように糸を揺らしていた。
ただ並んで、風に吹かれて、海を眺める――そんな時間が、何より大切に思えた。
「……お前は」
提督が、海面を見つめたまま問いかける。
「兵役として、ここに残るのか?」
吹雪は少しだけ目を細め、手元の竿をひゅんっと投げ直した。
糸が弧を描いて飛んでいく。その姿に、どこか気持ちの整理のようなものが滲んでいた。
「そうしたいんですけどね……」
笑って、海を見たまま答える。
「でも、今はもう、残れるのって……巡洋艦と、一部の空母の方々だけなんですよ。あとはほんの一握り、成績優秀な駆逐艦だけ」
麦わら帽子が風に揺れる。
吹雪の声は、あくまで穏やかだった。
「私は……とても、そこには入らなくて」
「軍縮ってやつか」
「はい。組織として“持ちすぎた”ものを、整理してる段階ですから」
「……」
「って、司令ならこんなこと……分かってますよね。すみません」
軽く頭を下げる吹雪の口元に、苦笑いが浮かんだ。
まるで“釈迦に説法”と言いたげな、恥ずかしさ混じりの笑みだった。
だが提督は、何も言わなかった。
頷くことも、否定することもなく。
ただ静かに、彼女の言葉を受け止めていた。
その沈黙が、かえって何よりもあたたかく、何よりも重かった。
波の音だけが、ゆっくりと二人の間を流れていく。
釣り糸は海へ、そして時間の奥へと揺れていた。
提督は、片手でも実に器用に釣り糸を扱っていた。
竿の扱いは慣れたものだ。右手一本で軽くあおってリールを巻き、また絶妙な角度で投げ直す。
吹雪はその様子を横目で見て、ふとぽつりと呟いた。
「……武蔵さんや、一部の戦艦の方は、残れるらしいですけど……」
提督が軽く目を細め、竿先を見たまま口を開く。
「ま、ああいうのもいないと……他国への牽制にならないしな」
「……他国?」
吹雪が不思議そうに聞き返す。
その問いに、提督はひと呼吸置いて、やや低く、静かに言葉を重ねた。
「共通の敵がいなくなった今、艦娘を最大数保有していたこの国は、どうしても“目の敵”にされる」
「……」
「敵がいた間は、協力もできた。支援も名目が立った。だけど、もう“深海棲艦”っていう名目が消えた今、人間同士の摩擦の方が強くなってきてる」
提督の声には、どこか疲れがにじんでいた。
それは戦争を終えた者の安堵ではなく、戦争の“後始末”に追われる者の、消えない気配。
「敵がいなくなれば平和になると思ってたけどな……そんな単純な話じゃなかった」
吹雪は、何か言いかけたが、結局言葉を飲み込んだ。
風がまた吹いて、麦わら帽子がコトリと転がる。
提督はそれを拾って、そっと吹雪の膝に置いた。
その仕草は、ごく自然で、ごく静かだった。
「んま、そーいうくっさい話は後にしてだな」
提督が軽く咳払いして、やや無理に話題を変えるような声色で言った。
「お前も……ここ、居づらいだろう?」
吹雪の肩が、ぴくりと小さく震えた。
その揺れを、提督は見逃さなかった。
「……こんな日が来ると思っていました」
吹雪は、ややうつむきながら静かに口を開く。
「荷物も……まとめてありますし。いつでも出られるようにしてました。……長い間、お世話になりました」
「お、おいおい、違う違う、そういう意味じゃないって」
提督は慌てて手を振った。
「“出てけ”って話じゃねえ。そうじゃなくてな……その、あれだ」
言いよどんだ提督が、釣り竿を軽く持ち直して、海面に視線を落とす。
「俺も、後任が決まり次第、ここからは出ていく。予備役とはいえ、ずっと居座るわけにもいかんからな」
「……」
「だからさ。どうせなら、お前も一緒に、って思っただけで」
「え……?」
吹雪の目が丸くなる。
風の音だけが、しばし二人の間に流れた。
「……一緒に暮らさないか? って事だ」
提督が小さく鼻を鳴らしながら、そう続けた。
「お前の“引き取り手”に、俺がなる。……そういう意味」
言い終わると同時に、釣り竿がぴくりと引かれた。
提督が片手でぐいっと引き上げると、小ぶりな魚が一匹、針にかかっていた。
「……リリースだなー」
そう言って、魚をそっと海へ返す。
吹雪は、未だ膝の上に麦わら帽子を抱いたまま、ぽかんと提督を見ていた。
頬にかかる風も、潮の匂いも、さっきまでとは少し違って感じられた。
でも、それは――きっと、悪いものではなかった。
⸻
「えっと……」
吹雪が、少しだけ視線を泳がせながら口を開いた。
「私……司令に、毎日お味噌汁作りますね」
その声は、蚊の鳴くように小さかったが、提督の耳にははっきりと届いた。
提督は目を細めて、釣り糸を揺らしながらぽつりと返す。
「……あー、吹雪? お前さ」
竿を軽く振って、ちらりと横目で吹雪を見る。
「そのセリフの“意味”、分かってんのか?」
吹雪の顔が、ぱんっと音がしそうなくらい真っ赤になった。
「ち、ちがっ……! そういう意味じゃなくて!」
慌てて両手を振って否定する。
「家事とか、せめてそれくらいは……ってだけで! ほかに、なんにも! だからその、あのっ……!」
提督は声を立てて笑わず、ただ釣り糸をゆらりと揺らしたまま、
「……そうか」
とだけ、静かに呟いた。
波間がゆるやかに揺れる。
まるで二人をそっと包みこむように。
柔らかな潮風が通り過ぎ、吹雪の麦わら帽子のリボンがふわりと舞った。
吹雪は膝の上で帽子を握りしめ、真っ赤な顔を隠すように、海をじっと見つめていた。
その横顔に、提督はふと目を向ける。
まるで、ほんの少し未来の姿を、そこに見た気がして――
また一度、海へと釣り糸を垂らした。
「――というわけで、一緒に暮らすことにしたわ」
報告を受けた大淀は、書類から顔を上げて、目をぱちくりと瞬かせた。
「……え?」
目を丸くしたまま、ぽかーんと口を開けている。
「なんか、ダメか?」
提督が肩をすくめると、大淀はようやく口を閉じて、困ったように眉を寄せた。
「ダメというか……その……」
「……その?」
「絵面が」
「いや、そこかよ!」
大淀は頬を指先でとんと叩きながら、いたずらっぽく笑った。
「なんか違う“パパ”になりませんか? パパ活とか、巷で話題の」
「失礼なやつめ……」
提督はむっとしながら、右手で大淀のほっぺをぐいっとつねる。
「いたたたたたっ、冗談ですってば!」
「全然笑えん冗談だったがな……」
「で、ちゃんとお家は? 個室の私室の用意とかありますか? 年頃の女の子への配慮や理解は足りてますか?」
「んー?」
提督は釣りの疲れが残る手で頭をかきながら答える。
「まあ、家はほら。適当に……軍から払い下げの一軒家、もらえりゃいいかなって」
「ほ、ほんとーにそれでいいんですか?」
ずい、と大淀が身を乗り出す。
「年頃の娘と暮らして、洗濯物は別でと言われて……耐えられますか?」
「え、いや、別でって言われたら……別にするけど……」
「そもそも、お風呂とかは?」
「えっ、お風呂? いや、その、順番とか分ければ――」
「一緒とか絶対ダメですからね」
「わーかったわかった、わかったけど!」
頭を抱えて、提督は椅子に深く沈み込んだ。
「――あーもう、わかんねえー!」
外ではまた、穏やかな潮風が吹いていた。
戦争の終わりから一年。
提督の“新しい戦場”は、どうやらここから始まるらしい。