艦これ 砲声なき日々に   作:ダッフル

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十二話 困惑

 

 

「ええ。喜んで」

 

──そして、二人の盃が、静かにもう一度、音を鳴らした。

 

その微かな音を、吹雪は聞いていた。

 

否。それだけではない。

 

布団の中、横になったふりをしながら──あるいは、もう夢の淵へと沈んでいるとでも思わせるように、薄く目を閉じていた彼女は、その数分前からすでに、息を潜めていた。

 

そっと身を起こしたのは、たまたまだった。

 

眠れなかった。いつものように、ではない。どこか、ほんのわずかに身体が熱く、頭の芯が冴えていたのだ。瑞鶴の寝息と熊野の寝返りを背に、吹雪はわずかに布団をずらし、視線をそっと灯りの残る囲炉裏の方へ向けた。

 

そして──見てしまった。

 

提督の左頬に、加賀さんの指先が触れるのを。

それから、ほんの一呼吸もないくらいの間に、彼女が身体を寄せて、唇を、そっと、そこに。

 

(──っ!)

 

喉の奥で息が止まり、心臓が暴れ出すのがわかった。

 

おかしな話だ。キスなんて、ドラマや映画の中で何度も見たことがあるはずだった。口づけ、愛情表現、そういうものは「知識」として知っていた。けれど、目の前で、それも知っている人たちが、本当にそれをしているのを見た瞬間、吹雪の内側には、まったく未知の感情が渦巻いた。

 

──ざわつく心。

──熱を持つ耳。

──何か、得体の知れないものに触れてしまったという予感。

 

(……見ちゃいけなかった……)

 

そう思う一方で、目は逸らせなかった。

 

加賀は、静かに「好きです」と言った。

 

凛とした声だった。

戦場で何度も耳にした、あの揺るがぬ命令のトーン。けれど今夜はそれが、不思議とあたたかくて、そして美しく聞こえた。

 

吹雪の手は、胸元で小さく震えていた。きゅう、と服を握る指に力が入る。顔が熱い。息が浅くなる。呼吸を殺さなければ、誰かに気づかれてしまう──そう思って、吹雪は身を翻した。

 

寝返りをうったその瞬間、瑞鶴の足を踏みかけて、「ひゃっ……」と危うく声を上げそうになる。慌てて布団へと潜り込む。頭まで、ぴっちりと。逃げるように、隠れるように。

 

──けれど、心は逃げられなかった。

 

「……っ……どうしよう……」

 

誰にも届かないような声で呟く。

 

思春期特有の、性への好奇心。

その一方で、それに追いつかない自分の耐性。

知りたい。けれど、知らないままでもいたい。

そんなわがままな葛藤が、胸の中を何度も行ったり来たりする。

 

加賀さんは、そんなふうに人を好きになって。

司令に、それを伝えて。

それで──一緒に、酒を飲んで、あんなふうに微笑んでいられるなんて。

 

(あれが……大人ってこと、なのかな……?)

 

思わず布団をぎゅう、と引き寄せて抱きしめる。

 

今までずっと、戦うために生きてきた。

司令と共に戦い、命令を聞き、進み、守り、戦果を挙げることだけが「意味」だった。

けれど、戦争が終わって、こうしてみんなが普通に暮らすようになって……

自分は──どうして、ここにいるんだろう?

 

どきどきして、心臓が落ち着かないまま、吹雪はとうとう眠ることができなかった。

 

夜は、ただ静かに過ぎていった。

 

 

朝。

 

障子の隙間から差し込む光が、部屋を淡く照らしていた。

 

昨夜の名残りのような空気の中で、吹雪は目を覚ました。いや、実際には、ほとんど眠れてなどいなかった。

 

目をこすりながら起き上がると、瑞鶴と鈴谷はまだ夢の中。熊野は薄目を開けて「おはようございますわ……」と、半分寝言のような声をこぼしてまた丸まる。

 

台所の方では、翔鶴さんがそっと湯を沸かしていた。

 

「おはよう、吹雪さん。お手伝い、お願いできる?」

 

「は、はいっ」

 

思わず跳ねるように返事をしてしまった。ぎこちない自分の声に、内心で「落ち着け」と言い聞かせる。

 

昨夜のことは、夢じゃない。

でも、今目にしている光景は……まるで、それを「なかったこと」にしているかのようだった。

 

提督は、いつもと変わらぬ顔で新聞を広げ、加賀さんは台所に立って器を拭いている。

 

「……あの、加賀さん……」

 

ふと、吹雪は言いかけた。けれど、加賀は微笑んで振り返っただけだった。

 

「手が空いたら、お皿の片付け、お願いできますか?」

 

「……あ、はいっ」

 

(──えっ、なにこれ……)

 

胸の奥で、小さな動揺が弾けた。

 

“あんなこと”があったのに。

キスして、好きって言って……。

なのに今朝は、まるで何事もなかったかのように、いつもの顔で、いつもの声で、いつもの二人がそこにいる。

 

(お、大人って……そうなの!?)

 

昨夜見た情景と、今目の前の光景のギャップに、吹雪の頭は混乱するばかりだった。

 

 

テーブルに残る湯呑みを片づけながら、吹雪はふと手を止める。

 

加賀の湯呑みと、提督の盃が、並んで置かれていた。

 

まるでそれが、昨夜の“証拠”のようで、吹雪はそっとそれを見つめた。

 

──まだ、よく分からない。

──けど、知ってしまった。

 

それは、大人になるということの、最初の一歩なのかもしれない。

 

吹雪は、小さく、息を吐いた。

 

その背中を、朝の光が、やさしく照らしていた

 

 

目の前に広がる光景は、吹雪の予想を遥かに超えていた。

 

「司令官は……?」

 

不意に沸き上がった疑問を、そのまま口にして、あたりを見回す。囲炉裏の近くに姿はない。台所にもいない。庭先か、縁側か──そう思って縁へ出た吹雪は、その“異様な”場面に、目を見開いた。

 

「あっ、吹雪ー見て見てコレ!」

 

そう呼びかけてきたのは瑞鶴だった。朝日を背にしたその声は、まるで遠足のはじまりを告げるように無邪気で、そして屈託がなかった。

 

その隣には、鈴谷。

二人はなにやら夢中になっている──そして、その中心にいたのは、座布団に胡坐をかいて妙に悟りきった顔をしている提督だった。

 

「……っ!?」

 

目が行ったのは、左腕。

 

提督の左肩から伸びていたのは──金属製の義手。しかも、ただの義手ではない。先端に伸縮式のワイヤーが組み込まれており、それがぴゅるる、と音を立てて伸びたり縮んだりしていた。

 

「うわー!すごー!なにこれ、伸びる伸びるーっ!」

「ねー鈴谷、これって巻き取りもできるの!?あ、指動いた!」

 

「やーばい、これアームパンチできるやつじゃん!」

 

「そのうち、オールレンジ攻撃も……可能になる……」

 

提督がぼそっと呟いたその横顔は、どこか“諦観”と“希望”を内包した哲学者のような、それでいてどこか哀愁を感じさせる佇まいだった。

 

──が、次の瞬間。

 

「なにそれ、わけわかんなーい!」

 

瑞鶴の一蹴。

 

吹雪は思わず吹き出しそうになって、口元を手で押さえた。

 

(……昨日、あんなキスをしてた人とは思えない……)

 

いや、思えば思うほど頭がぐるぐるしてくる。静かに、胸の奥で呟いた。

 

(大人って──本当に、何なんですか……!?)

 

朝の光は、そんな吹雪の困惑をよそに、優しくあたたかく差し込んでいた。

 

 

朝食は、雑炊になった。

 

昨夜の鍋の残りにご飯を入れて、卵をとき、だしで整えて。刻んだ青ねぎを散らせば、香り立つ湯気が食卓に広がる。眠たげだった熊野も、炊きたての香りに鼻をひくつかせて「……これは、罪ですわね」と目を覚ました。

 

テーブルには湯気の立つ椀が人数分。小鉢には漬物と、さりげなく切られた沢庵。まるで家庭の朝。

 

けれど、吹雪はどうしても視線を真っすぐ前に向けられなかった。

 

提督と加賀が、横に並んで座っていたからだ。

 

(べつに……なんでもない、普通、普通の距離感……)

 

心の中でそう言い聞かせながらも、箸を持つ手が少しだけ汗ばむ。

 

隣り合ってはいるけれど、会話は最小限。昨夜のような雰囲気は一切なく、むしろ「いつもの二人」にしか見えない。提督は出汁の味をうまいなと一言だけこぼし、加賀は「昨夜の昆布が効いています」と淡々と応じただけ。

 

(お付き合いしてる……わけ、じゃない……んだよね?)

 

ふとした瞬間に、吹雪は箸の先から視線を横へ滑らせる。

 

ちらり、と。

 

すぐに戻す。

 

だめだ、考えすぎ。きっと、加賀さんはただ、提督のことを尊敬していて──いや、でも昨日のあれは……

 

「吹雪さん、よそいましょうか?」

 

「あっ、は、はいっ!」

 

声をかけられてびくりと肩が跳ねる。翔鶴さんの手には、おたまが。笑みはやわらかいけれど、どこか気づかれていそうで怖い。

 

雑炊がよそわれ、吹雪は両手で椀を包み込んだ。香りが立ちのぼる。おいしいはずなのに、なぜか喉が少しだけつまる。

 

──この二人、本当に付き合ってるの?

 

その答えが、いま目の前の風景の中にはなかったからこそ。吹雪は、またひとつ大人の「わからなさ」に、心をざわめかせていた

 

昼前。

それぞれの荷物を手に、大きな玄関の引き戸が次々と開いてゆく。

昨夜の笑い声も、今朝の湯気も、いつしか余韻だけを残して消えかけていた。

 

「手紙、出すからねー!」

「絶対返してよー!」

 

玄関先で瑞鶴が大きく手を振る。鈴谷も隣で「たまには遊びに来てよ、ついでに制服姿見せなさいってば」と笑いながらリュックを肩に背負った。

 

「わ、分かりました……えと、はいっ、必ずお返事しますっ!」

 

吹雪は背筋を伸ばして敬礼寸前の勢いで答えた。敬語。だけど頬はほんのり紅い。

 

瑞鶴たちが門を出た後、熊野と翔鶴もひと足遅れて続く。

 

「ごきげんよう、吹雪さん。今度お菓子でも一緒に作りませんこと?」

「困ったら、いつでも相談してね。私、お姉さんだから」

 

「は、はいっ……ありがとうございます……!」

 

またしても敬語。

心からの礼の言葉なのに、胸の奥はなんだかむずむずする。

 

──それぞれが、それぞれの場所へ帰ってゆく。

楽しかった宴の終わり。

けれど、吹雪は不思議と“寂しい”とは思わなかった。むしろ、何か大切なものが胸の奥に積もったような、そんなあたたかさを抱えていた。

 

……ただ──

 

“あのこと”だけが、心に引っかかっていた。

 

 

「荷物、どうするよ?」

 

客人たちを見送った後、提督がふと振り返って加賀に訊いた。

 

「家具は煙でダメになったものが多いので、私物くらいですかね。服も恐らく煙で凄いので……仕分けしてから、持ち運ぼうかと」

 

「もし、荷物移すなら義手はパワーあるから手伝うぞー」

 

「あまり無理はなさらずに」

 

変わらぬやり取り。

けれど、どこか“ふたりだけに通じる空気”を感じ取ってしまった吹雪は──

 

迷った末に、そっと提督の傍へ近寄った。

 

「……司令官、ちょっと、いいですか」

 

「ん?」

 

「あの、その……ぶっちゃけ、付き合ってるんですか……?」

 

「……は?」

 

提督は目を瞬いた。完全に虚を突かれた表情。

 

「いや、付き合ってねーけど」

 

「……付き合ってない!?!?」

 

思わず大きな声が出てしまい、吹雪は慌てて口を押さえた。

加賀がちらりとこちらを見たが、何も言わずにまた玄関の方へ戻っていった。

 

提督は困ったように頭をかきながら、苦笑いを浮かべた。

 

「なんでお前そんなこと急に聞くんだ?」

 

「……っ……」

 

ごまかそうとしたけど、できなかった。

吹雪は、自分が“嘘をつけない性分”だということを、あらためて思い出していた。

 

観念して、ぽつぽつと語り始める。

 

「……昨夜、少しだけ……見てしまって……。その、加賀さんが、司令に……」

 

「あー……」

 

提督が片手で顔を覆った。見てしまったのか、という顔だった。

 

「す、すみません、つい……」

 

「いや、別に怒ってねえよ。ただ……ああ、なるほどなって」

 

言葉を切って、提督は障子の方に目をやった。

しばらく沈黙が流れる。

 

そして──ぽつり、ぽつりと、言葉が落ちてきた。

 

「俺さ……恋愛って、よくわかんねぇんだ」

 

それは、冗談ではない、真顔だった。

 

「戦争ばっかしてきたしさ。家族もとっくに失くして、艦娘と一緒にいるのが“普通”だったろ。だけど……普通じゃないんだよな、本当は」

 

「……」

 

「“好き”って感情もさ……手を握ることも、隣にいることも……本当はもっと、当たり前のように誰かと育んでいくものなんだろうけど……」

 

提督は視線を落とした。

 

「そういうこと、してこなかったんだよ。だから今さら言われても、どう返せばいいか分からなくてさ。……情けない話だけどな」

 

「……」

 

吹雪は、何も言えなかった。

でも、目をそらさなかった。

 

「だから、加賀にもちゃんと返事できてねぇ。時間が欲しいって、そう言うのがやっとだった」

 

そう言って、提督は立ち上がる。

 

「……けど、あいつの気持ちに、恥じるようなもんは何もない。それだけは、分かってる」

 

小さな、誠実な言葉だった

 

 

「……あの、司令」

 

吹雪はふと思い出したように声をかけた。

 

「昔……司令って、モテモテだったって聞きますけど……」

 

少しだけ遠慮がちな、それでも確かに好奇心がこもった声音だった。

 

提督はその一言に苦笑した。

ぽりぽりと頭をかく。まるで古傷に触れるような、懐かしさと照れくささの混じった動きだった。

 

「……あー、まあ、モテてはいたなー」

 

「……!」

 

「でもそれと恋人がいたかって話は、別なんだよ」

 

言いながら、もう一度、乾いたような笑みを浮かべた。

どこか苦味の残る、それでも自嘲ではない、静かな諦観のような笑みだった。

 

「モテてたっつっても、あれだぞ。みーんな、若く出世した俺の隣に座りたくて寄ってきたやつばっかでさ。肩書きに惹かれてたんだよ」

 

「肩書き……」

 

「そう。若くして提督になって、戦果も上げて、後ろ盾もあった。そりゃ目立つし、話題にもなる。けど、俺自身を見てくれてたかっていうと、怪しいもんだ」

 

吹雪は言葉を失った。

 

自分の知らない“提督”の姿。

けれど、そこにはどこか“あの厳しかった提督”の影が重なるようで、不思議と胸に響くものがあった。

 

「それにさ。艦娘ってのは……立場上、使役する側だったろ。上官と部下。どこまでいっても、それは変えられない関係だった」

 

提督の声が、少しだけ低くなった。

 

「だからこそ、俺は線を引いてた。甘やかすわけじゃないけど、守ってやりたかった。少しでも、死なずに済むように、傷つかずに済むように……」

 

ふっと、吹雪の心に浮かぶ記憶がある。

 

演習の折、雷撃のタイミングをほんの数秒遅らせたことで烈しく叱責されたこと。

夜戦の判断ミスで、被弾こそなかったが「帰れ」と一言で下げられたこと。

あの時は冷たく感じたその命令が、今になって思えば──「線」だったのかもしれない。

 

(……確かに、司令は……艦娘には、厳しかった)

 

けれど、それは“突き放す”のではなく、“踏み込ませない”ための厳しさだったのだと。

吹雪は、ようやく気づいていた。

 

提督の背中は、どこまでも遠くて。

けれど、その背中がいつも、前を見ていた理由が、今、少しだけわかった気がした。

 

 

提督の声が途切れたところで、吹雪は、言葉を探すように視線を動かした。

 

けれど、その問いは自然と口をついていた。

 

「……じゃあ、加賀さんも?」

 

ぽつりと落ちたその一言に、提督は少しだけ目を伏せ、口元をわずかにゆがめた。

 

その表情は──言葉よりも、ずっと多くを物語っていた。

 

「アイツは……ほら、特別だから……」

 

ほんの数秒。

 

その“特別”という言葉が、吹雪の中に鋭く突き刺さった。

 

胸が、小さく跳ねた。

頬の奥が、じんわりと熱を持つ。

思春期の感受性は、ときに過剰に、あるいは繊細に反応してしまう。

 

(……特別……)

 

その言葉が意味するのは、ひょっとして──。

 

──けれど、すぐに吹雪は思い直した。

 

(……ああ、左腕のこと……)

 

思い出す。

あの夜のことを。

 

提督が加賀の前に立ち、砲撃から彼女を庇った。

その一撃で、彼は左腕を──まるごと、失った。

 

痛みも、怒りも、後悔も、そして……誰より深い覚悟も、きっとそこにあった。

 

だからこそ、加賀は。

ずっと、自分を許せずにいた。

誰よりも不器用に、距離を取り続けてきた。

 

提督にとって、加賀は“特別”だった。

 

それは、恋とかそういうものではない。

たぶんもっとずっと、複雑で、静かで、重いもの。

 

吹雪は、そっと目を伏せて、椀の湯気を見つめた。

 

特別という言葉は、すべてを語らない。

 

でも、その裏にあるものは──知っている。

 

彼女は小さく息を吐き、そして静かに言った。

 

「……はい」

 

それが、どんな意味での“はい”だったのか。

提督は何も言わなかった。

けれど、それで十分だった

 

 

ほんの少しだけ、息を呑んで──けれど、問いを飲み込まなかった。

 

「……じゃあ」

 

「ん?」

 

「お付き合いは……するのですか?」

 

その言葉に、提督は一瞬だけ箸を止めた。

そして、頭を掻きながら、深いため息をついた。

 

「……うーむ、それなんだがなぁ……」

 

思わず、らしくないほどの曖昧な声音だった。

 

「実は……あれからとりあえず、“家に同棲する”って話にはなったんだよ」

 

「……えっ」

 

吹雪は思わず口元に手をやった。が、提督の顔はどこか困っている。

 

「いやな、あの騒ぎでアパートもダメになったし、赤城も実家だし、加賀ひとりでホテル暮らしもなんだろ。だからしばらくウチにって話になって」

 

「そ、そうなんですか……」

 

「でもさ、付き合ってもねぇのに、するってのも、どうなんだって気はしててさ……」

 

提督は味噌汁をひと啜りして、また苦笑した。

 

「かといって、その気もないのに付き合うのも、そりゃ変な話だろ? 勢いで流されるのも違うっていうか」

 

「……」

 

「……いや、もちろん嫌いじゃあないんだがな」

 

ぽつり、と言って、提督は頭を掻いた。

ごく自然に、何気なく言ったようで──けれど、吹雪にはその言葉が強く残った。

 

(……嫌いじゃない)

 

それはつまり、嫌いじゃない以上、選択肢に“ある”ということ。

けれど、すぐに答えを出すべきではないという慎重さも、そこにあった。

 

「司令は……優しいんですね」

 

吹雪は小さな声でそう言った。

提督は返事をせず、ただ静かに盃を洗いはじめた。

 

朝の片付けは、静かに、そして少しだけぎこちなく進んでいった。

 

けれど、その沈黙は、どこか居心地が悪いわけではなかった

 

 

片付けも、ほとんど終わりかけていた。

 

茶碗が伏せられ、布巾で拭かれた卓が静けさを取り戻し始めた頃。

 

ちょうど最後のゴミ袋をまとめて戻ってきた加賀が、ふと二人の間の空気を感じ取ったように、真っ直ぐに声をかけてきた。

 

「……何の話ですか?」

 

その声音は、特別に詮索するでもなく。

けれど、どこか自然な関心をにじませていた。

 

提督は、その問いに一瞬だけ肩をすくめるように笑い、そして湯呑を棚に戻しながら言った。

 

「お前の気持ちに……答える準備ができてない、ヘタレの弱音だよ」

 

「……」

 

加賀は眉をわずかに動かした。

けれど、特に言葉を返すことなく、ただ無言でその場に立ち、提督を見つめていた。

 

しばしの沈黙。

 

吹雪は慌てて取り繕うように立ち上がろうとしたが、提督が先に、軽く手を振って制した。

 

「ま、なんだ」

 

「……」

 

「ははっ、こうして笑いながら言える程度には、余裕があるってことさ」

 

わざとらしく、けれど嫌味のない笑い声が、広がった。

 

それはどこか、戦場とは無縁の“日常”を感じさせる音だった。

 

加賀も、ふっと力を抜いたように小さく息を吐き、そして一言だけ。

 

「……そうですか」

 

その声音もまた、静かで柔らかかった。

 

三人の間に流れる空気は、やさしく、ほどけていくようだった。

 

そして、冬の朝の光が、障子越しに少しだけ強く差し込みはじめていた

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