艦これ 砲声なき日々に   作:ダッフル

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十三話贈り物

 

冬の街は、クリスマス商戦の喧騒に包まれていた。

 

店先のガーランドが風に揺れ、子供たちのはしゃぐ声がアーケードの奥に響く。

けれど、そこに佇む一人の男の姿は、どこかその華やぎとは隔絶されていた。

 

提督──かつて戦場を駆け抜け、数多の艦娘と共に海を護り抜いた彼は、今、目の前のショーウィンドウに並ぶ小物たちをじっと見つめていた。

 

――12月23日。

 

カレンダーのその数字を朝、台所で目にして、ふと時間の速さに気づいた。

 

「もうすぐ、か……」

 

小さくつぶやいたその言葉には、どこか困惑と照れの混じった響きがあった。

 

艦娘たちに囲まれていた頃の彼ならば、こんな季節に浮かれる暇も、心の余裕もなかった。

しかし今や、あの加賀が、あの吹雪が──日常の中で並んで朝食をとり、片付けを手伝い、静かに「おやすみなさい」と告げて部屋に戻っていく。

 

だからこそ思う。

 

何か、してやりたかった。

 

少しでも「あなたたちが、ここにいていい」と思えるような──そんな形を。

 

「……しかし、悩むな」

 

手袋を外し、顎をさすりながら呟いた。

 

彼女たちの好みを、全く知らないわけではない。

吹雪は古風で素直な趣味をしているし、加賀は質素ながら、良い物には目を利かせる。

けれど、いざ“贈り物”として何かを選ぼうとすると、これがとことん難しい。

 

いっそ聞いてしまえばいいのかもしれない。

 

けれど、聞いたところで──

 

「……どうせ“私は結構です”とか、“何でも嬉しいですよ”とか言うんだろうな」

 

ため息と共に、自分の予想する二人の“遠慮深さ”が脳裏に浮かんだ。

 

そう、そうなのだ。

 

あの二人は、そういうふうに“控えめ”で、“気を遣う”ことが染みついてしまっている。

戦時の名残か、それとも彼女たち自身の性格か。

 

いずれにせよ、そういう彼女たちに、「素直に欲しいものを言え」と言っても、無理な話だ。

 

「だからまあ、こうしてこっそり……っとな」

 

そう呟いて、マフラーを巻き直すと、提督は再び歩き出した。

 

商店街の雑貨屋、ブティック、古書店……

どこもかしこも、赤と緑の装飾に包まれて、浮足立っているようにも見える。

 

(吹雪には……暖かいマフラーか何かが良いか?)

 

(加賀には……ふむ、消耗しない上質な小物類?)

 

手土産ひとつとっても、彼女たちは「恐縮です」と恐縮しきってしまうだろう。

けれど、そういう彼女たちだからこそ、ふとした瞬間に見せる笑顔や、手を伸ばした先の躊躇いにこそ、彼女たちの“素直”が宿っているのだと、提督は知っていた。

 

だからこそ選びたかった。

彼女たちの“遠慮”を潜り抜けて、本当に喜ばれるものを。

 

「ったく……どっちが親心だか」

 

冗談めかしてそう呟きながら、提督は街の雑踏へと消えていった。

 

雪は、まだ降っていない。

 

けれど、どこか空気は澄んでいて──

心の奥に残る微かな熱が、今日だけは冷え込むことなく続いていた。

 

 

商店街のイルミネーションが、冬の空気にきらきらと揺れていた。

華やかな装飾、流れるジングル、ショーウィンドウを彩るリボンや金糸の飾り──クリスマス商戦の只中にあっても、どこか人波は落ち着きつつあり、夕刻の街には家路を急ぐ足音が響いていた。

 

提督は、そんな中で足を止めた。

古めかしいが清潔な看板に「GLASS BELL JEWELRY」と金の文字が浮かび上がる小さな宝飾店。

 

何度か前を通った記憶はあるが、実際に中へ入るのは初めてだった。

 

自動ドアなどはなく、重厚な木製の扉に真鍮の取っ手を握り、少しだけ力を込めて開く。

 

──カラン。

 

ドアベルの音が、静かに店内に響く。

 

中は外の喧騒が嘘のように静まり返り、照明は柔らかく、棚に並べられた宝石や銀細工が控えめに輝いていた。

 

「いらっしゃいませ」

 

応対に出たのは、品の良いスーツに身を包んだ女性店員。

年齢は三十代後半ほどか。整えられた口元と落ち着いた所作に、どこか信頼を感じさせる人だった。

 

提督は帽子を取りながら、軽く頭を下げた。

 

「すまん。こういう場所は……あまり馴染みがなくてな」

 

「ご安心くださいませ。贈り物をお探しですか?」

 

「ああ。若い子に……と言っても、成人はしてるがな。あまり派手でない、けれど質の良い……そういうものを探してる。仕事でも使えればなおいいんだが」

 

そう言って、提督は上着の内ポケットからスマートフォンを取り出した。

 

指でスワイプして開いた写真は、加賀のものである。

凛とした面差し、制服の襟元を直そうとしている一瞬を切り取った何気ない一枚。

撮った覚えのない写真だったが、吹雪が送ってきたものの中に混じっていたのを偶然見つけた。

その自然な表情が妙に心に残り、こっそり保存していたのだ。

 

「この子に似合うようなのが、もしあれば見せてくれ」

 

店員はスマートフォンを受け取らず、写真を眺めて頷いた。

 

「……整ったお顔立ちですね。落ち着きと芯のある気配を感じます。きっと、お仕事にも誇りを持っておられる方なのでは?」

 

「……まぁな。自分に厳しいタイプだ。言葉より、行動で示すようなところがある」

 

「なるほど。でしたら、こちらなどはいかがでしょう?」

 

店員が案内したのは、ガラスケースの一角。

そこには、銀製の細身のリングに、深い海藍色をたたえるトパーズが一粒だけ嵌められたネックレスがあった。

小さな石ながら、角度によっては星のようなきらめきが宿る。

 

「派手すぎず、日常使いにも馴染みます。けれど、よく見ると光が深く、心に残る……そんな意匠です。年齢を重ねても違和感なく身につけられますよ」

 

「ふーむ……一生モノとは言わんが、公私共に使えるものがいいとは思ってた。これなら……」

 

そう呟きながら、提督は手袋を外し、ケース越しにじっとネックレスを見つめた。

 

ふと、店員が穏やかに微笑んで言った。

 

「素敵な恋人さんですね。きっと、お喜びになりますよ」

 

──恋人。

 

提督はその言葉に、まるで背中を押されたように、小さく目を見開く。

 

「……恋人、か」

 

つぶやきながら、ゆっくりと視線を天井へと移した。

天井の照明が、曇りガラスを通して柔らかく照らす。

その光の奥に、遠い昔の空が透けて見えたような気がした。

 

思えば、自分が誰かを「好きになる」ことを、あの戦争の渦中にあって本気で考えたことなどなかった。

 

誰かを守ること、失わぬように尽くすこと、それは義務であり、信念だった。

 

だが、それが「愛」だったのかと問われれば、違うと即答できてしまう自分がいる。

 

愛すること。

愛されること。

想いを交わすこと。

 

──そういった、当たり前にあるはずの日常を、長らく戦場に置いてきた気がした。

 

「……喜んでくれるかどうかは、分からんけどな」

 

ぽつりと呟いたその声に、どこか照れとも、未練ともつかない色が混じっていた。

 

そして、提督は静かにネックレスを指差した。

 

「それを、包んでくれ」

 

「かしこまりました。クリスマス用にお包みしておきますね」

 

店員が丁寧に箱を整えるその間、提督はそっとスマホの画面をスリープに戻し、ポケットに仕舞った。

 

写真に映る彼女は、何も知らずに真っ直ぐ前を見ている。

 

そして──きっと、あの日と同じように、今日も家の台所で湯を沸かし、吹雪と並んで食卓を整えているのだろう。

 

「……さて、もう一つも選ばないとな。あいつにもなにか」

 

ふと、吹雪のことを思い出す。

彼女には、あたたかくて、素直に喜んでもらえるようなものを贈りたい。

可愛げがあって、それでいて今の吹雪らしい、そんなものを。

 

提督は再び、棚のひとつを覗き込む。

 

彼はようやく、そうした贈り物の意味を、思い出しかけていた。

 

 

宝石店を出た提督は、手にした小さな紙袋をそっとコートの内ポケットに収めた。

包み紙のリボンは落ち着いた藍色で、無言のまま加賀の雰囲気に馴染んでいるようにも思えた。

 

──さて、と。

 

ふう、と小さく息をついて、提督はまた歩き出した。

 

冬の街並みには、クリスマス前の熱気と、年の瀬特有のせわしなさが入り混じっている。

駅前のカフェには買い物袋を抱えた家族連れ、子どもたちのはしゃぐ声があちこちから聞こえてくる。

 

その中に、ふと制服姿の学生が視界をよぎる。

手袋をした指でスマートフォンを操作しながら、友達と肩を並べて歩いている。

 

──中学生か。

 

その一言が、頭の中でふいにこだました。

 

そして、思い出す。

 

吹雪も、来年から中学三年生になるのだ。

まだ「暫定」ではあるが、風見の後押しもあり、通える見込みが立ち始めた。

 

あの戦いの中、身を挺して守った艦娘たちが、今ようやく「日常」という穏やかな場所に歩み出そうとしている。

 

それを思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 

 

彼女のことだ、直接聞けばきっと「そんなの、気を遣わないでください」と遠慮するだろう。

けれど、心のどこかでは喜んでくれる──その自信が、なぜかあった。

 

「……派手すぎず、けど子どもっぽくもなくて……」

 

ぶつぶつと呟きながら、提督は街路を歩く。

目についたのは、小ぶりな雑貨店。ショーウィンドウにはレースやリボンのついたヘアアクセサリーが控えめに並べられている。

 

そのひとつひとつが、どこか繊細で、柔らかな印象を放っていた。

 

店内に入ると、ふんわりとした香りが漂ってくる。石鹸のような、綿花のような、落ち着いた香りだった。

棚には小さな鏡と、様々な色合いの髪留め、ブローチ、シュシュなどが丁寧に並べられている。

 

提督はその中の一角にふと立ち止まった。

 

──中学三年生か。

 

そう口の中で転がしながら、ひとつの記憶がふいに脳裏を過った。

 

――焼けた街。逃げるように乗った疎開列車。

まだ小さな弟の手を引きながら、見知らぬ土地で身を寄せていた時期。

それでも、やがて通った学校で、短いが確かに「中学生」として過ごした日々があった。

 

「……あまり良い思い出じゃなかったな」

 

ぽつりと漏らしたその言葉は、思いのほか苦く喉を伝った。

 

いじめられたわけではない。だが、他人の家に厄介になりながら、着る物も文房具も、何もかも他の生徒と違っていた。

周囲の視線が怖かった。

「可哀そう」と同情されるのも、「同じに見られる」のも嫌だった。

 

一人で机に向かっていたある日のこと、クラスの女の子が髪に留めていた小さなバレッタを、嬉しそうに見せていたのを思い出した。

「お兄ちゃんがくれたの」と笑っていたその横顔だけが、なぜか妙に印象に残っている。

 

──ああ、そうだ。

 

髪留め。

そういうのがいいかもしれない。

 

今の吹雪に、似合うだろうかと考える。

 

制服姿でも浮かないように。

けれど、ちょっとした晴れの日や放課後にも、さりげなくつけられるように。

 

そんな「ちょうどいい」髪留めが棚の中にあった。

 

柔らかな栗色のリボンに、小さな真珠の粒が一つだけ留められている。

きらきらとした装飾はなく、けれど上品で、今の吹雪の雰囲気にどこかしっくり来る気がした。

 

「これを、お願いします」

 

レジに持っていくと、若い店員が丁寧に包んでくれた。

白い箱に金の箔押し、そしてワインレッドの細いリボン。

 

中を開けた瞬間に吹雪がどんな顔をするか、想像してみる。

 

──喜ぶかな。

 

喜んでくれると、いいな。

 

そんなことを考えながら、提督はまた冬の街へと戻っていった。

 

冷たい風がコートの裾を揺らす。

けれどその胸の内は、不思議なほどに、穏やかだった。

 

 

髪留めの包みを手に、店を出た提督は、すこしだけ肩の力が抜けた気がした。

 

ささやかなプレゼント──だが、今の彼にとって、それは戦場で勝ち取った勲章に等しい。

誰かのために、心を砕いて何かを選ぶという行為そのものが、かつての彼にはなかった。

そして、それが自然とできるようになった今を、少しだけ誇りに思った。

 

とはいえ、これで終わりというには、どこか物足りない。

 

──もう少し、何か。

 

そう思って足を止めたのは、すこし洒落たショーウィンドウだった。

黒と金を基調にした上品な意匠。照明に照らされた硝子の内側には、女物の小ぶりな腕時計が並んでいた。

 

なかでも、ひときわ目を引く二つの時計がある。

どちらも、艶やかな文字盤に細身の針。片方は淡いラベンダーの色味、もう片方はシックなブルーグレー。

どちらも飾りすぎず、けれど上品な存在感を放っていた。

 

「……限定品?」

 

店員の札に小さくそう記されているのを確認すると、提督は自然と足を向けていた。

 

店内には他にも様々な時計が並んでいたが、先ほど目にしたふたつが、やはり気になる。

 

──吹雪と加賀に。

 

そう思った瞬間、自然と笑みがこぼれた。

 

時計は日常に溶け込む道具であり、だからこそ身に着ける者の生き方に寄り添う。

吹雪のような真面目な少女にとっても、加賀のような凛とした女性にも、ふとした日常の中に馴染んでくれるのではないか。

 

「これ、ふたつ。お願いします」

 

そう言って指さすと、店員はにっこり微笑みながら頷いた。

 

「贈り物でいらっしゃいますか?」

 

「ああ。……そうだな、気分で付け替えられるように、替えのベルトも数本頼めるか?」

 

「もちろんでございます。革の色味はいかがいたしましょう」

 

「……黒、茶、それから……ワインレッド、ネイビーもあるか?」

 

「かしこまりました。どれも、こちらのモデルに合うものをご用意いたします」

 

丁寧に包まれていく時計を眺めながら、提督はどこか不思議な気持ちになっていた。

 

任務でもなく、命令でもなく、ただ自分の意志で、人のために何かを選ぶという行動。

 

それは艦隊指揮官としての役割とはまるで違う、人としての優しさや温もりを取り戻す行為のように思えた。

 

ラッピングが済み、細やかなリボンが結ばれた箱を手に取る。

 

──これで、きっと今年の冬は、少しだけあたたかくなる。

 

そんな予感を胸に、提督はまた雪の街を歩き出した。

 

手の中の小さな贈り物たちは、まだ何も語らない。

だがそれは確かに、過去ではなく、未来のためのものだった。

 

 

 障子越しに射し込む冬の西日が、畳の目をゆるく染めていた。

 

 こたつの中に身を沈めた加賀は、両手で湯呑みを包みながら、静かに茶を啜っていた。蒸気の立つ陶器の縁に、少しだけ口紅が残る。肩にかけた厚手のカーディガンが彼女の姿に柔らかな陰影を落とし、戦中の冷たい鋼鉄の空気を、まるで別の時代だったかのように遠ざけている。

 

 そんな中、玄関の引き戸が音を立てて開いた。

 

 「……あ」

 

 加賀の眼差しがそちらへ向いた直後、慌ただしく入ってきたのは買い物袋を抱えた提督だった。

 

 「た、ただいまー……っと寒っ」

 

 厚手のマフラーを外しながら、靴を脱いで振り返ったその顔は、どこか気まずそうに歪んでいた。両手に下げた紙袋からは、丁寧に包装された箱がいくつも覗いている。

 

 加賀は湯呑みをそっと置いた。

 

 「……提督。おかえりなさい」

 

 「おう……ただいま」

 

 あからさまに不自然なタイミングで後ろ手に袋を隠そうとする動作が、すでにすべてを物語っていた。加賀は一度まばたきし、言った。

 

 「それは、プレゼントですね」

 

 「……なんでバレんだよ」

 

 「提督の顔に書いてあります」

 

 ため息をひとつついた提督は、観念したように袋のひとつをこたつの上に置いた。そこには、気取らず、それでいて丁寧にリボンがかけられた二つの小箱がある。

 

 「……ほんとは、25日に渡そうと思ってたんだがな」

 

 「いただけるのなら、日付など問題ではありません」

 

 加賀は言って、小箱を手に取った。まだ開けてもいないというのに、その指先はどこか丁寧で、触れた瞬間からすでに大切にしているかのようだった。

 

 「ありがとう、提督。……嬉しいです」

 

 小さく、しかし確かな声でそう言う加賀に、提督は視線を逸らしてぼりぼりと頭をかいた。

 

 「……まあ、喜んでくれれば、それでいい」

 

 湯呑みに再び湯気が立ち上る頃、玄関の引き戸がもう一度かちゃりと音を立てて開いた。

 

 吹雪だった。

 

 赤いマフラーに頬を埋め、手には小さな紙袋を抱えて帰ってきた彼女は、開けた障子の先に提督と加賀の姿を見つけて一瞬ぴたりと止まった。

 

 「あ……えっと、お、おじゃましますっ」

 

 慌てたように頭を下げ、足音を忍ばせて廊下を抜けようとする。しかし、焦りが過ぎて足がもつれ、小さな袋が床へ滑り落ちた。

 

 「あっ……!」

 

 ぽとんと音を立てて落ちた袋から、転がり出たのはひとつの腕時計の箱だった。包装紙に包まれてはいるものの、箱の輪郭は明確に「それ」と分かるものだ。

 

 加賀が、最初に声をかけた。

 

 「吹雪さん、それは……?」

 

 「ちがっ、ちがいますっ! 今拾います! 何でもないですからっ!」

 

 耳まで真っ赤に染め、膝をついて箱を抱き上げる吹雪。その手は震え、包み紙が少しだけ擦れて皺をつくった。

 

 提督が口元を緩め、からかうように言った。

 

 「お前もプレゼントか~?」

 

 その瞬間、吹雪は電撃でも走ったかのようにビクリと肩を跳ねさせた。

 

 「ひゃっ……!? いっ、いえ、あのっ、これはその……!」

 

 しどろもどろになりながらも、吹雪は手にした小箱をぎゅっと抱きしめ、顔を背ける。提督も茶を啜りながら、まるで追い打ちをかけるように言った。

 

 「誰宛だ?」

 

 「っ、そ、それは、その、あの……っ」

 

 語尾が霞んでいく。加賀は吹雪の横顔を見つめながら、やがてぽつりと口を開いた。

 

 「……男物、ですね」

 

 提督も気づいた。包装の角からちらりと見えたタグの色、ロゴ。どう見ても、十代の少女が自分のために選ぶものではない。

 

 そして、吹雪の手が震えていた。

 

 「……これ……その、クリスマス……だから……」

 

 震える手を差し出すようにして、吹雪はようやく言葉を絞り出した。

 

 「司令に……その、いっ、いっつも、色々していただいてて……その……!」

 

 言い終わらぬまま、吹雪の声がかすれる。顔を真っ赤にして、目元に薄く涙すらにじませながら、それでも時計の箱を両手で差し出していた。

 

 提督はしばらく何も言わず、黙ってその手を見つめていた。

 

 そして――

 

 「……ありがとな、吹雪」

 

 その手から時計を受け取ると、優しく笑った。

 

 吹雪の贈ったものは、決して高価な品ではなかった。けれど、そのためにきっと彼女は長い時間悩み、ためていたお小遣いを使い、何度も売り場で立ち尽くしたに違いない。

 

 中学生の少女が、誰かのために自分から何かを選び抜くという行為。

 その重みを、提督はちゃんと知っていた。

 

 「……大事にする」

 

 ぽつりと、それだけを言ったその言葉に、吹雪は一瞬だけ目を見開いた。

 

 そして、小さく、けれど確かに――微笑んだ

 

 静かになった居間に、ほんのわずかに再び気まずい空気が流れた。吹雪は、まだ顔を赤らめたまま、手のひらだけで膝の上を落ち着きなく撫でていた。提督からの「ありがとう」の言葉は、胸をいっぱいにしてくれたけれど、それだけで終わるつもりはなかった。

 

 彼女はそっと目を伏せ、少しだけ膝をにじらせて加賀の方へ向き直る。

 

 「……あの、加賀さんにも……本当は、何を渡せばいいか分からなくて……」

 

 言いながら、おずおずとコートの内ポケットに手を差し入れ、小さな包みを取り出した。薄紙で包まれたそれは、ほんの掌に収まるほどの大きさ。赤い糸で結ばれただけの簡素な包みだったが、そのどこかぎこちない結び目には、吹雪の不器用な誠実さがそのままに宿っていた。

 

 加賀は、少し目を見開いた。

 

 吹雪は包みを差し出しながら、うつむき加減に言葉を重ねる。

 

 「高いものじゃないです。でも……お店で見てたら、なんだか加賀さんに似合いそうな気がして……」

 

 加賀がそっと受け取り、包みの端を解くと、中から現れたのは、小さな白い花を象った銀のブローチだった。白梅のような清楚なデザインで、中央には小さな淡いピンクのガラス粒が埋め込まれている。金属の縁取りは細く繊細で、まるで雪の上に咲いた一輪のようだった。

 

 「……まあ」

 

 小さく息を漏らすように、加賀は手のひらでそれをそっと撫でた。頬には、ごく僅かに紅が差していた。

 

 「吹雪さん、ありがとう。とても……嬉しいです」

 

 その言葉に、吹雪の瞳がわずかに潤んだ。

 

 提督は横目でその様子を見ながら、ふと口を開いた。

 

 「お小遣い、足りたのか?」

 

 吹雪ははにかんだように笑って、懐から自分の財布を取り出して見せた。

 

 「えへへ、ちょっとずつ貯めてたので……大丈夫でした!」

 

 その声には、子どもらしい自信と達成感が混じっていた。

 

 だがその瞬間――こたつの向こうで、加賀と提督がほぼ同時に体を動かした。

 

 ごそごそと懐に手を突っ込み、それぞれの財布を引きずり出す。

 

 「じゃあ、頑張ったご褒美だ」

 

 「成長への投資です」

 

 言葉を重ねながら、提督と加賀が無言の連携で財布から万札を取り出したかと思うと――吹雪の目の前に、ぐい、と突き出された。

 

 「ちょっ、え!? ええええっ!?!?!?」

 

 吹雪は顔面蒼白になりながら、両手を振って全力で拒否の構えを見せた。

 

 「だ、ダメですっ! こんな大金、もらえませんっ!! 私、自分で……ちゃんと、買ったので……!」

 

 「ほら、受け取れ。大人の都合だ」

 

 「断っても、お釣りの形で財布に戻るだけです」

 

 提督と加賀、それぞれ違う言い回しながらも、二人が無言の圧をかけてくる。吹雪は半泣きになりながら、こたつの端に退避し、両手をバタバタと振り回していた。

 

 「ど、どっちもひどいですぅ……!」

 

 その声は情けなくもあり、どこか楽しげでもあった。

 

 提督は万札をテーブルに置くと、ぽんと吹雪の頭を優しく撫でた。

 

 「……まあ、ありがとな。お前が一生懸命選んだってのは、ちゃんと伝わった。気持ちも、品物も。俺たちが忘れそうになることを、お前が思い出させてくれた」

 

 吹雪は一瞬目を見開き、すぐに俯いたまま、こくりと小さく頷いた。

 

 加賀もまた、包みを胸元に抱えながら、穏やかな声で言う。

 

 「……今年の冬は、とても温かいですね」

 

 こたつの中で、三人の足先がわずかに触れ合っていた。

 その温もりは、冬の冷たい空気をゆっくりと溶かしながら、確かにそこに、静かに息づいていた。

 

 

 こたつの上には、手渡しされたばかりの贈り物と、未だ持て余されたままの万札数枚が、どこか場違いな光沢を帯びて並んでいた。吹雪はまだ顔を真っ赤にしたまま、手をバタつかせてその万札を押し返すタイミングを窺っている。

 

 そんな折、提督がひとつ咳払いして、手近な湯呑みに口をつけた。

 

 「……ん、まあ、なんだ」

 

 湯呑みを置きながら、やや不器用に続ける。

 

 「流れってやつだ。加賀、お前の分も聞いとくか。俺も吹雪も、もらっちまったしな」

 

 「えっ……!? そ、それはっ……!」

 

 吹雪が再び大慌てで身を起こすと、提督は手で軽く制しながら、気まずそうに眉を寄せて続けた。

 

 「いや、別に急かすつもりはねぇんだけどさ。……こうなったらもう、くれくれ言ってるみたいでがめついっちゃがめついが……もう今さらだろ?」

 

 苦笑いを浮かべるその顔に、吹雪もつられて口元を緩める。

 

 こたつの向かいで静かにしていた加賀は、ひとつだけ瞬きをして、それからおもむろに立ち上がった。奥の襖の向こうへと姿を消し、程なくして小さな白い包みを二つ手に戻ってきた。

 

 包み紙には、ほんの僅かに香る甘い気配。淡いアイボリーの紙に、金の細いリボンが結ばれている。彼女自身の趣味か、それとも誰かに相談したのかは分からない。だがそのさりげない気遣いが、加賀らしい。

 

 こたつに戻った加賀は、そのふたつの包みを手の中で整えると、まずひとつを吹雪へ、もうひとつを提督へ差し出した。

 

 「流れ、ですね」

 

 小さく、けれど確かにそう言って。

 

 吹雪は思わず両手でそれを受け取った。

 

 「え、えっ、あの、わたしにまで……!? 本当に……ありがとうございます……!」

 

 加賀は何も言わず、微かに頷いた。

 

 提督は手元の箱を開きかけ、ふと鼻先に香る気配に気づいて小さく息を止めた。

 

 「……これは、香水か?」

 

 「ええ。どちらも、優しい香りです。つけてもすぐ飛ぶので、気分転換くらいのつもりで使ってください」

 

 吹雪が包みを開いて中身を確かめた。中から現れたのは、小瓶に収められた柔らかな琥珀色の液体。キャップには細い金の輪が巻かれていて、光に照らすとほのかに輝く。

 

 「すごく……きれいです」

 

 「吹雪さんには、甘すぎないけれど、果実のような香りを。提督には……落ち着いた木と葉の香りを選びました」

 

 そう語る加賀の声音は、どこか照れくささを含んでいた。

 

 提督は瓶を手に取り、蓋を開けてほんの僅かに匂いを嗅いだ。

 

 「……確かに、落ち着くな。男物だけど、主張しすぎてない。ありがとな」

 

 「それは……以前、提督が石鹸の香りに落ち着く、と言っていたので」

 

 「……そんな話、したか?」

 

 「ええ。夏の夜、廊下で扇風機に当たっているときに」

 

 「……はは、覚えてるんだな、そういうの」

 

 ふと吹雪の方を見ると、彼女は香水の瓶を手の中で転がすように眺めながら、何かを思うように遠い目をしていた。

 

 「……わたし、香水なんて、初めてです」

 

 「いつも制服ばかりでしたからね。でも、もうすぐ……違う日常が始まる」

 

 加賀の言葉に、吹雪は静かに頷いた。

 

 「……はい」

 

 こたつの中で、三人の指先がまた触れ合う。手渡されたプレゼントの数は増えたが、それはただの「物」ではなく、互いに心をかけ合う「形」だった。

 

 夜はまだ浅く、外には静かな冬の空気が広がっていたが、その部屋の中だけは、ほんの少し早いクリスマスの灯が、柔らかく、優しく、灯っていた

 

 こたつの上には湯気の立つ急須と、和菓子が添えられた小皿。茶菓子をつまみつつ、湯呑みを手に取る提督の顔は、どこか満足げだった。

 

 「いやあ……こうして三人そろって、こたつ囲んでのんびりってのも、悪くないなぁ……」

 

 言いながら、深々と湯を啜る。加賀もまた、それに頷くように静かに湯呑みに口をつけている。

 

 吹雪は香水の小瓶をきちんと箱に戻しながら、まだ頬をわずかに赤らめたまま、恐縮しきりだった。

 

 そんな和やかな空気のなかで、提督がふと思い出したように手を打った。

 

 「そうだ。明後日にはチキンとケーキも届くしな。準備は万端ってやつだ」

 

 「……ネット注文、ですよね。吹雪さんが担当したのでは?」

 

 加賀が問うと、提督はどこか誇らしげに吹雪の背をぽんと叩いた。

 

 「おうよ。頼んだら、ばっちり対応してくれた。今はなんでもネットで出来て便利だな。俺がやるより手早いくらいだ」

 

 「え、えへへ……まあ、がんばりました」

 

 言いつつも、吹雪はどこか目を逸らしてそわそわしている。妙な汗をかいているようにも見えるのだが、提督はまったく気づかない。

 

 「いや~プレゼントはちと早かったが、あとは待つだけだなっ!」

 

 そう言って、湯呑みをどんと置き、豪快に大笑いする。

 

 「クリスマスってやつは、こうしてのんびり準備してる時間が一番楽しいんだよ。なっ? 加賀?」

 

 「……ええ。心が満たされていくのが分かりますね」

 

 そう頷きながらも、加賀の視線がちらりと吹雪の方へ向けられる。吹雪はというと、こたつ布団の端を掴んだまま、薄ら笑いのような顔で頬を引きつらせていた。

 

 「ははは、俺はさ、明後日、チキンを皿に盛って、ケーキを切って、お前らと食卓囲んで――それがあれば十分だ。そう思わんか?」

 

 「えっ、ええ! わたしも、そう思います! ぜんっぜん、問題ないですっ! ほんとに!」

 

 「お、おう? なんか妙に元気だな?」

 

 「い、いえいえ、なんでもないですっ! なんでも!」

 

 提督は茶を飲み干して、ぐあっと伸びをした。湯気が揺れるこたつの中、鼻歌すら出そうなほどご機嫌で、三人の穏やかな時間は流れていく。

 

 ただひとつ――。

 

 この時、提督はまだ知らなかった。

 

 吹雪がネット注文で「クリスマスチキン ×24」「ホールケーキ 5号サイズ ×15」と打ち込み、確認メールの「数量」の欄に気づかぬまま「確定」を押していたことを。

 

 もちろん、それは明後日――12月25日、朝9時きっかりに届く。

 

 玄関先に並ぶ段ボール。

 想定を遥かに超える冷蔵便。

 配送員たちの困惑と、提督の絶望と、吹雪の土下座。

 

 その顛末を、このときのこたつの中にいる誰一人、まだ知らなかった――

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