艦これ 砲声なき日々に 作:ダッフル
港町の夜は、潮の香りと静かなざわめきに包まれていた。
小さな通りを抜けると、暖簾に「鳳翔」と染め抜かれた店の灯が見える。
中へ入ると、出汁と炙り魚の香りが心地よく漂っていた。
カウンターの奥では鳳翔が小鍋の火を見ながら、やわらかく微笑む。
「いらっしゃいませ。……あら、大淀さん」
「こんばんは。提督と待ち合わせなんです」
「そうでしたか。奥のお席をどうぞ」
案内された席に腰を下ろすと、湯気の立つ湯呑が静かに置かれる。
店内はこぢんまりとして温かく、外の冷たい風が嘘のようだった。
やがて、戸がからりと開く。
「お、悪い悪い。待たせたな」
「いえ、ちょうど今来たところです」
提督は上着を脱ぎ、カウンターの端に腰を下ろす。
鳳翔が気を利かせて、小鉢と酒を二人分並べた。
「ふぶきさんを置いてきても良いんですか?」
大淀が湯呑を手にしながら尋ねると、提督は小さく笑った。
「まあ、今日は加賀と外食行くって言ってたし大丈夫だろう。どこか近くの定食屋ででも、好きなもん食ってるさ」
「随分、仲が良いんですね」
「そうでもない。加賀が面倒見がいいだけだ。吹雪のほうも、それを素直に受けてるだけだよ」
そう言って提督は盃を取り、軽く口をつけた。
酒の香りがふわりと立ち上がり、障子の向こうを夜風がかすかに揺らす。
「……それに、たまには二人にも息抜きが必要だろ。俺の愚痴を聞かされるよりは、外でうまいもん食ってたほうが健全だ」
大淀はくすっと笑い、湯呑を置いた。
「なるほど。確かに、それは正論ですね」
「だろ?」
提督が笑うと、鳳翔も静かに微笑んだ。
「お二人とも、変わらずで何よりです」
「まあ、ありがとな。……さて」
提督は盃を置き、姿勢をわずかに正す。
その動きに、大淀の表情も引き締まる。
「今日の話だけどな、大淀。例の件を本格的に動かそうと思ってる」
外では港の風がひと吹きし、木の看板が小さく鳴った。
静かな店の中で、二人の声だけが穏やかに響いていた。
外の風がやや強くなり、暖簾がふわりと揺れた。
鳳翔がカウンターの向こうで新しい小鉢を準備していると、戸口が開き、元気な声が店に飛び込んできた。
「おー、やっぱりここにいた!」
提督と大淀が同時に顔を上げる。
「明石か。……仕事帰りか?」
「そうですよー。補給区画の点検が長引いて、やっと上がれたとこです」
工具箱のストラップを肩に掛けたまま、明石は靴を脱いでずかずかと中へ入る。
その元気な様子に、鳳翔が苦笑しながら席をひとつ空けた。
「あー、ふたりで美味しいもの食べようとしてるー。ずるいなぁもう!」
「いや、別に隠れて食ってるわけじゃないぞ」
「そうそう、これは仕事の話ですから」
大淀が眼鏡を押さえて言うが、明石は聞いていない。
「ま、まあまあ。いいじゃないですか〜」
そう言うなり、カウンター越しに鳳翔へ手を振る。
「鳳翔さん、お酒ください!あ、熱燗で!」
「はいはい、少々お待ちくださいね」
「私はお酒飲んでるので話を続けて続けてー。気にしないでくださーい!」
明石はそう言って、湯気の立つ徳利を受け取りながら、楽しそうに笑った。
その調子に、提督は半ば呆れたように眉を下げる。
「……まったく、お前は昔から自由だな」
「んー?そうでしたっけ?」
「いや、そうだ」
「でもほら、提督が真面目な話してる時って、場が静かになりすぎるんですよ。ちょっとくらい賑やかでもいいじゃないですか」
そう言いながら、盃を軽く掲げてひと口。
酒の香りが広がり、顔がほんのり赤くなる。
「ふぅ〜……やっぱり鳳翔さんのところのお酒は美味しいですねぇ」
「ありがとうございます。お仕事、お疲れさまでした」
鳳翔の穏やかな声が重なり、店の中が少し明るくなる。
提督は苦笑を浮かべながらも、盃を取り上げた。
「……まぁいい。明石、どうせ聞くなら最後まで聞いとけ。
大淀、続けてくれ」
大淀は軽く頷き、手元の資料を整える。
「では、先ほどの続きです。――提督が構想している新しい事業についてですが……」
明石は頬杖をつきながら、上機嫌で盃を回している。
真面目な話の空気と、彼女のゆるい雰囲気が不思議と調和していた。
外では波の音が静かに響き、暖簾がふわりと揺れる。
港町の夜は、少しずつ賑やかさを取り戻していた。
「では、先ほどの続きです。――提督が構想している新しい事業についてですが」
大淀が眼鏡を指で押さえ、落ち着いた声で切り出す。
明石は隣で盃を軽く傾けながら、楽しそうに聞いていた。
「具体的には、何を考えてます?」
提督は少し間を置いてから、盃を置き、ゆっくりと答える。
「……軍属の世界から離れられない艦娘たちを使う以上、彼女たちの能力を生かす方向に行こうと思ってな」
大淀が静かに頷く。
明石は興味深そうに顔を上げ、手元の盃を両手で包み込んだ。
「長門から聞いたが、潜水艦のしおいも職にあぶれてるらしくてな。
海底のサルベージなんか、あいつの得意分野だろう。声を掛けてみるつもりだ」
「しおいさん……確かに適任ですね」
大淀が小さく呟き、手元のメモにさらさらと書き込む。
提督は続ける。
「深海の残骸や資源の回収は、軍じゃ優先度が低い。
だけど海底に眠ってる装備やデータの中には、まだ使えるものが多いはずだ。
艦娘たちの感覚と潜行能力を生かせば、効率も安全も段違いになる」
「なるほど。――戦うための力を、“支えるための力”に変えるわけですね」
「そうだ。
もう戦争じゃない。だけど、海と向き合ってきた彼女たちが無駄になるのも惜しい。
だったら、もう一度“海の仕事”を作ってやりたい」
その言葉に、明石がぽんと手を打った。
「いいですね、それ! うちの整備班も協力できますよ!潜水作業用の小型ツールとか、引き揚げ装備もいくつか試作中なんです!」
「お前、酒飲んでるのに話が早いな」
「えへへ〜、現場主義ですから!」
明石が得意げに盃を掲げると、鳳翔が静かに笑いながら新しい徳利を運んできた。
「皆さん、熱いお話のようですね。どうぞ、おかわりを」
「ありがとよ。……な、大淀。そういう方向で、計画書まとめてくれ」
「承知しました。技術部と連携を取れるよう、書類上でも動かしておきます」
「助かる」
提督は盃を手に取り、ひと口。
湯気の向こうで、静かに笑みを浮かべた。
「ようやく、“海に戻る”準備ができそうだ」
外では潮風が店先の暖簾を揺らしている。
その音が、まるで彼らの次の航路を祝福するかのように優しく響いていた。
「ようやく、“海に戻る”準備ができそうだ」
提督が盃を置いた直後だった。
大淀が、すっと眼鏡のブリッジを押し上げる。
口調は穏やかだが、そこに漂う空気が一変する。
「――と、こ、ろ、で」
盃を持つ提督の手が、ぴくりと止まった。
湯気の向こうで、大淀がにこりともせずに言葉を続ける。
「私、まだ軍属ですし。辞表も出してませんけど……まさか私に丸投げするつもりですか?」
「えっ……?」
提督の目が泳いだ。盃の中の酒が、かすかに揺れる。
「いやいや、そんな“丸投げ”だなんてことは……」
「ミッドウェーも、ソロモンも、マリアナも、トラックも……そしてレイテ沖も」
ひとつひとつ、指を折りながら大淀が低く数える。
「――あれも、それも、これも、どれも……」
机の上に人差し指を軽くトントンと置きながら、淡々と告げる。
「わ・た・し・が! 書類を、ぜーんぶ!やったんですけど?」
提督の背中を冷たい汗が一筋、伝う。
「え、えーと……その、だな……」
「まさか今回も、押し付けるおつもりではないですよね?」
「いや、それはその……た、頼めるなら……」
「“頼めるなら”?」
「……お願いします」
完敗である。
明石が隣でぷるぷる震えながら笑いをこらえていたが、結局、堪えきれず吹き出した。
「はははっ! 出たぁ〜、“大淀の決算審問”!」
「おい明石、笑ってる場合か!」
「だって〜! 提督、顔がすごい真っ青ですよ! 冷や汗の量、マリアナの豪雨並み!」
「うるさい!お前もなんか言って助けろ!」
「無理ですよ〜、だって大淀さんの目が完全に“監査モード”ですもん」
大淀は咳払いをひとつして、表情を戻した。
「……まったく。どうせ放っておいたら書類が山になりますし、仕方ないので今回も私がやります」
「た、助かる……」
「ですが」
「……はい」
「今度はきっちり報酬を請求します。書類上で」
「そ、それは……」
「“それは”?」
「……承知しました」
提督はうなだれながら盃を傾け、明石はケラケラ笑いながら徳利を手に取った。
「いや〜、この組み合わせほんと好きだなぁ。まるで提督と大淀さんの恒例行事って感じ」
「恒例にすんな!」
「いいじゃないですか〜。戦後はこういう“平和な戦い”があっても!」
「……鳳翔、酒、もう一本頼む」
「はいはい。提督さん、今日はたくさん飲まれそうですね」
「……そうなりそうだ」
⸻
盃を空けて、ひと息。
笑いとため息が一段落した頃、明石が頬を少し赤くしながら盃を揺らした。
「あははー、でもさぁ大淀。そうは言っても、あんた――提督のためにいつでも辞められるようにしてるんだよね〜?」
その瞬間。
「ちょ、ちょっと明石!?」
大淀が慌てて立ち上がりかけ、顔がみるみる赤くなる。
盃がカタリと机の上で転がった。
「な、なに言ってるのよあなたは……!」
「え〜? だって言ってたじゃん。“提督のこと、いつでも支えられるようにしておきたい”って〜」
「ちょっ……! あれは、その、そういう意味じゃなくて!」
提督は盃を手に取ったまま、ゆっくりと明石と大淀のやり取りを見ていた。
そして、口の端をゆるく上げる。
「へぇ〜? 俺のためにねぇ?」
「ち、違います! 誤解です! 完全な曲解です!」
「ほぉ……? “支えられるように”ねぇ?」
「明石! あんた酔ってるでしょ!?」
「え〜、ちょっとだけ〜。でもホントのことじゃん?」
「ほんっとにもう……!」
大淀は顔を覆い、耳まで真っ赤にしてうつむいた。
提督は肩をすくめ、盃を口に運びながら、にやにや笑いを隠そうともしない。
「……まぁ、なんだ。ありがとな」
「そ、そういう話じゃありませんから!」
「そうなのか?」
「そうです!」
「へぇ〜」
その“へぇ〜”の一言に、さらに顔を真っ赤にして俯く大淀。
明石は隣で肩を震わせて笑っていた。
「ふふっ、やっぱりこの二人見てると楽しいな〜」
「明石、あんたほんとにあとで覚えてなさいよ……」
「うわ〜、こわ〜い。でもその顔、珍しいねぇ〜」
「黙ってなさいっ!」
鳳翔がその様子に小さく笑いながら、温かいお茶を三人の前に置いた。
「はい、酔い覚ましにどうぞ。……楽しそうで何よりです」
「……楽しいのは明石だけですよ」
大淀がため息をつきつつも、お茶を受け取る。
提督はまだ笑みを引っ込めず、湯呑を手に取った。
「ふふ、まあいい。どっちにしろ、頼りにしてるよ――大淀」
「……もう、本当にからかわないでください」
その言葉に、提督は軽く笑って肩をすくめた。
明石がまた盃を掲げる。
「いや〜、やっぱこの組み合わせ最高だね!」
外では潮風がふわりと吹き抜け、暖簾がやさしく揺れた。
鳳翔の店の灯りが、三人の笑顔を静かに包み込んでいた。
盃の縁に残った酒を、ゆっくりと指でなぞる。
明石の笑い声と、提督のからかうような声がまだ耳に残っていた。
あの二人のやり取りに呆れながらも――私は、不意に昔のことを思い出していた。
……初めて、提督と出会った日のこと。
艦娘としての参戦は、決して遅くなかった。
それでも私は、どこかいつも“輪”の外にいた。
艤装の調整不良が続き、まともに出撃すらできなかった。
同僚が次々と海へ出て、戦果を挙げていく中で、私に与えられた仕事といえば、任務のアナウンス、報告書の整理、補給の記録――いわゆる「後方任務」ばかり。
「艦娘っていうより、任務娘だよな」
笑い半分に、そう呼ばれたことを今も覚えている。
当時はその言葉を笑い飛ばす余裕もなく、ただ俯いて「はい」と答えるしかなかった。
そんな頃だった。
私に横須賀基地への転属命令が下ったのは。
……あの頃の横須賀は、最前線に最も近い“後方”だった。
補給拠点でありながら、作戦立案と出撃が同時に行われる混成の要地。
そこを任されていたのが――提督だった。
当時の彼は、荒々しい指揮で知られていた。
容赦のない殲滅戦。敵拠点を見つければ、確実に潰す。
その徹底ぶりから、誰もが彼をこう呼んでいた。
“横須賀の狂犬”。
私は、正直に言えば怖かった。
転属の辞令を受けた瞬間、背筋が冷たくなったほどだ。
“あんな人の下についたら、自分なんて一瞬で潰される”――そう思っていた。
それでも、任務は任務だ。
荷物をまとめ、横須賀への転属初日。
今思えば、あのときからもう、どこかで気づいていたのかもしれない。
この人は、恐ろしいほど不器用で――それゆえに、誰よりも“人”を守ろうとする人だということに。
「お前が大淀か」
執務室に入った瞬間、そう声を掛けられた。
低く通る声。
机に肘をつき、書類を眺めていた提督が顔を上げる。
鋭い目つきだった。
想像していたとおり――いや、それ以上に。
まるで敵を見据えるような眼光に、思わず背筋が伸びた。
「はっ、大淀です。本日付で――」
言いかけたところで、彼が椅子から立ち上がった。
次の瞬間、緊張の糸が一気に切れるような声が響いた。
「いやー! 新しく来てくれて助かったわ! 座れ座れ、羊羹食うか?」
「……え?」
「ほら、これ。昨日もらったばっかなんだ。うまいぞ」
箱を開けて、手際よく皿に盛ると、まるで親戚の兄のような笑顔を向けてくる。
――その笑みは、年相応の青年のものだった。
恐怖というより、拍子抜け。
あの“狂犬”と噂される男が、机の上に羊羹を並べて私を座らせている。
「そんな顔すんなよ。怖がられるの、慣れてるけどさ。初対面でその顔されると結構くるんだよな」
「い、いえ! そんな……!」
慌てて否定する私に、彼は苦笑しながら湯呑を差し出す。
「まあ、最初は誰でも緊張する。
ここの連中はクセが強いけど、悪い奴はいねぇ。
書類関係はお前に任せていいか?」
「は、はい。出来る限り務めます」
「助かる。俺、こういうの苦手でさ」
「……ああ、そうでしょうね」
思わず口をついて出た言葉に、提督は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑い声をあげた。
「ははっ、言うようになったな! 気に入った!」
その笑い声は、不思議と柔らかく、まるで戦場の外にいる普通の青年そのものだった。
あの時――私は思った。
この人は、噂で聞くような“狂犬”ではない。
確かに荒いところもあるのだろう。だが、根っこの部分はただ真っすぐなだけなのだ、と。
今思えば、あの瞬間がすべての始まりだったのかもしれない。
恐れから、理解へ。
命令の声から、信頼の声へ――変わっていく、その最初の一歩だった。
当時はまだ、日本どころか人類全体が劣勢で、休む間など誰にもなかった。
出撃、補給、整備、そして再び出撃――日々は途切れなく続き、休養のきゅう字すら許されない。
そんな中でも、提督は誰よりも長く働いていた。
執務室に戻れば山積みの陣票と報告書、夜ごとに届く新たな要請。現場では疲労で目が虚ろになる幹部もいたが、彼はなお筆を取り、誰よりも遅くまで灯りを消さなかった。
ある夜、私は思わず彼に問うた。
「司令、本当にお休みは――」
彼は顔を上げ、短く、しかしゆるがぬ声で答えた。
「俺は戦場には出られない。出られないなら、アイツらが少しでも死なないように、死力を尽くすんだ。」
その言葉は、戦場の轟音にも似た重さで胸に落ちた。
戦列に立てぬ自分の無力を嘆くのではなく、違う形で勝負をするという決意。彼の背中には、口先の勇ましさではない、行為としての責務が刻まれていた。
私はそれまで、誰かに笑われてきた。艤装の不調が続き、表舞台に立てぬ日々――任務のアナウンスや雑務ばかりを押し付けられ、「艦娘というより任務娘だ」と嘲る声も耳にした。屈辱だった。誇りを奪われたような、鈍い痛みが常に胸にあった。
だが、提督のその一言を聞いてから、私の中の何かが変わった。
雑務は単なる“つまらぬ仕事”ではなく、人の命をつなぐための歯車だと気づいたのだ。点検した一枚の報告書が、修繕の手配一つが、補給の一呼吸が――前線の誰かの生死を左右しうる。私は初めて、与えられた仕事に誇りと信念を見出した。
以来、私は躊躇しなくなった。夜遅くまで帳簿を整理し、故障個所の原因を追い、若い艦娘たちが安心して出撃できるように書類一枚にも神経を注いだ。疲れは重なったが、胸の奥に燻る虚しさは消え、替わりに静かな充実が満ちていった。
提督の言葉――「出られないなら、出ている者を守る」――は、私の仕事を定義した。
あの日、噂や揶揄に押しつぶされそうだった私が、初めて自分の場所を確かに立てた瞬間でもあった
そして――戦争末期、最期の出撃作戦の時だった。
夜明け前の作戦会議室。
壁に貼られた作戦地図の上を、提督の指が静かに滑る。
赤い印が、あまりにも多かった。
誰もがこの作戦が“最後”になることを、言葉にせずとも悟っていた。
そんな中で、彼は私の名を呼んだ。
「――大淀。」
顔を上げた私に、提督は真っ直ぐな目を向けて言った。
「お前を、連合艦隊旗艦に任命する。」
一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
あまりに突然で、耳が現実を拒んだ。
「……わ、私を……旗艦に、ですか?」
「そうだ。」
その声音は、迷いがなく、いつもより静かだった。
「ですが……私は出撃の経験も乏しく、旗艦など――」
言いかけた瞬間、提督は小さく笑った。
「ははっ、大トリを務めるのはお前しかいないだろう。謙遜はよせ。」
「……ですが、本当に私でいいのですか?」
「旗艦つってもな、戦場で腕組んで見守るだけだ。怖がらなくていい。」
冗談めかして言いながらも、その目は本気だった。
軽口の裏に、確かな信頼の色があった。
そのとき、胸の奥が熱くなった。
提督はきっと、私がどれだけ前線に立つことを恐れていたかも、わかっていたのだ。
それでも――その“恐れ”ごと、私を信じてくれた。
静かに頭を下げたとき、提督はいつものようにふっと笑い、
「頼んだぞ、旗艦・大淀」とだけ言って背を向けた。
その背中を見送りながら、私は初めて――
この人のために、この戦いの終わりまで共に在りたいと、心の底から思った。
時は、今へと戻る。
――カウンター席。
提督と明石が、皿を挟んで何やら揉めていた。
「このヤロー、それは俺の鮭とばだ!」
「ケチケチしないでくださいよ! みんなで食べるものでしょ!」
「“みんな”って二人しかいねぇだろ!」
「じゃあ半分こです!」
「半分て言って、いつもお前七割取るじゃねぇか!」
鳳翔の店に似つかわしくない、戦場のような攻防。
さっきまで心の中で戦時の記憶に沈んでいた私は、完全に現実へ引き戻された。
――情緒も感傷も、一瞬で吹き飛ぶ。
「……まったく、あなたたちって人は」
思わずため息をついて、私は二人の間に手を伸ばした。
そして、ひょいっと、問題の鮭とばを奪い取る。
「はい、没収です」
二人が同時に「あっ」と声を上げた。
私がその鮭とばを一口かじると、提督も明石もぽかんと口を開ける。
「ふふっ」
思わず笑みがこぼれた。
――戦場では味わえなかった、平和そのものの瞬間。
提督は苦笑し、明石は悔しそうに頬をふくらませている。
その光景が、どうしようもなく愛おしかった。
外では、港の風が鳴っていた。
かつて戦の音に満ちていた海は、いまはただ、穏やかに波をたてていた。