艦これ 砲声なき日々に   作:ダッフル

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七話 予兆

 

冬の風が廃墟の島を吹き抜ける。

 

 戦の爪痕が今も残るその地に、凍てつくような静寂が降りていた。

 

 けれど――その中心には、穏やかで温かいものが確かに息づいていた。

 

 海峡棲姫。その異形の姿は、深海の呪詛に満ちた装甲と白磁のような肌、血のように赤い瞳、鋼の義足を備えていた。だがその体から溢れる気配は、もはや“敵”のそれではなかった。ましてやかつての戦場で見た、あの恐るべき力の残滓など、微塵も感じられなかった。

 

 ただ――そこにいたのは。

 

 かつて、姉と呼ばれた、あのひとだった。

 

 「……う……あ……っ……」

 

 山城は砲を地面に落とし、膝から崩れ落ちる。しゃくり上げるように嗚咽をこぼしながら、海峡棲姫――否、扶桑の身体に縋りつく。艤装の断片が地面にぶつかり、鈍い音を立てて弾けるが、彼女はそれに気づきもしない。

 

 「姉様……姉様っ……!」

 

 声が震える。言葉にならない嗚咽が、まるで幼い少女のように、山城の喉から溢れ出していた。

 

 扶桑は、静かにその身を屈めた。

 

 その動作はまるで、巣に戻った幼鳥を抱きしめる母鳥のようで――柔らかく、あたたかく、どこまでも優しかった。

 

 彼女の頬に、かつての艤装からは想像できないほど繊細な微笑みが浮かぶ。

 

 そして、母のように、女神のように、山城の髪を撫でながら、その唇がふるえた。

 

 「……ゴメンナサイ……」

 

 カタカナで、少しだけ舌足らずに。

 

 けれどその一言には、数えきれない想いが込められていた。

 

 「姉様が……どうして……どうしてこんな姿で……! どうして、私を残して……!」

 

 山城の手が、扶桑の腰にすがりつき、細い肩に額を押し当てる。

 

 涙でくしゃくしゃになった顔を、彼女は隠そうともせず、ただただ、あの懐かしい温もりの中に身を沈めていた。

 

 扶桑はもう一度、その髪に口づけるように顔を寄せた。

 

 そしてまた――

 

 「……ゴメン……ナサイ……」

 

 それだけを繰り返す。

 

 まるでそれしか、言葉にできないかのように。いや、きっと、他に伝えるべき言葉など、もう要らなかったのだ。

 

 山城の心は、あの戦火の中で焼け、凍てつき、そして瓦礫に埋もれていた。

 

 その瓦礫の中で、ずっと聞きたかった言葉が、いま、ようやく――

 

 「姉様……戻ってきてくれたのね……」

 

 扶桑はこくんと頷く。瞳に宿るのは、海の底のように静かな、深い赦しと愛だった。

 

 その姿に、山城はもう何も言えなかった。言葉にすれば、すべてが壊れてしまいそうだったから。

 

 ただ、しがみついた。まるで子どものように、夢中で。

 

 そして、扶桑は山城の頭を両手で包み込むと、やわらかく揺らしながら、まるで子守唄のように囁く。

 

 「……モウ……ダイジョウブ……ココニ……イル……ズット……」

 

 「うっ……あっ……うううっ……!」

 

 山城は声にならぬ嗚咽を繰り返す。その肩が、背が、指先が、震えていた。

 

 だが、もう誰もそれを咎めない。

 

 敵も味方も、艦娘も深海棲艦も関係なかった。

 

 その時、その場には、ただひとつ――姉妹という絆だけが、確かに存在していた。

 

 ――誰かのせいで壊されたものを、誰かの手で修復できるとは限らない。

 

 けれど、失われたと思っていた大切なものが、ある日、姿を変えてでも戻ってきたなら。

 

 それはもう、十分すぎるほどの奇跡だった。

 

 山城は、涙の中で何度も何度も「ありがとう」を呟いた。

 

 扶桑はそのたびに、小さく、小さく、微笑んで。

 

 「……アイシテル……ヤマシロ……」

 

 その声は、まるで空の高みに響く鐘の音のように、静かで、しかし揺るがぬ響きを持っていた。

 

 風がやさしく吹き抜ける。

 

 砲火も、怒りも、そして哀しみすらも――その一陣の風に攫われて、遠く消えていった。

 

 

冬の陽は早く傾く。無人島の空を覆う薄曇りの空の下、沈みかけた太陽の光は鈍く地平を照らし、まるで時の境界を曖昧にしていた。

 

 かつての敵と味方。艦娘と深海棲艦。

 その境が、今この瞬間、曖昧になっていた。

 

 提督は、岩場に身を預け、わずかに濡れた地面に腰を下ろしていた。左腕が無い身体では楽な姿勢を探すのに苦労するが、そんな些事はどうでもよかった。

 

 彼の視線の先――廃墟の建物の隅で、山城が深海棲艦の姿をした“扶桑”の胸にしがみついている。まるで子どものように、泣きじゃくり、顔を埋め、肩を震わせていた。

 

 傍らでそれを見守っていた港湾棲姫に、提督はゆっくりと問いかけた。

 

 「なあ……。あれは――どういうことだ? 扶桑は……死んだんじゃなかったのか?」

 

 港湾棲姫は、いつもの感情を排した無機質な瞳で提督を見返した。その赤い目は、まるで深海のように底知れず、そして冷たい。

 

 「……ワレワレニモ……ワカラナイ」

 

 その言葉は曖昧だった。

 

 「……タダ……ワレワレハ……ウミニカエッタモノ……タマシイ……アツマリ……」

 

 「……ちょっと待て、スピリチュアルな話は勘弁してくれよ……」

 

 提督は額を押さえてため息をつく。

 

 霊魂の集合体だの、魂が集まって形を取っただの――そういうのはどうにも苦手だ。軍人という肩書きのせいもあるが、彼自身が“信じたいものしか信じない”という気質を持っていた。

 

 だが、目の前の光景は、否定しようのない現実だった。

 

 山城が泣いていた。心の底から。

 扶桑がその涙を受け止めていた。かつての“姉”として。

 そしてそのどちらもが、今この場所に確かに存在している。

 

 「……分からんな。俺には分からん。だが……」

 

 提督は口の中で呟く。 

 

 その視線の奥には、戦争の名残と、感情の残骸が重なっていた。

 

 山城という少女――否、かつての戦艦――

 彼女は、あの戦いの果てに姉を失い、心を焼かれた。

 

 憎しみが、生きる理由だった。

 

 怒りが、歩む力だった。

 

 そしてそれは、彼女の魂を――否、山城という存在の全てを支える炎だった。

 

 だが、憎しみという炎は、いずれ灯した者自身をも焼き尽くす。

 

 提督はそれを知っていた。

 

 なぜなら、彼自身もまた、かつては復讐を燃料にして戦場に立った男だったからだ。

 

 ――家族を失った。

 ――友を失った。

 ――故郷が燃え尽き、灰となった。

 

 焼けた写真も、崩れた柱も、誰かの遺品も、みんな戦火の中で風に散っていった。

 

 だから、彼も軍に志願した。

 復讐のために。壊された全ての代わりに、敵を撃つために。

 

 だが、戦場の中で、彼は仲間を得た。部下を得た。

 そして、共に笑い、共に泣いた者たちの中で、いつしかその心は変わっていった。

 

 復讐ではなく、守るために。

 

 奪うのではなく、誰かを支えるために。

 

 それが彼を、憎しみから解き放った。

 

 ――けれど、山城は違った。

 

 あの戦いの果てに彼女が得たのは、誰でもなければ何でもなかった。

 ただ一人、姉を失った。

 

 彼女の怒りは、そこから始まった。

 

 敵を憎むことが、存在理由だった。

 その復讐の火は、きっと彼女自身をもいつか焼き尽くす。

 

 だが提督は、止めなかった。

 

 止める資格もなかった。道理もなかった。かつて、己がそうだったから。

 

 時間だけが癒してくれる――そう思っていた。

 

 だが、違った。

 

 その炎を、今――敵だったはずの存在が、癒した。

 

 かつて山城が撃ち落とし、憎み続けた“深海棲艦”の姿を借りて。

 

 あれが本当に扶桑なのか。それとも扶桑だったものの残響なのか。

 提督には、やはり分からない。

 

 だが確かに、あの姿は、山城の痛みを受け止めていた。

 

 「……上層部には言えねぇな、こりゃ……」

 

 提督はぽつりと呟くと、ポケットから煙草を取り出した。

 

 だが、咥えかけたそれを見つめ、ため息をついて火をつけずに戻す。

 

 島の空気が妙に澄んでいて、吸うには場違いな気がした。

 

 「――帰るか」

 

 立ち上がると、背中のコートが風になびいた。

 

 まだ廃墟の向こうでは、山城が扶桑にすがったまま、静かに泣いている。

 

 提督はそれを一瞥すると、誰にも声をかけず、ただ一人、ゆっくりと帰り支度を整えた。

 

 彼の歩みは遅く、しかし確かな足取りだった。

 

 人は変われる。

 そして、赦されることもある。

 たとえ相手が、かつて“敵”だったとしても――

 

 そう思えたのは、きっと、今この瞬間だけの特権だったのかもしれない。

 

 

日はもうとっぷりと暮れ、無人島の上空には冬の星がいくつか瞬いていた。

 海峡棲姫――否、扶桑の腕の中でようやく泣き止んだ山城は、赤ん坊のようにぐずったまま、姉の腰にしがみついていた。

 

 その姿は、先ほどまで砲口を向けていた凄艶な艤装少女ではない。

 ただの――いや、ずっとそうだったのかもしれない。

 姉に甘えたい、ひとりの妹だった。

 

 提督はその様子に肩を竦めて、背後で待機していた吹雪に「さ、帰るぞ」と声をかける。

 吹雪も顔を拭いながら頷き、港湾棲姫に軽く会釈する。

 

 が、次の瞬間だった。

 

 「帰らない!!」

 

 島に響くような大声に、提督も吹雪も思わず足を止めた。

 

 「私は帰りません!帰りたくありません!!」

 

 叫んでいるのはもちろん――山城だった。

 

 「姉様といるの!ずっとここにいるの!!ずっと、ずっと一緒に……!」

 

 ぐい、と扶桑の腕にさらにしがみつく山城の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それでも放さないという意志だけは鬼神のごとき迫力だった。

 

 提督はひとつ息をついた。

 

 「おーい、山城ぉ……今日は一応、作戦行動中なんだが?」

 

 「関係ありません!命令違反でも構いません!!」

 

 「お前なぁ……」

 

 提督は額を押さえると、すぐそばに立っていた港湾棲姫に小声でぼやく。

 

 「悪いな、連れて帰るのちょっと時間かかるかも……」

 

 港湾棲姫は「ショウガナイナ……」と呟くと、魚の入った桶を置いてそっとその場を離れた。

 さすがに“姉妹の修羅場”に割って入る気はなさそうだった。

 

 「山城、言い分は分かる。そりゃあ俺だって、好きな人と別れるのは……いや、そっちは言ってないか。ともかく、あれだ。分かる、分かるけどさ……」

 

 提督はゆっくりと歩み寄り、しゃがみこんで山城の目線に合わせるようにして言った。

 

 「後任のやつにも話をつける。だから、今日は帰ろう。な?」

 

 だが――

 

 「やだっ!!」

 

 完全拒否だった。

 

 提督が「ぐはっ」と肩をすくめたその瞬間――

 

 「――なぁ、明石。こうなると思ってたか?」

 

 ぽつりとそう呟きながら、左腕に装着した義手に目を落とす。

 

 それは明石が試作した、最新式の高精度義手。

 感覚フィードバック機能付き、細かい動作も可能という触れ込みだったが――

 

 「……キリキリキリキリキリ……」

 

 無理な力をかけられたのか、指の関節がギチギチと嫌な音を立てていた。

 

 「うぉぉぉ……ヤバいヤバい、これ高かったのに!」

 

 と叫びながら、提督は山城の腕を引き剥がそうとする。

 

 「放して!絶対に帰らない!」

 

 「こら、俺の義手が壊れるっ……!」

 

 「義手より姉様のほうが大事でしょ!」

 

 「どんなジャッジだそれはッ!」

 

 ぎゃあぎゃあと喚きあいながら、海峡棲姫の足元で二人は取っ組み合いを始めた。

 山城は泣きじゃくりながらも全力で抵抗し、提督は片手でなだめようとするが、容赦のない張り手と腕力にたじたじである。

 

 「ちょっ、明石ー! お前の義手、耐久性どうなってんだよこれ!?」

 

 「知らないわよ!自分でちゃんと動作確認してから出撃しなさいよ!」

 

 「無茶言うなー!!」

 

 島に響き渡る騒ぎ声。

 さっきまでの沈黙が嘘のように、一帯には騒がしい空気が満ちていた。

 

 吹雪は遠巻きにその様子を見て、あまりの混沌にぽかんとしていたが――

 ふと、隣に立つ港湾棲姫と視線が合った。

 

 「……マイニチ、アレダト、タイヘンネ」

 

 「……はい」

 

 二人の間に小さく笑いがこぼれた。

 

 やがて、扶桑がそっと立ち上がる。

 深海棲艦としての異形の姿――それでも、どこか神々しさすら感じさせる気配を纏いながら、暴れる山城の頭にぽん、と手を置いた。

 

 「……ヤマシロ、マタ……クルノヨ」

 

 その言葉に、山城の動きがぴたりと止まった。

 

 「……ホント?」

 

 「……ウン。マツ。ズット」

 

 まるで、母が子に語りかけるような声音だった。

 カタカナの発音はどこか不器用で、けれど、山城の胸に染み込んでいく。

 

 提督は、ようやく静かになった山城を見て、ふぅっと大きく息をついた。

 

 「……やれやれ」

 

 そして、手元の義手の指がまだ「キリキリ」鳴っているのを見て、今度こそ静かに火をつけた煙草を一本くわえた。

 

 風が吹いた。潮の匂いを含んだそれは、どこか懐かしく、そして新しい時代の匂いも含んでいるような気がした。

 

 

長い島での滞在を終え、艤装の調整と最終確認も済ませた頃――

 ようやく山城が扶桑の腕から離れ、顔をぐしゃぐしゃに泣き腫らしたまま提督たちの前に戻ってきたのは、日が山影に沈んでからだった。

 

 空気は冷え込んでいたが、不思議と心はあたたかい。

 この奇妙な島の“奇跡”の余韻が、全員の胸に残っていた。

 

 桟橋に戻ると、小型の船が一隻、灯をともして待機していた。

 艦娘のように艤装を有していない者が海を渡るには、今やこうした妖精運用の小型艇が欠かせない。

 

 提督は小さく息を吐きながら、吹雪と山城、そして義手の具合を確認する。

 

 ――が。

 

 その背後から「バサッ、ドサッ、バサバサッ」と何かが落ちてくる音がした。

 

 「……ん?」

 

 振り返ると、そこには両腕いっぱい、いや文字通り“限界まで”に膨れた麻袋を抱えた北方棲姫の姿があった。

 

 「イモ!イモ!タクサンホレタ!クエ!」

 

 満面の笑みを浮かべた北方棲姫は、船の甲板に向かって無造作に袋を放り投げる。

 

 「ちょ、ちょっと待て、重いっ……!」

 

 提督が制止する間もなく、後ろから現れた飛行場棲姫も大きな籠を抱えていた。

 

 「イモ……ホラ!コレモ!オマエニ!」

 

 どさどさどさ、と怒涛のように芋が積み上げられていく。

 

 かつての恨みでも込めるかのように無慈悲に、丁寧に、そして重々しく。

 

 「いや、量っ!容赦ねぇな!」

 

 船のデッキがぎしりと音を立てる。

 

 「……おい、沈まないかこれ……?」

 

 提督が半ば本気で心配しながら言うと、隣で吹雪が申し訳なさそうに「でも、美味しそう……です」とぽつり。

 

 「そりゃあまあ、美味そうだけどさぁ……」

 

 その時だった。

 

 ふと、船の前方でハンドルを握る“彼ら”の姿が目に入る。

 

 ――妖精たち。

 

 小柄で、二頭身で、頭に軍帽を被った彼らは、普段なら任務に忠実で、表情などほとんど見せない存在だ。

 

 だが今。

 

 ……その小さな顔には、明確な“渋面”が浮かんでいた。

 

 ぎゅっと結ばれた口、ピクリとも動かない眉。

 端的に言えば「無言の圧」。

 

 提督はその視線に釘付けになった。

 

 「……すまん……」

 

 思わず反射的に謝っていた。

 

 船首に立つ妖精は、遠くからでも分かるほどの肩の落としっぷりで、そっと舵を握りなおす。

 船のエンジンがゆっくりと唸りを上げ、沈みそうな積載量をなんとか浮かせて波間を進み始めた。

 

 「……今度、なんか礼送っとくか……」

 

 提督がぽつりと呟く。

 

 船の中では、吹雪が積みあがった芋の山に目を輝かせ、「カレーにもできますね!肉じゃがも!」と無邪気に言い出していた。

 

 山城は扶桑との別れの余韻がまだ残っているのか、芋の隙間に座り込みながら遠く島を見つめていた。

 

 波の音がゆったりと耳を打つ。

 

 船は、星空の下、ゆっくりと故郷へ向かって進み出した。

 

 ――艦娘と、深海棲艦と、人間と。

 

 奇妙な共存の一端が、確かにそこにはあった

 

 

船は、小さなエンジン音を唸らせながら、ゆっくりと冬の海を進んでいた。

 月明かりが海面に反射し、まるで星が水の上を漂っているかのような幻想的な光景だったが――

 

 現実は、その情景と真逆の光景に満ちていた。

 

 「ぐぇー……芋で身動きが……ッ」

 

 吹雪の情けない悲鳴が、積み上がったサツマイモの山の奥から聞こえてくる。

 

 荷室の中は、芋、芋、芋――とにかく芋で埋め尽くされていた。

 

 あまりに芋が多すぎて、吹雪は完全に動きを封じられ、顔だけが山の隙間から申し訳程度に覗いている。

 

 「だ、大丈夫か吹雪!? 今、掘り起こすからな!」

 

 提督が焦って手を伸ばすも、彼自身も膝まで芋に沈んでおり、思うように動けない。

 

 「お、おい妖精たち!スピード出して跳ねたら芋が詰まって窒息するぞ!? 速度は慎重に頼む!」

 

 船首で操舵中の妖精たちは、二頭身の身体に不釣り合いなほど渋い表情をしたまま、舵にぎゅっと力を込めていた。

 

 その姿には、やはり「無言の圧力」が漂っていた。

 

 「……すまん、ほんと……」

 

 提督が再び謝罪すると、妖精の一人が「プイッ」とそっぽを向いた気がした。

 

 「ったく、あの芋姫と左官職人め……もう少し加減しろっての……」

 

 そう呟く提督の耳に、ふと背後から聞き覚えのある声が届いた。

 

 「……ふふ、何を情けない顔してるんですか、提督」

 

 それは、並走して飛ぶ一艘の艤装の上からだった。

 

 山城――艤装を背に海上を滑るように進みながら、片手に握った焼き芋を口元に運んでいた。

 

 「お前……その芋、まさか」

 

 「ええ、さっきから艤装の排熱で焼いてました」

 

 言いながら、山城は焼き芋の割れ目から立ちのぼる湯気をふぅっと吹き、熱そうに皮を剥く。

 

 「姉様にまた会うために……栄養はしっかり摂らないと。焼き加減もちょうど良いですよ」

 

 皮を剥いた芋を齧り、山城は満足げに頷いた。

 

 「まあ……また泣いてわめかれるよりはマシか……」

 

 提督が苦笑する。先ほどまでの修羅場が、すでに懐かしい思い出のようだ。

 

 「なにか言いました?」

 

 「いーや何も。ちょっとその芋、一本分けてくれないか?」

 

 「ダメです。姉様と一緒に食べるって決めた分は残しておくので」

 

 「いや、もう姉様いないだろ。島に置いてきただろ」

 

 「バカですねぇ、いつまた会えるか分からないんですから、今のうちに保存しておくんです」

 

 「芋はお守りか!」

 

 「それより、そっちの吹雪さん、埋まってませんか?救出しないんですか?元提督でしょ」

 

 「う、うるさいな……こっちだって身動き取れないんだよこの状況……!」

 

 「情けない。やっぱり艦娘なしじゃ役に立たないんですね」

 

 「誰のせいだ誰の! お前が泣き喚いて時間を食ったせいだろうが!」

 

 「まあまあ、そう怒らないでください。芋あげますから。――焼けたら」

 

 「結局焼くのかよ!?」

 

 言い争いは続くが、そのやりとりはもはや、かつての“戦場”とはまったく異なる温度を帯びていた。

 

 山城は焼き芋を頬張りながら、遠く闇に沈んでいく島影を――静かに、静かに見つめていた。

 

 その視線には、憎しみでも怒りでもない、やさしい祈りのようなものが宿っていた。

 

 「……姉様、待っていてくださいね。今度は、泣かないで……会いに行きますから」

 

 彼女は小さく、そんなことを呟いた。

 

 船は、波の中を音もなく進んでいく。

 

 星の下、潮の風が、彼女の言葉をどこか遠くへと運んでいった。

 

 

 

夜の横須賀港には、冬の潮風が吹き抜けていた。

 

 船が接岸すると、提督は真っ先に積み上がった芋の山を見て、盛大に溜め息をついた。

 

 「……これ、全部降ろすのか?」

 

 山城はどこ吹く風で、最後の焼き芋を齧っていた。

 

 船から下りてすぐ、既に港で待機していたのは大淀と明石だった。

 

 制服の裾を風に揺らしながら、二人はいつも通り淡々と、しかしどこか慣れた様子で出迎える。

 

 「おかえりなさい。……ずいぶん派手に持ち帰りましたね、提督」

 

 そう言いながら大淀は視線を芋の山へと向ける。

 

 明石は眉をひそめながら、積まれた麻袋の数を数えていたが――やがて諦めたように肩をすくめた。

 

 「これはまた……運送記録どうやって書こうかしら……“現地で多数の芋を獲得”で通るかしら?」

 

 「知らん。お前らで適当に食っといてくれ。俺はいくつかだけ持ち帰るから」

 

 提督はそう言いながら、破れかけた義手を外し、明石に向けて軽く掲げる。

 

 「あとこれ、壊れた。指がギリギリ言ってる。交換頼む」

 

 「はあー……またですか。精密機器なんですから、もう少し大事に扱ってくださいよ」

 

 「無理言うな。芋投げられたんだ。戦場だぞ、あれは」

 

 明石はふぅっとため息をついて義手を受け取り、点検に入る。

 

 一方、大淀は静かに提督の傍に寄ってくると、周囲に人がいないのを確かめた後で、小声で言った。

 

 「……あまり、いい話じゃありません」

 

 「……なんだ?」

 

 「“彼”が、帰ってきました。予定よりもずっと早く」

 

 その言葉に、提督の眉がわずかに動く。

 

 “彼”――後任提督、風見。

 かつては自分の部下であり、酒を酌み交わし、戦況を語り合ったこともあった男。

 

 だが、終戦後の権力再編の中で、彼は変わった。

 政治家の顔色を伺い、世論に迎合し、軍部内の“安全な立ち位置”にしがみつく。

 理想も信念も、どこかに置いてきたようなその姿に、かつての面影はあまり残っていなかった。

 

 ――いや、もしかしたら、それが“素”だったのかもしれない。

 

 「面会しますか?」

 

 「しない理由はない。どうせ向こうも話したがってるだろ」

 

 提督は静かに応えた。

 そして片手で焼き芋をひとつだけポケットに詰めながら、肩を回す。

 

 義手は既に明石の手にあるので、今の身体は少しバランスが悪い。

 だが、それでも歩くには十分だ。

 

 「吹雪、山城、少しここで待ってろ。あんまり遅くはならん」

 

 「はい。お芋、温めておきますね」

 

 「早く戻ってきてくださいよ。まだ言いたいこと、いっぱいありますから」

 

 「怖いな……」

 

 ぼやきながら、提督は執務棟へと足を向けた。

 

 大淀が先導し、夜の静まり返った基地内を歩く。

 すれ違う者はいない。皆もう寝静まった時間帯だ。

 

 が、彼の胸の中には、かすかに、火が灯っていた。

 

 「……さて、風見。お前はどんな顔をして帰ってきた?」

 

 それを確かめるためにも、もう少しだけ、提督は“元提督”の顔をしていなければならないようだった。

 

 

 

 

執務棟は、外の寒風とは対照的に、重たく、静まり返っていた。

 

 大淀に導かれた廊下は、深夜ということもあって人影もなく、靴音だけが微かに響く。

 

 提督はゆっくりと歩きながら、呼吸を整えていた。

 

 懐かしさなど、もはや心にはなかった。

 

 会うべき理由があるから、会うだけだ。

 

 執務室の扉の前に差しかかると、大淀が一歩下がって礼をする。

 

 「中でお待ちです」

 

 提督は小さく頷き、扉に手をかける。

 

 と、その瞬間――

 

 「やっほー、提督!」

 

 唐突に、扉の隙間から元気な声が飛び出した。

 

 そして、顔を覗かせたのは――

 

 「最上……?」

 

 その声には、少しだけ驚きが混じっていた。

 

 最上。

 かつて提督の艦隊で長く共に戦った艦娘。

 数年前、提督の意向ではなく、補給部の都合によって戦力再編の一環として“トレード”された存在だ。

 

 あのとき彼は、何もできなかった。

 最上は「ボク、どこでも頑張れるから大丈夫」と笑っていたが、それが余計に胸に刺さった。

 

 「おぉ……元気してたか?」

 

 自然と、そんな言葉が口から漏れた。

 

 「うん!ボクは元気だよ!相変わらず戦場じゃドジってばっかだけどね」

 

 ぺろっと舌を出して笑う姿は、あの頃と何も変わらない。

 制服の袖に少しだけ余裕ができているのは、今の任務が“戦い”より“事務”に傾いている証かもしれない。

 

 「まさか秘書艦やってるとは思わなかったな」

 

 「うん、あの人、書類仕事苦手だからさぁ。ボクがいないとデスクが燃える」

 

 「……それは相変わらずってことか」

 

 提督は苦笑した。

 

 だが、その笑いの裏では、心がひとつ、確かに揺れていた。

 

 ――どうしてお前が、あいつの秘書艦なんだ。

 

 そんな言葉を口に出すわけにはいかなかった。

 

 最上の明るさにあてられていたのは確かだが、今はそういう感傷に沈む場面ではない。

 

 「じゃ、ボクは待機室で待ってるね。話、長引きそうでしょ?」

 

 「……吹雪も連れてきてたが、こっちには向かない話だ。山城と一緒に娯楽室に行かせてる」

 

 「ふふ、正解。あの子、真面目すぎるからね~」

 

 軽く手を振って最上は後ろに引っ込む。

 その背を見送った提督は、ほんの一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、目を伏せた。

 

 そして、扉を開ける。

 

 

 執務室の中は、整理された机と、最新式の情報端末、報告書の山。

 空気は整いすぎていて、まるで“軍”ではなく“役所”のようだった。

 

 そして、その机の前にいた男。

 

 風見――提督のかつての後輩であり、今や横須賀基地の現・司令官。

 

 「……久しぶりだな。元提督殿」

 

 男の声には、どこか皮肉めいた響きがあった。

 

 いや、あれは“気取った距離”の声だ。

 

 かつてのような、屈託のない笑いはそこにはなかった。

 

 「お前、変わったな」

 

 そう返すと、風見は鼻で笑った。

 

 「変わらないままだったら、今頃この椅子には座ってなかったよ。あなたと違ってね」

 

 その言葉には、明確な“線引き”があった。

 

 部下だった男が、今は上官面をする。

 それが時代の流れだと、誰かは笑うかもしれない。

 

 だが提督は、その空気を呑み込んだまま、机の前の椅子に腰を下ろした。

 

 「……話ってのは何だ?」

 

 風見の視線が一瞬だけ泳いだ。

 

 それは、これから語られる“内容”が、けして軽いものでないことを示していた。

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