艦これ 砲声なき日々に   作:ダッフル

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九話 嬉し恥ずかし学園祭

 

冬の空は高く、どこまでも澄んでいた。

 

 この季節特有の凛とした空気が街に満ち、吐く息は白く。

 肩をすぼめた人々が忙しそうに行き交う中、ひときわ場違いともいえる二人連れが駅前を歩いていた。

 

 ひとりは白いマフラーを巻いた少女――元艦娘、吹雪。

 

 もうひとりは、左腕の袖を空にしたままの男。

 元・提督。

 

 その手に握られていたのは、一枚の招待券。

 

 《冬季文化祭 兼 クリスマスフェア ご招待》

 発行者には、“加賀”の名。

 

 「……ここが、大学……なんですね……」

 

 吹雪は緊張した面持ちで校門の前に立ち尽くしていた。

 晴れやかな飾り付け、掲げられた垂れ幕、制服姿の学生たちのはしゃぐ声。

 それは彼女の知る軍の空気とはまるで違う、柔らかく賑やかな世界だった。

 

 そんな吹雪の隣で、提督は腕を組みながら校門を見上げていた。

 

 「……緊張してるな、お前」

 

 「は、はい……すみません。こういう場所、初めてで……」

 

 俯きかけた吹雪に、ふっと笑いが洩れた。

 

 「実は俺もなんだよ、こういうの」

 

 「……え?」

 

 吹雪が意外そうに顔を向けた。

 

 「司令でも、こういうの、経験ないんですか……?」

 

 「ああ。俺らの世代は、戦争で全部吹き飛んじまってたからな。

 学園祭も文化祭も、どこか夢みたいな話だったよ」

 

 空を仰ぐようにして言ったその声音は、懐かしさよりも、どこか遠くの記憶に触れるような静けさを持っていた。

 

 「何でも知ってるように見えるだろ? でも案外、大人ってもんは知らねぇんだよ。こういうのには」

 

 「……そう、なんですね」

 

 吹雪は少しだけ微笑み、提督に合わせるように歩を進めた。

 

 二人で並んで、大学の門をくぐる。

 

 門をくぐった瞬間――音の洪水が押し寄せた。

 

 ステージのマイクから飛び交う呼び込みの声。

 通りを埋め尽くす模擬店の湯気と香り。

 紙製のサンタ帽をかぶった学生たちの笑顔とざわめき。

 

 「……すごい……まるで、お祭りみたい……」

 

 「お祭りだよ」

 

 そんな二人の前に、すっと一人の女性が現れた。

 

 「お待ちしておりました、提督。吹雪さん」

 

 落ち着いた口調と無表情気味の面差し。

 だが、よく見ればほんのりと頬を染めた加賀が、入口の木陰から姿を現した。

 

 「おう、加賀。お前がこうして迎えに出てくるとは思わなかったな」

 

 「たまたま暇ができたので」

 

 加賀は目を逸らすように言ったが、ほんのわずかに手元の指先が震えていた。

 

 「提督、お元気そうで……なによりです」

 

 「まあな。義手もつけてこなかったし、今日はただの一般人として来たんでね。学生の目を威圧しても仕方ねぇからよ」

 

 「ええ……とても……自然です」

 

 口元がかすかにほころぶ。

 

 その視線は、明らかに提督の左肩へと注がれていた。

 だが、そこに宿るのは同情でも、痛みでもない。

 ただ静かに――過去を受け止めた人間の目だった。

 

 かつて、提督の左腕を失わせたのは自分だ。それは違いない。

その事で彼女は大きな枷を付けたのだ。

枷は提督によって外され、今はまた再び前を向いて歩き始めた。

 苦しみも、後悔も、怒りも、忘れたわけではない。

ただ、その感情も全てを許しの中に内包したのだ。

 

 そして今、そこにあるのは沈黙と、赦しと――ほんの少しの、切ない恋慕。

 

 「今日は、案内を務めさせていただきます。こちらへどうぞ」

 

 加賀が半歩前に出ると、提督が小さく笑った。

 

 「おう、助かる。吹雪、ついて行こうぜ」

 

 「はい、司令……」

 

 加賀の背を追って歩き出した吹雪は、ふと加賀の後ろ姿を見て思う。

 

 ――司令と並んで歩く彼女の肩が、どこか楽しそうに見えた。

 

 そう思ってしまった自分に、少しだけ胸の奥がざわついた。

 

 

構内に足を踏み入れてすぐ、提督は少し首を傾げた。

 

 「ところでさ……加賀。ひとつ聞いていいか?」

 

 「なんでしょう、提督」

 

 「このイベント、“学園祭”って聞いてたんだが……なんだこの“クリスマスフェア”って。学園祭なのにフェアって、どういうことだ?」

 

 彼の手元に握られていた招待券には、たしかに《冬季文化祭兼 クリスマスフェア》と記されていた。けれど、祭なのかフェアなのか――その辺が曖昧で、どうにも腑に落ちない。

 

 加賀は、すっと歩きながら答えた。

 

 「終戦後、色々ありました。学期の再編成や学生動員の整理、設備の復旧……その過程で秋に予定していた文化祭がずれ込んで、冬になったのです」

 

 「なるほど……で、そこでクリスマスと合わせたと」

 

 「はい。どうせやるなら一緒にしてしまえという、合理的な判断だったようです。さらに、“フェア”という形にすることで、外部からの来場者数も期待でき、模擬店や出展の売上も見込めると判断されました」

 

 「商魂たくましいな」

 

 「それだけではありません」加賀は足を止め、少しだけ横を向いて彼の顔を見た。

 

 「我々艦娘が兵役を終えた後……“働く”とは何か、“消費”とは何か、そうした社会活動の基本を体験する意味もあります」

 

 「学園祭が、か?」

 

 「はい。模擬店の運営、仕入れ、収益と再分配。各サークルの予算にも関わりますし、出展の実績によってはスポンサーがつくこともあります」

 

 「へぇ……なるほど、ちゃんと金が回ってるわけだな」

 

 「提督」

 

 「ん?」

 

 「今の私は、ここで“学生”として暮らし、学んでいます」加賀の言葉は、かすかに誇らしげでもあった。

 

 「戦うだけではなく、誰かの命令を待つだけでもなく。自分の意思で考え、自分の立場を築くために……その基礎が、ここにはあります」

 

 提督は、彼女のその言葉をしばし噛みしめたように黙っていた。かつては戦場の最前線に立ち、命を賭して空を裂いていた艦娘が――今こうして、「お金の流れ」や「市民生活」の一端を、“学園祭”という日常の中で体験している。戦争しか知らなかった彼らにとって、それはまさしく“未知”の領域。

 

 「……いいことだな、それは」

 

 「ありがとうございます」加賀は小さく会釈をした。

 

 その横で、吹雪は少し難しそうな顔をしていたが、「わ、私ももっと勉強しなきゃ……」と小さく呟いていた。

 

 「じゃあさ」

 

 「はい?」

 

 「とりあえず、その……“売り上げ”に貢献してくるわ。腹減ったし」

 

 「……焼きそばでしょうか?」

 

 「よく分かったな」

 

 加賀は、かすかに笑った。

 

 

鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てるソースの香りが、冬の風に乗って漂っていた。

 

 仮設テントの下、長机とベンチが並ぶ休憩スペース。

 紙皿に山盛りの焼きそばを抱えた提督は、冷めないうちにと一気に箸を進めていた。

 

 「……はふっ、ん、これ、うまいな。想像以上だ」

 

 吹き込む風で湯気がゆらゆらと立ち上る。

 その傍ら、吹雪は同じく焼きそばを手にしながらも、迷ったように箸を止めていた。

 

 「……吹雪、食いたいもんは他にあるか?」

 

 提督が口元をぬぐいながら尋ねると、吹雪は目をぱちぱちと瞬いた。

 

 「え、あ、はい、あの……えーと……」

 

 返事をしながらも、手元の焼きそばは進んでおり、箸で小さく麺を巻き取りながらも、視線はあちこちの模擬店に向けて泳いでいた。

 

 「……焼きそばを食べながら迷ってるのか」

 

 「す、すみません……全部美味しそうで……」

 

 申し訳なさそうに俯く吹雪の隣、もう一人の女性が黙々と焼きそばを食べ進めていた。

 

 加賀だった。

 

 学生用の紙トレイには、すでに空のパックが二つ。

 そして三つ目の焼きそばに、迷いも緊張もなく、まるで訓練された動作のように箸を入れていた。

 

 「…………」

 

 もぐ、もぐ。ずるっ。もぐ。

 

 そして――

 

 「……けぷっ」

 

 控えめながらもしっかりと聞こえる音が、加賀の口元から漏れた。

 

 「……加賀さん……」

 

 吹雪がぽつりと呟く。

 

 「……なんだか、赤城さんみたいですね」

 

 その言葉に、加賀の箸が一瞬止まった。

 

 「……そうでしょうか?」

 

 真顔で問い返してくるその様が、また赤城に似ていた。

 

 「以前は加賀さん、食が細かったような……気がしてたんですけど」

 

 「よく覚えておられますね。ですが、最近はこういった学内行事で、黙っていると物が無くなってしまうので……私も学びました」

 

 「学び……ですか?」

 

 「早く、静かに、効率よく、必要な分を確保し、摂取する。それがこのような現場での基本です」

 

 「……加賀さん、それ戦場の教訓じゃないですか……」

 

 加賀は微かに目を細めた。

 

 「その応用です」

 

 思わず提督がむせた。

 

 「けほっ……応用って……やれやれ、やっぱ軍人崩れはどこ行っても抜けねぇな」

 

 加賀は淡く笑った。

 

 「それに、焼きそばは美味しいですから。お腹も空いていました」

 

 「……なるほど、それが一番納得できる」

 

 そんなやり取りの中、吹雪はふと思い出したように顔を上げた。

 

 「あの、そういえば……確かこの学園祭、赤城さんもいらっしゃるって……」

 

 「ああ。そういえば――」と加賀が応じる。

 

 「大食い大会が、今ちょうど別会場で開かれていまして。赤城さんもそこに」

 

 「出てるんですか!?」

 

 「ええ。出場者として」

 

 「やっぱり……」

 

 吹雪は苦笑するしかなかった。

 

 「にしても……何だそれ。元正規空母が文化祭の大食い大会で優勝狙いか……おかしな時代になったもんだ」

 

 「戦後ですので」

 

  「だな」

 

提督は静かに笑い、加賀も思わずつられて笑う。

 

 「……なんか、あっちの会場、騒がしくないですか?」

 

 吹雪が立ち止まり、声のする方向を指さした。

 学内の体育館を仮設で仕切ったイベントホール――「大食いチャレンジ」の垂れ幕が大きく掲げられていた。

 

 「赤城さん、きっとそこですね……!」

 

 加賀が静かにうなずく。

 「間違いないでしょう。あの熱気は、赤城さんです」

 

 提督はため息をひとつつき、歩き出した。

 

 「行ってみるか……どんな地獄が待ってるやら」

 

 入場すると、そこは想像以上の“戦場”だった。

 

 長テーブルにずらりと並べられたホットドッグの山。

 両手にバンズを構え、勢いよく食らいつく参加者たち。

 そしてその中央――

 

 「……やっぱりアイツか」

 

 テーブルの中央で、赤城がひとり圧倒的な存在感を放っていた。

 

 バンズはすでに十数個は皿から消え、ホットドッグのケチャップが頬にまで飛び散っている。

 なのに赤城は、なおも全く疲れた様子を見せず、まるで“任務”のように黙々と食べ続けていた。

 

 観客席からどよめきがあがる。

 

 「えっ、あの人まだ食べるの!?」「バケモンや……」「あれ絶対プロじゃないの!?」

 

 そんな中、ホイッスルのような声が響いた。

 

 「ちょおまちぃ!!」

 

 体育館の扉を派手に開けて飛び込んできたのは、関西弁混じりの小柄な少女――龍驤だった。

 

 「アンタ!出禁や言うたやろー!!」

 

 彼女はそのまま観客をかき分け、赤城の背後に回ると、後ろから羽交い締めにしにかかった。

 

 「プレオープンでどんだけ食い尽くした思てんねん!! 食材係が泣きながらスーパー駆け込んでったんやで!?」

 

 「んー……だって……せっかく出たのに……ほら、ホットドッグ、あと……っ、3個……」

 

 赤城は押さえつけられながらも、トレーの上に残ったパンとソーセージを指さしている。

 

 「やめぇぇぇっ! その口にねじ込もうとすんな!!」

 

 「でも、勝ってからじゃないと、お腹いっぱいにならない……」

 

 「もう十分食べたやろーっ!!」

 

 押さえ込まれながらも、足でテーブルにじりじりと寄っていく赤城。

 その様子に、提督は頭を抱えた。

 

 「……何してんだアイツ……」

 

 「本当に、赤城さんは変わりませんね……」と吹雪が苦笑する。

 

 加賀はというと、少しだけ顔を背けながらも、どこか誇らしげだった。

 

 「さすがです、赤城さん。戦後の生活においても、その貪欲さ……健在ですね」

 

 「いや、それは違う方向の貪欲だからな!?」

 

 提督は思わずツッコミを入れたが、加賀は真顔で応じた。

 

 

 赤城はというと、いよいよ龍驤に両足まで押さえ込まれながら、最後の一口に手を伸ばし続けていた。

 

 その姿に、提督は頭を抱えつつも――

 

 「……ま、楽しそうで何よりだな」

 

 ぽつりと、笑いながら呟いた。

 

 

 「って……あんなのは鎮守府で散々見たよ」

 

 赤城が龍驤に半ば引きずられるように連行されていくのを見届けたあと、提督は呆れ混じりにそう吐き捨てた。

 

 「……変わらんやつだな、本当に」

 

 「赤城さん、楽しそうでしたね……」と吹雪が苦笑する。

 

 「それは良いことなんですけど……司令、ああいうのばかり見ていても“大学らしい”とは言えません」

 

 加賀が横から静かに言った。

 その言葉に、提督はふっと目を細めた。

 

 「……そうだな。じゃあ加賀、お前の目から見て“大学らしい”もんを、吹雪に見せてやってくれよ」

 

 「了解しました。では、こちらへ」

 

 加賀は慣れた足取りで人混みを抜けていく。

 

 そしてたどり着いたのは、体育館の別棟、やや静かな区画に設けられた「体験展示エリア」だった。

 

 パネル展示や技術紹介のブースの隣に、小規模ながらも来場者参加型の体験コーナーが設けられていた。

 その中の一つ――“反射・認識スピード体験”と銘打たれたコーナーには、小型の端末やセンサー付きのパッドが並んでいた。

 

 「ここは、来場者の反射神経や視覚情報処理の速度を簡易的に測定するコーナーです。専門ゼミの研究テーマの一環で、少しだけ本格的なセンサーを使っています」

 

 加賀が淡々と説明する傍ら、提督は興味深そうに機材を見回す。

 

 「へぇ……見た目はゲームコーナーみたいだが、中身はちゃんとしてるな」

 

 「はい。遊びのように見えて、研究機材と直結しているのがこの大学の特長です。脳科学、認知科学の応用実験として、民間向けにアレンジされています」

 

 「面白そうですね……」

 

 吹雪が端末のひとつに近づき、手を伸ばした。

 

 ディスプレイに流れる指示に従い、光るパネルをタップしていく。

 画面上には視野内の刺激に対する反応速度、情報処理の正確性がグラフとして表示されていく。

 

 最初は、周囲の学生や子供たちと同じように軽く触れていた吹雪だったが――

 

 「ん……あ、なるほど、タイミングを見て……こっちも意識して……」

 

 ブツブツと独り言を呟きながら手の動きが加速し、目にも止まらぬスピードで画面に反応していく。

 

 「えっ、えっ、速くない?」「すげえ……」「全部正確に取ってるぞ……」

 

 周囲からざわめきが上がる。

 

 表示されたスコアが、過去の記録をあっさりと塗り替えていた。

 

 反応速度:0.087秒

 処理精度:99.8%

 視野認識:フルレンジ対応

 

 「うわ……え、これ、良かったんでしょうか……?」

 

 吹雪は画面を見ながら首を傾げた。

 完全に“遊び”のつもりだったらしい。

 

 提督が後ろから声をかける。

 

 「お前な……あんまり目立つなよ。一般人に混じってそれはちょっとずるいぞ」

 

 「す、すみませんっ! でも、これ……艦娘の適性試験に似てて、懐かしいなーって思って……つい」

 

 「ははっ、まぁそりゃそうか」

 

 彼女の言う通りだった。

 戦時中、艦娘としての適性試験には、反射神経・認識能力・戦術判断の初期検査が必須だった。

 吹雪は当時からその分野で頭角を現していた一人だった。

 

 「こうして見ると……やっぱりお前、優秀だったんだな」

 

 「……え、えへへ。褒められると、ちょっと……くすぐったいです」

 

 「よく言われたでしょう。訓練でも、模擬戦でも、いつもスコア良かったって」

 

 「でも、それは“戦い”の中の話であって……こうして、“普通のこと”に繋がるなんて、思ってなかったです」

 

 吹雪は静かに画面を見つめた。

 その瞳に浮かんでいたのは、達成感でも、誇らしさでもなく――戸惑いだった。

 

 「……それでいいんだよ」

 

 提督がぽつりと呟いた。

 

 「戦うためだけに与えられた力が、こうして誰かを驚かせたり、楽しませたりするもんになるなら……それは、すげぇ価値があるってことだ」

 

 「司令……」

 

 吹雪の表情が、柔らかくほどけていった。

 

 加賀はそんなふたりを見つめながら、どこか遠い目をしていた。

 

 かつては“戦うため”に最前線へ送り出された少女たちが――

 今こうして、“日常”という光の中に、少しずつ、居場所を見つけていく。

 

 「……では、次は“味覚と記憶の相関性実験ブース”をご案内しましょうか」

 

 「いやいや、もう十分だ。食い物絡みは今日は赤城でお腹いっぱいだよ

 

 

 

 

学内の一角、控えめな教室のひとつに設けられた映像作品の上映室。

 「学生映画研究会」と書かれた小さな立て看板には、仰々しいタイトルが記されていた。

 

 ――『暁の海に立つ:艦娘と正義の光』

 

 「……なんだこれ、タイトルがすでに怪しいな」と提督は呟いたが、「ま、創作物だしな。文化祭の味ってことで見てみるか」と軽いノリで中に入った。

 

 上映室には学生や保護者らしき人々がちらほら。

 映像はすでに始まっており、ナレーションが勇ましく響いていた。

 

 「戦火に立ち向かった“乙女たち”――その清き魂と、聖なる戦いの記録を今ここに!」

 

 画面には、純白の軍服に身を包んだ艦娘風の俳優たちが、整然と行進する姿。

 敵役の“深海棲艦”たちは、まるで化け物のような扱いで、徹底して“悪”として描かれていた。

 

 勇ましいBGM。

 誇張された敵の残虐性。

 明快な善と悪の構図。

 そして艦娘たちは、いわば“救世主”のように美化されていた。

 

 30分後。

 

 上映が終わって、明かりがついた教室の中。

 提督は静かに、息を吐いた。

 

 「……すげぇプロパガンダだったな」

 

 椅子に背を預けながら、肩をすくめる。

 

 「まあ、戦後一年しか経ってねぇし……こういうのも、今の学生にとっちゃ、精一杯の“理解”なんだろうけどな」

 

 そう言った彼の口調には、怒りも皮肉もなかった。

 ただ――やるせなさと、どこか疲れたような達観があった。

 

 「広報部は確かに活動してた。艦娘の存在も、深海棲艦との戦いも……でも、実際の“ドンパチ”まで伝わるわけじゃない」

 

 「……」

 

 吹雪は、言葉を発せずに黙っていた。

 膝の上で組んだ両手が、ほんの少し震えていた。

 

 ――映像の中で描かれた“深海棲艦”。

 

 血に飢えた悪魔のように、凶悪な造形で誇張され、撃ち倒されるための存在として描かれていた。

 

 けれど、吹雪は知っている。

 

 あの島で、農作業をしていた者たち。

 芋をくれた者。

 目が合えば、会釈すらしてくれた彼女たちのことを。

 

 (……本当に、あれが“全て”だったんでしょうか)

 

 揺れる視線が、誰にもぶつけられぬまま、沈黙の海に沈んでいく。

 

 そんな吹雪の様子を、提督は横目で見ていた。

 

 「吹雪」

 

 静かに呼びかけると、吹雪ははっとして顔を上げた。

 

 「……司令?」

 

 「なぁ、お前……今の映像、どう思った?」

 

 「……すごく、立派に描かれてたなって……でも、それだけじゃないって……思いました」

 

 声が小さく、震えていた。

 でも、それは――嘘のない吹雪の声だった。

 

 「……だろうな。お前は、あいつらに“会った”からな」

 

 提督はふっと笑って、ゆっくり立ち上がった。

 

 「いいんだよ、それで」

 

 言いながら、吹雪の頭に手を置く。

 ゴワついた指先が、そっと撫でるように髪を梳いた。

 

 「こういうのも、社会勉強の一環だ。清濁の“濁”も飲まされるのが、戦争が終わった後の“生きる”ってことだ。……だけど、それでも、お前の中の“清”が曇らないようにしとけよ」

 

 「……司令」

 

 「褒められるような世の中じゃない。けど、優しいやつが優しさを捨てちまったら、マジで終わりだからな」

 

 提督の声には、穏やかさの中に強さがあった。

 

 「……うん、分かりました」

 

 吹雪はゆっくりうなずいた。

 

 それでも、どこか胸の奥がちくりと痛んだ。

 

 だけど、その痛みすら――きっと、“今を生きる”ってことなのだと思えた。

 

 

 

 「さてと。……他にも見るもん、あるだろ?」

 

 上映室を後にして、校舎の外へ出た提督がそう言った時だった。

 ふと、横から聞き覚えのある声と、むせかえるようなホットドッグの匂いが迫ってきた。

 

 「……あっ、提督ー!」

 

 顔を上げると、そこには両手に山ほどホットドッグを抱えた赤城の姿があった。

 紙袋の隙間からは、ソーセージの頭がはみ出し、チーズとケチャップが滴っている。

 

 「……なんだその量は」

 

 提督が目を細めて問うと、赤城はケロリとした顔で言った。

 

 「これですか? あのあと、龍驤さんに“これやるからもう来んな!”って言われまして……」

 

 そのままベンチに腰を下ろし、袋からホットドッグを一本引き抜いて、むしゃむしゃと勢いよくかぶりついた。

 

 「……厄介払いか」

 

 「さすがですね、赤城さん……」

 

 提督は呆れたように頭をかきながら言い、吹雪は苦笑まじりに感嘆の声を漏らした。

 

 「ふふ……なんだか、赤城さんって、いつも通りというか」

 

 「はい。ずっと、こうなんです。戦時中も、戦後も、変わらず……ね?」

 

 そう言いながら、赤城は吹雪の傍に近づくと、彼女の頭を優しく撫でた。

 「よしよし、偉いわね。ちゃんと社会見学できて」

 

 「えっ……あ、はいっ……!」

 

 吹雪は頬を染め、撫でられるまま小さく背筋を伸ばした。

 

 「ねえ、提督」

 

 ホットドッグをもう一本くわえながら、赤城が言う。

 

 「こんな風にして、文化祭で集まって……なんだか不思議ですよね」

 

 「そうだな。……だいぶ様変わりした」

 

 「でも、それも悪くないですよね。空が晴れてて、人が笑ってて、ご飯が美味しくて……こういうの、もっと知っておきたかったなぁって、ちょっと思うんです」

 

 「……俺もそう思うよ」

 

 提督はふと空を見上げた。

 淡い冬の日差しが、学舎の屋根をやわらかく照らしていた。

 

 「戦うことが“日常”だった俺たちには、こういう“普通”がいちばん眩しいのかもしれないな」

 

 「そうですね」

 

 赤城は、またひと口ホットドッグをかじった。

 

 その横で、吹雪は静かに、でも確かに微笑んでいた。

 

 

 冬の午後も終わりに差しかかり、校舎の影が長く伸びはじめた頃だった。

 

 赤城はホットドッグの残りを紙袋にしまい込みながら、ぽつりと呟いた。

 

 「あぁー……なんだか、デザートが食べたいなぁ……」

 

 その声には、抑えようとして抑えきれない、期待のにじみがあった。

 

 提督がちらりと目をやると、赤城はホットドッグの包みを両手で抱えたまま、上目遣いでこちらを見上げていた。

 

 「提督も、食べたいですよねー? クレープとか、甘いやつ……」

 

 ちらちらと横目を使いながら、まるで“こっちが言い出すのを待っている”ような空気を全身で放っていた。

 

 「……はぁー」

 

 提督はひとつ、深く息をついた。

 

 「腹壊さん程度にな……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、赤城の顔がぱっと明るくなった。

 

 「やったー! じゃあ行きましょう、吹雪さんも、加賀さんも!」

 

 彼女は軽快に歩き出し、三人を振り返って手を振る。

 その背中には、空母として空を裂いた威厳など一片もない。代わりに、ただの“甘いもの大好きな女の子”がいた。

 

 校舎裏手の並木道を抜けた先、仮設された屋台が並ぶ通りに、クレープの店があった。

 生クリームとフルーツの香りが、冷えた風の中に甘く漂っている。

 

 「私はチョコバナナ生クリームで」「私はいちごダブルでお願いします」

 

 加賀と赤城は、迷うことなく即注文。

 数分後には、手元に広がる甘い包みを抱えた二人が、静かに、しかし凄まじい勢いで食べ進めていた。

 

 「……さすが、正規空母の胃袋」

 

 「赤城さん、加賀さん……ほんとに、すごいです……」

 

 吹雪は自分のバニラクリームクレープを手に、やや引き気味に言った。

 それでも彼女の頬には、ほのかに赤みがさしていて、嬉しそうだった。

 

 紙ナプキンで口元を拭いながら、加賀がふと思い出したように言った。

 

 「そういえば……夜にはイルミネーションの点灯と、花火の打ち上げもあるようです」

 

 「……花火?」

 

 提督が目を細める。

 

 「この季節にやるもんか? 夏の風物詩だろうに」

 

 「火薬の在庫が余ってしまったようで。年度内に消費しないと“会計上の問題”になるそうです。ですので、今年中に使い切るために冬の打ち上げを企画したとか」

 

 「……いや、そんな理由で上げんのかよ。軍の倉庫みたいな発想だな」

 

 「それでも、冬の空のほうが空気が澄んでいて、花火も綺麗に見えると聞きました」

 

 「ふむ……まあ、それもそうか」

 

 提督はふと、空を見上げた。

 夕暮れの帳が静かに落ち始め、群青色の空が校舎の上に広がっている。

 

 冷たく澄んだ空気の中で、もうすぐ灯る光と、打ち上がる花火。

 

 この静けさが、いつまでも続けば――そう思えるほどに、世界は穏やかだった。

 

 「……じゃあ、それまでにもう少し腹を落ち着かせとくか。花火見ながら、何か飲めるだろ」

 

 「私はホットチョコレートが欲しいですっ!」

 

  「ははは、飲め飲め何でも買ってやるぞ」

 

 吹雪の隣で、赤城がすっと手を上げた。

 

 「私は、おかわりしてからでも大丈夫です」

 

 「お前はいい加減に自腹で払え〜」

 

片腕でグリグリ攻撃を食らわせる提督だった。

 

 

 

 

 

 

しばらくして

 

 

 

 

 

 

 「……悪い、ちょっとトイレ」

 

 花火の打ち上げを待つ人々の波を掻き分けながら、提督は小さく息をついた。

 

 人混みが苦手だ、というわけではない。

 けれど、こういう“騒ぎ”の前には、どうにも落ち着かなくなる。

 戦場の空を、何度も見上げたせいかもしれない。

 

 案内板を頼りに構内の裏手へと進む。

 設営スタッフ用のトイレは少し離れた棟にあり、道を間違えたこともあって思いのほか時間がかかってしまった。

 

 「……ま、まだ始まってないだろ。間に合うか……?」

 

 そう呟きながら扉を開け、身支度を整えて廊下へ出たその時――

 

 ドン!

 

 ドォン!

 

 空を裂くような破裂音が響いた。

 

 「あ、始まったか」

 

 そう思った瞬間。

 

 「――伏せてください!!」

 

 背後から誰かの叫び声が響いたかと思うと、肩を掴まれ、強引に押し倒された。

 

 「うおっ!? な、何するんだっ――」

 

 「……砲撃、です……!」

 

 耳元で、震えるような声がそう囁いた。

 

 その声に、提督は即座にすべてを悟った。

 

 制服ではないが、立ち居振る舞いに軍の痕跡がある。

 姿勢の低さ、警戒の眼差し、危機の直前に反応する反射。

 ――元艦娘だ。あるいは、他所の鎮守府所属の者かもしれない。

 

 しかしその表情は、どこかが壊れていた。

 

 「……ぁ……」

 

 我に返ったその少女は、がくがくと震える指先を見つめ、自分が何をしたのかをようやく理解したように言葉を失った。

 

 「……砲撃……じゃ、ない……花火……」

 

 そしてそのまま、足元から崩れるように座り込んだ。

 

 スタッフが駆け寄る。

 彼女の肩を支えながら、「医務室へ」と連れて行った。

 

 少女の顔には、過去に置き去りにされた戦場の闇が色濃く残っていた。

 

 提督はその背中を、言葉なく見送った。

 

 重度のPTSD。

 表情、呼吸の乱れ、声の震え――全てが、彼自身の過去と重なった。

 

 (……治っていない)

 

 終わったと思っていた戦争の爪痕は、まだあちこちに残っている。

 

 たとえ“兵”ではなくなっても。

 たとえ“日常”が与えられても。

 音一つで、目の前の世界が焼け落ちる“あの日”へ引き戻される者がいる。

 

 (……けど、それを吹雪たちに見せるわけにはいかない)

 

 その想いを、心の奥に押し込んだ。

 

 吹雪も、加賀も、赤城も――

 ようやく“普通”の景色を歩き始めたのだ。

 

 ならば、自分は、少しぐらい“濁った空”を見続けてもいい。

 そうして、その代わりに、彼女たちの空が澄んでいくなら――それでいい。

 

 「……さて」

 

 立ち上がると、遠くで二つ目の花火が空を照らした。

 

 赤、青、緑、そして白銀の光。

 澄んだ夜空に咲く、一瞬の華。

 

 (……あいつにも、この空が見えていたら良かったんだがな)

 

 そう思いながら、提督は再び人混みへと歩を進めた。

 

 彼の表情には何もなかった。

 ただ静かに、歩みはぶれずに。

 

 

 

 「遅いですよー、もう始まってますよ!」

 

 人混みの端、照らし出された広場のベンチで、吹雪が膨れっ面で迎えてくれた。

 

 その隣には、加賀と赤城が湯気の立つ紙カップを手に、肩を並べて座っていた。

 皆が見上げる先、冬の夜空には、大輪の花火が咲き乱れていた。

 

 ドォン、と重たい音が胸の奥まで届く。

 夜の帳を切り裂くように、銀の閃光が花びらのように広がった。

 

 「ほーん……冬の花火ってのも、乙なもんだな」

 

 提督は、吹雪の隣に腰を下ろしながらそう言った。

 

 「はい、綺麗ですよね……」

 

 吹雪は、ほっとしたように微笑む。

 彼女の手には、蓋を外したコーヒーの紙カップ。手渡されたそれを受け取り、提督はひと口すする。

 

 「……お、意外とちゃんとした味だな」

 

 「赤城さんが買ってくれたんです。けど、チョコレートが入ってるのは全部赤城さんが飲んじゃって」

 

 「でしょうね……」

 

 言葉を交わしながら、彼らは共に空を見上げた。

 

 冬の空は澄み渡り、吐息が白く溶けていく。

 上空を彩る火の華は、夏よりも凛としていて、どこか静謐な美しさを湛えていた。

 

 やがて、吹雪がぽつりと口を開く。

 

 「あの……司令」

 

 「ん?」

 

 唐突に――そして慎重に。

 吹雪の手が、そっと提督の右手に重なった。

 

 驚くほど冷たくはなかった。

 むしろ、ほんのりとした熱が、提督の皮膚を通して伝わってくる。

 

 「……私、学校に……行ってみたいです」

 

 その言葉は、まるで“お父さん”に話しかけるような、どこか遠慮がちな、けれど真剣な響きを帯びていた。

 

 提督は顔を向け、彼女の表情を確かめる。

 吹雪は、夜空を見たまま――そのまま、視線を逸らさずに続けた。

 

 「今日一日、ちょっとだけ“学校”っていうのを体験して……焼きそば食べたり、展示を見たり、映画を観たり、クレープを買ったり。赤城さんとか加賀さんが普通に笑ってて……すごく、すごく楽しくて」

 

 「……」

 

 「私……ずっと、艦娘で。ずっと“戦うため”に育ってきて……でも今日、ちょっとだけ、“普通”の女の子になれた気がしたんです」

 

 火花がまた一つ夜空に咲く。

 けれど、彼女の言葉はその音に消されることなく、確かに提督の耳に届いた。

 

 「贅沢かもしれないけど……私も、誰かと一緒に授業を受けたり、教室で笑ったり、ノートを取ったり……そんな風に、生きてみたいなって……」

 

 その声音はかすかに震えていた。

 

 けれど、それは迷いではなかった。

 

 “望む”ということがどれだけ勇気のいることかを、提督は知っている。

 誰よりも彼女が、その一歩を踏み出すことの難しさを理解していることも。

 

 だからこそ――

 

 「…吹雪」

 

 提督は、重なった手をそっと握り返した。

 

 「今まで、お前は十分に“戦って”きた。……なら、これからは、“生きる”ために学んでみても、誰も文句は言わねぇよ」

 

 「……司令」

 

 「それに――お前みたいな子が、普通の制服着て、普通の教室にいて、友達と笑ってる。それだけで、多分、世界はちょっと良くなる気がするぜ」

 

 吹雪の目に、じわりと涙がにじんだ。

 

 でもそれは、悲しみじゃない。

 花火に照らされた彼女の横顔は、どこまでも静かで、どこまでも晴れやかだった。

 

 「……ありがとう、ございます」

 

 「礼はいい。それより……冷めるぞ」

 

 「ふふっ……はい」

 

 空に、最後の一発が咲いた。

 黄金の火花が尾を引いて、冬の夜を切り裂く。

 

 あの空の先に、吹雪の“これから”がある。

 彼女が見上げたその先に、希望が、確かに咲いていた。

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