星火の如く 作:にらたま
通りに入ると、そこは古い町並みが残っているトリニティでもひときは懐かしい雰囲気が溢れる場所だった。まるでタイムスリップしたかのようなそこは、ガス灯が通りを淡く照らしていた。
石畳の道は、本当にできた当時のままで姿を残している。
「これはすごい」
「えぇ、トリニティの中でも、この通り周辺は旧市街の雰囲気が色濃く残っているんです」
淡く照らし出される街が、なぜかどこか見たことがあるようで、それでも知らない光景が広がっていた。なぜか、この時はその景色がとても美しく感じられた。
街が輝いているように見えるのは、きっと街明かりや、その建物たちだけではない。周りの生徒たちにはそれぞれ数々のヘイローが浮かんでいる。エンジェル・ヘイローともいうそれは、この世界にいる子供たちの上に輝く何かだ。
スズミにも、四方に伸びる矢のような模様が淡く輝いている。淡く輝き、仄かに、しかしはっきりと存在を主張するように輝くそれはまるで祝福であり、本物の天使のようで。
街明かりに照らされる、スズミの姿をとても美しいと感じたから。
「綺麗だ」
そんな言葉が口から出た。
「えぇ、綺麗です。とても」
私にとっては
それ故か、彼女たちはヘイローで個人を識別することが出来ない。だけど私にとってはそのヘイローがはっきりと光り輝き、様々な形をしているのがわかる。
ただの神秘と言えば、もしかしたらありふれたことなのかもしれない。だけど素直にその美しさを美しいと思えることを、彼女と同じ景色を見ることが出来ていることに少しだけ安堵した。それが、ただ私の欠落を慰めるだけだとしても。
「ありがとう。本当に綺麗だよ」
向き合うことを辞めた大人たちが、もう二度と取り戻せないその強い輝きの真っただ中に、彼女たちはいる。
それは私だって同じだった。私はそれを綺麗だと、外から眺めて言うしかできない。
だって、もうその中に私は居られないのだから。
石畳の道は、両脇に小さな店たちが並んでいた。その中でも一つぽつりと佇む小さな店には、小さなテーブルとイスが置いてある。手書きで書かれたドーナツの看板。
スズミはこの店のことを良く知っているようだった。
私たちは店に入り、ドーナツと飲み物を買った。私はシンプルなホールドーナツとノンカフェインのコーヒー。スズミはクリームの入ったジェリードーナツとミルクティー。
店先の小さなテーブルに座りながら、スズミとドーナツを頬張る。しっとりしながらも甘すぎず、かといって菓子パンのように軽すぎず、もたれるような重さやくどさもない。
「ん、おいしい」
「気に入ってもらえてなによりです」
彼女もクリームがたくさん入ったジェリードーナツを頬張る。やはり若いと甘いモノが無限に入るのだろうか。既に若いとは言い難い年齢になったが、そのせいだろうか、食べている姿をみると微笑ましく感じる。
「懐かしいね。出会ったときもこんな夜だったっけ」
「そうでしたね。あの時は、コンビニで不良に襲われていて、たまたま私が通りかかって制圧して、一緒に帰ったんですよね」
あれほど賑やかなトリニティも、日が落ちて暗闇に沈めば人気のない街になる。街灯や自販機の光があってもなお重く、沈むような暗闇は、まるで自分が吸い込まれていくかのような、溶けだしていくような濃さを伴っているように感じられた。
ただそんな暗闇の街を、その銀の輝きが照らしてくれた。揺れるその髪と、眼差しが暗闇に良く映えた。
パトロールを行う彼女に着いていく時間はとても楽しかった。街を歩く彼女とのひとときはゆったりと落ち着く時間だった。たった数十分、会話をして、そしてトリニティの自治区を出るまで。短い時間だけども、その時間がとてもかけがえのない瞬間のように思えた。
「そういえば、なぜあんな時間にあそこに?」
「あぁ」少しだけ間が開いて口を開いた。「仕事が終わった後、ぎりぎり終発の電車に間に合いそうだったからね。何か口にできるものをと思って立ち寄ったんだよ」
そう言えば、スズミは驚いたようにこちらのことを見る。
「激務とは聞いていましたが、まさか食事をとる時間すらないとは……」
「まぁ、そうならないよう仕事を片付けるようにはしてるんだけどね」
そう言って飲み込んだコーヒーは少しだけ苦い。
「もっとうまく出来たら良いんだろうけど。なかなかうまくいかないもんだよ」
少し愚痴っぽくなってしまった。それに少しだけ反省しつつ、コーヒーでドーナツを流し込んだ。
「そうでしょうか。先生が来てから、キヴォトスはとても良くなりました。連邦生徒会長の失踪、何度も大きな事件があって、でもそのたびに、先生は世界を救ってくれた」
「私だけの力じゃないよ」
買いかぶり過ぎだ、と思う。
「皆が掴み取った今だ。私は……何もしてないよ。ただ、君たちの背中を押しただけで、君たちのそばにいただけだ。私は大人として、出来ることをやっただけだ」
ただ、向き合うことが出来ればいい。それだけだと思っている。でも子供たちに向き合うこと、何かに真摯に立ち向かうことを、私が完全にできているとは思わない。
私よりうまく出来る人は多いはずだ。
「それでも、私にとって先生は頼れる大人なんです」
「そうかな」
「そうですよ」
そんな人間ではないだろうに。咄嗟に脳裏に浮かび上がる言葉を振り払うように、そんな言葉を飲み込んで逃げるように外を眺めた。
ちらりとスズミのことを見た。心配するようなことは何も感じられなかった。焦りや何かに追われるようなものは何も。きれいな銀の髪が、風に少しだけ揺れた。
「いつかは、私たちが居なくて良くなる日が来ると思います。ヒーローが居るおかげで、世界はここまで変わってしまいます。きっと、自警団は平和な世には必要ない」
きらびやかな街を見ながら、スズミは何処か悲しそうに微笑んだような気がした。
そんな中で賑わいを見せる店と、そこに入っていく生徒たち。住人は笑いながら歩いて、それを街灯が優しく照らしている。そんな当たり前といえる光景が、このキヴォトスという町では得難い幸せなのだろう。
「そうしたら、私は何をしたらいいのでしょうね」
その顔に翳りが落ちた。そうして何も言わないままコーヒーを口に含んだ。
ただ、何もないという気まずさだけがそこに在った。
「なんでもいいさ。やりたいことをやればいい」
ただ沈黙を埋めるためだけに紡がれた言葉が、まるでずっと前からそうだったかのように口から滑り落ちる。
大人たちはみんなそうだ。言いたいことは言って、誰もその後始末なんてしてくれない。そして教えることも出来ない何かを、私自身が出来ていないことをさも
「やりたいこと、ですか」
「あぁ。自分の好きなように、気の赴くように」
だから、私はそう言ってしまったことを後悔した。かつて自分自身がたどった運命、そして選んだ道。スズミに私はかつての輝きを見た。だけどそれは重ねるべきではない幻想だった。
それなのに、何かを言わなければならない気がしたから。
「自分に嘘をつかないように生きていけば、きっと道は開けるさ」
嘘ばかり、疲れ果てた意味を持たない言葉たち。私から出る言葉は嘘ばかりだ。
子供たちはわかりやすい。だって大人程に、嘘を言わないから。
もはや相談の内容なんてすっかり頭から抜け落ちていた。あぁ、そうだ。もう既に、
自分自身の未熟とエゴで、生徒に向き合うことすらできない。
そんな大人が何を言っても響かない。そんなの当たり前の事実を前に、俺は打ちひしがれるだけだ。
「だから、大丈夫」
また無責任な言葉が口から滑り落ちた。
まだ、何も諦めなくてもいいのだと。希望はあるのだと。
それがいつか自分の身を蝕む呪いの言葉だとしても。
だからきっとそれは罰だったのだろう。スズミの手の震えに気づかなかったのも、その表情が今にも泣きそうだったのも、先生と呼ばれた男は気づかない。
そして愚かなことに世界はそれをよしとする。それは大人故に、歯車の一つが欠けようとも回る世界であるが故に。
そうすることを図らずとも選んだ結果だからと。
スズミが怪我をしたと聞いたのはそれから二週間ほど経った時だった。