転居したはいいが、同居人の顔面が恐すぎる!   作:Mr.You78

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ダークのカルテ ~三郷 悠のケース~

 

星雲荘住民健康記録様式第1号の1

 

氏名: 三郷 悠

 

性別: 男性

 

生年月日: 不明 (ただし、本人の所持する身分証明書に記載アリ。偽造の可能性を鑑み、医療記録としては記載しない)

※私の所見ではおおよそ20代~60代と思われる。

 

出身地域: 不明 (ただし、本人の自認は地球)

 

家族構成: 不明

 

既往歴: 不明

 

アレルギー: 花粉、ハウスダスト、ロモペティウス、タキオン、レドゼイン、プルトニウム、クリプトン、トゥヒャレグ・ぺ・シャクチャミ、ンダリオム、その他潜在的及び軽微な物質は別項参照

 

症状及び診断: 外的要因による失神 (背面から床へ叩きつけられた事による軽い心臓震盪だが、本人には熱中症と説明済み)

 

処置: メディナイザーを用いた身体機能の平衡化治療と、瞬間記憶改竄機による10分間の記憶消去。

 

備考: 重篤な慢性記憶障害アリ

 

―――――――――

 

「あの……笠田さん。それ、何書いてるんですか?」

 

 三郷が目を醒ましたこの真っ暗な部屋は、どうやら自分の部屋ではないらしい。それは先ほど体を起こしてすぐに分かった。

 

 天井に届くほどギッシリ詰め込まれた本棚なんて、前の部屋から持ち出した覚えも、運び込んだ覚えもないからだ。

 

 不思議そうな三郷に、ロンが耳打ちしてくれた情報を信じるならば、ここは目の前で背を向けて座る笠田という男の部屋なのだと言う。

 

 なんでも、階段の下でひっくり返っている三郷を見つけ、二人でここに運び込んでくれた……らしい。

 

 そして同時に、三郷が無事に目を醒ましたのを見届けたロンは、既にこの部屋を辞している。

 

 わざわざ待っていてくれたのか……やっぱり良い人だ。

 

 ただ、それならもう少しだけここに居て欲しかった。

 笠田はさっきから一言も発さず、ただ黙々と何かを書く事に集中している。おかげで気まずいことこの上無いのだから。

 今は彼のあの饒舌な語りが恋しくて仕方ない。

 

 この部屋は今、ほとんど真っ暗だ。

 唯一の明かりは、笠田の手元を照らす小さな卓上灯の光だけ。

 

 壁際の畳に置かれた背の低い文机。

 その前に置かれた座布団に腰を降ろし、鉛筆を走らせる背中はまるで明治時代の小説家だ。

 

 着ているのが薄手の半纏だからよけいにそう思う。

 

 なんだっけあれ……そう! 太宰治にそっくりだ!

 頬のデッカイ傷痕がなければだけど。

 

「笠田さんは……その、小説家か何かで?」

 

 三郷がそう問いかけると、忙しなく動き続けていた笠田の手が、カリ……と止まる。

 

「小説家? 私がカ?」

 

「はい。なんか雰囲気それっぽいです」

 

「……」

 

 再びの静寂。あまりに静かすぎて部屋のどこかから、ざり……と何かが小さく擦れる音が聞こえた。虫でもいるのかもしれない。

 

「……だったら、とんだ節穴だナ。物書きは他にいるガ、私ではナイ」

 

「そうですか……」

 

「そもそも虚飾が上手そうに見えるカ?」

 

「虚飾って……」

 

 今度は小説家を嘘吐き呼ばわりし始めたぞ。いきなり強火だな。

 

「違うのカ? あれはどれだけ美しく、どれほど現実的に書こうが、本当の事ではナイ。残念ながら私ハ、自らの経験則を飛び越えてまで、他人の興味を引けるような事象を創造できるほど、豊かな想像力など持ち合わせていないんデナ」

 

「ああ……そういうこと……」

 

 要は実際に起きたわけでもない事を、あれやこれやと面白おかしく捻り出すのは難しいってことか。

 

 そう言われたなら、多少は分からなくもない。

 

「つまり笠田さんは、正直な人なんですね。俺もよく『お前はバカ正直だな』って上司に怒られましたから、なんとなく分かりますよ。小説の登場人物みたいに器用に生きれたらなぁ……て思います。あ、そういう意味では、ロンさんとか上手そうですよね。小説書くの」

 

「……実際、奴はちょくちょく書いているゾ。とはいえ、随筆ダガ」

 

「えっ!? そうなんですか!? 随筆っていうと……つまりエッセイストか。凄えなあ……言ったら読ませてくれますかね?」

 

「さぁナ……ただ、それなりに自己顕示欲が強くなければ、作品など書きはせんダロウ」

 

「確かに。あの人は他人から評価されたがりそうですもんね。自己表現に慣れてそう」

 

 とことん勿体ぶりながらも、自分の作品を嬉々として取り出すロンの姿は、三郷にも容易く幻視できた。

 

「んっん……『見せるのは構わないが、果たしてキミに私の高尚さが理解できるのかね?』とか言いそう」

 

 再び、部屋のどこかから、ざり……と聞こえてきた。

 

 片隅で蠢く虫の足音まで聞こえるくらい静かということは、わざわざ声音まで寄せた渾身のモノマネは、完全にスベったようだ。恥ずかしい。

 

 今のはなかなか自信があったのだが……

 

「……カルテだ」

 

「へ?」

 

「私が書いているのハ、キミのカルテだ。これから星雲荘の住民になるのダロウ。それなら今後必要になるからナ。……尤も、名ばかりの真似事でしかないガ」

 

「えっ俺の……? あ、健康管理の担当って……笠田さん、本当にお医者さんだったんですね!?」

 

「早合点するナ。決して本職ではナイ」

 

 憮然とした様子で再びカルテに何事かを書き込んでいく笠田。

 

 本人はそう言うが、三郷からすれば他人の健康状態を判断出来るだけで充分に専門知識が必要な事だと思う。

 

 なんなら同僚からよく「顔色悪いぞ」と言われて、トイレの鏡で確認してみても、何が悪いのかサッパリ分からない。

 青白いとか土気色とか……いつ見ても肌色か茶色だろ。

 

 今日だって、熱中症で倒れた三郷を介抱してくれた。素人からすれば充分に医者だ。

 

 ……もしかして、医学生とかかな?

 

「あ、そうだ笠田さん。それならちょっと聞きたい事がありまして……実は俺――」

 

「記憶喪失の事カ?」

 

「え、あっ……ハイ! そうなんです!」

 

「ロンから聞いてイル。そして、それならもう診タ」

 

「……もう診た?」

 

 首をかしげる三郷。

 もう診たとはいったいどういう事なのか?

 

 病院に言った時は、必ず最初にアンケート用紙みたいな物を書かされる。問診票という奴だ。

 

 あいにくと三郷は、そんなものを書いた覚えがないのだが……

 

 鉛筆を起き、こちらに振り返った笠田が、真剣な表情で告げる。

 

「端的に言オウ。キミはアルツハイマー型認知症ダ」

 

「え……そんな筈はありませんよ。だって、病院行った時に違うって……俺、直近の記憶はハッキリしてるんです。でもお医者さんが言うにはアルツハイマーは逆で――」

 

 三郷が否定の言葉を述べると、たちまち笠田はただでさえ陰気な表情をさらに不機嫌そうに歪め、こちらへ明確に「チッ!」と聞こえるくらい盛大な舌打ちをして、文机の引き出しを漁り始めた。

 

 因みに……三白眼かつ、顔面の半分を巨大な傷痕が占めている笠田がそういう態度を取ると……メッチャ怖い。

 

 三郷はこれ以上彼の機嫌を損ねないよう、慌てて口を噤んで小さく丸まった。

 今のは多分、「素人が余計な知識つけやがって」とかそういう事なんだろう。

 

 あるいは、本職ではないと言いつつ、妙なプライドでもあるのだろうか。

 

「これが、寝ている間にキミの脳髄をスキャンして、髄液中に含まれる成分濃度を計測したデータだ。そしてこの数値が、そっちで言うところのアミロイドβに関する値……」

 

 何かの数字が羅列されている紙をこちらへ渡しつつ、文机の前に立て掛けてあるボードに、もう一枚のフィルムを貼り付ける笠田。

 

 素人目にも、それは脳の断面を映し出したものであろう事が分かる。

 

 笠田がスイッチを操作すれば、ボード全体が淡く発光し、貼り付けられた脳の陰影を克明に浮かび上がらせた。

 うわー、診察室でよく見るアレじゃん。プチ診察室だ。ちょっと感動。

 

「あれっ……レントゲンなんていつ撮ったんですか?」

 

「レントゲンンンン? あんな不確実で不鮮明な古臭い技術、いったい誰が使うんダ! 馬鹿にしているのカ!? いいから黙ってここを見ロ!」

 

「えっと……サーモグラフィーみたいに色分けされてますね。脳の温度ですか?」

 

 言われた通りに、じっとフィルムを見つめた三郷が、のほほんとそんな事を言うもんだから、笠田は目元を片手で覆い、天井を仰いだ。

 

「…………分かっタ。すまん、私が悪かっタ。キミの医学的見地を高く見積もり過ぎていタ。なるべく伝わる様に善処するカラ、不明な点があっても許してクレ。重ねて言うガ、私も本職ではナイ。説明の簡易化にも限界がアル」

 

「いやもうホント、俺の理解力が低すぎるのが悪いんで……気にしないでください。説明していただけるだけで、ありがたいです。ハイ」

 

「……」

 

 渋い顔で、脳画像の各部にペンで丸を付けていく笠田。

 

「これらがアミロイドプラーク……あー、脳にとって有害な物質の塊ダ」

 

「え!? 血栓とか脳腫瘍とかですか!?」

 

「……全然違ウ。違うガ、もうそれでイイ。とにかく、この有害物質が脳に沈着し、塊となることで、ニューロン間の情報伝達を阻害してしまうのが、キミ達の言うアルツハイマー型認知症のおおまかな原因ダ」

 

「ふむふむ」

 

「そして、現にキミの脳にはこのようなプラークがいくつも出来ているのデ、状態だけを見るならば間違いなくそうだと言えル……ここまではいいカ?」

 

「ハイ……」

 

 三郷は、それを聞いてションボリした。

 だって……つまりはいずれ早死にすると言われたのだから。

 

「……ミサト、気を落とすのはまだ早イ。私の説明ヲ、最後まで聞ケ」

 

「えっ?」

 

「ここからガ、キミ独自の特殊例ダ。つまりナゼ症状が通常のアルツハイマーと逆に現れ、医師が診断を間違えたのカ」

 

「……ヤブ医者だったからでは?」

 

 笠田は深いため息を吐き、三郷の発言を無視しながら言葉を続ける。

 

「キミの脳は、これだけプラークが発生しているにも関わらズ、脳自体の萎縮がほとんど見られナイ。本来ならば、認知症の進行状況から言ってまず有り得ない事ダ。そこで、念の為に脳波測定したところ……」

 

 笠田は波形の描かれたグラフを見せてくれたが、三郷にはなんのこっちゃサッパリ分からない。

 

「ニューロンが異常に活性化している事が分かっタ」

 

「ニューロンが異常に活性化していると、どうなるんです……?」

 

「……」

 

 三郷がオウム返しに質問すれば、笠田は頬の傷痕を指でなぞりながらしばし考え込み……

 

「ミサト……例えば、キミの普段使っている道が、土砂崩れか何かで埋まってしまったとシヨウ。困るナ?」

 

「はい、困ります。とても」

 

「ましてやそれガ、山間部同士を繋ぐトンネルや、ただでさえ主要道路の少ない田舎だったラ?」

 

「どう足掻いても詰みですね」

 

「それを脳の中で起こすのガ、認知症ダ。ただ……もしもこれが都会だったら、話は変わってくるダロウ」

 

「都会……というと?」

 

 笠田はおもむろに窓を開け放った。

 外はもうすっかり日も落ちて、アパートの周囲では街灯が疎らについているだけだ。少し遠くに目を向けて、駅の方角を見てみれば、まだ街の灯りが輝いているのだが。

 上を見上げてみても、たいした星空は見えない。地上が明るすぎるのだろう。

 

「このアパートのある場所ガ、いくら都心部から奥まっているとは言エ、明日その辺りの道が工事で通行止めになったとしてモ、駅にたどり着けない訳ではナイ。違うカ?」

 

「まあ……別の道を使えば……なんとかなりますね」

 

「そうダロウ。ましてや都心部では? 道がひとつふたつ塞がった所で、それを上回る数の経路を新しく見つければ良いと思わないカ? もちろん、多少の効率は無視してもダ」

 

「確かに。即座に詰みってわけでは……ないか。会社には遅刻するでしょうが」

 

 あみだくじの本数が無数にあれば、そのうちの一本が使えなくなったとて影響は少ない。

 

「それが、今のキミの状態ダ。一般的な成人男性が田舎道とするならバ、キミの脳はもはやメトロポリスだゾ。本来ならば直ぐに忘れてしまう筈の短期記憶モ、そうやって保持されていたんダ」

 

「おおーっ!」

 

 ようやく三郷にも、ぼんやりとだが理解が追い付いた。

 自分の脳は、なんだかとてもパワープレイのゴリ押しで問題を解決しているらしい。

 

「……とは言え、それにも限度がアル。なにせ本来ならば、道路工事など長くて数週間で済むガ、脳の中で一度始まってしまった場合、一生終わる事が無い。いつかはアパートと駅の連絡路は完全に寸断され、孤立してしまうダロウ。遅いか早いかの違いでしかナイ」

 

「……」

 

 人より少しだけ猶予が長いという事でしかない。

 でも、だからなんだと言うのか。

 

 結局は同じ……

 

「なので、取り除いておいタ」

 

「はい?」

 

「アミロイドβをはじめとスル、ニューロン活動を阻害しているプラーク部分に特殊な低周波をあてて、成分同士の結着を一時的に破壊した。あとは再びそれらが沈着しないように注意しながら排出するだけダ」

 

「……えっ? マジ……で?」

 

「何を驚く事がアル?」

 

「いや、アルツハイマーって治らないんじゃ……」

 

「はっ……いったい何時の話をしテル。この遅れた地球ですら、医療技術の発展は日進月歩なんダゾ。だいたい、50年前には認知症という言葉すら無かったというじゃないカ」

 

「そりゃ50年も昔と比べりゃそうでしょうけど……」

 

「何を言ってル? 50年前なんて、ついこの間の話ダロウ」

 

 そういうのは、もっと年寄りが言うべき台詞では? と三郷は思った。

 笠田は、どう見ても還暦過ぎてるようには見えず、せいぜいが三郷より少しだけ年上……下手をすれば同年代の可能性すらある。そんな若造が50年前はつい最近とか……

 

 そりゃあ、医療の歴史は人類の歴史とほぼ同義なわけだから、アスクレピオスだの、やれ瀉血だのと言ってた時代からすれば、50年前は充分に近代医学の範疇だという話なのだろうが……

 やはり、笠田は自分で言うほどは自分を素人側の括りに勘定してはいないようである。

 

「これが原因タンパクの排出を促す薬ダ。蓄積を抑制する効果もアル。一日一回、夕食後で構わない。私が良いと言うまで飲み続けロ」

 

「あ、ありがとうござ……薬?」

 

 もはや完全に病院だが……それは何らかの法律に抵触していないか? 

 

「薬事法とか……あったような……」

 

「知らないのカ? 生薬は扱いが異なる。ロンが自家栽培して採取したものダ。問題ナイ」

 

「あ、そうなんすね。そんなら良いか」

 

 本当は、素人の作った怪しげな薬に対して警戒せねばならないのだが、この時の三郷は、アルツハイマーの恐怖を拭い去ってくれた笠田を全面的に信頼してしまっていた。

 人はみな、こうして詐欺や偽医学に引っかかるのだ。

 

「あとハ……ミサト、コレを被れ」

 

「え……なんです、コレ?」

 

 突然、笠田は先ほどまでの自信に溢れた態度を崩し、やけに挙動不審になりながら、さっきから部屋の隅に置かれていた妙な機械を指差す。

 パーマの時に被る奴みたいな……あるいはメカニカルシャンプーハット。

 

「あー……治療器具ダ。記憶を思い出す効果がある……と思われル」

 

「……思われる?」

 

「仕方ないダロウ。私だって、キミのような患者は初めてダ。手探りにもナル」

 

「そりゃそうか……なんて名前の治療器具なんですか?」

 

「……ブレインストリーミング装置」

 

「ブレインストー……ああ、なんか聞いたことありますね。研修で習ったような気がします」

 

「恐らくそれはストーミングだと思うゾ……」

 

 もはやなんの疑いもなく、笠田から言われるままに装置を頭に取り付ける三郷。

 彼は今、自身が傍から見るとUFO研究家や陰謀論者のような姿になっているなどとは露ほども気付かず、ニコニコと無邪気な笑顔を浮かべていた。

 

「……この装置にどういう効果があるんです? 笠田先生」

 

「まず、キミは記憶喪失との事だが……それは変ダ。矛盾してイル」

 

「えっ? 俺って若年性アルツハイマーなんですよね? なんもおかしくないと思いますけど……」

 

「いいや、おかしいゾ。もともと、この違和感に気付いたのはロンだガ、私もこれまでの会話を通して確信シタ。ミサト、キミは……記憶喪失の割に、知識があり過ぎル」

 

「知識が……あり過ぎる?」

 

「気付いているカ? お前はさっき、『研修でブレインストーミングを習った』と言ったんダゾ。だったらそれは……一体いつの記憶なんダ?」

 

「…………あ」

 

 笠田に指摘されて愕然とした。

 

 そうだ……どうして自分はその言葉を忘れていない?

 

「そこデ、私はキミの診察結果カラ、ひとつの仮説を立てタ。すなわち……ニューロンが異常に発達したせいデ、逆に脳の電気信号が迷子になっているのではないか……とナ」

 

「迷子……なるほどぉ!」

 

 三郷は分からないなりに、先ほどの笠田の例えをかみ砕いて、自分の脳内にニューヨークのような摩天楼の大都市が乗っかっているのを想像した。

 

 自分はそこで働く配達員だ。社長から貰った名刺の内容を、記憶郵便局から必要な場所へ届けなければならない。

 

 ところがこのニューヨークは、ただでさえ高層ビルが建ち並び、複雑に路地が入り組んでいるのに、そこら中で道路工事をやっていて、昨日まで使えた道が通行止めになっていたりする。

 

 毎日通っている近場ならまだしも……一週間も前に訪れた場所にたどり着けるか?

 

 ……無理だ。少なくとも三郷なら無理。絶対不可能。携帯のマップ機能使ってもだ。

 

「アミロイドプラークは先ほど取り除いておいタ。つまり、本来のルートを通れる状態になってイル。そうしておいてから、過去の記憶野を刺激しテ、異常発達したニューロン網から再び最適なルートを脳に整理させるんダ」

 

「なんかスゲー上手くいきそう!」

 

「実際は、それほどすぐに効果は出ないゾ。脳にかかる負担も考慮しテ、1日最大10分。毎日少しずつ慣らしていくんダ」

 

「脳のリハビリって事ですね」

 

「言い得て妙だナ」

 

 笠田が装置のスイッチを入れると、コードの繋がった先で何かの端末が画像を映し出している。

 あれが三郷の記憶だろうか? なんか動画サイトを16倍再生してるみたいになっているが……

 

 端末を操作しながら、再びカルテに何事かをメモり始めた笠田に、三郷はふと思い付いた事を述べてみる。

 

「そうだ笠田先生。俺ってその……ニューロン? が人よりめっちゃ多いんですよね?」

 

「そうだナ。ニューロンが多いというよりは、使用可能領域が広いという表現が正しいガ……ざっと純粋な脳波強度で言えば……地球人の平均から見て5倍くらいカ?」

 

「で、今まではその5倍の処理能力で、むりやり認知症のマイナス打ち消してたと……じゃあ、アルツハイマー治った今の俺って、人より5倍賢くなっちゃうってことなんじゃ……?」

 

 三郷は、ウキウキした気持ちが声に現れるのを隠せなかった。

 ちょっと恥ずかしいなと思いながらも、それは全人類の憧れみたいなもんだし、仕方ないよね……なんて。

 

「はんっ! 人より賢くなっちゃうダト? たかだか5倍のニューロンで何を言ってル?」

 

 笠田はそれをにべも無く笑い飛ばした。

 

「いや……そんな可笑しな事でも……」

 

「今までろくに使いもしていなかった潜在能力ヲ、たった数パーセント引き上げたところで、私から見ればたいして変わりはセン。それに……人間は怠惰な生き物ダ。そんな事には絶対ナラン」

 

「怠惰……怠惰が何か関係あるんですか?」

 

 こちらをくるりと向いた笠田が、口の端へやけにニヒルな笑みを浮かべてこう言った。

 

「……いいかミサト。逆に聞こう。昨日まで通行止めになっていた近道が、今日は通れるようになっていた。……キミはそれまで使っていた回り道を、今日も使おうと思うのカ? 駅まで5分も余計にかかるのに?」

 

「いや、思いませんけど」

 

「そういう事ダ」

 

「どういう事……?」

 

 

―――――――――

 

 

「とにかくありがとう御座いました、笠田さん! 命の恩人ですよ! お礼は絶対しますから!」

 

「ン……」

 

 興奮した様子でそう捲し立てる三郷を、笠田は振り向きもせず、手でシッシッと追いやった。

 

 お礼など、特に期待していない。

 

 笠田の欲しい物を、あの男が用意できるわけがないからだ。

 三郷の名誉の為に言っておくが、それは彼にその能力が無いという話ではなく、他の誰だってそうである。

 

 決して、二度と手に入らない。二度と。

 

 三郷が退出し、扉が完全に閉まったのを確認して、笠田は卓上灯を()()()

 

 そうして再び、先ほどの患者のカルテに、新たな情報を書き足していく……

 

 ブレインストリーミング装置を用いた活性化治療に、僅かだが効果を認む。

 今後は同様の処置を継続し、経過を観察しながら

 

――コンコンコン

 

 暗闇に響くノック音。

 

 笠田はそれに対し、全くなんのアクションも取らなかった。ただカルテを書き続けていく。

 

 すると、部屋の主が入室許可を出していないにもかかわらず、扉が開いて何者かがズケズケと入ってくるではないか。

 

 入室という、非常にプライベートな部分に関して、このように傍若無人な態度を取るものは一人しかいない。

 

「どうだったね。ダーク」

 

「どうもこうもナイ。あんな重病人を拾ってキテ……私は本職ではないと、何度言えば分かル?」

 

「それは私だって知らなかったんだ! まあ結果的には助かったんだから、良いじゃないか。お前は好きだろう? 人助けが」

 

「好きでやってないゾ!」

 

「またまたぁ」

 

 暗闇の中で、ロンが笑う。

 

「……どれ、私にも見せてくれ」

 

 大家が部屋の電灯を操作して、パッと灯りがつく。

 

「勝手につけるナ」

 

「嫌だね。私は明るいのが好きだ」

 

 すると、部屋の中にはスーツ姿の男などどこにもおらず、そこには一体の異形がいるのみ。

 

 それは、先ほど三郷が一階で失神する前に見た、あの赤い宇宙人だった!

 

 しかし、対する笠田は部屋に宇宙人がいるというのに、全く驚いた様子がない。

 

 当然だ。彼もまた……宇宙人なのだから。

 

 笠田というのは、世を忍ぶ仮の姿。

 本当はペガッサ星人ダークである。

 

 まあ、ダークというのも周囲が勝手につけた渾名で、本来はれっきとした市民管理番号があるのだが……流石に桁数が多すぎて覚えられんと、こちらの名前で通されていた。

 

「しかし、ミーヤが先に気絶させてくれて助かったな。まさか擬態が効かんとは……」

 

「全くダ。それもこれも、お前が『自認が地球人』の奴なんて連れてくるからダゾ! 本当にどういうつもりなんだ!」

 

「彼は名刺を見て確かに言ったんだ! 『星雲荘』だと! 地球人用の『夕暮れ荘』ではなく!」

 

「だが、『星人アパート』ではなく、『黄昏アパート』とも読んだんダロウ。その時に変だと気付くべきだったんダ」

 

 ロンが配っている名刺は、地球人からは『黄昏アパート 夕暮れ荘』と見えるが、人間には見えない特殊なインクで『星人アパート 星雲荘』と書いてある。

 

 だが、あの時の三郷は中途半端に『黄昏アパート 星雲荘』と読んだ。

 それが、ロンの興味をことさら強く引いたという。

 

「そこなんだよ、私が不思議のは! いや、それだけじゃない。さっきにしてもそうさ。なぜ我々の姿が見えたんだろう? 彼には私の姿が地球人に見えているのをちゃんと確認したんだ。三郷君は二本に見えるんだぞ? これが!」

 

 ロンは、自らの花弁めいたギザギザの指をワシャワシャと振った。ダークから見ると、明らかに10本以上はある。

 

 ロンは、メトロン星人という植物型エイリアンだ。

 腕の花から出すフェロモンで、生物に幻覚を見せるなど造作も無い。

 

 だが……どういうわけか三郷には効いたり効かなかったりするようで。

 

「何か分かったか?」

 

「いや全く……脳機能が不自然に拡張されていたカラ、おそらくそれで感覚が鋭敏になっているのだと思うガ……それ以外はどこからどう見ても地球人だゾ。どうして奴が宇宙人だと思うんダ?」

 

「それはな……匂いさ」

 

「匂い? ……またいつもの風情だとか趣とかカ!?」

 

「違う違う。実際に感じるだろう。あの……燻ったタキオンが陰イオンと混じった時特有の匂いだ。それこそ、ほら……ドロシーの記憶改竄装置なんかをピカッと光らせた時にするアレだよ。だから彼女やイカルガも似たような匂いがする」

 

「ロン……そんな事言われてモ、分かるのはお前かララくらいダロ……」

 

 ロンの言い草に、ダークはただただ呆れた。

 

「まあしかし……という事ハ、何らかの異星技術を常用する立場にいた可能性があるという事カ……」

 

「私はそう考えた。おそらく墜落のショックか……あるいは地球人に紛れる為に自分の記憶を封印したか。君はどう思うね、ダーク。彼を診察したものとしての意見を聞きたい」

 

 ダークは、カルテにチラリと視線をやって、しばらく考えを整理した後にこう答えた。

 

「……治療ダ」

 

「なに?」

 

「ミサトを……治療した奴がいる」

 

 それは、先ほど三郷に症状を説明しながら、ダーク自身が漠然と考えた違和感……仮説のようなものだった。

 

 彼はニューロンが発達していたから認知症に耐えられたのではない。認知症へ耐える為に、無理矢理ニューロンを拡張されていたのだ……と。

 

 だが……と、ダークは思う。

 

 治療にしても、あまりに雑で杜撰な措置だ。

 いくら脳を活性化したとして、根本たるプラークを除去しない限り、結局は彼が死ぬまでの時間を引き延ばしただけに過ぎない。

 

 たまたま幸運にもダークと出会えたから彼は助かったものの、そうでなければいつか死んでいた。

 

 もしも、これが明確な意志をもって成された医療行為であるならば……なんと無責任な処置だろう、と。

 

 ダークはもともと医者ではないが、このアパートで住人達の健康維持に努めてきた、それなりの矜持というものがある。

 

 もしもあんな処置だけ施して患者を放置している奴がいるというのなら……その存在をダークは許せないだろう。

 

「なるほど……つまり、彼の裏にもう一人宇宙人がいるというわけか……ストリーミング結果は?」

 

「10分だけだゾ? 見れて今日消した分くらいダ」

 

「もう少し長く出来ただろう?」

 

「ダメだ」

 

 強く否定を示し、カルテに次の文言を書き込むダーク。

 

 患者は外套膜を持たない非ヒューマノイド型である為、治療は充分に安全性を担保しつつ行う事!←重要

 

「気長にやっていくしかなさそうだな……しかしそれなら、三郷君が記憶を取り戻すまでは正体を隠し通さないといけないじゃないか! 面倒だなぁ」

 

「お前が撒いた種だろうガ。みんなはお前が説得しろ」

 

「説得ぅ? 店子が大家たる私の要請に従うのは当然だろ?」

 

「その調子デ、ミーヤとララが素直に従うか見物だナ」

 

 ロンの威丈高な物言いを、歯舌でざりざりと笑い飛ばしながら、ダークはカルテの備考欄に、最大の懸案事項を書き込んだ

 

 第三者による記憶改竄の痕跡 アリ

 





とまあ、こんな雰囲気でやっていきます。

とりあえずこれで毎日連続更新終了。
今後は不定期に、気が向いたら更新する感じで

しばらくは向こうの番外編に注力するので、続きは向こうが終わってからですね。すみませんが、気長にお待ちください。
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