官邸は、夕闇に包まれ始めていた。
総理執務室のブラインドは閉じられ、机上には厚いファイルと一杯の紅茶、そして一人の女が静かに立っていた。
高城 遼子(たかぎ・りょうこ)総理大臣。
元は報道記者――真実を追い、言葉を武器としてきた女。だが今は、日本という国家の“指揮権”を預かる者として、戦時と変わらぬ重責に身を置いていた。
「……来てくれて、ありがとう。白峰隊長」
その声には、威圧ではなく、静かな確信があった。
「座って。ここは“指揮所”じゃない。あなたを“個人”として、招いたの」
第四機動隊・隊長 白峰あかね は一礼し、軍人のごとく姿勢を崩さず椅子に腰かける。
「ジャンヌに会ったと聞いたわ。詳しく教えて。あなたの目で見て、耳で聞いて、何を感じたかを」
あかねは、息を一つ置いた。
そして口を開く。
「……件の邸宅、目黒区内。個人所有の古い洋館。予告状は投函されていましたが、持ち主は通報していなかった。
警備はなく、張り込みも設置されていませんでした。私は偶然、帰路をとるジャンヌと……彼女と、真正面から対峙しました」
総理はわずかに身を乗り出す。
「彼女は……何を?」
「問いました。“なぜ、奪うのか”。“なぜ逃げるのか”。」
そして、あかねは言葉を続けた。
「彼女はこう言いました。
――『私は……人を傷つけてない。ただ、悪魔を封じてる。罪もない人が堕とされる前に、祈ってるだけ。
……あなたたちは、それを“罪”だって言うの?』」
遼子の指が、一瞬止まった。
その瞳に、過去の情景が一瞬よぎる。
彼女の母は、かつて都内で交通課の警察官として勤務していた。
殉職こそしなかったが、何度も無茶な交通整理で倒れ、救急搬送されたこともある。
「市民を守る」――そのために、身を削る姿を、幼い頃に何度も見た。
「……祈ってる、ね。あの子は、そう言ったの」
「はい。後ろ姿は、泣いているようにも見えました。強い少女の背中に、なにか、壊れかけたものが宿っていた」
あかねは、机に視線を戻し、まっすぐに総理を見つめた。
「総理。私は、あなたにひとつ……お願いがあります」
遼子は黙って頷く。その目は、報道記者だった頃のまま、鋭く、そして優しく。
「言って。これは“国のため”か、“あなた自身の覚悟”か――どちら?」
あかねの喉が、わずかに動いた。
「……両方です」
執務室の時計が、静かに針を刻んでいた
「呼びたい人たちが、います。」
総理・高城遼子は、沈黙ののちにゆっくりと問い返した。
「……“呼びたい人たちがいる”?」
白峰あかねは、首を縦に振った。だがその表情は硬く、まるで自分自身にも許可を乞うような気配があった。
「はい。“表の機構”には所属していない者もいます。
一部は定年を迎え、現場を離れた方々です。中には……もう制服を着ていない者もいます」
遼子の目が細くなった。
それでも、彼女は“政治家の目”ではなく、“国を預かる者の目”で訊ねた。
「……彼らは、“その覚悟”を、今も持っているのかしら?」
あかねは迷わなかった。
「持っていると思います。いや、持ち続けている者たちです。
あの時代、あの夜、あの“闇”の中で、同じように戦った――そんな記憶を持つ者たちです」
一瞬、遼子の目に驚きが宿る。
「……変身する者も、いたのね?」
「公安から報告は受けていると思います」
淡々と答えるあかねの声には、曖昧さはなかった。
「この事態、“力”だけでは終わりません。
物理的な制圧も必要でしょう。でも、それだけでは――
“ジャンヌの心”に届かない。
だから、必要なんです。かつて“人でありながら人でなかった者たち”――
……彼女たちの記憶と、言葉が」
執務室の窓の向こうで、夜が深まっていく。
時計の針が静かに進む音が、かえって二人の呼吸を際立たせた。
やがて、遼子は立ち上がった。
窓辺へと歩き、東京の灯を見下ろしながら、わずかに呟く。
「“祓い”と“法”。どちらも、人を守るための力のはずなのにね……」
彼女は振り返り、あかねの瞳を正面から見据えた。
「わかりました。私から頼んでみましょう。彼らに。
“また、この国を守ってください”と」
白峰あかねは、深く、そして静かに頭を下げた。
そこには、警察官としての立場でも、機動隊長としての使命でもない、
ひとりの“人間”としての、まっすぐな祈りが込められていた。