【1】静寂に満ちた検事総長室――訓示の余波
東京都千代田区、最高検察庁15階・検事総長室。
重厚なテーブルを囲むのは、最高検次長、東京高検検事長、公安担当、刑事部長、法務官僚出向者など十数名。
窓の外には春の青空――だが室内の空気は、重く張りつめていた。
机上のモニターには、再生が止まったままのニュース映像。
---
> 「――我々は、法と秩序を守る者。
向こうは、法と秩序への挑戦者。
だからこそ言う。“力による現状変更は、認めない”」
---
あかねの訓示――その明瞭で正統的、だが強烈すぎる宣言が、
“法の番人”たちの心に微細な振動を与えていた。
---
「……どうする? 我々は、どう処理すればいい?」
最初に口を開いたのは、公安担当検事。
眉間に深い皺を刻み、拳で額を押さえている。
「“神風怪盗ジャンヌ”……現場では“魔的存在”と戦っているというが、
我々の手元にあるのは、“建造物侵入”“窃盗未遂”“公務執行妨害”……その程度の刑法犯だ」
「しかも、誰も死んでいない。負傷者も出ていない」
---
最高検次長が首を横に振る。
「現場の映像では、明らかに“異常”が発生している。
一部の警察官が幻覚、意識混濁、動悸、視覚障害を訴えてる。
だが、それを法的に“悪魔の仕業”とは認定できない」
---
東京高検検事長が呟いた。
「だが――白峰隊長は、“生け捕り”を前提に訓示を出した。
つまり、逮捕の後、我々に“託す”ということだ」
「……我々が、“ジャンヌ”を起訴することが“正義”になるのか?」
---
沈黙が落ちる。
誰もが分かっていた。
これは単なる窃盗事件ではない。
国家の法制度そのものが、“見えざる正義”と衝突しているのだ。
---
【2】検察官たちの葛藤――正義の矛盾
若手の刑事部担当検事が、震える声で言った。
「正直……彼女に悪意は感じられません。むしろ、使命感です」
「彼女は――“神のために悪魔を祓う”と信じている。
その対象が、確かに何らかの実害を出している……とすれば……」
「仮に“心神耗弱”と見なして不起訴にした場合――国民は納得するでしょうか?」
---
法務官僚出身の出向幹部が口を挟む。
「それはまずい。政治的にも……高城総理が“災厄”と認定して自衛隊を出している。
つまり、政府レベルでは“犯罪ではない”という立場を取っている」
「だが警察は“秩序の維持”の観点で逮捕を進めている。この矛盾が、検察に丸投げされる可能性が高い」
---
「……これが、“法治国家”だというのか」
中堅の検事が吐き捨てた。
「敵を“悪魔”と呼んで戦いながら、味方の少女を“犯人”として送致してくる。
しかも、その少女は“誰も殺していない”」
「我々が起訴すれば、人類が初めて“神の使徒”を法廷に立たせた前例になるぞ?」
---
その言葉に、検事総長がようやく重い口を開いた。
机に手を組み、低く、冷静に――しかし声の底には確かな迷いが滲んでいた。
---
「……我々は、“正義”の番人ではない」
「我々は、“法”の番人だ」
「どれほど正義を語ろうとも、“それが法に即しているか”を判断するのが、我々の職責だ」
「――だが」
少しだけ、言葉が途切れた。
「法の中に、“祓い”や“神の使命”という項目は、存在しない」
「彼女の行為は、今の日本の刑法では説明できない。だが、裁くことも正当化できない」
---
検事総長は、深く椅子にもたれた。
「……時代が、法を追い越しているのかもしれん」
---
室内には、再び沈黙が満ちた。
白峰あかねの言葉は、警察庁でも政治の中枢でもなく、
“法の最後の番人たち”をも揺るがせていた。
正義とは何か。
法とは何か。
人を裁くとはどういうことか。
その問いが、検事たちの胸に突き刺さっていた。
---