分厚い扉が、重々しく閉じられる音がした。
応接テーブルに着席を勧められることもなく、まろんはそのまま立っていた。
総理・高城遼子は、窓辺から背を向けたまま、長く伸びた光の線を踏みしめるように、ゆっくりと振り返った。
椅子に座る官房長官・萩生田の視線が、まろんの細い肩の奥を静かに見つめていた。
「報道で見たかもしれないけれど……“魔王”が、東京湾に姿を現す可能性が高いの。
この国の首都圏中枢が戦場になる前に――我々は“駆除”に踏み切るしかないと判断しました」
まろんの視線がぴくりと動く。
遼子は書類を1枚だけ差し出すと、静かに続けた。
「空自・第8飛行隊のF-2、米空母艦載機 が展開予定。
液体窒素を充填した特殊ミサイルで魔王を冷却。陸自のCH-47ヘリが、解体用鉄球を投下し、破砕する」
「……マーゴドンの時と、同じですね」
「ええ。旧UGMの作戦を参考にした。冷却してから砕く。理屈も法も通じない“存在”に対して、我々が取り得る最も合理的な処置です」
その声は冷静で、どこか寂しさを滲ませていた。
まろんは拳を握ったまま、視線を落とす。
「……神の名において、この手で裁かなくてはいけないんです、私は」
「まろんさん」
遼子は前に出る。まろんとの距離が、五歩、四歩――
あと三歩で手が届くその位置で、彼女は立ち止まった。
「これ以上、罪を犯して人生を棒に振らないで」
短く、鋭く、真っ直ぐに。
それは、政治家ではなく、“母のような”口調だった。
「あなたは、信仰を武器にして、神を口実にして――人を斬り、逃げ続けるの?
それが、神の望みなの?」
「私は……神に選ばれた――」
「違うわ」
ぴしゃりと遮ったのは、遼子の声だった。
「あなたは選ばれたかもしれない。でも、選ばれた者に、何をしても許されるわけじゃない法を、犯せば法によって裁かれるわ」
まろんは言葉を失い、沈黙した。
だが――次の言葉は、彼女の胸を鋭く突き刺す。
「……“機動隊と戦う気”なの?」
「っ……!」
「彼らが、治安の最後の砦として――連合赤軍とも、オウム真理教とも命懸けで戦ったことぐらい、あなたも知ってるはず。
その中でも、白峰警視が指揮する“第四機動隊”は別格。
警視庁で最も警戒と制圧任務に長けた部隊。
白峰あかねは、どんな手を使ってもあなたを捕まえにくる」
まろんの背筋がわずかに震える。
その名は、彼女の記憶にある――かつて、闇夜の中で対峙した一瞬の“視線”。
あれは、人を人として見る目ではなかった。法の牙が、無言で命令を待っていた。
「それでも、あなたは戦うの?
“法”と“神”の代理戦争を、この国の中心で、やるつもりなの?」
――沈黙。
そして、長い間ののち、まろんが口を開いた。
「わざわざ止めるように言ってくれるなんて……優しいんですね。
白峰警視に“捕まえさせればいいだけ”なのに」
遼子の目が一瞬揺れた。
それは、まろんの“覚悟”を感じ取った刹那だった。
官房長官・萩生田が、立ち上がる。
「……総理、もう無理です。彼女は、止まらない。止まれない。
正義を託された者の“業”に飲まれてる。こうなると、説得では抜け出せない」
遼子は、静かにうなずく。
「……なら、白峰警視に“止めてもらう”しかないわね」
まろんは一礼する。
「今日は、わざわざありがとうございました。
でも……もう“引き返せる橋”は、焼いてきたつもりです」
そう言って、彼女は踵を返した。
淡い光が、制服のスカートの裾を照らし、総理官邸のドアが、音もなく閉じられた――。