放課後の図書館。
窓の外では春の風が校舎の影を静かに揺らしていた。
まろんは、制服のまま一人、図書室の片隅に座っていた。
目の前には、普段なら絶対に開かないような重たい歴史資料の束。
机に広げられた一冊の見出しが、彼女の目を射抜いていた。
> 『警察・機動隊の戦後史と市街戦の記録』
「……あの人は、“鬼の姫君”って呼ばれてた」
まろんは心の中で呟く。
白峰あかね。
あの、静かで冷徹な眼差し。だがその奥には、なにか揺るぎない意志のようなものがあった。
そして――親友みやこの父、東大寺刑事。
まろんがずっと“敵”だと思っていたその背中にも、言葉にはできない、痛みのような正義が宿っていた。
(どうして……彼らは、あんなふうに動けるの?)
まろんの指がページをめくる。
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> 西南戦争/1877年――近代日本最初の武力衝突。明治政府が徴用した“抜刀隊”が旧士族の反乱軍に挑む。
> “政府は刀を捨てた。しかし、守るべき秩序が残った”――
それが“警察”という存在の出発点だった。
ページには、白黒の写真。
刀を携え、真剣な目で前を見据える若い兵士たち。
「抜刀隊」と呼ばれたその者たちは、まるで“武士の魂を国家に移し替えた存在”だった。
(守るために、戦ってたんだ……)
ページをめくるごとに、歴史はより現代に近づいていく。
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> 1960年・70年:安保闘争――火炎瓶、角材、鉄パイプ。
> 「我々は一切発砲していない。投石と火炎の中でも、警察官は盾だけを持って立ち続けた」
> 1969年:安田講堂事件――占拠された大学に、警視庁機動隊が突入。警官隊多数負傷。
> 1972年:あさま山荘事件――銃と爆弾で武装した連合赤軍に対し、機動隊が突入。警察官1名死亡。負傷者数十名。
> 1995年:オウム事件・サティアン突入――化学兵器の危険がある中、マスクと命綱で突入。毒ガス防護服すら不完全だった。
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ページをめくる手が、止まる。
そのすべてに共通するものがあった。
それは――「武装していない」「国家の命令に従った」「正義を掲げなかった」。
ただ、“そこに立っていた”こと。
> 火炎瓶を投げられようが、撃たれようが、血を流してでも、“秩序”の最後の砦であると、彼らは信じていた。
静かな衝撃が、まろんの胸の奥を打った。
(わたしは……自分が正しいと思ってる。
神の名のもとに、祈りのために、美術品を封じている。
でも――わたしが“すり抜けてきた”警察の人たちって、こんなにも……)
(こんなにも、“痛み”を引き受けてきた人たちだったの……?)
ページの下のほうに、小さな囲み記事があった。
> 「“秩序”とは、誰かの正義ではなく、“誰かが血を流してでも保った時間”のことだ」
まろんはゆっくりと息を吐いた。
胸の奥が、じわじわと熱くなる。
「必ず、生け捕りにする」
白峰あかねの言葉が、はっきりと蘇る。
ただの威圧ではなかった。憎しみでもなかった。
あれは、“法を越えてはいけない”という、悲しいほどに真っ直ぐな意志だった。
(あたしが、信じてきた“正義”は――この人たちの前で、本当に通じるの?)
机の上に、まろんはそっと掌を置いた。
“誰も傷つけない”
“祈りのためにやっている”
“悪魔のせいだから、仕方ない”
――本当に、それだけでよかったの?
まろんの心の中に、初めて生まれた“ゆらぎ”。
それは罪悪感ではなく、**“覚悟を問う声”**だった。
(でも、わたしは逃げるわけにはいかない。
だって、今度の敵は――本気でわたしを止めにくるから)
制服の胸元を、少し強く握った。
その鼓動は、ジャンヌとしての自分と、日下部まろんとしての自分とが、重なり合う音だった。
やがて、夕暮れのチャイムが鳴った。
まろんはそっと席を立ち、本を閉じた。
その背に差す光は、やがて訪れる「戦い」の影だった。