オーバーロード マイペースすぎるプレイヤーと素のモモンガさん 作:eriza7170
『モモンガ、サン、コッチ』
「こっちに何かあるんですか? ヘロヘロさん。というか、しゃべり方も少したどたどしいような……」
『ソウカ? ナガイコト、ハナシテナイカラナ』
「いや、しかしエルダーブラックウーズにしては少々小さくないか? 私の知っているものは、もっと大きかった気がするが」
「ヘロヘロ様のことはもちろん覚えております。確かに、以前の記録にある姿と比較すると、いささか小さくなっておられるようですね」
「なるほど。これほど小さな破片からでも、我々が警戒すべき力を感じる。本体は一体どれほどのものなのか、興味が尽きませんな」
先頭を歩くのは、アルベド、渾沌四神、モモンガ、そしてミドルフィンガー。
その後方には、アインズ・ウール・ゴウンと虐殺宇宙号、それぞれの戦闘用NPCたちが続いていた。
どちらの勢力も、決して少なくない数の護衛を連れている。
周囲を警戒する者、先行して索敵する者、そして万が一に備えて武器を構えている者。
ピクニックのために訪れたはずの一行は、いつの間にか大規模な軍事行動にも似た隊列を組んでいた。
その先導役を務めているのは、先ほどまで一行と一緒に食事をしていたヘロヘロである。
もっとも、彼の姿は先ほどと少し違っていた。
黒く、半透明で、ぬめりを帯びた身体。
人間でいうところの頭部にあたる部分も、腕や足にあたる部分も、はっきりとした形を持たない。
それでも、彼が進む方向には迷いがなかった。
まるで自分の家に帰るかのように、森の中をぬるぬると進んでいく。
一行がここまでついてきた理由は、それぞれ異なっていた。
アルベドはモモンガを守るため。
渾沌四神もまた、友人であるモモンガを守るため。
モモンガ自身は、旧友であるヘロヘロに呼ばれたから。
そしてミドルフィンガーは、村のことをヘロヘロに説明するためである。
もちろん、周囲の護衛たちはそれぞれの主人を守ることを第一に考えている。
だが、彼らの視線は自然と先頭を行く黒い粘液体へと向いていた。
何しろ、目の前にいるのは六百年以上前に存在した至高の御方の一人。
しかも、その力は彼らの知るエルダーブラックウーズの常識から大きく外れている。
先ほど食事をしていた小さな個体でさえ、向けられた武器を一瞬で溶かしてしまったのだ。
これから向かう場所に何が待っているのか。
誰もが警戒を解かず、しかしヘロヘロの案内に従って森の奥へと進んでいった。
『ツイタ。ホンタイ、ノ、ヒトリ』
「本体……? 本体の一人?」
モモンガが首を傾げる。
その言葉の意味を問い返すよりも早く、一行は目的地へと到着した。
そこにあったのは、森の中にぽっかりと口を開けた巨大な洞窟だった。
入口は広く、奥は暗い。
ただの洞窟にしては、周囲の地面が妙に湿っている。
岩肌には黒い光沢があり、ところどころに粘液のようなものが付着していた。
そして、その入口の前に一つの影があった。
先ほどまで一行を案内していたヘロヘロよりも、明らかに大きい。
それでも、一般的な魔物と比較すれば異様なほどに不定形な黒い塊。
その身体はゆっくりと蠢き、まるで呼吸をするかのように膨張と収縮を繰り返していた。
「ヘロヘロさんが……二人!?」
『ジョウホウ、キョウユウ』
「えっ?」
次の瞬間。
洞窟の前にいた大きなヘロヘロが、案内役のヘロヘロを包み込んだ。
食べた、というよりも吸収したという方が正確だろう。
黒い粘液が広がり、二つの身体の境界が曖昧になっていく。
そして、ほんの数秒後には一つの身体へと戻っていた。
その場にいた全員が絶句した。
モモンガも、アルベドも、渾沌四神も、ミドルフィンガーも。
そして、何よりも先ほどまで案内をしていたヘロヘロ自身も。
いや、正確には、吸収された側のヘロヘロも含めて、全員が同じ情報を共有したのだろう。
何が起きたのか理解できない者は、一人もいなかった。
ただし、その現象をどう受け止めればいいのかは別問題だった。
『マジか』
『マジでモモンガさんなのか?』
「っ! ヘロヘロさ――」
『タァァイム!!!!! ちょっと待った!!!!!』
「えっ?」
突然、ヘロヘロの身体が大きく震えた。
それは驚きというより、信じられないものを目の前にした者の反応だった。
「私ですよ! モモンガです! あ、すみません! 今は人間の姿でしたね! すぐに元の姿に戻します!」
『いや、それはいい! いや、よくない! とりあえず姿を元に戻してくれ!』
「は、はい!」
モモンガは慌てて指にはめていた真身の指輪を外した。
その瞬間、彼の身体が変化する。
人間の肉体が崩れるように消え、代わりに現れたのは、身長二メートルを優に超える巨大なアンデッド。
黒いローブをまとい、肋骨の奥に赤い光を宿した、かつてのモモンガそのものだった。
それを確認したヘロヘロの身体が、ほんのわずかに落ち着く。
しかし、安堵したのは一瞬だけだった。
次の瞬間には、再び警戒するように身体が蠢き始める。
『本当にモモンガさんなんだよな? 俺の思い出が幻覚として見えているとかじゃないんだよな? あと、おにぎりおいしかったよありがとう! ここでしばらく待っててくれ! 俺の久しぶりの幻覚じゃないって確信が持てない!』
「げ、幻覚ですか?」
モモンガの声が少し裏返る。
六百年ぶりに再会した旧友から出てきた言葉が、まさかの幻覚扱いだった。
しかも、先ほど食べたおにぎりのお礼まで混ざっている。
「わ、我々守護者は、ヘロヘロ様をはじめとする至高の御方に永遠の忠誠を――」
『それもタァァイム!!!!!!!!! 今来た!!!!』
「えっ!?」
アルベドが一歩前に出て、膝をつこうとしたところで、ヘロヘロの大声がそれを遮った。
どうやら、モモンガが本物かどうかという問題だけで、頭の中がいっぱいになっているらしい。
周囲のNPCたちも困惑していた。
至高の御方が目の前にいる。
しかも、かつての仲間であるヘロヘロが、その御方を見ている。
本来ならば、これほど喜ばしいことはない。
だが、当のヘロヘロは、喜ぶどころか幻覚かどうかを疑っている。
そして、その疑いを晴らすために、周囲の状況をまったく顧みていなかった。
その時だった。
洞窟の奥から、何かが動く音が聞こえた。
ぬるり。
ぬるり。
一つではない。
複数の何かが、洞窟の奥からこちらへと近づいてくる。
そして、暗闇の中から黒い粘液体が次々と姿を現した。
一体。
二体。
三体。
さらにその後ろからも、同じような姿をしたものが続々と現れる。
それらは一行の前まで来ると、まるで整列するかのように一列に並び始めた。
その数は、もはや数える気にもならない。
洞窟の入口だけでは収まりきらず、森の中へと列が伸びていく。
その光景を見たモモンガは、しばらく言葉を失っていた。
『モモンガさんが思い出から実体化したって本当か!? いや、現実か!?』
『またしばらくぶりの幻覚じゃないのか!?』
『しばらくぶりだねモモンガさん! 数百年ぶり!』
『びええええええんんんん! サービス終了までいれなくてごめんよおおおおおおおおおお!!! そういえばソリュシャンもいるよね!? そうだと言ってくれ!』
『『『全員に同じものが見えていることは現実だ!!!! やったあああああああああ!!!!!!!』』』
洞窟から現れたヘロヘロたちは、口々に叫び始めた。
いや、口らしきものはない。
それでも、声は聞こえる。
一つの身体から発せられているはずなのに、複数の声が重なり、あちこちから同時に響いてくる。
その内容はバラバラで、しかし共通しているのは、全員がモモンガの存在を信じられないほど喜んでいることだった。
中には泣き声のようなものを上げている個体までいる。
それらが一斉にモモンガを見つめている。
数百年ぶりに再会した友人が、目の前にいる。
その事実を確かめるために、彼らは互いに声を掛け合っていた。
『とりあえず洞窟から出よう! ぜんたーい! ちょくしーん!』
『『『りょ』』』
「えっ、あっ、はい!」
ヘロヘロの号令と共に、黒い粘液体の群れが動き出した。
ぬるり。
ぬるり。
ぬるり。
地面を滑るように進むその行進は、奇妙なほどに統率が取れていた。
まるで軍隊のように隊列を崩さず、洞窟から外へと向かっていく。
ただし、行進する者たちの身体は全員が不定形である。
足音の代わりに、湿った粘液が地面を這う音が響いていた。
その数は、外に出るまでにさらに増えた。
洞窟の奥から、まだまだ同じ姿のヘロヘロが現れる。
一体が出てくるたびに、後ろの個体がその後を追い、また新しい個体が続く。
その光景は、まるで洞窟そのものがヘロヘロを吐き出しているかのようだった。
一行がようやく外へ出た頃には、森の木々の隙間から夕日が差し込んでいた。
洞窟に入った時にはまだ昼だったはずなのに、いつの間にかかなりの時間が経過していたらしい。
そして、外に出たヘロヘロたちは、互いの身体を見比べるようにして蠢いた。
『『『我ながら増えすぎだわガッハッハ』』』
「ヘロヘロさんが……ひとり……ふたり……うーん」
モモンガは目の前の光景を数えようとしていた。
しかし、途中で数えることを諦めた。
一人、二人、三人。
いや、そもそもこれは一人なのか。
全員が同じ記憶を持ち、同じ意識を共有しているのなら、何人と数えるべきなのだろうか。
モモンガの頭上に、目に見えないほどの疑問符が浮かんでいるようだった。
「しっかりしろモモンガ! なんかこれで驚いていたら、もっと大変なことになる気がする!」
渾沌四神がモモンガの肩を掴み、ぐらぐらと揺さぶった。
彼は何となく予感していた。
ここまでの状況だけでも十分に異常だ。
しかし、ヘロヘロという人物の話を聞いている限り、これで終わるとは思えない。
そもそも、洞窟の奥から現れた個体の数を考えれば、先ほどまで一行を案内していたヘロヘロは、ほんの一部に過ぎなかったのだろう。
そして、その予感は正しかった。
べちょ。
べちょ。
べちょ。
外に集まったヘロヘロたちが、次々と互いの身体を重ね始めた。
一体が別の一体へと溶け込む。
二体が三体になり、三体が一つになる。
黒い粘液が広がり、重なり合い、境界を失っていく。
それはまるで、巨大な黒い水たまりが自ら意思を持って形を変えているかのようだった。
最初は人間一人分ほどの大きさだった塊が、見る見るうちに大きくなる。
二メートル。
三メートル。
五メートル。
十メートル。
その大きさになったところで、ようやく合体が止まった。
横幅も高さも、およそ十メートル。
それでも、先ほどまでの群れと比べれば、まだまだ小さなものだった。
残ったヘロヘロたちは、再び洞窟の中へと戻っていく。
どうやら、全員が合体するわけではないらしい。
洞窟の入口付近に戻った個体たちは、そこで待機するように静かになった。
一方、十メートルほどの大きさになったヘロヘロは、ゆっくりと身体を持ち上げる。
そして、ようやく懐かしい声を発した。
「いやー、久しぶりだ……ね? モモンガさん。サービス終了までいられなくてごめんよ」
その声は、先ほどまでのたどたどしいものとは違っていた。
少し間延びした、どこか気の抜けた声。
かつてユグドラシルで聞いた、ヘロヘロそのものの声だった。
「ヘロヘロさん……!」
モモンガの声に喜びが混じる。
今度こそ、間違いなく本物の旧友と話している。
そう確信できたのだろう。
だが、その喜びはすぐに困惑へと変わった。
「いや、なんか感動の再会と言えないくらい、なんか大きくありませんか?」
「いやー、そのあたりも説明するけど……もう時間があれだね。後日にする?」
「いやいや! 時間なんていくらでも大丈夫ですよ!」
「そう? なら語ろうか。そこの甲冑の人と、入れ墨の人と、アルベドもいいかい?」
ヘロヘロは、ゆっくりと身体を動かして周囲を見回した。
視線のような器官は見当たらない。
しかし、彼が誰を見ているのかは明確だった。
甲冑の人物――渾沌四神。
入れ墨の人物――ミドルフィンガー。
そして、モモンガの隣に立つアルベド。
その三人を指定したのは、今後の説明に必要な相手だからだろう。
「守護者を代表して、一字一句違わず記憶することを約束いたします」
アルベドが恭しく頭を下げる。
その表情には、至高の御方の旧友に対する敬意と、モモンガの傍にいる存在への警戒が同居していた。
ヘロヘロが何者であろうと、モモンガの旧友であることは間違いない。
しかし、彼の身体を見れば、ただの旧友として扱える相手ではないことも明白だった。
「ミドルフィンガー殿はどうする? 彼は後日の方がいいだろう」
渾沌四神がミドルフィンガーへと視線を向ける。
ミドルフィンガーは少し考えた後、肩をすくめた。
「そうですな。最初に村のことを伝えられれば、私の用事は済みますので」
「なら、後でまた話そう」
『ああ、そうしてくれると助かる』
ヘロヘロは、ゆっくりと身体を揺らした。
その動きには、先ほどまでの混乱した様子はもうない。
久しぶりに友人と会えた喜びと、長い時間をかけて蓄積した話をようやく聞いてもらえるという期待が感じられた。
『んじゃ、ミドルフィンガー? 殿? のことから教えてくれたら助かる』
「おや、私からですか」
ミドルフィンガーが少し意外そうに眉を上げる。
『うん。俺、ここに来てからずっと洞窟暮らしだったからね。外のことはあんまり知らないんだ』
「なるほど。それでは、まずはカルネ村のことからお話しいたしましょう」
「……洞窟暮らし、ですか」
モモンガがぽつりと呟く。
その言葉には、まだ聞きたいことが山ほどあるという気持ちが込められていた。
六百年。
自分たちが過ごした時間とは比べ物にならないほど長い年月。
その間、ヘロヘロは一体何をしていたのか。
どうしてこのような姿になったのか。
そして、どうしてこれほど多くの身体に分裂しているのか。
聞きたいことは尽きない。
しかし、今はまず旧友が目の前にいる。
それだけで十分だった。
「では、ヘロヘロ殿。少々長い話になりますが、よろしいですかな?」
『もちろん。久しぶりに誰かと話せるんだ。いくらでも聞くよ』
こうして、六百年ぶりの再会は、カルネ村の説明から始まることになった。
002
『つまり、カルネ村ってところと、その近辺の森には、普通じゃ見られないようなヌシともいえる存在がいるってことね! わかった、分裂体に伝えておくよ』
ミドルフィンガーからカルネ村の成り立ちや、周辺の森に住む魔物たちについて説明を受けたヘロヘロは、納得したように身体を揺らした。
彼の身体の表面には、いくつもの小さな波紋が浮かんでは消えている。
どうやら、今聞いた情報を別の分裂体へと伝達しているらしい。
その様子は、まるで会議中にメモを取っている人間のようでもあった。
ただし、その情報共有の規模は人間のそれとは比べものにならない。
洞窟に残してきた無数の分裂体にも、今の会話はすでに伝わっているのだろう。
「それがわかってくだされば何よりです。こちらとしても、森の者たちが村に迷惑をかけないよう、今後も気を配っていただけると助かります」
『もちろん! 俺の身体の一部がうっかり村を飲み込んじゃったら大変だからね!』
「……うっかり、ですか」
ミドルフィンガーの表情が、ほんのわずかに引きつった。
冗談なのか、本気なのか。
おそらくヘロヘロ本人にも、その境界はあまり明確ではないのだろう。
そんなやり取りを聞いていたミドルフィンガーは、ふと思い出したように口を開いた。
「しかし、キュアイーリムとは大ごとですなぁ」
「えっ、そんなヤバいやつなのか?」
渾沌四神が首を傾げる。
彼にとっては、ヘロヘロが昔から強敵を捕食してきたという話の延長に過ぎなかった。
しかし、ミドルフィンガーの反応は違った。
先ほどまでの気安い態度が少し薄れ、老人の目に長い年月を生きた者特有の慎重さが浮かぶ。
「なんらかの竜王と呼ばれていた、神話的存在ですな。千年ほど前から行方がわからなくなっていた竜王の遺骸を、まさか吸収なされるとは……」
「竜王の……遺骸?」
モモンガが聞き返す。
その言葉の意味を理解した瞬間、彼の頭の中でいくつかの情報がつながった。
古代のドラゴンロード。
長い年月を生きた強大な存在。
そして、それを十年かけて捕食し尽くしたというヘロヘロの話。
どうやら、以前聞いた話は、本人が思っていた以上に重大なものだったらしい。
「ヘロヘロさん、なんてことしてるんですか!?」
『えっ!?』
「竜王ですよ、竜王! この世界でどれほどの意味を持つ存在なのか、わかっているんですか!?」
『知らない! そんな大物だったなんて知らなぁい!』
ヘロヘロの身体が、びよんと大きく伸びた。
どうやら本人は本当に知らなかったらしい。
彼にとっては、洞窟にやってきた大きくて強い獲物だった。
何度も何度も食べ、消化し、取り込み、ようやく食べ終わった。
ただそれだけのことだったのだ。
味についても、あまり良い評価はしていなかった。
『だって、あれおいしくなかったんだよ! 十年もかけて食べたのに、なんかこう、硬いし、魔力は濃いし、食べるのに時間がかかるし!』
「十年かけて食べた、という部分も十分におかしいんですが……」
『いやー、でも食べられるものは食べないとねぇ』
「その結果が竜王の消失ですか……」
ミドルフィンガーは、何とも言えない顔をしていた。
竜王と呼ばれる存在は、ただ強いだけの魔物ではない。
国や種族の歴史、宗教、伝承、そして各勢力の権力関係にまで影響を与えるような存在だ。
その遺骸が千年近く行方不明になっていたとなれば、当然ながら各国にも何らかの思惑があるだろう。
それが、まさか森の洞窟でスライムのような姿になった旧友に食べられていたとは。
知った者たちは、どのような反応をするのだろうか。
「どの国が一番うるさいでしょうな」
『えー……そんなに?』
「ええ。おそらく、静かには済みますまい」
『うーん……じゃあ、分裂体にはそのへんも気をつけるように言っておくよ』
「ぜひともお願いいたします」
ヘロヘロは軽い調子で返事をした。
しかし、その場にいる者たちは、誰一人として軽く受け止めてはいなかった。
特にモモンガは、内心で頭を抱えていた。
六百年ぶりに再会した旧友が、世界的な重要人物を知らないうちに捕食していた。
しかも、その旧友は自分がどれほどのことをしたのか理解していない。
これは今後、情報収集を急ぐ必要がある。
そう考えたところで、モモンガはふと、別の疑問を思い出した。
「……そういえば、ヘロヘロさん」
『ん? どうしたの?』
「私たちがこの世界に来てから、もう六百年ほど経っているそうなんです。ヘロヘロさんも、そのくらいの時間をこちらで過ごしているんですよね?」
『そうだねぇ。最初の頃は色々あったけど、気づいたら洞窟暮らしが長くなっちゃった』
「では、その間のことを……いえ、そもそも、こちらに来る前のことを聞いてもいいですか?」
『こっちに来る前?』
ヘロヘロの身体が、わずかに揺れる。
その反応に、渾沌四神もモモンガも、自然と意識を向けた。
彼らが本当に知りたいこと。
それは、サービス終了の日に何があったのか。
そして、なぜ自分たちがこの世界にいるのかということだった。
ヘロヘロは少しだけ考えるように沈黙した後、あっさりと答えた。
『ああ、リアルのこと?』
「はい。サービス終了の日、ヘロヘロさんはログアウトしてしまったと聞いていますが……」
『うん。まあ、あの頃は大変だったからねぇ』
「大変、というと?」
『リアルが……崩壊したんだよ』
「…………え?」
モモンガの思考が止まった。
『第四次世界大戦が発生しちゃってね。各都市は崩壊。もう全員……』
ヘロヘロの声は、先ほどまでと変わらなかった。
どこか気の抜けた、昔と同じような調子。
しかし、口にした内容はあまりにも重かった。
『まぁ、俺もモモンガさんもここにいるから、もしかしたらみんなこっちに来てるんじゃないかって、今思っちゃったよ。昔から探せばよかったなぁ』
「第四次……世界大戦……?」
モモンガは、言葉を繰り返すことしかできなかった。
現実世界。
自分たちが生きていた世界。
仕事に追われ、疲れ果て、それでも明日を迎えるために生きていた世界。
そこが、崩壊した。
サービス終了の頃には、すでに。
自分たちが知らないところで、世界そのものが終わりを迎えていたのだ。
モモンガの脳裏に、かつての仲間たちの顔が浮かぶ。
仕事に追われていたヘロヘロ。
忙しい日々を送っていた仲間たち。
サービス終了の日までログインしようとしていた者たち。
そして、あの日、最後まで一緒にいられなかった者たち。
彼らはどうなったのか。
今も生きているのか。
それとも、もう――。
「そ、そんな……リアルの世界は至高の御方がいらっしゃる世界……それが崩壊したということは……」
アルベドの声が震えた。
彼女にとって、現実世界は創造主たちが存在する神聖な場所だ。
その世界が崩壊した。
それは、彼女の価値観において、単なる遠い世界の災害ではない。
創造主たちがいた場所そのものが失われたということだった。
『……まぁ、うん』
ヘロヘロは少しだけ言葉を濁した。
普段の軽い調子を保とうとしているようにも見える。
しかし、彼の声には、どこか諦めに似た響きが混じっていた。
『遅かれ早かれ、みんな来ることを願うしかないよ』
その言葉を聞いたモモンガは、しばらく黙り込んだ。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
彼の中で、先ほどまでの再会の喜びとは違う感情が動き始めていた。
もしも、現実世界が本当に崩壊していたのなら。
自分たちがここに来た理由も、あるいはそこに関係しているのかもしれない。
そして、他の仲間たちも同じようにこの世界へ来ている可能性がある。
そう考えれば、今すぐにでも調べなければならないことが山ほどあった。
「アルベドよ」
「はっ!」
「各国に隠密系NPCを送れ。まずは歴史を調べさせよう。六百年前、この世界に何が起きたのか。そして、我々以外にユグドラシルのプレイヤーが来ていないかも確認するのだ」
「は、はい! 至高の御方のために!」
アルベドは即座に頭を下げる。
そして、魔法を発動させた。
「【メッセージ】」
その声とともに、目に見えない通信がナザリックへと飛んでいく。
モモンガはその様子を見つめながら、再びヘロヘロへと視線を戻した。
六百年。
それは、ただ時間が過ぎただけではなかった。
世界の歴史が積み重なり、国が生まれ、滅び、神話となった存在が姿を消し、そして友人たちがそれぞれ別の生を送っていた時間だった。
その始まりに、何があったのか。
そして、まだ見ぬ仲間たちはどこにいるのか。
モモンガは、ようやくその問いに向き合い始めていた。