短編1話完結。
浅井長政とお市の婚礼はつつがなく結ばれた。お市が浅井家に移る途中で邪魔立てされるとの噂も、事前に藤吉郎が手を回す。何事も起こさなかった。
斎藤を倒し、浅井と手を組む。織田信長の天下布武は京都進出が見えてきた。足利将軍家を奉じて上洛する。
「睦まじくあるか」
「は、その……」
南蛮寺の中庭。長政は顔を赤らめ、目を伏せる。お市とともに織田家に来ていた。同じ表情でお市も傍らにいる。政略結婚だが、二人はまぎれもなく夫婦になれた。
濃姫もいた。美濃の斎藤から織田に嫁ぎ、さらには織田と斎藤が戦うも、妻となり信長に付き従った。魔王の側近達。乱世に突き動かされながら、思いは生まれる。
「次は朝倉。長政殿、仕度はできておりますか?」
一転。冷たい空気が張り詰める。織田と浅井は同盟国となったが、浅井家にとって朝倉は先代からの忠義がある。織田は朝倉と戦い、上洛の計画を進める。
「拙者は義兄上の道を追う所存。ただ、家臣達の心づもりがございます。今少しだけ時を頂きたく」
「時とはなんです。長政殿が当主でしょう」
「お濃、控えよ」
信長は浅井家、そして協力関係にある徳川家を加えた三国で、朝倉に侵攻する算段でいた。織田の勢いは止まらない。気がかりは、長政の本意。
「うぬが定まらないから、参じたのであろう」
織田との同盟、朝倉との敵対は、浅井の裏切り。決めたつもりであろうとも、長政にできるのか。長政自身にもわからない。
だから信長に会いに来た。顔を合わせ、言葉を交わし、見定めようとした。他ならない己の真意を知りたかった。
「ここで信長を斬れば、朝倉殿は喜ぶであろうな」
「兄上!」
お市が夫と兄を交互に見る。一時の平穏と思っていた。浅井家の命運が動こうとしている。濃姫は、地に置いてあった袋から、二本の木刀を取り出すと、信長と長政に渡した。
「こちらをお持ちに。血を流しては、お庭を汚してしまいます」
ごく平然と渡された木刀。信長も長政も、思わずそのまま手にした。一時、沈黙。信長は笑う。
「長政よ、これでわしの器を計るがいい」
「義兄上……お願いします」
長政は木刀を構える。庭園が剣気に満ちた。
お市は不安げに濃姫を見た。木刀での試合ならば、真剣と違い斬られこそしないが、硬い木材での打ち合いは、時に死傷者が出る。
同時に舞う。比翼鳥と天眼孔雀。二人の守護霊が、刀身を翔ける。長政の剣は青く光り、信長の剣は赤く燃えた。お市が息を呑む。木刀ではない、試合ではない。
「あ、あ、兄上、長政様!」
「立ち合いに専心されているようです。止めたければ、いずれかの背を刺しなさい」
吹雪のように濃姫が吐く。お市が凍りつく。あらゆる因果を捨て置き、織田家と朝倉家の、たった二人だけの戦争が始まる。信長が駆け出した。直立の姿勢から紙一重の間もない。獰猛な炎の獣となる。
長政は信長の剣を受け止める。切り返す暇もなく、跳ね返した木刀に力を込め、次の一打が放たれる。さばき、弾きながら、長政が後退する。信長は歩を進める。
足運びの隙を見ていた。信長の足が地に着く寸前。長政は突きで腰を狙う。受けるにも避けるにも動けない。信長は片足だけで身をひねり、木刀を飛び越えながら、上段から斬り落としてきた。
「参る!」
長政が叫ぶ。足元で比翼鳥が跳ねた。上から襲う信長より、さらに高く飛び上がる。宙から飛天の剣を落とす。信長は手首を返して振り上げた。激突した木刀に、炎と氷が混ざり合い、禍々しく輝く。
木材の潰れる音がした。燃やされ、凍り、打ち合った木刀が、二本同時に折れた。信長と長政は態勢を崩す。手に握られた木刀は半分の長さになり、炎と氷が消えた。
「かくあっては、真剣にて決着をつけるが常の道理か」
信長は折れた木刀を捨て、腰に手をやる。長政も木刀から手を離したが、応じなかった。
「兄上……もう……」
「お手ずから、至極。ありがとうございました」
長政は深く頭を下げて礼をした。木刀を通して、確かに感じられた。織田信長。第六天魔王。信長であれば、乱世を吹き抜け、天下布武を成し遂げられる。
「これまでとします。長政殿、浅井家のお心づもり、どうかお待ちしております」
濃姫が終わりを告げる。庭園の剣気が薄まる。信長は少しの無表情で思案してから、口を開いた。
「楽しめる剣であった。浅井の、そして織田のため、存分に振るうがよい」
「来たる朝倉との戦。浅井の武働きを、かならずやご覧に入れます」
上空に風が吹く。信長の天眼は、長政の本意、その奥にある虚ろまでを見通した。
「うぬに偽りはない。だが、満たされていない。器にいらぬ毒を盛られぬようにな」
満たされない渇きが、長政を迷わせる。辿り着く源は武士の心。武勇でも知略でも、信長に及ばない。追いかけるほどに背は遠くなる。
信長の天下布武は見て取れた。同じ道を追えば、遠くない未来に訪れる。追い越せない長政は、道を違えようとする己を、日ごとに強く感じていた。
南蛮寺の回廊。長政を見送った濃姫。
「兵法の極意は不戦にあり。濃姫様のお見立て、まったくお見事にございますな」
腰を低くした藤吉郎が、まさに猿に見えた。長政の来訪を聞いた濃姫は、浅井家中の様子から、剣呑な場になると読む。収める策を藤吉郎に命じていた。
藤吉郎は鍛冶屋に依頼。数回の打ち合いで刀身が折れる、細工をした木刀を作らせた。前日のうちに濃姫に届ける。
「またお困りの時は、いつでもお申しつけをば」
「小さな流れを幾度せき止めても、時が動けばなにもかも押し流される」
冷気にも似た吐息を吐く。藤吉郎も顔を曇らせた。濃姫の言う通り、その場を収めただけでしかない。織田と朝倉の戦いは近い。長政は信長との立ち合いで、なにを思うか。
「いっそ、果たし合えば、兵を失わずに戦が終わるというものか」
「濃姫様……それは、なりません」
「戯言がわからぬとは、しょせん猿よの」
やがて乱世は濁流となる。庭園に血は落ちなかったが、ある川では、流れる水が血で染まったとすら言われた。