東京と神奈川の間に跨る県内校『東京慈愛学園』に、生徒の数は少なかった。
通常ならば受験を控えた高校三年生は、授業時間も減り、各々の進路のための時間を割くようになる。
しかし日本一の馬鹿校と名高い同学園では、単純に三年生になるまで、学校に来る生徒自体が少ないのだった。
「梢ちゃん今度の修学旅行どうする?」
「一応行くけど」
梢と呼ばれた女生徒が気の無い返事をする。
彼女の名は『森塚(もりづか) 梢(こずえ)』と言い、高い身長に豊かな肉体、長い黒髪に疲れたような目が特徴的な生徒だった。
「千春はどうすんの?」
「梢ちゃんが行くなら行こうかな、学費も払ってるし」
千春と呼ばれた女生徒の名は『桜之(さくらの) 千春(ちはる)』と言い、梢と同じくこの学園の三年生であった。
小柄で髪を三つ編みにし、分厚い眼鏡を掛けた地味な女の子。
とても十八歳には見えないが、それでも学園きっての秀才である。
「三回も修学旅行するとか正直どうかしてるわ」
慈愛学園は生徒の流出を食い止めるために、一つの策を講じていた。
それは各学年で修学旅行に行けるというもので、年に一度のこの旅行のために、退学を踏み止まらせようというものだった。
「まあお陰様で奈良と京都と日光と出雲大社には行けたけど」
一度支払った学費は戻らないので、勿体ないの精神で学校に留まる生徒の数は増えた。一定の効果はあったのだ。
尤も、進級への出席日数や成績が足りないという課題は、クリアできないままであったが。
「今年は何処行くのかしら。そろそろダブりそうな気がしてるわ」
「青森の農家に体験学習だって。弘前天満宮には一応寄って行くらしいけど」
梢は死んだ魚のような目をして話を聞いた。
学校行事ではよくある、ていの良い労働力の斡旋、児童労働の類である。
「どうする? やっぱりやめる?」
「いえ、私の場合神頼みしたほうが、成績は上がる傾向にあるから……」
梢と千春はこの学園でもトップの成績の持ち主である。
特に夏休み明けの模試で,二人は更に偏差値を上げていた。
千春は74から77へ。そして梢はというと。
「また何か界異を取り憑かせるの?」
「有用なのがいればね」
64から74へと大きく上昇していたが、これには秘密が在った。
「『穢淫(えいん)』だっけ、大丈夫なの?」
「かなまら様のおかげで主導権は私にあるから」
梢は夏休みに森塚家所有の別荘へ行った。
その土地には邪悪な山の神が存在し、多くの人間や界異と呼ばれる、異界の者たちとも共闘してこれを打倒した。
その際に『穢淫』と呼ばれる夜魔の者たちと親交が生まれ、お礼代わりに学業に秀でた者を紹介して貰い、自分に憑依させたのだ。
「やっぱり外国語はネイティブに任すのが一番ね」
彼女の子宮の中には、見知らぬ界異が勉強のためだけに、寄生させられていた。
試験勉強と試験のときだけ、それとなく顕現して事に臨むのだ。
「梢ちゃん、それ大丈夫なの?」
「限りなく黒に近いグレーね」
「いやそうじゃなくて、梢ちゃんの体」
「性欲が強まる以外に問題は無いわ」
所謂サキュバスと呼ばれる類の界異たちだったが、勉強の出来る仲間を寄こせと言われてこれには弱り果てた。
「ハカセも勉強以外の時はあまり呼び出してくれるなって言うし」
そして穢淫が各国の仲間を当たってようやく連れて来たのが、このガリ勉サキュバスという次第であった。
この特異な個体は名前を持っていなかったので、梢はそのままハカセと名付けた。
「この際使える物は何だって使うわよ」
「くれぐれも乗っ取られないでね」
「いざとなったら職場の先輩を頼るわ」
梢は祓魔師と呼ばれる行政機関の、予備役である。
受験に失敗したらそのまま就職を考えており、その就職先が界異と戦う祓魔師だった。
「オプティカル山伏だっけ」
「タクティカル祓魔師、だったと思う」
正式名称『環境庁神祇部境界対策課』
通称“境対”
かつてオカルトの範疇であった儀式、祭具、術式等、それらを結集し近代化を遂げた、現世の理を護る組織。
警察・消防に次ぐ第三の公安系機関と呼ばれる集団である。
「実家の古文書を解読するために、古文の勉強も重点的にしたし、ワンチャン見えて来たわね」
春先では梢は、千春と同じ大学に進学することを諦めていた。
だが今は紆余曲折有って、希望が見えて来たのだ。学費の心配も払拭出来ないが、それでも可能性は残されている。
「うん、一緒の大学、行けたらいいよね」
和らぐような笑顔を見せて、千春が頷く。
華奢な体は子供にしか見えなかったが、それでももう十八歳であり、進路に挑む時期にいるのは同じだった。
「あんたは良いわよね、このまま順当に行けば自然と合格ラインまで届きそうだし」
梢は千春を見た。
世の中には自分のようなドーピングが無くとも、自然体で成績が伸び続ける人間が存在する。
「ええ、そんなことないよ。これでも頑張って勉強してるんだから」
「ああうん。そうね」
千春の家は経済的には裕福だが、警官の父と看護婦の母が揃って家にいることはほぼ無く、家庭はとっくに崩壊していた。
そんな彼女を見かねて、梢は私生活まで共にすることがあった。
「梢ちゃんにも勉強教えられるように、いつも纏め方を考えてるし」
「うん、その、ありがとうね」
千春は梢に友情以上の感情を持ち、強く依存し、性的な関係を持ってからは、それは極めて強固な情念となった。
梢が天涯孤独の身の上のため、千春は親がいない日などは二人で過ごし、それは規則正しい生活となりつつあった。
(確かに勉強はしてるんだけど……)
アテにならない学校の授業時間と、夕方から夜間に通う学習塾、そして家での勉強時間。
梢は生活費のために、とある副業をしているが、それを差し引いても千春の偏差値は伸びていた。
(仮に私が仕事してる時間まで勉強しても、たぶん差は埋まらないのよね)
その数値が元々の64と74という明確な隔たりだった。
上には上がいるという言葉は、この二人の学力にも当てはまっていた。
「今年は秋って全然無いけど、青森は涼しいのかしらね」
「どうなろう、いきなり冬みたいに寒くなるかもよ」
梢は気分が少し暗くなったので、話題を修学旅行へ戻した。
就職をするのなら祓魔師としてまだまだ修行をする必要が有る。
進学をするのなら勉強を欠かしてはいけない。
それに付けても金が要る。
「天気予報って全体像で、だいたい地方はピンポイントで外れるっていうか、違くない?ってことになりがちよね」
「雨とか気候とかそうだよね」
家庭こそ機能不全に陥っているが、千春の経済的・遺伝的なアドバンテージの差は、そのままリードとなって二人の間を広げ続けている。
(ヒモにだけはならないようにしたいけどね)
梢は取り留めもない話をしながら、内心では深く溜息を吐いた。
もしもこの先千春と一緒になるならば、この差を誤魔化せるのは社会人になるまでだろう。
「寒い中で野良作業やらされるのよね」
「たぶん神社にもそんな時間掛けないと思う」
気が付けば梢は千春を庇護して来たが、それも今の内だけという確信が在った。
何れ社会人として優劣が可視化されれば、この思いも錆び付いて行くだろうと。
(気を遣われながら、お別れってのだけは避けたいわ)
森塚家において、両親は蒸発している。
その理由は少なくとも怪異に襲われたなどという、言い訳の効くことでは無かった。
代々人の世に嫌われるようにして、転げ落ちて来た一つの節目だった。
「たぶん労働の対価に傷物のリンゴを山ほど食わされるわよ」
「それ対価って言わないよね梢ちゃん」
高校に上がるまでの少しの間、祖母に養われていた彼女には、人の心ほど信用ならない物は無かった。
それ故に一部の心を許した人間に対しては、良い思い出として過去になりたいという願望を持っていた。
生憎、千春は依存を強めるばかりだったが。
「青春の一ページって言うけど、正直そんなに綺麗じゃないわよね」
「私は梢ちゃんがいれば何でもいいかな」
息を吐くように千春がそんなことを言う。本心である。今はまだ。
「そりゃどうも。あんたイイ性格になったわ」
「おかげ様でして」
悪戯っぽく笑う千春には、出会った頃には止まっていた時間が、確かに今として流れていた。
梢は苦笑した。
「ふふ、帰りの買い物で、修学旅行の準備でもしてこうか」
「そうだね。軍手と日焼け止めは絶対必要でしょ、他にも……」
自分の功罪、或いは業を眺めて、梢の胸中は木漏れ日に灼かれるようであった。