この世界のラスボスであることを、僕だけがまだ知らない。 作:シズム
転移先でまず僕を襲ったのは深い緑色の霧だった。
霧を吸い込んだ途端、喉から胸元にかけて体内の管が内部から溶けるような激痛が貫く。正体不明の激痛に思わずせき込み、呼吸の回数を重ねるほどに痛みは増していった。
そこでようやく、この霧が痛みの正体であることに気付く。
「おぇ──ッ!!」
この
このまま霧を吸い込み続けていると身体に穴が開いてしまいそうだが、呼吸を止める訳にもいかない。生命活動の根幹を揺るがされたことで、波濤の勢いで恐怖が迫った。
「~~ッ」
──まずは落ち着け。焦れば焦るほど、死神は近付いて来る。
──こうなっている原因を探るんだ。
僕は精一杯に目を瞑り、身体を丸め、出来る限りこの苦痛を感じずに済む体勢を作った。
辛うじて出来た思考の余裕を最大限活用し、自身の体内に意識を向ける。どうやら吸い込んだ霧は気管を通り既に肺にまで充満しているようだ。その中に、人体に有害な毒素のようなものを感じ取れた。
これは魔力鑑識という技術だ。これにより、自身から一定範囲内に存在する物理的な事象を解析することが出来る。魔法的に守られているものは見通すことは出来ないので、この霧に含まれている毒性成分は自然物の一種のようだ。
スパルタ帝国が天使の国に思えるほどの苛烈な訓練で学んだ内容が、いきなり活きてくれるとはな。
僕は魔力操作によって、体内の毒素を中和していく。
「ふぅ……っ、ふぅ、はぁ……っ」
やっと満足に呼吸が出来るようになった。
だがこれだけではその場凌ぎにしかならない。
僕は魔力を全身の細胞に行き渡らせて、人為的にその組成に変化を加える。たった今解析し、中和した毒素に対して耐性のある肉体へと。
数時間かけて、僕の肉体は毒素を克服することに成功した。
割と呆気なくとんでもない芸当をしていると思われるだろうが、こんなゲーム序盤に獲得できる技術なんて初歩の初歩であるはずだ。この世界全体の基準で見ると、僕の技能など取るに足らないものだろう。世界上位の実力者ともなると一体どれほどの強者なのか……想像もつかない。
僕は立ち上がり、溜め込んだ疲れを吐き出すように、重たく息を吐いた。
「……あーしんど。早速詰みかけたな……どこまで鬼畜な
この世界にセーブという機能はない。となると、死を迎えるとそのままゲームオーバーと考えるのが妥当である。ゲーマーの意地にかけて、こんな序盤に躓くわけにはいかない。
「──で、ここはどこなんだ?」
問いかけても答えてくれる者など居るはずがない。
自分の目で確かめるべく、改めて周囲に視線を走らせる。
見渡す限り続いているのは、狂暴な岩肌の地面だ。草や木などの植物はまるで見当たらない。大地は当然のように整地されていないため、まともに歩くことも出来ないほどゴツゴツしている。
遠くに真っ黒な山が確認できるが、霧で鮮明に見えないせいもあり、僕にはそれが生者を見下す悪魔の具現であるかのように感じられた。
「さしずめ
本当にこんな場所に生物が済んでいるのだろうか。
転移先に間違いがなければ、人類に害を成す何らかの敵対勢力が存在しているはずなんだけどな。
僕の任務はこの地に住まう敵性体の掃滅であり、ここで殉職することだ。後者については達成する気はないが、僕が強くなるためにも前者の方は進めていきたい。
「経験値ちゃん出ておいで~。宝箱くんでもいいよ~」
そうは言うものの、アイテムボックスのような機能もないので、今の段階で宝箱など見つかっても困るのだが。
僕は慎重に捜索を始めた。
◇◆◇
大体二時間ほど彷徨っただろうか。
周囲を警戒しつつ、足跡を殺し、呼吸を浅く抑え、ほとんど景色が変わらない荒野を歩く。どうやらここには朝や昼の概念がないらしく、空から差し込む灯りは一定でどこか薄暗くもあった。
僕は足を止めると、ゆっくりと剥き出しになっている岩の陰に身を隠し、目の前の光景を注視する。
──見つけた。
敵だ。三体いる。モンスターだ。
人間じみた二足歩行に適した外見だが、その様相は人のそれとはまったく違っていた。
まず全身の皮膚は溶岩が冷えて固まったかの如く物々しく尖っていて、その上には禍々しい赤の筋が脈打ちながらいくつも走っている。背中には黒い翼があり、側頭部からは羊角を思わせるつむじ方の角が生えていた。
横顔から見える小さく怪しげな瞳は、宵闇の中で輝く月明かりのように白く光っていた。
ソレらは暖を囲むように座り込んでいるが、恐らく立ち上がった際の全長は優に僕の三倍はあるだろう。
カン、と音が鳴る。三体のうち、僕から最も遠い一体の手元から琥珀色のサイコロのようなものが転がった。
【
【
談笑するような声が聞こえた。賭博の真似事でもしているのか?
幸いまだこちらには気付いていないようだ。
この世界に来ての、始めての敵。無論倒すつもりだが、複数に対して一人で挑むのはあまりにも無謀だ。ただでさえ相手の力量が分からない上に、囲まれてしまってはどうしようもない。
僕は敵に感知されないように身体を流れる魔力を制止させ、その場で陰に徹し、期を伺った。
【
【
よし、一体が群れを離れたぞ。
離れた個体が、他の二体から視認されない程の距離に達したのを確認して、僕は行動に出た。奇襲をかけるなら今が好機である。
アイツは良い経験値になりそうだ。僕のレベルの肥やしにしてやるぜ。
剣に魔力を通して、疾風の如く駆け抜ける。
そして跳躍。
強化合金を両断し得るほどの切断力を以てして、僕が狙ったのはソレの首だった。全体的に装甲が薄く、脆そうに見えたからだ。それに体内が人間と同じ構造なら急所のハズ。
剣筋が光芒のように走る。貰った──。
カキン、と。
当然のように渾身の剣が弾かれた。
「────は?」
【?】
全身全霊で振るった一刀だった。
現状僕が出し得る、最高火力の攻撃だった。
それを無防備な状態で受けて、ソレは涼しい顔で立っている。
【グギグギ、フゴゴ?】
「…………」
【ガァーッ! ガァーッ!】
──身体を駆け巡る魔力の奔流。
気付けば言葉よりも先に、身体が動いていた。
肉体強化によって音速に迫る高速移動を可能としている僕の身体は、脊髄反射の如く、その場からの離脱を選択した。
僕は鼓動や呼吸さえも置き去りにする勢いで荒野を駆け抜ける。
背後を振り返ることはなかったが、迫りくる足音はなかった。
「 む、り 」
──無理無理無理無理無理無理無理ッッ!!
「聞いてない聞いてない! いくら鬼畜ゲーでも初戦闘があの難易度は勝てないって!! アレって初期モンスターだよな!? ドラ〇エで言う所のスライムとかドラキーだよな!? 何だあの強さ!?」
敵から離れて込み上げてきたのは、恐怖というよりも、怒りだった。
ゲームとして破綻している。こちらの全力の攻撃で明らかにダメージゼロなのはあり得ない。
──負けイベント。
僕の脳裏にそんな言葉がよぎる。システム上、絶対に勝てないように設定された戦いなら、あの敵の強さも納得できる。
だが、それを飲み込めない自分がいた。
「負けイベ? ……ざけんな、僕の辞書にそんなものはない」
ユーザーの敗北が確定しているような戦闘でも、多くのゲームでは裏道のようなものが用意されている。
その後のストーリーの都合上そこで負けたことになったとしても、過剰なレベル上げをすることによって、負けイベントに勝利することが可能なのだ。
あのモンスターが僕に向けた、まるで路傍の虫を見下ろすかの如き眼差しを思い出す。
「……上等だ」
首を洗って待っていろ。
どれだけ時間がかかろうと、どれだけ手間がかかろうと、絶対に倒してやる。