折角綺麗に仕上がった巫女服に袖を通したというのに、梨花の口からは際限なく溜息が零れていた。
結局あれから数日が経ち。雪にのらりくらりと躱され続けた梨花は、何一つとして欲する情報を得ることも出来ないままであった。祭りの実行委員が故に自由時間が無かったせいもあるのだが。
兎角、徐々に巻き戻る時間が短くなりつつある中に、彼の言う猶予等あるはずも無く、何者かが決定的な引き金を引くこととなる綿流しの日を迎えてしまうのであった。
強いて今までと違うところを挙げるとするならば、部活メンバーの誰一人として雛見沢症候群の兆候を見せていない、ということか。直近の流れならば、そろそろ圭一から症状が見られるはずなのだが、雪というイレギュラーのおかげか今のところ安定しているように見受けられた。
「…だとしても、それだけ。私が死ぬ運命も理由もまだ」
圭一が末期症状にならなかったからなんだ。これまでのカケラで圭一以外にも発症した人間は山ほど居る。
沙都子然り、詩音然り。症状が進行する度に惨劇を巻き起こすそれらは必ずしも梨花の目の前で誕生する訳では無いのだ。もう既に見知らぬところで惨劇の芽が出ていてもおかしくは無い。あくまで、過去類を見ないほどに平穏なだけ。それが覆るのは一瞬であり、まだ梨花が死に続ける理由に繋がるものは何も。
仰々しい巫女服に似合わない暗い表情で空を見上げ、梨花の気も知らずに眩い光を放つ太陽に目を細め。
「そのまま止まってくれればいいのに」
「───白夜なんて日本じゃ経験出来ない現象だよ、それ」
「っ!?」
時間が止まることを、即ち惨劇が始まらないことを希った彼女の耳に、聞き慣れてしまった今はあまり求めていない少年の声が届いた。
声の方向に振り替えると、小さな段ボールを抱えた雪が鳥居の下に立っていた。
「もう…、こんにちはの時間かな。暫くしたら前原達が到着すると思ってね、その前に少しいいかな?」
「……みー、今日は圭一とは別行動なのですね」
「…そう来るか。あ、ああ、今日ぐらいは部活が始まる前に君と少し話をしようかと」
この数日間、あからさまに人を避けて来たような奴が今更何の話をしに来たのか。ましてや巫女としても、そしてカケラとしても忙しくなることが確定している綿流しの日に。
「この後園崎にも聞かれるだろうけど、婆ちゃんが縫った巫女服は大丈夫かい?」
「いつも通り、着心地抜群なのですよ」
「それは上々」
「流石はお魎なのですよ。ボクには作れませんです」
「ははは、精進あるのみだね。時間さえかければ誰でもできるように…、とは婆ちゃんの顔を立てて言えないけど、何事も反復だね」
しかし、そういったことに関しては練習だけではどうにもならないセンスというものが存在するのもまた事実だが。
なんてそんなことはどうでもいい。こんなくだらない話をするためにわざわざ此処へ来たのか、と苛立ちを込めた梨花の視線に、雪は何の悪びれもなさそうな笑みを返していた。
「何しに来たのかって目だね。まあ、綿流しだからね。折角だからこの間話せなかったことを少し教えてあげようかと思ってね」
「………っ。どうして今更…」
「そっちは引き続き内緒。秘密主義なんだよねぇ、絶対
「…そう。あんたが融通の利かない男だってことは嫌という程理解したから、もうどうでもいいわ」
話してくれることを期待する価値すらない。それがこの一週間で得た唯一の成果だ。
「で。私を助けるつもりがない雪さんはどういうつもりなのかしら」
「分かっちゃいるけど随分辛辣だね…。まあ、僕としてみれば君達の足取りを分かりやすくさせるための行動だよ。結果的にそれが君の救済につながったとて、それは僕にとって本意の行動ではない。正直な話、雛見沢で起こる悲劇に関しては園崎さえ生きていれば他はどうなっても僕の知った事じゃない」
「また意味の分からないことばかりね。それに、私の事なんてどうでもいいなんて面と向かって言われると、今すぐにでも殺してやりたい気分になったわ」
「そ、そうは言われてもだね……」
まさか梨花の口から面と向かって殺してやりたいと言われるとは夢にも思ってなかったらしく、雪は僅かにたじろいだように見えた。
対する梨花も同様に、まさか自分の口から問答無用に飛び出して行ってしまう程ストレスが溜まっていたとは。とて、対羽入お仕置き用キムチや、父の書斎にあったものと料理に使うからと公由を使って手に入れたワインの暴飲ですらストレス発散が出来ているとは思えていない現状、暴言の一つや二つで済んでいるのだからまだマシだろう。
因みに、キムチは昨晩食べ終わってしまい。梨花の胃腸の強さに脱帽すると同時に、犠牲となった羽入の唇は今も尚痛みを訴えていた。
「…ま、まぁ時間もないし本題に入ろうか。僕が君に教えてあげられることは、君が気付いているであろう惨劇を回避するための条件の答え合わせだ。僕達はこれをルールX、Yと呼んでいるんだけども」
「ルールX…?」
「僕が命名したわけじゃないから文句は受け付けないよ。もう一つ、Zもあるんだけど今日の所は教えてあげられないかな」
ルールX・Y・Z。突然提示された三つの錠前の存在に、梨花は無意識にゴクリと喉を鳴らしていた。
最早、何故今になってそれを教えようと思ったのか、という疑問はなく。結局のところ再び目の前にぶら下げられた人参に食らいつくことに躍起になっていた。
「まずはXだね。これの打破方法に関しては単純明快、部員から末期症状者を出してはならない。だからどうやって疑心暗鬼にならないようにするのか、を考えなくちゃいけない」
「……それがどれだけ難しい事か知らない癖に」
「さあね。僕が思うに能動的であればさほど難しい事じゃないけどね。最も、僕は答えを知っているから何とでも言えるでしょう、と言われたらそれまでなんだけども」
喉元まで込み上げて来た罵詈雑言は飲み込み。雪が提示した一つ目の条件に、梨花は小さな溜息だけを返した。
部員を雛見沢症候群の末期症状にさせない。それがどれだけ大変なことか、そしてそれを叶えられなかったということを彼は把握していないのだろうか。
その条件程度なら死に戻りを続ける最中で何となくではあるが気が付いていなかったわけじゃない。だが、この雛見沢には疑心の種が蒔かれ過ぎている。どれだけ手を費やしたところで、そのすべてを回避することは出来なかった。
「で、だよ。次にルールYについて、だね。今日は綿流し、君も知っての通り今晩は例外なく死ぬ人間がいるはずだ」
「鷹野と富竹の事ね……」
「ああ、それがオヤシロさまの祟りが続いているという疑心に繋がる引き金になる。つまりは、二人を生かせば道は切り開けるわけだ」
「……その言葉の意味を理解しているの!?」
「おっと、急に怒鳴らないでよ。当然理解しているさ。富竹さんと鷹野さんを殺した人間こそが、このオヤシロさまの祟りを演出している不敬者だ、ということぐらいね」
過去に梨花が経験してきたどの世界においても、富竹と鷹野は梨花よりも先に死を迎えている。
鷹野は身分証が無ければ本人だと分からない焼死体に、富竹はあからさまな末期症状での死に方を。そのあまりに違和感しかない事件の犯人はどの世界においても見つかってはいない。
その犯人を見つければ惨劇を回避できる可能性が格段と増えるであろうことぐらい、梨花は当然理解している。だが、今晩に限っては梨花が自由に行動することはできないのだ。
祭りの実行委員というのもあるが、そも古手家当主である梨花が綿流しの〆を抜け出すなど叶うはずもない。過去、彼等に忠告を何度もしたことがあるが無駄に終わり、かといって構想に制限がかかる今日、彼ら二人を助けるために動くなど到底無理な話なのだ。
仮にも園崎家の一員である雪がそれを理解していないはずがない。つまりは、だ。彼はその回避できぬ絶望を明かしに来た、ということになる。
「そんなの……、そんなのどうしろっていうのよ!私には二人を助けるための時間も力もない!!」
「おぉっと…。こんなに近い距離で怒鳴るなって言ってるだろ、聞こえてるよ」
怒鳴る要員を作ったのは自分であることを理解しているのか、甚だ疑問だ。が、雪だって「そんなこと」はどうでもいい。
「まったく、喚くことぐらいなら赤ん坊にだってできる。折角ヒントを提示しているんだから少し位努力をしてみたらどうだい?」
「してるわよ!!してないわけないでしょ!?」
「……ふぅん。僕の目には、君が何かをしている様子なんて見えなかったけど」
「私が何をしているのかなんて知らない癖に…っ、知ったような口──────!!」
「知らんよ。君の事なんて、何で何もかも僕が知ってなきゃいけないんだよ」
はて、と首を傾げた雪はいつかと同じように呆れたような表情で彼女の事を見つめていた。
「とてとて、君の苦悩は理解してあげるし、なんなら出血大サービスでもう少しヒントをあげてもいい」
そう呟くと、小さな段ボールを地面に下ろし。何かを思い出すように両手の指を幾つか立てたり、折ったりを繰り返すこと数回。とりあえずと小さく零した雪は、漸く口を開きなおした。
「ノックス第一条、犯人は物語当初の登場人物以外を禁ず。そして八条、提示されない手掛かりでの解決を禁ず」
「……何?ノ、ノックス?」
突然提示されたカタカナと、何かの規則は全くもって理解が追い付いていなかった。意味も解らず言葉を反芻することしかできず、眉の顰める方向がただ変わっただけ。
そんな梨花の様子に、雪は何故か落ち込んだような表情を浮かべ、小さく肩を竦めた。
「………ああ。そうか、そうだったね。分かりやすく言い直すなら、君はずっと昔から犯人の顔を知っている。そして、それが犯人である証拠は君自身が見聞して手に入れる必要があるってところかな。君を殺している犯人は、思ったよりもずっと近くにいるかもしれないってことだし、そいつを追い詰めるためには君自身が動くしかない。羽入は君の手足じゃないからね」
だから。そこで言葉を区切った雪は、何故かふと慌てた様子で段ボールを持ち上げると。
「やべ、公由に手伝いに来いって言われてたの忘れてた。これ、善郎おじさんからジュース貰ったから北条と二人で分けて!」
焦りつつも器用に箱から二本の缶ジュースを取り出し、それを梨花に押し付けると話半ばに踵を返した。
「ま、待ちなさい!!話はまだ!!」
慌てて彼を追いかけようと足を踏み出したものの、形式ばった巫女服ではいいペースで神社から離れていく彼の背中を追いかけることは叶わず。ただただ、彼を見送る為に息を切らしただけになってしまった梨花は詰めが食い込むほどに握り込んだ拳の振り下ろし先を見失うのだった。
彼が梨花にやっていることは、嫌がらせにしか思えていなかった。惨劇を回避させるヒントを教えてくれはしたものの、真実につながる具体性はまるで。
確かに、犯人を見つけることが簡単であるならばこんな何百何千も繰り返すことはなかっただろうが、第三者に言語化されてしまったというどうしようもないこの絶望を、きっと彼は理解していないのだろう。
「どうすればいいのよ……」
ぽつりと彼女の口から零れた言葉は、答えを持つ彼には絶対に届かない。彼の言葉が彼女に届かないように。
これから祭りが始まるというのに、気分は最悪だった。