「前が…、見えねぇ…」
沙都子と魅音の肘が叩き込まれた顔面を押さえたまま、地面に這い蹲る圭一の姿は見るも無惨なものであった。確かにレナが口にした「圭一のかぁいいオットセイ」という言葉はそれなりに意味深に聞こえるものであったものの、その意味を即座に理解出来てしまった彼女達も中々に。
要するに、むっつりスケベ達によって生まれた冤罪であり、存在しない罪によって圭一の顔面と胴体には肘打ちの刑が実行されてしまったのであった。無論圭一にしても、わざわざ物陰にレナを誘導して、皆から見えないようにこっそりと見せたという疑われても仕方の無い行動ではあったが、こんなところで、しかもかぁいいと自他ともに認めてしまうような粗末なものを露出するような人間だと思っているのだろうか。
いくら圭一とはいえ、もう少しだけ信用してあげてもいいのではないだろうか、と思いながらも閉口していた傍観者の雪であった。
「尊い犠牲だった……」
「みー…、南無南無なのです」
「まだ死んでねぇよ!?」
偶然にも同時に手を合わせた雪と梨花の言葉に、手を合わされた張本人は慌てて飛び起きるのだった。幸い、新しい扉は完全には開いていなかったらしい。
そんな大騒ぎをする彼等の背後を、何時かのようにシャッターの光と音が捉えた。唐突に現れたそれ等に驚くこともなく向けた視界には、案の定カメラを構えて笑顔を浮かべる富竹の姿があった。
「やぁみんな。相変わらず元気そうだねぇ…!ははは!」
「おんや富竹さん。彼女を放って、僕達に浮気ですか?」
「ゆ、雪君…。その言い方はちょっと…。少し仕事が長引いてるらしくてね、先に見て回ってるんだよ」
「こんばんはではございますがぁ!レディーに断りもなくお写真を撮るのはエチケット違反でございますのことよー!?」
「レディーならかぼちゃ、残さず食べないとですね」
「し、詩音さん!?お止め下さいまし!!」
果たしてかぼちゃを残さなかった所でレディーになれるのかどうかはさておき。人混みから現れた富竹に、彼女達は新しい玩具を見つけたと言わんばかりに彼を囲った。
圭一や魅音達に囲まれて満更でもなさそうな表情を浮かべている辺り、余所者と揶揄されながらも彼なりに雛見沢での居場所を確立していたのだろう。無論、富竹の人柄に絆されているところもあるのだろうが。
「で、雪はいいんですか?あそこに混ざらなくて」
「……体力の限界、かなぁ。この後やることがあるからちょっと休みたいなぁ」
「相変わらずへっぽこ体力ですねぇ」
「みんなの体力がおかしいんだっての…!」
こんな短時間で体力の限界をもう迎えてしまったのか、雪は腰をぎこちなく擦りながらどんどんと先へ進んでいく魅音達の背中を眺めていた。まだ、梨花の演舞まで時間がある。と、いうことは即ち部活はまだ続く訳で、体力の限界が来ている雪は敗色濃厚となっているのだ。
そもそも、約一ヶ月程前まで缶詰になっていた圭一に劣る体力とは、今までどんな生活をしていたのか途轍も無い疑問である、なんて。本来ならばそんな風に続けるべきなのだろうが、残念ながら問いかけるまでもなく、詩音からすれば彼の日常など見なくとも分かる。
どうせ、学校を目指す道中の片手に小説を、学校に着いても小説を、そして家に帰っても言わずもがな。そして時たま、部活のアイテムを魅音に作らされるとかそんなところだろう、と。雛見沢に住む子供にしては珍しくインドアな弟のことぐらい、詩音には容易に分かってしまうのだった。
「しっかし、前原並に人気だね、富竹さんは」
「あら、富竹のおじ様が人気なのは分かりますが…。圭ちゃんもそうなんですか?」
「少なくとも竜宮に詩音。可能性としては北条と古手も否定できなさそうだね。羨ましくないと言ってしまえば嘘になるけど、大した男だよ前原は」
「雪にもそのうちいい人が出来ますって。そうだ、圭ちゃんに見捨てられたお姉でも貰ってあげたらどうです?」
「まず詩音が竜宮に大敗することが君の中で確定事項になってるのは置いておくとしても…。誰が姉に恋心を抱くんだっての。血が繋がってないけど、僕は二人の弟なの。無理だよ無理無理」
世の中にはそういうのもあるらしい、という余計な言葉は流石の詩音ですら口が裂けない限りは口にするつもりはなかった。本気で呆れた顔で詩音を見ながら右手で否を示す雪の姿に、これ以上この件を掘り下げたところで無駄だと分かっているから、というのもあるのだろうが。
以前に圭一との会話でも察することが出来た通り、雪は魅音や詩音を異性という視線で全く見ていない。見る気がないのか、見ないようにしているのか、は流石の詩音でも分からないが、血が繋がっていないと分かっていても尚、十五年姉弟として生活してきた中で雪からそういう感情も視線も貰った記憶はない。
そんな雪の常々の反応に、姉としては安心しつつも女としてはちょっと不満げに。少しぐらいは狼狽えてくれてもいいじゃないかと、何故かムッとした表情を浮かべていた詩音の耳に、雪のつぶやきが届いた。
「……またやり直しかな」
「どうしたんですか、急に?」
「ほら、富竹さんがやる気満々になっちゃったみたいだから。仕切り直しだよ…」
何か雪の言葉には違う意味合いがあったような気がしなくもないが、
記憶が無い頃から一緒にいる、血の繋がっていない同い年の弟。一時期の園崎本家から見てしまえば、ある種の幼馴染として呼ばれていたのではないだろうか。
魅音と詩音が生まれたその年に、生まれたままの姿で門の前に捨てられていた赤子を茜が拾い、どうやってお魎を説得したのかは姉二人をもってしても理解できないのだが、「独り立ちできるようになるまで双子の弟として面倒を見る」と。兎角結論から言ってしまえば、そんな年齢になる前に一人暮らしを始めてしまったのだが。
それはさておき。当然物心ついた時から一緒に生活している二人にとっても、彼は特別な存在であったのは言うまでもない。
雪にしてみれば、血の繋がった親ですらだますことができる二人の入れ替わりを見破ってみせた「だけ」。それだけの事なのだが、入れ替わりを容易に看破されてしまった幼い二人が彼を特別視するのは当然の摂理だろう。
故に魅音は「詩音」と、詩音は「魅音」と呼ばれることに何の違和感も抵抗も抱いていないのだ。雪の前でだけは、その演技を辞めることが出来る特別な場所。魅音の方が、よほどそのありがたみにしがみついているのだろうが。
「───魅音。詩音たちを見失っちゃうよ」
「あ、あれ…!?」
「何を考えてたんだか知らないけど、ボーっとしてさ。祭りなんだからはぐれたら暫く見つからないよ?」
雪の言葉に現実へと引き戻された詩音は、先へ先へと進んでいく魅音たちの背中に視線を移した。雪と詩音が立ち止まっていることに気が付いていないのか、魅音達はどんどんと人込みの中へと進んでいってしまい。
「……ねぇ雪。鯛のお刺身は、まだ嫌いですか?」
「な、何急に。そりゃ嫌いは嫌いだけど…、え、本当にどうしたの…?」
詩音が何を考えていたのか、なんて知る由もない雪は突然訪ねられたソレに訝しげな表情を浮かべながらも是と答える。
「仕事先でお父さんが貰ったみたいで、行くなら持って行けって言われたんですけど。やっぱり持ってこなくて正解でしたね」
「父さんは僕に嫌がらせでもしたいのかな…?事務所でばら撒いておきなって言っといてよ」
「私もそう言ったんですけどねぇ。これを口に突っ込むぞって脅せば何でも言うこと聞いてくれると思う~なんて言われちゃったので」
「嫌がらせじゃん!!嫌がらせ!!後で抗議の電話いれてやる!!」
僕が二人に力で勝てないからって、とぼやく雪の横顔を見つめ。
「それはそれとして、待っていてくれたんですね」
「そりゃあね。君を一人置いて行って何か起こったら、僕が葛西さんに叱られるからね。逸れない様に手でも繋いでおいた方がいいかい?」
「じゃあ、そうしましょうか。昔みたいに仲が良いところをお姉にアピールしとかないとですね?」
「え???」
冗談のつもりだったのだろう。詩音を揶揄うつもりでにやけていた雪であったものの、突然右手を掴まれたことに、理解出来ないと言わんばかりに詩音の顔と自身の右手を交互に見比べていた。
珍しく心底慌てたように目を白黒とさせる雪の様子に、詩音は魅音のような意地の悪い表情で彼の手を強引に引いた。
「ほら、行きますよ!私達も祭りを満喫しないと損ですからね!」
「手ぇ!?」
「雪から繋ごうって言ってくれたんですよ?離すわけないじゃないですか!」
───せめて悟史が帰ってくるまでは。
この手の温もりは、きっといつまでも消えることはないのだろうと疑うことも無く。