あと数日で自分の命がまた奪われるであろう今日。結局、大石の連絡先を手に入れてしまった圭一が末期症状となってしまうのだろうな、と。鈍い痛みを訴える頭に僅かに歯軋りをしてみたり。
それでもいつも通り何食わぬ顔で教室へと入った梨花と沙都子は、真っ先に目に入ってきた人物に普段と変わらぬ挨拶を交し。
「おはようございますです、詩ぃ」
「おはようございますですわ、詩音さん」
ニコニコと笑顔を浮かべながら挨拶を返してきた詩音の脇をぬけ、ほんの一瞬だけ教室を見回してみたが、普段なら梨花の近くを漂っているはずの羽入はやはりおらず、無意識のままに小さな溜息が漏れた。
何故かは知らないが、昨日から羽入が帰ってきていなかった。最後に姿を見たのは図書室で雪と喋っていた時か。はたまた犯人当てゲームの続きをしていた頃か。正確な時間は分からないが、兎に角日が落ちてから、そしてまた日が昇った今になっても、羽入が神社に帰ってきてはいなかった。
思い返してみれば、雪と会話している時から様子が変だったような気もする。黙ったまま何処か一点を見つめていたような。
羽入が帰ってこないこと自体はあまり珍しいことではなかったはずだが、この色々と厄介続きの現在で帰ってこないとなってしまうと、羽入が何かしらの嘘を言っていたか、或いは梨花に隠し事をしているということを自白しているようなことになってしまうのではないだろうか、と。
そんなことを考えながら机に着席した瞬間。沙都子の驚く声が教室に響いた。
「し、詩音さん!?」
「……あれ、やっと気が付きました?」
「どどどどうしてここにいらっしゃるのですか!?」
何食わぬ顔で雪の席に座って、雪の机の中にあったと思われる小説を読んでいた詩音の姿に漸く気が付いた沙都子は、目を丸くして立ち尽くしていた。
「みぃ……!?サボり、ですか!?」
「サボりだなんてやめてくださいって。昨日たまたま雪の家に泊まってまして、間違えてこっちに来ちゃいました、たは~」
「たは~、じゃないですわよ。それで肝心の雪さんは何処にいらっしゃいますの?」
「いや、それが熱が出ちゃったんですよ。一昨日の寝不足が祟ったみたいで、休みの連絡もついでにしに来た、みたいな感じです」
「寧ろそっちが本題ではありませんこと!?」
「おサボりのいい理由に使われてしまったのですね、かわいそかわいそなのです」
「そ、その言い方はやめてくれません!?」
実際のところその通りなのだから仕方ない。本来ならばもう興宮に戻っていなければおかしい時間帯のはずだし、冷静に考えなくとも学校をサボってこちらに来ているのは自明の理だろう。
過去の世界でも詩音が雛見沢分校にいるようなことはあったため、今更詩音にそんなことを四の五の言うだけ無駄なのも、また。
「でも珍しいですわね、雪さんが体調不良なんて…」
「……まぁ、雪は体調が悪くても無茶をする性格ですからね」
「でしたら早く元気になるようにお見舞いに行かせて頂きますわ!私、こう見えても卵がゆを作るのは得意でしてよ!」
「阿鼻叫喚になりそうな気がするのですよ…」
果たして、この世界の沙都子は目の前にぶら下げられた人参に我慢をして看病することなど出来るのだろうか。今回の二週間弱の様子を見るに、正直難しい気もする。人参というよりもあれでは据え膳になってしまうだろうし。
今更ながらではあるが、どうしてこの世界の沙都子はあそこまで雪に
「休める時は休まないと、倒れてからじゃ遅いですからね」
「そうですわね。自分の管理さえできない雪さんはにーにのお見舞いしている場合ではありませんわね」
そういえば、悟史の入院は大っぴらになっていたような。記憶が確かなら体調が悪くて二年ほど前から入院していると言っていた気がする。
本来ならば叔母を殺し、そして悟史自身が消えてしまったことによってオヤシロさまの祟りは成ってしまった。
一年目はダムの現場監督がバラバラの死体となり、その犯人の一人が消え。翌年は沙都子の父が転落死し、母が消え。そして、梨花の両親が祟りに遭い、去年は沙都子の叔母と悟史が、というのが流れだった筈だ。
であれば、だ。梨花と沙都子が同居しているという事実を鑑みるに、叔母は死んでいるのは間違いない筈だ。殺したのは誰か、ではなく、
叔母を殺したのは十中八九、悟史であるのは間違いがないだろう。だが、その悟史は消えずに体調不良で入院しているということになっているらしい。一人が死に、一人が消えるからこそオヤシロさまの祟りと呼ばれるわけで、この世界では間違いなく悟史の代わりに誰かが消えているはずなのだが。
「って、早くイタズラの支度をしないと圭ちゃん、教室に着いちゃいますよ?」
「そこまで雪さんから聞いていらしたのですね…」
「今日はどんなイタズラを仕掛ける予定なんですか?」
「そうですわねぇ…。圭一さんを大きな鳥籠に入れて可愛がって差し上げるのは如何でしょう?」
「一緒にお姉も捕まえられたりしますぅ?」
「冗談ですわよ。そんな風に人様の恋路にちょっかいを入れるのはレディーがやってはいけませんことよ」
もう少し中身のある話は出来ないのだろうか、とあまりにも現実味の無い会話に梨花は思わずツッコミを入れそうになるのだった。人間が二人も入る様な鳥籠だのなんだの、今まで何を考えていたのか、頭の中から吹っ飛んでしまいそうなぐらいには馬鹿でもしなさそうな会話だ。
まるで金平糖の風呂に一緒に入る、みたいな。現実味を感じることもできない、途方もない甘い話だ。
「教室を汚し過ぎると片すのも億劫ですし。ロッカーで熟成させた牛乳を拭いた雑巾を顔に当てて差し上げましょうか」
「ど、どうしてそんなものを取っておいてるんですか…!?」
「イタズラの為、ですわ。圭一さんになら何でもしていいと、雪さんも赤で仰っていましたし」
牛乳を拭いてロッカーの中で熟成させられた雑巾を顔にぶつけられるとは、圭一も朝から災難である。まあ、圭一だからいいかと梨花は放っておくのだったが。
兎角思考を戻し。この世界で起きている大きな異変はもう一つ、当然雪の存在だ。梨花が死に戻りを繰り返すことを知っており、そしてこれから梨花の身に起きることを知っているような口調、行動。
もしかして、雪は未来から来たタイムトラベラー、なんて。そんな質の冗談を思考の奥底に追いやり。故に本来奥底に追いやっていた、更に質の悪い冗談が表層に戻ってくるのだった。
もしも、
だが、梨花の繰り返しは羽入が居なければ絶対に出来ない筈のものである。羽入の力が持つ限り、梨花が死ぬ度に梨花は別の世界の梨花に記憶を上書きし続ける。それと同じことを雪が出来ているのだとすれば、彼の言う「いつも通り」という言葉の意味が通じるようになる。
「……羽入がもう一人いる?」
幸いイタズラの準備を進めている沙都子が生み出した騒音のお陰で、無意識に零れたこの言葉は誰にも届かなかったらしい。
兎角、梨花の知る範囲で雪の繰り返しを証明しようとするとそうなってしまう。荒唐無稽な仮定であることは梨花自身が一番理解しているつもりだ。しかし、羽入のような人知を超えた存在でなければ、別世界の自分だの、記憶の継承だのそんな芸当が出来るはずもないのもまた事実だろう。
だがもしそれが本当だったとして、雪は、もう一人の仮称羽入は、何のために繰り返しを続けているのか。
雪は言っていた、「雪自身の目的と、梨花の望みは何一つとして関係無い。だが、ゴールは重なる」と。そして雪は繰り返す者である梨花そのものを探していた、とも。
梨花の望みは、この繰り返しに終止符を打ち七月を迎える事、それ以外の何物でもない。雪は梨花の生死には左右されない目的があり、そしてそれは繰り返す者である梨花のゴールと重なる、なんて。そんな都合のいい状況が有り得るのだろうか。
「………どうしてこんな時に限って羽入はいないのよ」
羽入が何を見て、何を考えて、何を隠しているのか。この非現実的な仮定を聞いて否定することすらしてくれない、いなくなってしまった彼女の名を呟き、梨花は再び溜息を零すのだった。
〇
「───奇跡を待つってのは随分と退屈だろうね。ああ、答えなくていいって、僕には見えないし聞こえないし」
カップを机に置き、少年は西洋のドラマのように大袈裟に肩を竦めて、天井の
黒い影の塊、北条悟史、オヤシロさま、或いは。さておき様々な比喩表現で呼ばれるその概念は一体どんな表情を浮かべていたのだろうか、と。頭の中で表情を想像する少年は、口角を歪ませて。
「
そう呟きながらも、彼はやはり笑顔で。しかし、ふと思い出したように紅茶の入ったカップにミルクを流し込み、ゆっくりと混ざっていく二種類の液体をグッと覗き込んだ。
ミルクと紅茶の流れが落ち着いた頃、カップの中から視線をずらさぬまま、指を折って何かを数え。
「ノックス第六条、偶然と第六感を禁ず。つまり、僕から答えを聞くには答えに足る真実を彼女自身が提示しないといけない。それは変えようのない絶対の真実だと、君も思わないかい?」
カップの中の液体に僅かに反射した少年の瞳は、あなたの顔をじっと捉えているような気がした。