「今日も部活が無くなってしまいましたわね」
「今日は圭一も雪も体調が悪いですから仕方ないのですよ」
午後の授業も恙無く終わり。レナを連れて教室を出て行った魅音を見送った二人も、横並びで帰路に着くのだった。
タバスコ入りのおはぎを持っていって圭一の見舞いをしたりして余計な事をする二人であったが、これもまた雪によって阻まれ。きっと、今頃は魅音がレナを慰めているはずだろう。
「早く帰って今日はさっさと寝るんですのよ」
「み、みぃ…。分かってるのですよ…」
目をシパシパさせる梨花に、沙都子はやれやれと首を左右に振る。ここ暫く様子のおかしい親友の姿を、沙都子なりに心配しているのだろうが当の本人にはまるで伝わっていないようであった。
とて、梨花ですらもまさか小説に寝ることを忘れるほど読み込んでしまうとは思ってもおらず。アルコール以外での寝不足は一体何時ぶりなのだろうかすら思い出せないほどだった。
「今日は梨花が寝るまで私が添い寝いたしましょうか?」
「だ、大丈夫なのですよ!?」
「あら、でもまたその本を読んでしまわないか心配ですもの。ミステリーは一度も読み始めると止まりませんものね」
「みぃ…?沙都子もミステリーを読むのですか?」
まるで沙都子もその道を辿ったと言わんばかりの言葉に、梨花はふと聞き返してしまった。
聞かねばよかっただろうに、と後悔する羽目になるとは今の彼女は全く想像もしていなかっただろうが。
「何を今更。私もミステリーは嗜んでいますのよ?」
きょとんとした表情で、沙都子は首を傾げていた。梨花の知る沙都子なら、ミステリーなど手を出さないジャンル第一位に輝いていそうなのだが。
「雪さんが好きなジャンルですもの。レディーとしてチェックは欠かしておりませんのよ」
流石は恋する乙女と言うべきか。本来ならば苦手な部類であろうジャンルに手を出すとは、純粋に舌を巻く思いであった。
とて、巻き戻ってから凡そ二週間が過ぎた現在、沙都子が小説に手を出したり、例えばドラマを見ているなんて様子を確認した覚えはないのだが。古手の本宅にあったものはもう既に読破済みということなのだろうか。
「ですが、問題を一つ解き明かすのに時間がかかってしまうのが難点で、出題側の方が向いてると自負しておりますの」
それに関しては想定通りだろうか。ミステリーの要素において、トリックは沙都子のイタズラに良くも悪くも影響を与えうるものだろう。
沙都子の裏山が並大抵の大人なら無事に帰れないほどのイタズラの巣窟になっていることを知っている梨花はただ苦笑いを作った。
「トリック、犯人、動機……。梨花はミステリーで最も大事な物はなんだと思いますか?」
「……動機、ですか?」
何故だかはピンと来ないが、梨花はそれが最も重要なのではないかと思ってしまった。
梨花の知っている沙都子ならトリックの方に興味を持ちそうな筈なのに、何故その答えを選んだのか、まるで他人事のようにさっぱりだった。
「えぇ、私もそう思います。ミステリーの言葉では、ホワイダニット、なんて言ったりもするそうです」
「沙都子は物知りなのです」
「そんなことありませんわ。これも雪さんから教えていただいたことですのよ。何故、どうして、を掘り下げていくと同じ作品が別の作品のように見える、とよく仰っておりますし」
彼らしいセリフだ、と梨花は率直に感じた。回りくどいと言ってしまうとやや異なる気がするが、直接的な表現を拒み、他者に考えることを要求するその様は梨花に接する時のそれとそっくりであった。
誰にでもその態度で接しているのはある意味で好感の持てるところだろうが、今の梨花にしてみれば情報を出し渋る彼のその言動はストレスの直接的な原因であるのだが、とは口が裂けても言えなかったが。
そんな梨花の思考に気が付く筈もない沙都子は歩く足を止めないまま、しかしおもむろに声を潜めて。
「だから、私も雪さんの真似をしてずっと考えているんですのよ?」
そこで一呼吸を置いた沙都子の顔を一度でも確認するべきだった、と。
「───どうして雪さんは叔母様と叔父様を殺したのかって」
「さと、こ……?」
昼休みに聞き逃していた一言。寝不足が為と言い訳することも出来ず聞き返すことも出来なかった言葉と、想定外の犯人の名前に梨花は思わず何も無い道で躓きそうになり。
体勢を崩した梨花に視線を向けないまま、或いはそれすら見えていなかったのか、まだ彼女の歩みは止まっていなかった。
「最初は私やにーにのためかと思ったこともありました」
ガリ。
「でもそれは違うとすぐに分かりましたわ。だってあの人の瞳は私どころかにーにすら見ていませんもの」
ガリ、ガリ。
「けほっ、あの人の瞳には魅音さんと詩音さんと……。それ以外はまるで映っていませんのよっ…。私、わたくし……っ!」
ガリ、ガリ、ガリ。
「魅音さんと詩音さんを殺して成り代わりたいと思ってしまうぐらいには卑しい人間でしたのよ……!!」
「沙都子………!?」
服に付いた土を払い、顔を上げたら沙都子が喉を掻いていた。このたった一言で説明が片付いてしまうこの状況は、まさしく末期症状のソレと説明がついてしまうものであった。
日に数度「C120」と呼ばれる治療薬を注射し、症状を抑えているというにも関わらず、再び沙都子の症状は末期まで進行してしまったということ、しかもこの半日の間に。つまりは、今の彼女に何を呼び掛けても何をしても幻覚と幻聴で正常な判断も行動もとれず、手元にある治療薬を投与することすらままならないだろう。
「沙都子!!落ち着いてください!!」
「私は落ち着いていますわ!落ち着いているからこそ、この身体から雪さんを取り除かなければなりませんの!そこで黙って見ていて下さいまし、梨花!!」
「見ていられるわけないでしょ……!!」
果たして無理を押して治療薬を注射できたとして、彼女が落ち着くまでその身体を押さえつけていることはできるのか、なんて。末期症状の恐ろしさを嫌という程知っている彼女なら、当然見捨てて
元々富竹と鷹野が消え、圭一が発症し諦めていた世界だ。愛着など微塵も存在しない筈だ。
───と、
〇
ワインの入ったコップを片手に月夜をぼんやりと眺めたまま、梨花は室内に現れた彼女に向かって口を開いた。
「………一体何処から見ていたのかしら」
「最初から、ですよ」
「最初、ね。あんたのその最初ってのは私が想像しているのとは大分違うみたいだけど」
はぁ、と溜息を零し。コップの中を思い切り煽った彼女は、ゆっくりと羽入へと視線を向けた。
何度も繰り返し見続けてきた親友の知らない顔。氷のような冷たい目でただじっと見つめてくるだけの彼女に、ただただ嫌悪が込み上げていた。
「見ていたのなら教えてくれればよかったじゃない。あれは、
「…………」
「あれは末期症状の
雛見沢症候群の典型的な症状は、幻覚や幻聴から来る極度の疑心暗鬼。末期まで進んでしまえば、他者が自分を殺そうと思い込むことによる攻撃的な行動を取るようになる。
その点、沙都子にはそういった傾向は見られなかった。それどころか自分を責める発言をしていた。となれば、あれは雛見沢症候群によって引き起こされた行動だと決めつけるのは早計だったのだ。
だが、あれが末期症状でないのならば何故沙都子は首を搔くような行動をしたのか。
「ねぇ、羽入。
「………どうしてそれをボクに聞くのですか?」
「しらばっくれるのはよしなさい。あんたは私の記憶を継承させた古手梨花の世界に先に向かってる。なら、あんたはその世界について知ってなきゃおかしいはずよね」
「………だからと言って、ボクが全て見ているなんて」
「見ているはずでしょう?あんたは雛見沢症候群の患者の後をつけ回すことばかりしてたんだもの。あんたが雛見沢で出た末期症状患者を知らないはずが無いでしょう?」
かつて詩音が見た「悟史の影」も、一つ増える足音も、幻聴として聞こえる「ごめんなさい」の言葉も。その全てが羽入であり、自身の存在がそもそも雛見沢症候群を進行させる要因になっているというのに。
「最低でもあんたは、私が赤坂と出会う年齢の頃に戻れることぐらいは知ってる。だからそれに気が付いてからずっと不思議だったのよ、どうしてあんたは雪のことを知らないフリなんてしてたのかって」
それに気が付かれたから姿を消した、と言っても過言では無い程いいタイミングで姿を消した羽入を睨みつけ。ベルンカステルとオレンジジュースをコップに注ぎながら言葉を続けようと口を開きかけた瞬間、羽入の溜息がそれを遮った。
「───梨花。自分がずっと矛盾したことを言っている、と何時になったら気が付きますか?」
「はぁ………?」
羽入の言葉は、謝罪でも弁解でもなく。
「圭一が東京に帰るパターンになった場合、梨花は、富竹のせいで圭一が疑心暗鬼になる、と言っていました。何故梨花はそれを知っているのでしょう?」
「何でって……、知ってるから知ってるとしか……」
「知っているのなら止めればいいではないですか。雪もそう言っていましたし、ボクもそう思います」
「そんな簡単に止められるわけないでしょう…!?」
「先に説明するだけでいいのですよ。雪がそうしたように、梨花もそうすれば良かったのです。何せ、知っていたのですから」
まるで、否。確実に梨花を責める口ぶりに、梨花は単純な驚きを隠せなかった。
「梨花自身もう少し考えてみた方がいいと思いますです。まさかとは思いますが、ボクがもう一人いるなんて考えを本気にする前に、お願いしたいのです」
「ど、どうしてそれを……!?」
「最初から見ていました、と言ったはずです。ボクが巻き戻せるのはボクの巫女である梨花ただ一人だけです。ボクの巫女ではない雪を巻き戻すことなんて出来ません」
そう否定した羽入は何故かくるりと踵を返し。そのまま足を一歩前に踏み出した状態で立ち止まると、続けて口を開くのだった。
「ただ、例えば梨花が巫女を作っていたとすれば、その巫女は梨花の様に巻き戻れたりするのかも、なんて。これはボクの妄想でしかありませんが」