「───随分と大きな欠伸ですわね、梨花」
「…………は?」
この場所にいない沙都子の声と、そして欠伸などいないはずの梨花を注意する言葉に、彼女は普段を取り繕う間もなく情けない疑問の声を漏らした。
「せめて口を押さえなさいなと言っているんですのよ。何が、はぁ?ですの?」
「よく言うよ、沙都子だって眠い時ぱかぱかぱかぱか欠伸ばっかしてる癖に」
「ちょっと魅音さん!?」
沙都子を揶揄うように横槍を入れてきた魅音の声に、ようやくぼんやりとしていた意識が目覚めた梨花は慌てて上体を起こし。居眠りをしていたことを装うように瞼を擦りながら辺りを見渡すと、そこは
つい、先程まで雪と会話していたはず。加えて魅音は詩音と共に園崎家の仕事とやらに向かわされたとか、なんとか。兎角、それぐらいには話していた内容を覚えているはずなのに。
「み、みぃ…。ちょっと居眠りをしてしまっていたのですよ……」
あの会話が夢だった、なんてことは無いはずだ。そもそも夢だったとしてもこの店に来て寝るという選択を取るようなことはしないはずだ。
(───また、殺された……!?)
あれが夢ではなく、そして場面が飛んでいるのであれば、つまりはそういうことでしか説明が出来ないだろう。
古手梨花は再び何者かに殺された。よく、よくよく思い返してみれば記憶が途切れる瞬間、後頭部に強い衝撃を感じたような気もしたが、そこは記憶に靄がかかったように曖昧になっていた。ただ、そこで死んだとしか説明がつかない状況だった。
「もしかして、ゲーム大会が楽しみで寝れなかったとかですか?」
「まさか梨花ちゃんがぁ?圭ちゃんなら有り得そうだけどねぇ?」
「どうして俺はそうなるんだよ!?」
「け、圭一くん落ち着いて!」
「まあ、圭一さんなら有り得ますわね」
何事も無かったかのように。いや、彼等にとっては何事も無かったのだ、平然とした様子でいて何もおかしくは無い。強いて言うなら、詩音が魅音とセットでここに居る事に若干の違和感はあるが、それもあくまで若干の範疇だ。視界の端にはいつも通り羽入がいるところを見るに、まだ誰も発症していないと決めつけてもいいだろう。
やっと、イレギュラーが終わった。再びあの繰り返しが始まったのだと、この時ばかりは安堵の溜息を零そうとしたその刹那。梨花の目の前に湯気が立つカップが差し出されるのだった。
「───眠そうだったからコーヒー入れてきたけど、砂糖はいるかい?」
そう、角砂糖が入った小鉢を差し出してきた少年の顔に、梨花は言葉を返すことすら出来なかった。
「……あぁ、そこに置いておくから、好きに使って構わないよ。僕の小遣いで買ったやつだしね」
「雪さん!私には!?」
「北条は別に欠伸なんかしてなかったでしょ…」
「ふわぁ…、あれ、なんだか急に欠伸がぁ……」
「演技が下手か君は」
瞬きすら忘れたのかと錯覚してしまうほどに目を見開いたまま固まった梨花は、ただレジ横に用意されたパイプ椅子に戻っていくイレギュラーの姿を目で追うことしか出来なかった。
この世界にもあいつが居る。その驚きは、荒唐無稽なあの仮説を証明しているような気がして。
「雪、私にも淹れてくださいよ」
「……園崎、それぐらい自分でやってくれよ。僕は今日手伝いに来てるんだよ?」
「私もですけど?」
「………はぁ。ったく、淹れるも何もインスタントだってのに、面倒くさがりだね」
「雪じゃなきゃお願いしませんよ~」
固まったまま動かない梨花に一瞥もくれることなく、雪の後を追っていった詩音も、沙都子のようにコーヒーをねだり。そんな詩音に、雪は溜息を吐きながらもコーヒーの入った自身のカップを彼女に差し出すのだった。
「まだ手を付けてないから僕の飲めば」
「えー……」
「えー、じゃないよ、えー、じゃ。嫌なら自販機で買ってくるんだね」
「だって、雪のって砂糖いっぱい入ってるじゃないですかぁ」
「………まだ入れてないから安心して飲んだらいいよ」
不貞腐れたような演技をする雪と意地悪げに笑う詩音の二人をただぼんやりと眺めること暫く。
「梨花、砂糖は入れないんですの?」
「あ、そ、そうですね、一ついただきますです……」
固まったままの梨花を不思議そうに見つめる沙都子の言葉に、我を取り戻した梨花は慌てて角砂糖を溶かすのだった。
あの雪は梨花と同じく
そう思わなくてはやっていられない程度には、梨花は動揺していた。
「と、いうか園崎、そろそろ始めなくていいのかい?」
したり顔でコーヒーを飲む詩音から目を離し、雪は魅音へと声をかける。
「あー、そろそろ始めよっか、クジってどこにあるぅ?」
「三番テーブルの脇。園崎もそれ飲み終わったらちゃんと手伝ってね」
「はーい、お小遣い貰ってますからねー」
園崎と呼ばれた魅音は三番テーブルらしき場所から、くじ引き用の箱を手に持ち。そしてこちらも園崎と呼ばれた詩音は、カップから手を離すとレジスター脇に避けてあったボードゲームをいくつか抱えるのだった。
「よく園崎だけで会話が成立するぜ…」
「ははは、雰囲気で察してくれ雰囲気で。それに、もしも二人が入れ替わってるようなイタズラを始めたら僕以外見抜けないんだし、下の名前なんてさほど重要じゃないよ」
「傍から聞いてて俺が分からないのって言ってるんだわ、雪さんや」
「聞き分けがつくようになったら及第点だね…」
「もしかして皆聞き分け出来てんの!?」
雪の呟きに、目を丸くして部員の方へ顔を向けた圭一に、彼女達はこくりと頷きを返す。
「ま、まあ何となく……、かな?かな?」
「そんなことも分からないようですと、この先苦労致しますわよ?」
「かわいそかわいそなのです」
と、半ば反射的に言ってはみたものの。梨花も梨花とて理解出来ていないのはここだけの話であるが。
「なん、だと………!?」
「ちょっと粗雑に呼んでいる時は大体魅音さんですわ。そしてちょっと優しげに呼んでいる時は詩音さんですのよ?」
「わかんねぇーよ!?そのちょっとの差はまだ無理だ!!」
「あらあら、それでは雪さん検定五級にもなれませんわね」
「北条、何それ。ソレボクシラナイ……」
胸を張りながら、「私は免許皆伝ですのよ」と高らかに宣言する沙都子の姿に、雪は開いた口が塞がらないようであった。
「まあいいや…、後であいつを叩き起こして詳しい話を聞くだけだね…」
「え、悟史くんに会いに行くんですか!?」
「……やっぱ無しにしようかな、うん。君を制御するのは葛西さんの仕事だし」
「葛西が居ると、せっかく話してるのに十分ぐらいで部屋から追い出されるので嫌です!!」
「忘れてると思うけどあいつ病気で入院してるんだからね?元気そうに見えるけどそれなりに重いんだからね??わかる???」
その世界でも悟史は行方不明になっていないらしい。それどころか会話をすることぐらいは出来るような口振りだったが、末期症状ではないということだろうか。では何故入院しているのか、という別の問題が残るのだが。
兎角、前回の沙都子が口走ったアレが本当なら、あの保護者共を殺したのは雪らしいが、それが本当なのかどうかすら確認する事は出来ていない状態だ。
雪が何故あの二人を手にかけたのか。沙都子の言葉が本当なら、雪は「魅音と詩音の為」だけに二人を殺した事になるが、その理由に妥当な説明が思い付かなかった。
確かに、悟史が行方不明にならなければ詩音が発症する確率はグッと下がるだろうが、それだけであの二人を手にかける理由にはなるのだろうか。わざわざその手を血に染めることしか出来なかったのだろうか。
そんな疑問を抱いたまま、梨花はただ進むくじ引きをぼんやりと眺めていた。
「み……、じゃなくて。園崎、ダイヤモンドゲームは竜宮のところで。そっちじゃない隣のテーブル。で、前原のところはぁー……、あー…、うん億万長者ゲームでいいや」
雪の指示通りに各テーブルに詩音が並べているボードゲームは、梨花の記憶とはまるで違う物だった。
いつも通り、にぱー、と笑顔を向けてやれば勝手に負けてくれる男子達と魚釣りゲームをするはずだったのだが、残念ながら詩音が抱えているゲームの中に魚釣りゲームは見受けられず。
くじも引かず、ただぼんやりとその光景を眺める梨花に気が付いたのか、柔らかな笑みを浮かべた雪が梨花に近寄ってきた。
「良いのかい、くじ引かなくて」
「……だ、大丈夫なのですよ。余り物には福がありますです」
「その諺は信用して大丈夫なのかい?まあ、少なくとも
「───っ!!」
彼の言葉は、つい少し前に立てたばかりの仮説を証明するようなものであった。
興宮のゲーム大会に参加する世界では同じ席に座り、同じ相手と同じゲームを繰り返してきた。それを雪は理解しているとしか思えない言葉だった。
「雪ぃ~、配り終わりましたよ~?」
「はいはい。僕らはおじさんの代わりに店番だから、後は園崎に任せて適当に眺めてようか」
「そうですねぇ。ちょっかい出すとお姉、ぴーぴー騒ぎますし」
「はぁ……、騒ぐのか騒がせてるのかは分からないけど、今日ぐらいは馬鹿みたいな言い合いはしないでよ……」
そう溜息混じりにボソリと呟いた雪は、目を見開いたまま固まる梨花を余所に再びパイプ椅子の元へと戻って行き。
何者かによって再び殺され、そして巻き戻り。巻き戻った現状の理解すらまるで追いつかないまま、珍しく困惑した様子の梨花を、羽入はただただ見つめ続けるのだった。